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Crystallize


吉岡徳仁の「Crystallize」を観て、吉岡徳仁の世界を堪能。 その後、ミュージアムショップに行って、「Crystallize」の図録をみていたら、その時に初めて知りました。今回の図録、川内倫子さんが撮りおろしたものだったんですねー。
吉岡徳仁の作品の硬度のあるクリスタルや結晶を素材に、川内倫子がふわっとした柔らかな表現で撮る。それは、吉岡徳仁の作品でもあり、川内倫子の作品でもある贅沢な図録です。2人のともすると相反するそのマチエール(というか何というか・・・・)の融合、もしくは化学反応が眩いばかりです。 どちらも光と透明感があり、時にはほの白く、時には虹色にきらきらと、そしてじんわりと輝いています。
きっとお互いの作品にお互いがインスパイアされているんでしょうね。 認め合った作家同士のジャンルを越えた仕事という感じがとても素敵です。


Phpto: Rinko Kawauchi

≪Swan Lake≫
白鳥の湖を聞きながら、白い展示室の中で 結晶はだんだんと成長していきます。




Phpto: Rinko Kawauchi

≪ROSE≫
結晶に取り込まれ、自身も結晶になっていきそうな薔薇
かすかに確認できる色彩は 「永遠」に臨む薔薇の最期のかすかな声のようです。





≪ROSE≫
周りを取り巻いているのは、無数の白いストローで創られた≪Tornado≫。





≪Spider’s Thread≫
白い結晶は雪のように冷たくも見えるし、どことなく温かみも感じます。




Phpto: Rinko Kawauchi

≪Rainbow Church≫
クリスタルのプリズムから柔らかく溢れ出る虹の光。





≪Rainbow Church≫




Phpto: Rinko Kawauchi

≪Rainbow Chair≫
虹色の光玉。 なんて素敵・・・・。姿を変えた虹の形です。





≪Rainbow Chair≫





≪VENUS≫
パリで開催されたMaison&Objetで開催された個展でのRose。
ショパンの練習曲ハ短調作品10-12 「革命のエチュード」、「幻想即興曲」、「バラード1番」による結晶絵画





≪VENUS≫




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by sanaegogo | 2013-11-24 00:00 | art | Comments(0)
吉岡徳仁 クリスタライズ ―自然から生み出される。

「虹の教会」の中で佇む、拙シルエットです。厳かで神秘的な空間です。




最後に観たこれまでの作品やプロジェクトを紹介するムービーの中で、吉岡徳仁は、「透明なものに惹かれる」と言っていました。 きらきらとした透明感のある結晶や光学ガラス、水、ほの白いファイバーの森、かつて少女が御伽の国にあると夢見ていたような世界観を吉岡徳仁は創造しています。 けれど、男性の彼が作り出すその世界は、少女じみたところはなく、凛としていて、夢の中というよりもむしろ妙に現実感というかリアリティがあって、「創生している」と言った意思的なものを感じる不思議な感覚があります。 これは彼の創作は常に、自然界に存在するさまざまな原理を取り入れ、それを具現化する試みや考え方を基に行われているからだと言えます。 artificial だけど その根源は常にnaturalであり、naturalなartifactであるという、禅問答のようなスパイラルがそこにはあります。 「結晶」という自然現象を巧みに駆使して、自然物とも人工物とも言えない、まさに「自然から生み出されている」人工物、両者の狭間に生まれる特別な存在として、彼の作品はそこにあり、輝きを放っています。 その世界観の美しさ、透明感にうっとりしますが、それを作り出したのが吉岡徳仁という人物だというのが意識されるのか、どこか男性的で力強くもあるように感じるのは、好んで使われているmaterialが、結晶という危ういもののみならず、クリスタルや光学ガラスのような強固なものも多く用いられているからでしょうか。 子供の頃に、透明なものに妙に惹かれて、それをしげしげと覗き込んだり、形の加減でプリズムのように創り出される七色の光の虹を見るため、頭や視線を一生懸命くるくると動かしていたことを思い出します。



展覧会の構成です。

ウォーターブロック ― Water Block

このガラスのベンチは、パリのオルセー美術館の印象派の部屋にもインストールされているのは有名です。 艶やかで流麗な形のその塊は、人為的な手が一切加えられていない自然によって自然に形作られたフォルムそのものです。 これから繰り広げられる吉岡徳仁の、「自然の力は、人々に想像を超えた驚きをもたらしてきた。」という世界観を象徴するものでもあります。


白鳥の湖|結晶の絵画
― Swan Lake | Crystallize Painting

音楽を聞かせながら水槽の中で自然結晶を成長させていく、「クリスタライズド プロジェクト」。 (Crystallize = 形を与え、結実させる) チャイコフ・スキーの「白鳥の湖」の音色に呼応して形状を変化させるという結晶絵画は、自然の生み出す作為を超えた造形です。


ローズ ― Rose

赤い薔薇を覆い尽くすように成長していく「結晶」は、薔薇の生命を吸い取ってしまうがごとく形作られていきます。 雪の女王に息を吹きかけられ、凍りついてしまったかのようです。 結晶の中に閉じ込められてしまった薔薇の瀕死でかすかな色彩をみていると、ある種の「残酷」さがあったりとか、「永遠」であったりとか、色々な印象が交錯します。


蜘蛛の糸 ― Spider’s Thread

蜘蛛の糸のようにフレームの中に張られた7本の糸で空中に描き出された椅子に結晶が生成され、だんだんと椅子としてのその形を露わにしてきます。会期中徐々に成長を重ね、誰でもない自然の力によって創生されていくその椅子は、紛れもなく「万物」のなかのひとつです。


虹の教会 ― Rainbow Church

アンリ・マティスが建てた南仏のヴァンスにある「ロザリオ礼拝堂」のオマージュである「虹の教会」は500個ものクリスタルで出来たプリズムを用いて、自然光から虹を創り出しています。 そのステンドグラスの前に立つと、神聖な光で身体が包まれているような気持ちになれます。 プリズムを通して投影された自然光は七色の帯に分かれていき、自然の摂理を改めて意識する事が出来ます。 自然の生み出す「分散」が体験できます。白の濃淡や透明なもので構成された展示の中でこの虹の七色は唯一の色彩で、その色彩の純粋さが際立っているように感じられます。










レインボーチェア|レイ オブ ライト
― Rainbow Chair | Ray of Light

クリスタルプリズムからつくられた透明のベンチ。 艶やかで流れるようなフォルムのベンチに座って、ステンドグラスの窓から生み出される光の虹を眺めるていると、どこからともなくやって来た厳かな光に包まれて光と一体になっている気持ちになれます。 座っている人はみんな、代わる代わるにステンドグラスの方へ歩み寄って、注がれる光を浴びていました。








最後にこれまでのプロジェクトやデザイン作品、インスタレーションの記録をスクリーンで観て終了しますが、これは50分ほどのもので、すっかり堪能はしましたが、作品がもっと観たかったなぁ、という感じはあります。しかしながら、この「Crystallize」は吉岡徳仁の紛れもなく過去最大規模の個展で、展示の規模よりも観る人の「もっと観たい!」気持ちの方があるかに上回ってしまっているのですね。 会場を埋め尽くすようにストローが敷き詰められた圧巻のインスタレーション 「Tornado ― トルネード」からもその大規模さが垣間見られるけれど、ネットでは楽しそう(?)に設営をする吉岡さんの画像がたくさん見受けられています。 「私も設営に参加したかった」 と本気でそう思ってしまいました。



   


これはもう、"White-out"状態ですね。 遭難注意。







TOKUJIN YOSHIOKA
Crystallize
吉岡徳仁 ― クリスタライズ
東京都現代美術館 Mot
2013年10月3日[木]― 2014年1月19日[日]
Press Release





2008年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「 Second Nature 」展も、2010年 森美術館での「SENSING NATURE ネイチャーセンス」展も見逃しているので、これは本当に会期が始まる前から楽しみにしていたのです。
会期はまだまだ充分あります。 是非。


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by sanaegogo | 2013-11-23 00:00 | art | Comments(0)
寺山修司の『摩訶不思議な客人』


今月10月29日まで銀座のアルマーニタワーでやっているTOKYO 1970 Japanese Photographers 9 で寺山修司の写真を観ました。 寺山修司といえば、かの『天井桟敷』の主宰にして、「言葉の錬金術師」と異名をとった天才文筆家にして芸術家ですが、演劇も文章も含め、『作品』というものを初めて観ました。大学生くらいになると、前衛的な感じに憧れる学生は皆、一度は寺山修司を語っていた、という記憶があります。 文系男子なのに、経済学部や法学部には進まず、英米文学を専攻し、インドアなのにシュッとして割と綺麗な顔をしてこざっぱりとしていながら、どこか屈折していて尖がったとっつき難い、村上春樹を愛するような男子学生がよく語っていた、というステレオタイプな印象があります。(今でいう、秋葉系とは全然違う感じですが・・・・。)
TOKYO 1970では9名の写真家が1970年代頃の東京にインスパイアされて当時撮影された作品を並べたものですが、その中で断然目が釘付けになったのは、寺山修司です。 キュレーターの長澤さんのテキストを読むと、TOKYO 1970は寺山修司を軸にして、少なからず彼と関わりのあった8人の写真家を横軸縦軸に据えて構成されたものです。もう他界された方も混じっていて、それが1970年代で時間がストップしてしまったような空間の雰囲気を醸しだしています。 寺山修司は『摩訶不思議な客人』。 まず間違いなくその作品は摩訶不思議です。奇妙奇天烈です。エキセントリックでシュール。 この手の言葉はどれもばっちりハマります。 写真に納まる摩訶不思議な人たちは、全く意味不明の行為を行いながらこちらを見据えていて、その瞳には感情みたいなものは一切感じられず、しかしながら物凄いプレゼンスを発揮しています。 これだけ摩訶不思議にして意味不明ながら、えげつなさがなく、退廃美というか、イカレてる感じが何とも言えないセンスを発してます。 寺山修司論的なものになってくると、全然造詣もなにもあったものではないので何も語れませんが、こんな凡人にもこれだけのインパクトを与えるのですから、彼の天才ぶりの凄さを窺い知る事が出来ます。究極のフィクションですね。
大道芸人のような、常識という網目が決して掬い取れない人々の静かなる乱痴気騒ぎ。ちょっと陰鬱で世の中の裏側で棲息しているようなファンタジーな人々の繰り広げる狂宴。TOKYO と銘打ってはいるのですが、『天井桟敷』の名に相応しく、その雰囲気は退廃の極致だった夜のパリの陰鬱な馬鹿騒ぎぶりを連想させてくれます。


(* 画像はトリミングしてあります。)

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by sanaegogo | 2013-10-06 00:00 | art | Comments(0)
Dog Chasing My Car in the Desert, John Divola


TOKYO PHOTOに行って、特別展示の「車窓からの眺め(Pictures From Moving Cars)」を観ました。 これは、TATE Modernの写真部門チーフキュレーター サイモン・ベイカー(Simon Baker)のキュレーションによるもので、森山大道、ジョエル・マイヤロヴィッツ、ジョン・ディヴォラが車をひた走らせ、車窓から捉えた飛び去る光景や被写体を写真に納めたものです。



森山、マイヤロヴィッツ、ディヴォラとそれぞれに良かったのですが、ワタシは何と言ってもこれ。 ジョン・ディヴォラ(John Divola)の"Dog Chasing My Car in the Desert" です。 というよりも、こればかり観ていて、他の2人の印象の入り込む余地がなかったような気もします。 実はその前にサイモン・ベイカー氏のギャラリートークを聞いていたので、ワタシの関心はすっかりニューカラーのマイヤロヴィッツに向うものだとばかり思っていたのですが、トークの後、展示室に入ると意外にもワタシの眼はジョン・ディヴォラに釘付け。 小さな個室を挟んでではありましたが、その正面にちらりと見えた壁に直貼りの写真でした。連続写真のようでいて、その写真はどれも同じトーンのものはなく、かなり個別に個性的。 かといって不協和音を起こしているわけではない、不思議な連続性。 車窓からの写真は車や列車の中から皆がよく撮影をしますが、どちらかというとロードムービー的な空気感が流れ、そこにある種の心情を映すような雰囲気ですが、これは明らかにアクションシーン。 それを作品として昇華させて並べた事にその斬新さを感じます。 まさに犬と車の時速60kmでの一騎打ち。 車を凝視するその犬の狂気じみた視線。 その犬の動きを我がものにしようと揺れてブレるカメラの緊張感がこの作品にはあります。 決してライ・クーダーのギターに合わせて思い出のように千切れて風に飛んで行くノスタルジックな情景ではないのです。カメラは荒れた路面に翻弄されハンドルさえも取られそうになりながら犬を追いかけます。 レールに乗せた頑丈なクレーンの上で滑るように移動するカメラではないのです。 明らかにディヴォラは身体(しんたい)を駆使して撮影をしていて、撮影をするということはいかに身体能力を使い、四肢をフル稼働させて撮るものかを再確認できます。 ディヴォラは、「犬は車に追いつけない。 そして、カメラも犬には追いつけない。」と語ったそうですが、何とも哲学的な含蓄があります。 一瞬の連続であり、ストーリーでもある。 この時車も撮影機材の一部となるのです。 犬の走る「動」、車の走る「動」、シャッターが開いては閉じる「動」、それを操るディヴォラの「動」、これらの「動」が複雑に絡み合う事で、" 車の窓はもうひとつのフレームと化し・・・・云々"、とは全く違った車窓からの眺めを描き出していて、その異質さに夢中になりました。





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遠くに見えていた犬が唐突に目の前に登場。 この導入にはかなりやられてしまいました。




ひたすらに並走する黒犬。




もはや、犬の身体も残像と軌跡とごちゃ混ぜに。 「犬は車に追いつけない。 そして、カメラも犬には追いつけない。」瞬間を捉えています。




ディヴォラを牽制する犬の視線。 乱れたフレーミングが意味するものとは。



John Divolaの"Dog Chasing My Car in the Desert" もう一度どこかで、(写真集ではなくて展示で) 観たいです。 そして、これをピックアップして紹介してくれた サイモン・ベイカー氏に心から感謝を。
http://www.tokyophoto.org/2013/special/tate/index.php

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by sanaegogo | 2013-09-28 00:00 | art | Comments(0)
We shall meet in the place where there is no darkness. (暗なきところで逢えれば)


「暗なきところ」ってどこだ? その答えは、サブタイトルを見て理解しました。
We shall meet in the place where there is no darkness.
― 暗闇のないところでお逢いしましょう。
米田さんはロンドンでの生活が長いので、もしかしたら、彼女にとってのメインタイトルはこの英語でのセンテンスなのかも知れません。 「暗闇」とは、かつてその場所に横たわっていた「時代の闇」のことで、今はもうそこに闇はないけれど、その場所にはかつては確かに闇があった。その事をしっかりと踏まえ、見つめ直してその場所に向き合う。 そんな制作の姿勢がこの写真展には如実に顕れていて、それが、米田知子さんの確立したスタイルなのです。

米田知子 TOMOKO YONEDA
暗なきところで逢えれば
We shall meet in the place where there is no darkness.
会場: 東京都写真美術観
会期: 2013年7月20日 ( 土 ) ~ 9月23日 ( 月・祝 )
http://syabi.com/contents/exhibition/index-1864.html
  • Scene
  • Japanese House
  • Between Visible and Invisible 見えるものと見えないもののあいだ
  • Kimusa
  • The Parallel Lives of Others: Encountering with Sorge Spy Ring パラレル・ライフ: ゾルゲを中心とする国際諜報
  • The Island of Sakhalin サハリン島
  • Cumula 積雲
  • Crystal 水晶
  • [映像作品] We sall meet in the place where there is no darkness 暗なきところで逢えれば

展示は全編にわたり殆どの作品が、過去の歴史や記憶へと観る者を誘(いざな)うトーンで構成されています。 写真展なのに、作品は単なる入り口のような役割でさえあります。 どこか文学的で歴史書を紐解いていくような感覚を覚えます。 後ろ向きと言えば後ろ向きなのでしょうが、何気なく存在している日常の風景の中にも歴史(ともすれば暗い歴史)が横たわっていて、それを突きつけられて知ってしまった今となっては、知る前とは同じ感情で作品を観ることは出来ません。 何故その場所の写真を撮影したか、『何かの出来事があった場所』というふわっとした情報しか付加しない方法もあるのだと思いますが、米田さんは敢えて事実関係を明確にタイトルの中で著わしています。 これは事実を直視する姿勢の顕れてあり、写真という記録のツールを使って、時間を遡って史実を記録して提示するその手法は、ある意味、論証する学者の態度のようでもあります。 事実が印象という効果を借りて観る人の記憶の中に深く刻み込まれていくのです。 『写真作品をつくる』という事において、深く考えさせられ、うっすらと衝撃をうけた写真展でした。 米田さんは丹念なリサーチを経て、場所に赴き撮影をします。 それは、何冊も参考文献を読み、事実を調べ書き上げていく史実に基づいた小説を書いていくことに似ているような気がします。 米田さんの写真には漠然としたところがなく、全てが歴(れっき)とした括弧たるものなのです。 なのでとても印象が強い。 なかでも "The Parallel Lives of Others: Encountering with Sorge Spy Ring" は圧巻でした。 戦時中のスパイの諜報活動を調べ、資金や情報の受け渡しの場所を古いカメラを用いて素早く撮影する。 まるで、スパイたちが素早く様々なものを交換し、行きずりのようにその場所を離れたように。 宝塚劇場、小石川植物園、上野動物園、平安神宮と、様々な接触場所を調べ上げ、接触した人物までも記しています。物凄い調査の労力です。そこに撮影されている画像も、ごく小さいものでしたが、どれもこれもとても美しいものでした。 そう、米田さんの写真はあやふやなところがなく、とても美しいのです。 その画面の美しさが、かつてそこにあった「歴史の闇」を際立たせているのかも知れません。前述、「写真は単なる入り口」と言いましたが、その入り口の奥に広がる様々な意味合いを著わすには余りある写真ばかりです。 何とも著わし難い気持ちになった写真展でしたが、自分には対処出来ないような大きな時代のうねりみたいなものを感じ取ってしまったのかも知れません。映像作品もとても印象に残っています。 雪の降り頻るひと気のない木立の中の道に遠くから大きなトレーラーが轟音を上げてやってきて、そして通り過ぎていく。 それはまるで、質の高い文学作品のようでした。

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by sanaegogo | 2013-09-23 00:00 | art | Comments(0)
ANDREAS GURSKY ― アンドレアス・グルスキー展
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既に7月から始まっていたのに、雑事に取り紛れた中でなくてゆっくり観たい!という思いから、ついに満を持して行って来ました! アンドレアス・グルスキー展です。この連休で東京での会期は終了してしまいますが、これから(来年ですが)大阪での開催があります。

ANDREAS GURSKY
アンドレアス・グルスキー展
東京展:2013.07.03-09.16/国立新美術館
大阪展:2014.02.01-05.11/国立国際美術館


東京の展示はグルスキー渾身のコーディネートという事だそうです。設営の際には実際に現場に訪れあれやこれやと自身で色々考えを練りながら並べた、という話を聞いています。大阪では大阪の会場にあった構成をするのだと思うので、東京で観た人も大阪に訪れるとまた違ったグルスキー展を味わえるのかも知れません。(ドイツから持ってきたけど展示していない作品も新美の保管庫に眠っているらしいので、それが登場したりするかも。)
革新的なのは、ついに日本でも、Nationalな美術館で芸術作品として『写真展』が開かれた事だといえるでしょう。『写真』というものがやっと芸術の域に達したものと日本で認識されたひとつの意識の変化のように思います。(海外では既に、ポンピドゥ・センター(パリ)、テート(ロンドン)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)をはじめとする主要美術館がグルスキーの作品を収蔵しています。) といっても、グルスキーの写真は、"絵画のような写真"と称されていて、ドイツ絵画の巨匠フリードリヒなどとよく並び称されているようです。 私自身は正直に言うと、このフリードリヒと比較されるあたりの観点はちょっと理解出来ていないのですが、グルスキーは、ロケハンをして大判のカメラで撮影をするだけではなく、物凄く緻密で丁寧な仕事(加工とは言いたくない)を加えていて、実際の視覚では捉えられない全てが均一で等価に広がる圧倒的な視覚世界を、カメラとデジタル技術を用いて、まさに、"描き出して"います。PhotoShopが普及していない頃からコンピューター処理を果敢に用いて、写し撮った情景を作品として再構成してきました。ともすれば撮った写真に後付で手を加える事を揶揄されがちだった写真の世界ですが、コンピューターという道具を使って丁寧な仕事を仕上げるのは、ある意味、マイスターの国ドイツの職人気質の成せる業のような気がします。(そんな制作方法が、師匠のベッヒャーにはあまり気に入られていなかったらしいですが。) しかし、ごくごく初期の頃に撮られたガスレンジの作品がありましたが、ただのガスレンジを写した写真なのですが、その構図、画面構成には唸るものがありました。 ただのガスレンジなのに。 言い添えておくと、いわずもがなですが、彼の行っている写真に手を加えるという手法は、マズいものを修正するものでは決してない、という事です。 マズい写真はどんなに手を加えてもマズいままなのです。 その大元(おおもと)になる写真は、それだけで高い評価を受けていただろう事は容易に解ります。拙い写真に加工修正をする事で逸品になった、という事では決してないのです。さてさて、グルスキー展に話を戻すと、展示は決して制作された時系列になっている訳ではなくて、グルスキー自身の何か自身の中にある系列に沿って並べられています。なので、ありがちな、「初期の頃からの変化と発展がよく解りますね。」というものではなかったのが興味深いところです。 グルスキーについては既に色々なところで語られていて、『等価で仔細に作りこまれた現実にはない視野』みたいなくだりは読み尽くしているだろうので、と思います。(ワタシも以前の記事で書いてます。8月2日 『「グルスキーの写真から見えてくるもの」 って何?』) なので、ここは単純に、実際に足を運んで観に行った立ち位置から、単純かつ素直な感想を。

まず、何といっても、『カミオカンデ』。この展覧会でこの1枚を挙げよ、と言われれば、迷いつつも、迷わずこれ、です。(「迷わず」に迷う。) グルスキーの持ち味の圧倒的スケール感というのが一番ビンビン来る、と思います。 遠く離れると見えるカミオカンデの全貌ですが、撮影時には実は水も張ってなかったし、人もいなかったそうです。それをここまで緻密な作業で再構成したその技術(技量)の高さにも感服。完璧です。近くに寄れば、カミオカンデを構成する輝く球体の中にひとつひとつの映り込みまで再現されています。マクロ(巨大なもの)とミクロ(微視的なもの)の融合をまざまざと見せつけられます。素晴らしい。その色彩もカミオカンデの持つ宇宙のスペクタクルに通じた荘厳さを感じさせます。


もうひとつ、『ライン川Ⅱ』。これはライン川を真っ直ぐに広がる水平線で構成したパースを取り払ったグルスキーらしい作品のひとつですが、実は河畔には沢山の建物が写っていたのですが、それも完璧に取り除かれていて、誰でもアクセスできるライン川なのですが、この風景はグルスキーのこの写真でしか観ることが出来ません。このライン川には、色々な考えどころがあって、とても眼を惹かれました。


そう言う意味では、『パリ、モンパルナス』もまた然り。 これは、何地点かで撮影したものを接合させて再構築したもので、画面の広がりから遠近法は取り払われ、どの地点からも真正面から見据えたような不思議な視覚、視野を感じさせますが、決して不自然だったり、騙されている感じが起こりません。言うなれば、この作品を観て初めて、ヒトの視野の仕組みに気付かされるというか、何か『普通と違う』と感じる人も多いでしょう。そう言う超ニッチで些細な非現実さを不自然なところなしに見せてくれるところに、多くの人は無意識なもやもや感を感じ、より一層その画面に無意識に惹きつけられるのでしょう。グルスキーの作品は、感情というよりは、感覚であったり、もっと言えば生理機能に訴えるところがあると思います。


この事とは違う側面を見せている、観る人に情緒や何かの想いを喚起させるのが、前評判が高く、ワタシも楽しみにしていた『バンコク』のシリーズです。 グルスキーの作品としては情に訴える雰囲気を醸しだしています。バンコクの汚れた川面に描き出される様々な模様は規則的でもあり、不規則でもあります。 川に投げ込まれた様々な廃棄物、投棄物は何かの想いを表しているようでもあり、観る者にある種の感情、切なさのような気持ちを感じさせます。 淡々と観る人もいるでしょうが、そこでの指標は視野のような生理機能ではなくて感情が入り込んで来るような気がします。 個人的には画面そのもの、その美しい構成にかなり惹かれてしまいました。『バンコク』のシリーズ、これが一番好きです。 これが、前述の「「迷わず」に迷う」の理由です。

グルスキーは、自分の作品について、こう観て欲しい、とか、こう感じて欲しい、などというのは無いそうで、どう観るかは観る人に委ねたい、と語っているそうですが、これは自分の仕事とそれにかけて来た労力の確かさについての静かなる自信の顕れだと感じます。そんな作品が65点あまり。ゆっくり目録と首っ引きで堪能して参りました。

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by sanaegogo | 2013-09-08 00:00 | art | Comments(0)
Todd Hidoに出逢う @Post 恵比寿
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『こんな写真に出逢えてよかった。』と思える幸せな瞬間が時々あるけれど、Todd Hidoはまさにそんな気持ちでストレートに胸を打ち抜かれた、そんな感じの出逢いです。 自分が知っている写真家は、世の中で一握りだと自覚しているけど、それならばこの先、こんな出逢いがまだまだ何度も訪れるのかと思うと、期待で胸が膨らみます。
Todd Hidoはアメリカで現代写真家を代表する写真家で、日本での紹介は初めて。派手な露出はなけれどクオリティーの高い優れた国内外の作家の作品にスポットを当て、静かに粛々と紹介しているギャラリーPost(恵比寿limArt)で展示されていて、彼のこれだけまとまった作品が日本で紹介されるのは初の機会だそうで、今回は今年「Nazraeli Press」より出版された作品集『Excerpts from Silver Meadows』より20点が出品されています。

Exhibition [Todd Hido]
会期: 2013年8月13日(火)〜9月1日(日)
会場:POST (limArt co.,ltd.)




写真展は大きくふたつの要素から構成されていて、夜や夕方、曇天のもと撮影されたどこの風景とも知れない片田舎の風景と、薄暗い簡素な室内でこちらに真っ直ぐな視線を遣っている印象的なポートレートから成っています。 風景の写真はあくまでもひと気がなく、どこまでも静かで、音もないというよりは、頭の片隅に静けさがしーーんと音を立てている感じすらします。 夜の静けさの中に佇む家、車の運転でもしているのでしょうか、進む先を描き出している田舎道、その視線の持ち主は紛れもなくトッド・ハイド自身であり、彼の車で寒い夜、車であてもなく空虚なドライブを続けているような、そんな気持ちにさせられます。 それが何処となくロードムービーのように思えてきて、画面は常に静かでありながら、どことなく時間の流れを感じさせます。 トッドの視線に准えてトッドの視る世界の中で旅をしているかのようです。 実際彼は車のウィンドウやフロントガラス越しにシャッターを切ることが多いそうで、その目には見えないガラスの隔たりが、戸外の雨や雪の粒子と合間って風景に微妙な滲みや歪みを与えていて、それが本当に印象的でここだけにしかない世界観をかもし出していました。 『空気感』という言葉がまさに相応しい情景です。 写真に写る風景は画面に閉じ込められ、そこで止まっているのですが、時間の流れまで写し撮っているかのような情景です。
そんな静寂の風景とは対照的に散りばめられていたのが、無名のモデル達を写したポートレートのシリーズです。風景のひと気の無さとは対照的にそのまっすぐにこちらを見据える視線にはいいようもない意志の強い存在感が溢れていて、風景写真と強いコントラストを描き出していますが、そこにもまた静寂が横たわっている事には変わりありません。 物言わぬ無口そうな女性達は、その寡黙さゆえに彼女達の心の中を図り知る事は出来ないような気がして、風景の写真とは趣を異にしていて、観る者の感情移入さえ拒んでいるような気がしました。 まるで傍観者になるしかないなのです。
トッド・ハイドの写真は、Postの雰囲気にもとても良く合っていて、まるでずっとそこにそうやって飾ってあるかのように良く馴染んでいました。 夜に観に行ったのも良かったのかも知れません。 今はアレック・ソスの作品が飾られていると思いますが、部屋の片隅や奥の壁にトッドの写真の面影を感じてしまうかも知れません。
観に行ってよかったです。 Todd Hido 心に深く刻み込まれてしまった感じがします。

Todd Hido Official Site: http://www.toddhido.com/



≪参考≫
http://www.houyhnhnm.jp/culture/news/todd-hido.html
http://antenna7.com/artdesign/2013/07/todd_hido.html
http://openers.jp/culture/tips_art/news_todd_hido_38505.html





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by sanaegogo | 2013-08-27 00:00 | art | Comments(0)
坂田栄一郎 ― 江ノ島 @原美術館
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坂田栄一郎の写真展「江ノ島」の告知のこの写真を観た時に、あー、『そうだよなー』、と改めて、久々に、思い出しました。この湘南の海の黒い砂を。夏と言えばビーチ。 珊瑚礁が砕けて細かくさらさらになって出来た沖縄や海外の南の島の写真が『ビーチ』の必須アイテムのようですが、その写真に写った砂は、灰色や黒で粒子も粗く、火山の国 日本で出来た砂、まさにそんな感じです。石が小さく砕けて出来た成り立ちなので、夏の天日に当たると信じられないような熱を持って、裸足ではとても一箇所には留まっていられません。 『熱ちーーーいぃっ!』と叫びながら波打ち際まで足を冷やしに走るのです。 そもそも、『ビーチ』なんて洒落た言葉はあまり似合わなくて、言うなれば『浜』、です。 砂浜にレジャーシートをコジンマリと敷いて、まるで安全地帯で休息するかのように、その小さいスペースで、人々は思い思いに過します。 日焼け止めを塗ったり、ポテトチップスを食べたり、ビールを呑んだり、日焼け止めを塗り直しを幾度となく繰り返したり。灼熱地獄の中でぽつんと確保したその狭いスペースの中で、色々な営みをします。 坂田さんは、そんなある意味、生活感というか、人間臭さと言うか、洗練されてもいなくて生々しい素の部分を写真に納めています。 それが、この「江ノ島」です。
坂田栄一郎は、雑誌AERAでずっと著名人、有名人、文化人のポートレートを撮影して来た写真家で、そのポートレートの大家みたいな人が、人が全くいない写真を撮り続けていた、と言う事も話題なのでしょうが、それを知らない人が観ても、写真に写る何とも言えないこの生活臭、まぁ、海に遊びに来る事は生活の一部とまではいかないので『生活』という言葉がぴったりしているかどうか、と言う話はありますが、明らかにそこには日常生活を普通におくる普通の人間の痕跡とか存在の気配とか、そんなものが感じられる独特の雰囲気には目を留めてしまうと思います。 (ワタシもその1人) 洗練されてお洒落な"Beach"の雰囲気なんて全然ないのに、何だかとても惹きつけられてしまいました。人はいないのに、明らかにそれは人の痕跡とか気配とか、そこに座っているだろうグループの人たちの人となりまで想像させるのです。 しかもそれが、写真としても超上出来なのです。 夏の熱い熱い砂のちょっとむせ返るような、蒸すような立ち上る空気とか、そこに座っている人がどんな人か、どんな風に海を楽しんで過しているのか、1枚1枚の写真から喚起されるイメージや派生してくる想像の広がりがはんぱない。 とてつもなく想像力を掻き立てさせられます。 これってすごい力ですよね。 バラエティーもまたすごい。 シンプルで凝った(凝りすぎた)ところは全くないのに、その写真のもつ表現の厚みがすごいのです。 ちょっと暑気(あつけ)にやられてしまいました。
坂田栄一郎 ― 江ノ島。 9月もまだやってる観たいですので、まだの方は是非。原美術館は水曜日に夜8時までやってるので、夜に行くのがおススメです。珍しく、撮影OKの展示室がありました。

   



坂田栄一郎 ― 江ノ島
Eiichiro Sakata ― Enoshima
2013年7月13日(土) ― 9月29日(日)
July 13│Sunday│― September 29 │Sunday│, 2013
原美術館






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by sanaegogo | 2013-08-07 00:00 | art | Comments(0)
金魚のゆらゆらSwimming
日本橋の三井ホールでやってるアートアクアリウムに行って来ました。金魚のゆらゆらとした遊泳に心癒されようと思ったのですが、休日と言う事で、(前評判どおり)とっても混んでました。 こんな時は流石に長身に生んでくれた親に感謝、ですね。 人の頭越しに・・・・。

ECO EDO 日本橋 ダイナースクラブ アートアクアリウム2013 ~江戸・金魚の涼~
2013年7月13日(土)~9月23日(月・祝) 11:00―23:30
日本橋三井ホール (コレド室町5F/エントランス4F)
http://h-i-d.co.jp/art/

癒されに・・・・、と言いつつも、実は写真を撮りに行きました。短焦点の明るいやつで行こうと思ったのですが、『いや、まてよ。』とやはりズームも持っていくことに。 長身+200mmはかなり効果的で機動力を発揮してくれました。
とは言え、スゴイ人で、その殆どがスマフォのカメラかガンレフを持っている。 いやー、スゴイですね。 いったい何人の人がFBとかにアップしているのか。

金魚はとっても可愛かったんだけど、正直ライティングをもうちょっち、何とかして欲しいなー、という感じは否めない。 ちょっとケバい、かな。 (まあ、好みの問題なんでしょうけど。) アクアリウム、と銘打っているんだから、"アート"アクアリウム、とは言え、もう少し自然界に倣ったライティングにして欲しいな。でもこれは、ワタシの目的が完全に違っているのだと思って、あんまり文句めいた事は言わない事にします。 小さな窓の中に色んな種類の金魚が入っていましたが、この中の金魚にまでアーティフィシャルなライトは不要なような気がします。

今度平日も行ってみよ~。 何だかんだ言って、金魚に夢中、乱れ撮りなワタシなのでした。

   



























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by sanaegogo | 2013-07-21 00:00 | activity | Comments(0)
「Showa88/昭和88年」
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©薄井一議「Showa88/昭和88年」#01


薄井一議写真展「Showa88/昭和88年」
開催日:2013/6/15 ― 2013/8/8
開催地:写大ギャラリー
ギャラリートーク :2013年7月20日 14:00~

今がもし、昭和88年だったら。 その時代(時間)設定にうっすらと混乱を覚えずにはいられません。『もし、あの時終わってしまっていたものが続いていたら・・・・。』これは薄井さんが予てから温めている独特の眼線というか、視点のようです。 私はこの独特の時間の起点の置き方にうっすらと混乱させられました。 昔から色々な小説や映画で近未来を想像して、『その頃にはきっとこうなっているだろう』的な作品は本当に数多くありますが、時間の起点は今自分がいる現在を軸にしています。『2001年宇宙の旅』然り、『ブレードランナー』然り、『ターミネーター』だってそうです。やがて時が流れて、昔思い描いていた未来に次々と現実が突入していく訳ですが、今は2013年で2001年はもうとっくの昔になってしまっています。あの頃の作者が思い描いていたその頃の『未来』と『今』には大きなズレがあって、それは世の中が2001年になった時に確かめる事の出来るものでした。薄井さんは、今、昭和88年という形で、現在の傍らにそのズレたもうひとつの世界を作り出しました。過去を起点とした同時代的未来とでも言いましょうか。昭和64年で終了してしまった昭和がもしそのまま進んでいたら。 その頃の別の未来(と、言うにはSFではないので、少々そぐわない感じもしますが) に向うもうひとつの時系列を作為的に造りだしたのですね。自分が何故この事に幾ばくかの面白味を感じるかを頭の中で整理しようとしても、どうも思うように言い顕せず、このもやもやが一層面白味を感じさせるのだという気がしますが、薄井さんのトークを聴いていて、彼は深く思考してこの設定を練り上げているかのように見えて、とても直感的な人なのだ、と感じました。 作品として写真を撮る人には、感覚で情景みたいなものを追いかけいくタイプと設定を深く思考思索してつくり込んでいくタイプの人がいるのだと思いますが、『直感的に練りあげる』、というのがあるのだとしたら、薄井さんはまさにそんな感じなのだと思います。 写真を志す前は映画を作る人になりたかった、と語っていましたが、幼い頃から途絶える事なく脈々と続いている『薄井ズム』みたいなものが、そのバックボーンにずっしりと効いているのだと思います。昭和88年という設定の妙がこの写真集にはあります。
もうひとつは、何と言っても色彩の素晴らしさですよね。私が言うのも本当に僭越なのですが、これが確固たる撮影技術の質の高さなんでしょうねー。うーーん。唸る。 私が以前拝見していた作品としての薄井さんの写真は、ガンメタや鋼のように黒光りしたモノトーン、と言うかどちらかというと『銀』のイメージだったのですが、この昭和88年はかなりビビッドでブライトで眼を奪われました。マゼンタ、オレンジ、イエロー、これらの発色の良い色彩が何故か今、『任侠』の甦った世界と合間ってどこの時代にも所属しない昭和88年の世界を作り出しています。 私の少ない引き出しを探ってみても、映画とかでこれまでの巨匠は、未来というとどこか薄暗く、どちらかというと味気ない機械の色彩のような表現が多いと思いますが、昭和64年から起算したこの世界は色彩に溢れています。(いや、奇しくもここ最近女性のファッションではネオンカラーが流行っているのも、面白い偶然かも知れませんが。) 『なんでピンクなんですか?』と率直に訊いてみると、ご本人曰く、古い写真は劣化してマゼンタがたってくるので、そのイメージ、なのだそうです。 これも私にしては眼から鱗が落ちるような答えだったと思います。 任侠の世界もこんな色彩の中では、一見退廃的なようでもありながら、昭和の時代の何処となく埃臭さや汗臭さとはまた違った洗練されたスタイリッシュさを感じ、それが、菅原文太や藤純子の描く任侠の世界とは一線を隔した昭和88年を顕しているように感じます。 しかし、何故いまヤクザの世界なのでしょうね。 その辺の話をもっと聴きたかったのですが・・・・・。 自分の立ち位置を『今』にすればそれは、隣のもうひとつの『今』。『昭和64年』にすれば、やがて辿っていたかも知れないもうひとつの『未来』。でもそこに映し出されているのは、昭和64年にも既にノスタルジーをもって語られていたような泥臭い『郷愁』。観ている自分の軸が一体どこにあればよいのか、そんな、自分自身が全て同じ時代に生きているだけに生じてしまう、うっすらとした混乱に引き込まれるのかもしれません。




©薄井一議「Showa88/昭和88年」#17





©薄井一議「Showa88/昭和88年」#39





©薄井一議「Showa88/昭和88年」#28


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by sanaegogo | 2013-07-20 00:00 | activity | Comments(0)