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― 君がここにいたらいいのに Fiona Tan Ascent





Fiona Tan Ascent|フィオナ・タン アセント

2016年7月18日(月・祝)—10月18日(火)
IZU PHOTO | MUSEUM

http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/208709273.html


Ascent (2016), Fiona Tan, still, Photo: nakano yuko

IZU PHOTOに行くのだから晴れの日だったらそれは気持ちの良い秋の日だっただろうけど、この日のクレマチスの丘は生憎の土砂降り。 家を出た時には茅ヶ崎は降っていなかったのにね。
チケット売り場で何やら人だかりが出来ている。 何度か来てるけど、あまり混んだところを観た事がなかったのに不思議に思っていると、自分たちの番になって理由が解りました。
プロジェクターに不具合があって、今日はメインの映像作品が観られないとのこと。最後の14時45分からの回に修理が間に合えば上映するので、戻ってきてください。と言われ、ちょっと雨を恨む。(因果関係はないみたいなんだけど。)
それでは、先にヴァンジ彫刻庭園美術館の『生きとし生けるもの』を観て、ランチして。
雨足は強くなるばかりで、止む気配はないんだけど、最後の上映は無事行われる事となり。ギリギリセーフで、念願の『アセント』を観て来ました。 これが観られなかったら、ここまで車を飛ばして来た甲斐がなかったけど、本当によかった。

フィオナ・タンの『アセント』は、2014年のIZU PHOTOのMt. Fuji Projectで公募された4,000枚あまりの富士山の写真を彼女のイメージの中で構築されたストーリーに沿って繋ぎ合わされ、紡がれたプロジェクション作品です。

あなたの富士山写真が
フィオナ・タンの作品の一部になります。
http://www.izuphotoproject-fionatan.jp/


時間も季節も時代も場所も撮影した人たちも、みんなばらばらな富士山の写真が、ヒロシと女性の往復書簡のような会話から生まれるひとつの物語に再構築されています。
4,000ものそれぞれの瞬間に立ち会っている富士山。
唯一無二の山であるのに、ふたつとして同じ表情を見せる事なく、ひと時も欠かすことなくそこに在り続ける普遍(不変)の山。
寝転びながら、時にオーバーラップされ、スクリーンの中に現れては消えていく富士の山映像を見ていると、どの山脈にも属さない孤高な霊峰に、「見守られている」という感情が、沸き立たせられ、私たちは富士山の庇護の許ここにいます、という気持ちになります。
4,000枚ものランダムな画像をひとつの物語として紡いで行く、フィオナ・タンの緻密な作業、ばらばらで無関係の写真たちからその1枚が持つ物語を損なってしまうことなく、繋ぎ合わせていくその集中力と根気に、静かなるエネルギーを感じます。


Ascent (2016), Fiona Tan, still


語り口は常に穏やかで優しいものなのですが、語られている話は漠然としたところがなく、むしろ毅然としていていました。
「大切な事だから少し話をしてもいいかな」
とヒロシがちょっと諭すように言うのですが、この口調や問いかけ方がとても好きです。
なにか一筋の意志を持って、はっきりとした物言いなのですが、強制めいたところがなく。
心の奥まで沁みこんで来るような心地よい優しい力強さを持ったその声の主は、長谷川博己さんでした。 やっぱり。
本当に素敵な声、素敵な語りでした。 しみじみと・・・・。
そして、女性の声はフィオナ・タンだったのですが、この声の主は 富士山そのものだったのかも、と思います。彼女の作り出したイメージの中では、富士山はきっと女性なのですね。
もしくは、物語の中に出てきた木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)だったのでしょうか。
女性は誰だったのか、無性に確かめたくなって、観終わった後ミュージアムショップでナレーション・テキストがあるかどうか尋ねてみたのですが、それは無いのだそうです。
図録が2冊出ていて、その中に脚本原案が書いてあったみたいなのですが、それはショップでは案内してもらえなくてとても残念です。
「君がここにいたらいいのに」
ヒロシは呟くのですが、ここ、って一体何処なんだろう。
高く空へと聳え立つ 富士の姿をスクリーンに眺めながら聴いていると、この空間でもない、この時間でもない、どこから聞こえてくるのかも、耳で聞いているのかもわからなくなります。 まるで何処か遠い精神世界の中からの呼びかけのように響いてくる、ヒロシの呟き声を聞いていると、ヒロシの処に行ってあげたい、そんな気持ちになりました。

もう一度、観たいです。


赤嶺優子 撮影 「元旦の富士山 故郷沖縄へ帰る機内から。2016年も頑張ろうと思えました。」
渡邉保明 撮影
渡邉保明 撮影
Photo by Mark Smith, Remote Viewing 75-2
渡邉保明 撮影
遠藤進 撮影
渡邉保明 撮影
渡邉保明 撮影
(* 写真 左上→右上から下へ。 敬称略)


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# by sanaegogo | 2016-09-24 00:00 | art
静かな森に誘われ・・・ サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―
『サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―』
Cy Twombly Photographs Lyrical Variations
2016年4月23日(土)~ 8月28日(日)
DIC川村記念美術館 (千葉県 佐倉)
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/20160828_cytwombly.html


サイ・トゥオンブリーが、その画家、彫刻家としてのキャリアの中で、こんなにも写真が好きでポラロイドやピンホールカメラで生活の中の対象を撮り続けていたというのはあまり知られていなかったようです。(勿論(?)私はこのトォンブリー展でその事を知りました。) 聞けば、その写真作品の殆どは長い間未発表で、トゥオンブリーが密かに持っていたという事。そこには密やかにトゥオンブリーの内面が詰まっているような気がして、彼が自分の心の内を静かに語りかけているような雰囲気がそこに流れていたような気がします。川村美術館は、森の美術館とも呼ばれてて、緑豊かな森を配して密やかに建つその雰囲気もまた、今回のトォンブリー展の独特の雰囲気にぴったりです。都会の喧騒から時間をかけて 彼が待つ森の美術館まで訪ねていくという行為自体から鑑賞が始まっているようです。



今回は、トゥオンブリー(1928年-2011年)が1951年から2011年までの60年間で撮影した写真作品の中から100点を展示されていています。写真の他、絵画(3点)、彫刻(4点)、ドローイング(4点)そして版画(18点)など、トゥオンブリーが様々なメディアを通して表現した中での、共通性、一貫性などが自然と入って来るような流れで展覧会は構成されています。

『変奏のリリシズム』というタイトルもとても洒落ていて、展覧会全体の静かでありながらどことなくリズミカルな構成をとても良く表していて、言い得て妙です。変奏とは、音楽で言うところの、ある主題をいろいろな技法によって形を変えて表すこと。様々な表現を用いながらトゥオンブリーの内面世界(リリシズム)が編成され、ひとつの形となって創り上げられています。全体としてもそうなのですが、こと写真の並びについては、それぞれの写真の横の間合い、縦の間合い、並べられている被写体のお互いの関連にもこの変奏の表現が生かされています。 ひとつの写真から次の写真へと視線を移すときの壁の余白。 「この余白にもトォンブリーのリリシズムが現れているから、そこにも注目してくださいね。」と、偶然立ち話をする事が出来た学芸員の方が言っていました。私は、トォンブリーの写真から立ちのぼるふわっとしたメッセージを感じようしていて、そこまでの思考には至らなかったのですが、会場内は都内の美術館とは違い人の混み合いはまるでなかったので、時間をかけて余すところなく全てを感じ取り理解しようと時間をかけて鑑賞している人が多いように思いました。 そんなゆったりとした雰囲気も、今回の展覧会にぴったりだったと思います。

ふわっとしたメッセージというのは、その理由がトォンブリーが好んで使用していたのがポラロイドやピンホールカメラだったからというのに他ならないのですが、ピントが甘く、対象の境界線がじんわりと滲むようになるのには、更にこれにトォンブリーならではの工夫と創作作業が加えられていたようです。ポラロイドカメラで撮影した写真を厚紙にプリントし、その台紙の粗めの質感がふわっとした画像の雰囲気を更に強調しています。更には80年代に製造されたロースペックのコピー機を使って、オリジナルの写真を拡大し、色彩の滲みや紙への浸透を自分なりに気に入った効果に調整していたそうです。こんなことからも、トォンブリーの自身の写真作品へのこだわり、日常的な身の回りの被写体を好んで撮影していたのにもかかわらず、単なる記録的な意味や時間が空いた時の息抜きではなく、写真にしっかりと向き合い、自分の表現したい内面性をきちんと創り込んできたのだ、という事が解ります。写真の出来栄えとしてはどことなく技術的には稚拙な雰囲気が漂っていて、古代ローマの遺跡や古い絵画にノスタルジアを感じていたというトォンブリーの美意識をよく表しています。

気に入った作品をいくつか挙げるとすれば、まず、このズッキーニ。 するっとした感じで画面に横たわっているズッキーニを見れば、俄かにはズッキーニと判らない程寄って撮影してあり、抽象化してあります。このするっとした造形になんだかとっても艶めかしさみたいなものを感じます。






ズッキーニの全貌はこんな感じ。
自然のままに収穫されたそのフォルムは、やっぱりどこか艶めかしい。



あと、これを挙げる人も多いと思いますが、チューリップ。これはとても朧気なんですけど、そんな中でチューリップの花びらの実はとても肉厚な様が見て取れたり、曖昧な世界に放つ花の存在感みたいなものにギャップを感じて、見入ってしまいます。




何といっても、画像の資料としてはネットに出ていないのですが、このパン。(図録が届いたので撮影しました。) このパンの写真を手許に置いておきたくて図録を買ってしまったと言ってッも過言ではない感じです。普段当たり前のように食べているひと塊のパンがこんなにリリカルに表現されている事に感動しました。アーティストというものはその生活の暮らしぶりも美しいとはよく言いますが、トォンブリーの日々の暮らしの美しさもこの1枚から想像が出来て、何だか色々な意味でとっても印象に残ります。




余談ですが、会場の最後に1枚のトォンブリー自身が写ったプロフィール写真がありました。 トォンブリーが写っているので、彼の撮影ではない事は明らかなのですが、妙に眼を惹くものがあって。 撮影を見てみたら、ブルース・ウェーバーでした。お互いに親交があった(のかな?)のも意外な感じでしたが、(タイプが違うので)、やっぱりブルース・ウェーバーもいい写真撮るんだなー、なんて、再確認。




さらさらと時間の粒子が流れるような、そんな雰囲気の中の鑑賞。良い1日でした。


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# by sanaegogo | 2016-08-20 00:00 | art
シャルル・フレジェ 「YÔKAÏNOSHIMA」



Le Forum, Maison Hermès
YÔKAÏNOSHIMA by Charles Fréger


銀座メゾンエルメス
「YÔKAÏNOSHIMA」 シャルル・フレジェ展
2016.2.19(金)~ 5.22 (日)
http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/

フレジェを知ったのは、WILDER MANN (2010-2011) を雑誌で観た時なのですが、この時から既に気になっていたのかも知れないのですが、その引っ掛かりはあまり自分の中で意識されないものだったんですね。 でも、色々な場面でこのWILDER MANNを眼にする度に、じわじわとその存在感が増していくのを感じてました。 見れば見るほど気になっていくのです。 そのフレジェがこのWILDER MANN の制作意図を踏襲した形で日本で撮影された写真展があるというので、これはもう、是非行かねば!と。

行って来ました。Maison Hermès の Le Forum です。 フレジェが「妖怪の島」と名付け、日本列島58か所で古来から風習として残る仮面神や鬼、風土風習に根付いた祭事や儀式の村人の仮装の姿を取材したものです。 実は、「妖怪」と聞いて、これはちょっと違うのでは? と感じたのですが、「妖怪」について、改めて紐解いてみると、【妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。(ここから→) 妖怪は日本古来のアニミズムや八百万の神の思想に深く根ざしており、その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた。(wikipediaより)】ということ。「妖怪=水木しげる」的に考えていた私の方が、発想が貧困だったようです。 日本には仏教が伝来する遥か昔から、八百万の神を深く信仰していました。それはもっと昔のアニミズムにも深い関わりがあります。 ここに登場する神や鬼たちは、自然界のあらゆるものに宿る精霊の姿で、仏教思想の洗練された雰囲気はなく、もっと風土や風習に泥臭く密着した何かです。それが21世紀の現代でもこの超近現代国家の日本でもまだ残っていて、生活や営みと共に信仰されているという事実にぞくぞくします。原始から綿々と続いている伝統があるのです。それがフレジェの力を借りて、銀座のど真ん中に一堂に会し、イキイキとその姿を現しています。 土着の鬼神や獣神であったり、折口信夫の言う「まれびと」であったり、歳神様であったりが、色鮮やかな仮装をした村人たちの身体を借りて、その土地や、その季節に次々と登場する、とても立体的なインスタレーションでした。会場構成は建築家の松島潤平によるもの。 日本の地形をなぞれる様な感覚を体験できるこの構成もとても秀逸で、この展示において明らかにその効果を発揮しています。


© Nacása & Partners Inc.


しかし、何といっても、このフレジェの撮影した1枚1枚がとにかくイイんです。物語り的な余韻を含むものとか、心象風景、コンセプチュアルな写真、そういうものとは完全に一線を画していて、民俗学の資料写真のような、または、カタログ的な画一的なフォーマットの羅列でありながら、1枚1枚の中に収められている原始の神の姿は躍動的で、また、ものすごく魅力的で、飽きさせることを知りません。真正面からずどんと被写体を捉えたこのシンプルな構図の写真にむしろ新鮮さすら感じることに驚きます。観る人を圧倒させるような迫力がある訳ではないのですが、湧き出てくる力を感じるような感覚です。 それは偏に古来から受け継がれてきた伝承の力というのが大いにあるとは思うのですが、それを存分に引き出したのがフレジェなのです。


© Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d’entreprise Hermès
この獅子がとてもお気に入り。 どことなくユーモラスで、この愛嬌がたまりません。


改めて、風土と共に生きて来た農耕民族の五穀豊穣を願う豊穣祈願の真摯な祈り、自然を司る神々への尊敬や畏怖の念、日本にもまだまだ残るプリミティブな伝統を目の当たりにして感じるこの高揚感は自分でも不思議で、どこからそんな気持ちが湧き上がってるのか解らないのですが、ちょっと興奮しました。「獣人(ワイルドマン)」は、ヨーロッパで撮影された前キリスト教時代といわれる原始の伝統ですが、日本の歳神の文化とも多くの共通点を持っています。WILDER MANNを観た時のあの心のざわつきは、きっと私の日本人としてのDNAの中に潜む、そんなアニミズムが知らず知らずのうちにすぐられていたのかも知れないな、と感じています。



「Namahage」 Ashizawa, Oga , Akita prefecture (Japan), YÔKAÏNOSHIMA series, 2013-2015




© Charles Fréger

鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神行事に登場するボゼです。諸説あるようですが、昔々、海を渡って来た異形の姿をした異国の人間がまれびととして伝承されているという話を聞いたことがあります。

7月にはYÔKAÏNOSHIMAの写真集が刊行される予定だそうです。この写真展を観て、断然欲しくなってしまったのと同時に、WILDER MANNに魅了される自分をしっかりと認識することができたので、2冊とも手に入れないという理由はもうどこにもない感じです。


Facebook Post: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207778281193422


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# by sanaegogo | 2016-04-24 00:00 | art
あの時代(とき)のホリゾント ― 菊池武夫×田口淑子 Special Talk




2016.04.16 Sat - 05.22 Sun
あの時代(とき)のホリゾント
植田正治のファッション写真展
Exhibition of UEDA Shoji’s Fashion Photographs Those Screens, Those Times
http://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2016/0416_3617.php
Facebook Post: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207715580145935







植田正治の写真の中でもファッション写真をフィーチャーした写真展です。植田正治の写真家としての年譜を辿ってみると、
1932年: 東京へ行きオリエンタル写真学校に入学、3ヶ月間通う。鳥取に帰郷し自宅で植田写真場を開業。
1939年: 「少女四態」を発表。
1946年: 戦後第1作「童」が朝日写真展覧会特選に入選
1947年: 写真グループ「銀龍社」に参加
1948年: 「小狐登場」発表。
1949年: 「パパとママと子供たち」2作を発表。
1949年頃: 砂丘シリーズのひとつ「本を持つボク」発表。
1950年: 「ボクのわたしのお母さん」発表。
1950年: 「妻のいる砂丘風景(III)」発表。
1955年: 代表作「童暦」のシリーズ撮影を開始。(~1970年)
1958年: ニューヨーク近代美術館でのエドワード・スタイケンによる企画展に「雪の面」を出品
1975年: 九州産業大学芸術学部写真学科に 教授待遇で就任 (~1994年)
1978年: アルル・フォト・フェスティバルに招待される。作品数点がフランス国立図書館のコレクションに入る
1979年: 島根大学教育学部非常勤講師就任(~1983年)
1983年: 最愛の妻を亡くし、同年、広告業界のアートディレクターであった次男、充氏の提案により、砂丘を背景にファッションブランドTAKEO KIKUCHIのカタログを撮影。

・・・・こうして振り返ると改めて、海外でも「UEDA-CHO」として高い評価を得た後、最晩年にファッション・フォトグラファーとして新しい展開を見せていた事を知ることが出来ます。きっかけは最愛の奥様の死。 まるで無気力になってしまい、何か月もカメラを手にしない日々が続いたそうです。しかし、世界的写真家が、身内の縁というものがあったにせよ、ファッション誌のために写真を撮り下ろすなんて、なんとも贅沢な時代だったのですね。そこに加担した人たちのエネルギーというか、パワフルさというか、雑誌にはそんな力があったのでしょうね。



この写真展では、転機を迎え、ファッション界で再び息を吹き返し、イキイキと砂丘で撮影を再開した後の植田正治さんと関わりがあった方々をゲストに招いてのトークショーが企画されていますが、何といっても菊池武夫氏でしょう。 私自身も数年前、鳥取砂丘と植田正治美術館を旅した時に購入した思い出深い写真集である〈TAKEO KIKUCHI AUTUMN AND WINTER COLLECTION '83 - '84〉からここまで、何かが繋がっていたと思うと、勝手に感慨深い思いがこみあげてきます。



菊池武夫さんは、タケ先生と呼ばれていて、とても素敵な方でした。お話を進める元ハイファッション編集長の田口淑子さん。85年にトップモデルだった小林麻美をモデルに鳥取砂丘で撮影が行われた時のエピソードを色々とお話してくれました。その時の紙面には、詩人の清水哲男さんがテキストを書いたそうです。もうこれはモード誌の域を完全に超えていますね。お茶目でいたずら心があった植田正治さんのくすっと微笑んでしまう様なエピソード、昔家族をモデルに砂丘で写真を撮っていた頃のように、何かおもちゃを持ってくるようクルーやスタッフに指示を出して、田口さんが持参したLP盤のレコードを空に向かって投げて撮影したことなど、当時の貴重な記録写真を交えてお話してくださいました。そして、私はとても、この、田口さんが「おもちゃとしても楽しく、植田正治の写真にフィットするようなモダンでシンプルで、それでいて何か温かみがあるものを。」と一生懸命考えてLP盤を選んだ、というくだりにひとしきり感激してしまったのです・・・。 空に投げられた何枚ものLP盤は、植田正治さんの「砂丘モード」の世界観にとてもよくフィットしていました。



タケ先生は植田正治さんご本人というよりは、ご子息のアートディレクターの充さんとのご関係が深かったようで、充さんを通した植田正治さんという人物像をお話してくださいました。 充さんがいかにお父様を愛していたか、父の仕事の環境を整え、思う存分好きな写真を撮れる場を創りだす事にプロとしての厳しい目を向けられていたか、いかに深い愛情で繋がっていた親子だったのかを知ることが出来ます。 中盤からは、植田先生の最後のお弟子さんの瀬尾浩司さんも加わり、植田先生と充さんのプロとしての厳しい仕事ぶりのエピソードをユーモアを交えて。 登場したどの方も、愛情に溢れていて、それは偏に植田正治さんの自分を取り巻く人への愛情深さが連鎖し、増幅していたのでしょうね。



トークの主役はあくまでも植田正治さんとご子息の充さんだったのですが、菊池武夫さんはダンディでカッコよく、とっても素敵でした。全身白の出で立ちは嫌味なところがなく、まさにお洒落な伊達男。今は廉価で買うことが出来るファスト・ファッションが主流で、ともすれば私自身もそれに流されているきらいがあるのは否めませんが、私にもかつて、服を着こなす、という事を楽しみ、自分の個性に合うブランドを選び純粋に服を着る事を楽しんでいた時代があったというのを思い出させてくれます。 高い服(もの)を買うのが豊かさではない、と最近ではよく言いますが、虚栄や見栄のためではなく、丹精込めてつくられた服を吟味して選び、その服が心底似合う様な人間性や環境を手に入れて行く事で得られる心の豊かさ、みたいなものも確かにあった時代のような気がします。(安きに流れない、といった事でしょうか。) トーク終わりに菊池武夫さんと帰りのエレベーターが一緒になり、「とても楽しいお話をありがとうございました。」と声をかけさせていただくことが出来たのも、思いがけない出来事でした。「ありがとう。」と言ってくださったタケ先生、とっても素敵でした。






この1枚は、トークの最後に「別離(わか)れの旗」のエピソードで紹介されました。 先立った最愛の奥様を慕(おも)い、砂漠の果てに向かって別れの旗を振る植田正治さんの心境なのだそうです。






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# by sanaegogo | 2016-04-16 00:00 | art
エッジの利いた 江戸のポップカルチャー 俺たちの国芳 わたしの国貞




ボストン美術館所蔵
俺たちの国芳 わたしの国貞

2016.3.19 SAT – 6.5 SUN
Bunkamura ザ・ミュージアム

http://www.ntv.co.jp/kunikuni/



とても久しぶりの Bunkamuraです。江戸時代、歌川一門で鎬を削った兄弟弟子、歌川国貞と歌川国芳の作品が一挙に展示されています。その数、作品数にして170点、枚数にして350枚というもの。見応えがあったなぁ、とは思いましたが、そんな点数が展示されていたとはオドロキです。 展示されている作品は全て ボストン美術館の収蔵品で、ボストン美術館開館以来の大規模な回顧展(?)になるそうです。キュレーターの方、さぞかし奮闘したに違いありません。 ボストン美術館は世界有数の浮世絵コレクションを誇っていて、所蔵されている作品数は国芳国貞だけで1万4千枚を超えるというから、これもオドロキです。それもオドロキですが、何故本家本元の日本はこんなにも大量の浮世絵を手放してしまったのか、何故ボストンにあるのか、どうしてそうなっちゃったのか、それこそがオドロキでした。
国芳は、寛政9年、1797年生まれで、文久元年、1861年 没、国貞は、天明6年、1786年生まれ、元治元年、1865年没、共に江戸末期を華やかに、艶やかに彩った浮世絵師です。その作品も 150年も経っているとは思えないほどの素晴らしさで、「えっ? これって版木が残ってて刷り直したやつ?」と見紛うばかりのものでした。
そもそも「浮世絵」って、「現代風の絵」って意味だそうなんだけど、所謂現代のコンテンポラリー・アート(現代美術)とは違って、もっと庶民にとっつきやすく、解りやすかった風俗画で、決して美術館で鑑賞するような手のものではなかったのです。ヴィンテージとしての付加価値が付いたとはいえ、海外の美術館の収蔵品になり、こうして日本で凱旋展覧会が開かれるようなクオリティをもつものが、巷に溢れていたなんて、江戸時代、やっぱり侮れない、と再確認、再認識した次第。文化水準が本当に高かったのね、と思うと何だか誇らしげな気持ちです。(と言っても私は相州相模の国の出身ですが・・・。)
展覧会の構成もとても解りやすく工夫されていて、 国芳と国貞の作風が現代に生きる私たちにも例えやすいようカテゴライズされています。国芳のファン層は男気のあるヤンキー達。義理と人情を重んじて、年下には温情を目上には礼節を良しとしたちょっとやんちゃな男衆に人気だから「俺たち」。一方、国貞は、流行に敏感な洒落乙達に人気で、雑誌のモデルやメディアの中のスターやアイドルに憧れ、真似てみたりするファッション大好き女子たちを描いたから「わたし」。今でも沢山いますよね、そんな老若男女がそこら中に。

わたし的には国芳は「ドラマチックなセットアップ」。とにかくどの画も画面の中の構成が躍動的でかつばっちりとキマッていて、歌舞伎の題材になっている古典の物語のクライマックスの場面を絵巻物のようにトリプティクスの中に凝縮して表現しています。遠近法を持たない日本画(特に絵巻物かな)独特の視点の使い方で場面の展開までも一挙に描き上げてしまうダイナミックさが魅力です。











そして国貞は「日常スナップ」みたいな印象。ゴージャスな衣装に身を包んだ花魁道中を着こなしの手本にしたり、(まあ一種の)セレブリティのように非日常的な着こなしとある種のオーラに憧れたりしたんでしょうか。アイドルのプライベートショットみたいなものを彷彿とさせるものもあります。シュッとしたポージングではなく、リラックスしてふと日常に垣間見るチャーミングな仕草とかを自然体の雰囲気で描いたものも多く、当時流行っていたという弁慶縞の着物に身を包んだおしゃれ大好き女子を題材とした作品に心が和んだりします。












Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207577178925991
(この日は内覧会に先立ってのトークショーにも参加。 展覧会をイメージしたスペシャルドリンク(アルコール)付きで、私は国芳をチョイスしたら、多分自分では絶対頼まない グラスホッパーが出てきました!)

と、それぞれの魅力、見どころは色々ありましたが、共通して言えるのがその色の何とも言えない風合いです。ちょっとくすんだ和紙の上に重ねられたグラデーションや抑え目ながらも鮮やかな色彩。冒頭でも言いましたが、これが150年も経っている画の発色とは! 俄かには信じられない感じ。浮世絵というと「モナリザ」のように描かれた役者絵や江戸を離れた風光明媚な風景画がまず想像されてしまうほど自分の中での浮世絵感は貧困だったのですが、これを観て一気に払拭されました。江戸の伊達と粋をたっぷりと楽しんで、タイムスリップして、エッジの利いた江戸の町に行ってみたくなりました。(笑)

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# by sanaegogo | 2016-03-30 00:00 | art