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Exhibition05: 'Tarantella' | Go Itami
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GW中にいくつか気になる展示を観て回るつもりにしていたのですが、その中のひとつがこれ。伊丹豪さんが今取り組んでいるというシリーズがCIBONEで観られます。作家は何に向かって作品を生み出し、誰に向かって観せたいのか、というのがありますが、今回はCIBONEというショップの中での展示。 作品を観ることを目的として足を運ぶ美術館やギャラリーではなく、ふらっと入って来るお客さんもいる様な環境です。 なので私もそんな風に作品を観てみたいと思ってふらっと行って来ました。(とは言え、CIBONEの告知でキービジュアルになっていた3枚のアブストラクトなランドスケープの作品を見て、「もっと観たい!」と思っていたので、似非っぽい行為ではありますが。(笑))



Exhibition05: 'Tarantella' @CIBONE
From April 29 (Wed) to May 19 (Tue)
Go Itami


私が勝手に考えている伊丹作品とは、「フォーマットの中で拡散と凝縮の間を行き来する矛盾を孕む世界」といった感じでしょうか。画角の外側にも広がっている世界をぎゅっとフォーマットの中に凝縮させることでマクロがミクロへと変容し、そしてまた、画角の中にぎゅっと押し込まれ凝縮させることで、実はその全貌は自分の視野の外にも広がってく、そんなふうに拡散と凝縮の間を行き来するような作品です。そのベクトルの方向が言い表しがたい違和感を生み出しています。対象をある極限まで拡大して画角の中に収めようとするベクトルによって、その全貌は外へと向かって押し出されて広がっていくようです。外へと広がろうとする光景の中から1点を捉え、その外へ向かうベクトルと逆行してフレームの中に凝縮させるような作業がそこにあると感じます。これはカメラやレンズの機能からすれば、至極当り前のことなのかも知れません。とても汎用性のあるものです。ただそこに某かの伊丹豪らしさがあるのは、これも当たり前の事なのかもしれませんが、そこに伊丹豪だけのフレーミングがあるからだと思います。そして、伊丹豪のフレームをもってその世界から何かを切り出している手のものではなく、ただそこに境界線を引いただけのもので、それは決して分断されてはおらず、フレームの外にも依然広がっているような感覚を覚えます。もちろん、今までの作品を一つ一つ見ればその感覚に当てはまるものばかりではありませんが、ひとつの個性としてそれは確かにあります。これまで撮影の対象は、部屋の中にある小さな生活に密着した品々や、日常の生活の中で目にする当たり前の風景が多かったようにおもいますが、今回展示されている作品は、NASAの衛星写真。いよいよ地球規模になったのか、という感じです。スケールの大きさが一気に拡大しましたね。





地球は本当に表情豊かでフォトジェニックですね。地面に身をかがめて足元の野花も地球であると言えるし、大気圏の外から見た起伏に富んだ地形もまた地球です。自分と近い距離にあれば、微細すぎて人の視力では捉えられないような水蒸気の粒の集合体である雲も、遠くから捉えれば白い塊となってくっきりとその姿を現します。広角な視野をもって眺めれば優れた自然の造形物であるような山脈や河や湖、森林地帯や砂漠、または人間の創りだした都市の人工的な美しさがありますが、その一部分に近づけば近づくほど、具体的だったものは抽象化していきます。対象物をより詳細に正確に捉えようと近づけば近づくほど、ある時点を境にそれは抽象的なものと変容していき、具体性とはかけ離れていく感覚が何とも矛盾を孕んでいて、脳の「形」を認知するところがもやもやするような感覚になります。その意外性は距離があればあるほど、それに対して拡大される範囲が小さければ小さいほど増していきます。難しい事を考えずただ感覚的にその写真たちを観ても、ギャラリースペースに点在しているその異形の地表は美しいものでした。特に床に寝かせてある数枚の写真はまるで自分が高い高いところから俯瞰しているようで体感的なものも楽しむことが出来ます。





様々な角度の視線で観ることが用意されたその作品たちは、CIBONEの既存の空間の雰囲気にとてもしっくりきていて、その場に良く溶け込んで馴染んでいたように思います。テーマが地球規模になったせいか、いつもは割と観ていて「考える」要素が強い伊丹さんの作品ですが、今回は「感じる」ままに観入ってしまったのは、きっと私の思考が地球規模に対応できていないからかもしれません。でも今回の作品は、それが心地よいのだ、とも思いました。 考えるスケールが大きすぎると時として思考は止まってしまうものなのです。 感じるままに観入ったアブストラクトな異形のランドスケープ、堪能してきました。




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by sanaegogo | 2015-05-04 00:00 | art | Comments(0)
study / copy / print | Go Itami
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伊丹豪さんの「study」に続く「consideration (考察)」とも言える写真展「study / copy / print」が中目黒でやっていると言うので観に行きました。「study」とはまた違ったアプローチで、そして、ご本人の「展示されている実物の写真を観てほしい」と言うコメントの通り、これは展示されている画像を観て初めて、伊丹さんの真意が伝わるといった意味を持ったものでした。(何となく、『写真(photo)』と言うよりも『画像(image)』と言う表現を使った方が相応しいと思ったのでそう表現しています。) 心象というよりは現象を作品化する伊丹さんですが、今回はその様相が色濃く出ていて、実験的な試みも作品の中に取り入れられているようです。ご本人も『写真というメディアの中で自己完結させるのではなく、他者の力を借りてこの接近を推し進めてみたい』と語っているように、グラフィックデザイナーにご自身の作品を委ね、拡散や凝縮、再構成や分解などを施し生まれてくる新しいセグメントを導き出そうとしています。 展示の構成は大きくはふたつのテーマに即していましたが、そのひとつがこれ。 もうひとつは、伊丹さん自身の発見から実験し、自分で確認するというもの。自分の作品の次の段階の変容を示す2方向からの試みなのだと思いますが、私自身は後者、つまり、伊丹さん自身の実験→確認のプロセスを経た作品の方が断然印象に残りました。 そこにはその意外な変容を驚きをもって迎える伊丹さんのエキサイトメントみたいなものが感じられたからです。 こちらの方が楽しかったし、自分自身も驚きをもってその作品と向かい合ったからです。





この 黄色のような金色のような粒子は、プリンターの操作ミスから生まれた、とある作品の一部分だそうですが、失敗によってある部分が失われてある部分が生成されているのだそうです。 もともとは樹木の葉の茂った部分なのですが、これまでの作品のように 写実を極めて抽象化されていく、というパラドックスの極みのような気がして、それがついに分子や原子のレベルまで行ってしまったような印象を受けました。 勿論、先にも述べたように、これは意図的になされたものではないのですが、画像の一部分が拡散されて、そのまた一部分が凝縮して見えて、ひとつの作品の中のこの矛盾みたいなものが、伊丹さんの作品らしい、と思えるのです。 最初は、何か着色した細かい砂みたいなものをスキャナーの上にぶちまけて撮影したのかな、と思って観ていたのですが、キャンパス地に出力したこともあって、布地のテクスチャーの力を借りてひとつひとつの粒が立体的にも見えてくるのです。 もっとよく見ると黄色味を帯びた粒のそれぞれに微妙に様々な色彩のバラエティーがあって、それが出力の網点のレベルまで細かくなって、その粒のひとつひとつもそれぞれ更にイエロー、シアン、マゼンタなどの細かいドットに落とし込まれていくと思うと何だかぞくぞくしました。 世の中は、分子や原子や素粒子などで出来ている。 当たり前の事ですが、樹木の一部を写した画像からそんな事まで想像が膨らんでしまいしまた。





唐突にガーナチョコレートですが。 この作品はドイツの画家であり写真家でもあるジグマー・ポルケへのオマージュだそうです。 絵画を写真的にアプローチするとどのような変化が起こるのか、それを確認したくて試みたものだそうです。 バックのストライプはネットから拾ってきた画素数の足りないウェブ素材でそれを大伸ばしにして対象を接写したところ、絵画ではあり得ない無数のごみや塵が映り込んでしまい、これこそが写真であることの意味だ、と伊丹さんは感じたそうです。 なるほど、写真はある意味、作意を超えて勝手に全ての事実を捕えてしまうという一面があります。 (もちろん、そうでない一面もありますが。) この作品はとても複雑で、色々考えていると矛盾だらけでまるで禅問答のようです。 (確か前には『哲学的』と言う言葉を使いました。) 拡大したもの(ストライプ)の上に凝縮されたもの(ガーナチョコや埃、塵)が乗っていて、平面に立体感を感じる部分もあるし、ある部分では立体感は完全に失われてレイヤーのような構成にも見えます。 さほど厚みのないはずの無造作に千切られた外箱の切り口には、もさっとした紙の繊維の確かな重なり(厚み)と僅かにしろ質量のある感じが見て取れます。背景のストライプは平面の、しかもバーチャルな世界の代物のはずなのに、粗い画像にありがちなエッジのもっこりとした感じは、現実にはどこに存在するのかすら判らない立体感を生み出しています。 写真は『真実(実体)を写す』という意味のはずなのに、これは本当に実体なのだろうか、という不思議であり得ない疑問が湧いてきます。 ここに伊丹さんが語っていた『展示されている実物の写真を観てほしい』という言葉の真意を感じました。ネットの画像を観るだけでは知りえない様々なとりとめのない気づきがそこにはあるのです。 仮想の世界から来たもの(ストライプ)を物理的に実体化(紙に出力)して、そこに別の実体(ガーナチョコ)を置いてまた仮想の世界(デジタル画像)に閉じ込めて、それごと全て物理的に実体化(大きく伸ばして作品化)するとそこには仮想の世界のような見え方と映り込んでしまった実体が混在して・・・・。説明できないほどの矛盾を孕んだ作品ではありますが、この作品を漠然としたもので終わらせていないのは、伊丹さんの弛まぬ探究する姿勢とそのプロセスなのだと思います。
この作品などは特にそうだと思うのですが、伊丹さんは、撮った画像に(良い意味で)無駄な思い入れがないように見えます。カメラという機械のファンクションが伊丹さんの眼の機能まで連続して繋がっていて 既に自分自身がカメラのファンクションの一部になってしまっているかのようです。無駄な思い入れがないから、その画像を客観的に見ることが出来て そこに再び何かの発見があるのでしょうね。心象風景を思い入れたっぷりに撮影するのとは全く異なった世界観です。
若干、言葉の上での捏ね繰り回しが過ぎたような気もしますが、言葉の定義を意識しながら表すのはとても難しいものです。 「写真」と言うものも然り。東急ハンズで買ってきたラッピングペーパーを作品に見立てたものもありましたが、撮影をする人だけが写真家というのではない段階に入って来た、というのはここ最近本当に色々なところで取り沙汰されています。 また、写真表現のすそ野が広がってカメラで撮影するだけが写真ではない、とも言われています。『写真とは何なのか』、『写真家とは何者なのか』 伊丹さんは、その定義を模索して行く探求の旅の最中にあるのだ、とひしひしと感じた今回の展示でした。

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study / copy / print
HAPPA / sakumotto
2014年05月30日(金)- 2014年06月14日(土)
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by sanaegogo | 2014-06-14 00:00 | art | Comments(0)
Study | Go Itami | POETIC SCAPE
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伊丹豪さんの作品と言えば、ブライトな配色の幾何学体的で不思議な画面構成の写真が持ち味だと思っていましたが、この「Study」では、その味もありつつも、その中に心象風景みたいな、言い様のない何らかの気持ちが入り込んでいるような、そんな印象を覚えました。一見幾何学的で無機質なもののレイヤーのような画面構成の中に、ふと入り込んでしまった何かの情景、そして、それにふっと持って行かれてしまう 何かの気持ち、そんな印象です。 その情景は、伊丹さんが意図的に混ぜ込んだものもあるし、ご本人も知らずに、後から写真を確認して判ったものもあるそうです。
中目黒のPOETIC SCAPE に 伊丹豪さんの 「Study」を観に行ったら、ご本人が在廊してて、土曜日だった事もあって、常連さんや顔馴染みらしき方々も色々いらしていたんですが、見かけない顔の私にも色々と作品の説明やお話をしてくれました。







今回展示されていた作品の中では 「これぞ!」という感じの1枚。 まるでケント紙にきちんとマスキングテープを貼って、色むらがないように丁寧に塗り込められたポスターカラーのような発色の赤に眼が行きます。もちろん、これは修正なしの一発撮りの作品だそうですが、パースを全く取り払っているにも関わらず、遠近感がうっすら残る風景が混在している画面は、不思議な感覚のズレを引き起こします。 その横には、橋げたの隙間から水面を写したという、作品があったのですが、それも全ての遠近感を取り払った中に残る水面揺らぎが風景の中のミクロを顕しているようで面白かったです。 その一連の展示の流れはモンドリアンの絵画を連想させました。 「写真は立体的なものを写すものなのに、全てのパースを取り払ってしまうと平面のレイヤーのようになるのが面白い。」と言うような事を語ってました。 その撮影に対峙する感覚がまさに「Study」なのですね。







私がこの展示で一番惹かれたのがこの写真。これまでは、どちらかというとピントを絞った作品を作ってきましたが、逆に絞りを開いてぼかしつつ意外なところにピントを当てるのもありかな、という試みだそうですが、これも「Study」なのですね。 鉄の手すりの上にうっすらと溜まった雨が木立の影を映していて、そこにピントを当てて撮影したそうです。 近くにピントを当てながら、それは実はそこからもっとも遠くのものにピントを当てている事になっている。 何だかとても哲学的なアプローチです。







この1枚もとても好きなのですが、暗がりの中に浮かび上がる光を集めたグラスの透明な部分とその周りに浮かぶ気泡は、まるで宇宙の深淵のような雰囲気です。 その隣の作品には夜の闇に浮かぶ星空? と思いきや、CDの盤面の傷をクローズアップで捉えたもので、そこには日常の中に宇宙を模した空間が出来上がっていて、さっきのモンドリアンのシリーズといい、写真の並びもとっても洒落てるなぁ、と。







ビー玉とそれが置かれたタオル(ラグマット?)との質感の対比。 光と影の対比。 実物を忠実に捕らえているのに、具体性は消失し、実体はどんどん抽象的になっていきます。何だろう? と自分の視覚をからかわれたような錯覚に陥るのですが、決してデフォルメされている訳でもなく、変容されている訳でもなく、ただただ、実体を極力まで忠実に捉えているのです。 それにしても、この感覚は。 伊丹さんの作品は「視る」という行為を意識させます。







伊丹さんの作品はもしかしたら、認知とか、知覚心理学とかの切り口で掘り下げたら面白いかも知れませんね。曖昧な画像を視ると人は全体像や自分の納得できる形にそのものを持っていこうと視覚や脳を働かせます。 ゲシュタルトの崩壊と再構成です。







そんな理屈はさて置いても、ただ単純に画が美しい。 この浮遊感。 どの作品も漠然としたところがなく、そこには伊丹さんの試行錯誤とチャレンジと発見が作品を彩る要素として見て取れます。 どの作品にも意図があり、何かを探求しようとする作家の姿勢が伺えます。まさに「Study」なのですね。

伊丹豪 展【study】
POETIC SCAPE
2014年2月11日(火・祝)~3月23日(日)


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by sanaegogo | 2014-03-09 00:00 | art | Comments(0)