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木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン

≪2007年8月撮影≫


東京都写真美術館に『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン 東洋と西洋のまなざし』を観に行きました。アンリ・カルティエ=ブレッソンは、2007年6月に『アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌』と題してMOMATでまとまった作品(写真のみでなくフィルムや絵画なども)が観られたのですが、これは見逃してしまっています。と言うか、その頃はとにかく時間に余裕が無い生活をしていたので、休みの日は必然的に他にやるべき事、やりたい事を優先し、『あ、行こうかな。』とは思ったものの、何を置いても観に行きたい、と言う強い衝動がなかった、と言うのが正直なところ。後になって『何故あの時行かなかったのか。』と強く後悔したものです。今回は木村伊兵衛との東洋との対比、相対性と言う観点で展示されたものですが、良かったです。手許に置いていつでも観たかったので、図録も購入しました。そして確信したのが、素直に単純に純粋に、『こんな写真が撮れたら、何て楽しいだろうか。こんな風に撮りたい。』と言う気持ちです。“スナップ・ショット”、切り取られた一瞬、何でもない一場面に人を惹き付ける力を付与すること、構図、構成、偶然性、直感で場面を選ぶ審美眼と説明できない感覚、観察眼、自分を意識させないこと、初めての土地やよく知らない人を深く見つめる事が出来ること、今居るその空間に受容されること、大きく見つめることの出来る眼と細部を見つめる眼を併せ持つこと、そんなこんなを思い巡らせました。
併せて1階の劇場で上映されていた『アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶』も観てきました。(映画公式ホームページ http://www.longride.jp/hcb/) スクリーンの中の彼は言います。『構図こそが命だ。』と。そして『写真家はとても短気、さっと仕事を済ませてさっと逃げる。』と。これは意外でした。かの有名な『サン=ラザール駅裏』も待って待って待ち倒した末の1枚、と言う訳ではなさそうです。少し構えて『そこだ、そこに行け、そうだ。今だ。』と言うのはあるみたいですが、長丁場と言うのではないようです。そこに居合わせた偶然はまさに天性の優れた反射神経のなせる業で、この人間の広い視野の中から印象的な構図を一瞥のうちに見抜いて切り取る技は、まさに本能、神業なのだと思わざるを得ません。
木村伊兵衛にしてもアンリ・カルティエ=ブレッソンにしても、写真は本当に面白いですね。その人の見つめていた世界が写真を通して伝わってくるから。そしてそれは、個人の個人的な視線、視点でありながら、決して独りよがりのプライベートなもので終わらない、他者に訴えかけ、写真を観る事でその人の世界観を普遍なものに感じさせてしまう力があるのです。何と言う事もないところに何かを見出し、形に残す。そしてそれは万人ウケすると言う意味ではなく、心のどこかが擽られる。感じ入りました。表現が多様化、多彩になってきた今、改めて、2人のシンプルさ、シンプルゆえに写真そのものの持つ力強さに心惹かれます。もうひとつレンズを買おうかな、と思っていたところでしたが、木村伊兵衛もカルティエ=ブレッソンも50mmで撮影していたと聞き、その表現力に圧倒されました。もう少しこのレンズで頑張ろう・・・・。
と、かなりencourageされ盛り上がり、昔の写真を引っ張り出してきました。Esquire Digital Photograph Awards 07-08で最終審査に残った思い出の1枚です。(以前もブログに揚げましたが、ex. blogではその頃には写真がここまで大きく載せられなかったので。) 実はこれ、携帯電話のカメラで撮ったものですが、もちろんトリミングはなし、です。こんな写真がイチデジでも撮れるよう、『そこに居合わせた偶然』運とそれを捕らえる力がもっとつきますように、と願って。
お口直しに、アンリ・カルティエ=ブレッソンからお気に入りの数枚を・・・・・。









© Henri Cartier Bresson / Magnum Photos


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by sanaegogo | 2010-01-09 00:00 | art


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