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そう言うわけで・・・・、アルゼンチンで撮った風景の写真をアップします。ブエノスアイレスの市街は大きな建物が立ち並んでいて、日影になる事が多く、このカメラではあまり撮れなかったんですが、コルドバやメンドーサの郊外(ワイナリーの近く)などはいい感じになったかな。


Plaza Coronel Dorrego, Defensa, Buenos Aires



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



En el parque cerca del Aeroparque Jorge Newbery



Obispo Trejo, Córdoba



Plaza junto a la Universidad Nacional de Córdoba, Obispo Trejo, Córdoba



Obispo Trejo, Córdoba



Aeropuerto Pajas Blancas



Suburbio de Mendoza



Suburbio de Mendoza



Suburbio de Mendoza


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by sanaegogo | 2011-09-04 00:00 | travel abroad | Comments(0)
アルゼンチン便り


もう1ヶ月も前の話になるなんて、何だか信じられないけど、アルゼンチンの旅行記が出来ました。本当に遅筆なワタシ。あれもこれもと書いているうちにテキストはどんどん長くなり・・・・・。自分でも読み返してみるとただ時系列にその日にあった事を書き連ねているだけになってしまいましたが、アルゼンチンの旅は本当にワタシの心に、風土、文化、人々との触れ合いなど沢山の印象を残してくれました。写真には撮れなかったけど、心に沁みこんで離れない沢山の風景・情景があります。色々な表情のある国でした。でも、あっと言う間に駆け抜けた感じのこの7日間の旅行でも、アルゼンチンのほんの一部しか見る事が出来なかったのです。アルゼンチンは広い!そして、行って良かった!行けて嬉しい!またいつか行きたい!
旅レポに主眼を置いたので、自分としてImpressiveな情景は、改めてGalleryのWebsiteでアップする事にします。
まずは、旅の全貌、楽しんでいただければ幸いです。
旅の頼もしいCompanyであるO'myuにも感謝です。すっかりカタコトの変なスペイン語を操る日本人になっていた2人ですが、いやぁ、体力使いましたね、この旅は。
それでは、こちら、Day1です。・・・・・> Click!

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by sanaegogo | 2011-07-30 00:00 | travel abroad | Comments(2)
Volví de Argentina

アルゼンチンから帰って来ました! と言っても4日月曜日の夜には帰ってきていたのですが、旅の最終章が終わるのに若干色々ありまして・・・・。もともとの帰国の予定は3日の日曜日。アルゼンチンでは、ブエノスアイレス、コルドバ、メンドーサ、ブエノスアイレスと廻ったのですが、冬枯れたアルゼンチンの街は、それはそれは素敵でした。その素敵な旅の思い出に匹敵するビッグなエピソードになってしまう程、帰国の途は壮絶なものになりました。
最後のブエノスアイレスで、出発まで街の散策をし、いざイゼイザ国際空港へ。少し早めに出て空港でゆっくりしようと早めに出発ロビーに到着するも、様子が何だか変。待合のロビーには人がごった返しているのに、チェックインの列のエリアには人っ子ひとりいないのです。不思議に思いながらデルタのカウンターまで進んでいくと、デルタのお姉さんが、『このフライトは遅れているわよ。今はブエノスアイレスの出発が5時半(現地朝)よ。』と。なにーーっ!?朝の5時半と言うと今から9時間後ではないですかっ!それではアトランタでの乗り継ぎに間に合いません!もともとアトランタでは8時間もトランジットの時間があり、街に出てコカコーラ博物館かCNNでも見学してこよう!としていたのに、そんな時間もなくなると言うもの。よくよく聞くと、数週間前のチリでの火山爆発の火山灰がまたブエノスアイレス上空に戻ってきていて、上空の視界が確保出来ないそうなのだ。近くのサンチャゴからすら機体が飛来できなくなっている、との事。『9時になったらここに電話してフライトの状況を確認してね。』と言って用意されていたメモを渡されたが、『私たち、旅行者だから携帯は持ってません。』と言うと、『1個もないの?』と困り顔。『とにかくまた確認してね。』とチェックインもしてくれなかった。せめて荷物を預かって出国の手続きまで進ませてくれていれば、あんな事にはならなかったのに。
多分、この時点ではフライトキャンセルになる可能性もあったのでしょう。期せずして出来てしまったたっぷりとした待ち時間。仕方がないので、最後のアルゼンチンワインを楽しむことに。マルベックの赤ワインを所望するも、品切れだったのは残念でした。そして、ラ・プラタで行われていたコパ・アメリカのアルゼンチンVSボリビア戦で盛り上がり(メッシはこの日は不振でした。)、12時過ぎに空港内にあった数少ないカーペットのエリアを確保してコートを敷いて就寝。何度か出発ロビーの様子を伺うも、目立った動きはなく、5時半の出発だったら3時半くらいのチェックインかな、と様子を見るも目立った動きはなかったのですが、6時に目が覚めて、ふと出発案内を見て、驚愕っ!DL110に「Embarco」の文字が!ぎょーーーっ!2人してスーツケースを取って、デルタのカウンターに走る!カウンターにはだれもいないっ!『デルタの人、デルタの誰かと話しをさせてくれっ!』とオフィスの場所を教えてもらい、談判しに。色々交渉するも、もう出発した、の一点張り。Departureの時間まではまだ30分あるのに。恐らくイレギュラーな出発の時間なので、出国の審査をする審査官ももう引き上げてしまったし、もしかしたら飛行機もゲートを離れてしまっているのかも知れない。成田なら荷物は次の便にしてもとにかく乗せる、とか、航空会社の人が出国審査対応するよう話してもらう、とかしてもらえたかも知れないなぁ。
別の便に振り替えて貰うようにデルタの人にお願いしたこの時点では、デルタからアメリカに入るのは1日1便だった事を知らなかった訳なんです。で、オフィスから出てきたデルタの男の子からまたまた驚愕の言葉が!『明日も明後日もフライトは一杯です。飛べるのは7月5日のDL110。またダウンタウンに戻って滞在を楽しんでくださいね!』なにぃ~!? それでは日本に着くのは7月6日になってしまうではないか!ここで茫然としていても仕方がない。状況を受け入れ、対策を考えるために一旦撤収。
参ったなぁ。実は昨晩空港で、最後のアルゼンチン・ペソを消費しようと呑み喰いして、最後自分へのお土産として、アクアマリンのペンダントヘッドを米ドルで買ってしまったのでした。なので、現金は2人合わせて日本円3万円のみ。ブエノスは比較的クレジットカードが使えるとしても、タクシーや水などの簡単な品には現金が必要。どうやらデルタは北米に1日1本らしい。あとは、アメリカンのヒューストン行き、コンチネンタルのマイアミ行き、全部でも3、4本くらいしか北米に飛んでいないらしい。マジ?こんなに国土の広いアルゼンチンなのに。『とにかく北米に脱出しよう!』と、再びデルタのオフィスを訪れ、時間の間に合いそうだったコンチネンタルに振り替えてもらおうと交渉。コンチネンタルのお姉さんも出てきてしばし協議があった後、『5日のフライトがコンファームになっているので、それを大切にした方がいいですよ。』と。そそくさとオフィスの中に戻っていこうとするデルタとコンチの職員。納得いかなさそうにしていると、あのチェックインカウンターにいたお姉さんが声をかけてくれた。『確かに明日も明後日も満席だけど、スタンバイに並べば乗れるかも知れないわよ。』と。そうだね。街に戻ってもお金はないし、宿もない。今夜の同じ便のウェイティングをトライしてみて、ダメだったらその時考えよう、と言う事になり、これが大体朝の7時過ぎくらいかな。そこからまた10時間くらい。空港で時間を潰す事を決意しました。宛らトム・ハンクスの「ターミナル」です。ターミナルにも入れてないんだから、「デパーチャー ロビー」ってとこですか。同じような境遇の人は結構いるらしく、空港のカフェや昼寝スポットで顔を合わす面子が同じでした。みんな予期せぬ自然の気まぐれで足止めを余儀なくされているようです。
さて、やって来ました、デルタのお姉さんに言われた午後4時半。足早にデルタのチェックインカウンターに向かい、1番でウェイティングリストに登録してもらいました。6時頃チェックインが締め切られスタンバイに割り当てられる座席数が決まるので、その頃戻ってくるように言われて、上のカフェにいったん退避。何回目だ、ここは! 時間が来て、なかなかチェックを持って来ないカフェのオヤジに苛立ち、オレンジジュースのお金を残っていた米ドルとペソごちゃ混ぜでテーブルに勝手に置いて、これで現金は本当に終了。足りていたのかもわからん!店を出てチェックインカウンターに行くと、結構な数のスタンバイパッセンジャーが屯していました。マジですか、この人数。空港の中のどこにいたでしょうか。まるで合格発表を待つ時の心境のようです。もし空席があったら1番にリスティングされているので、乗れることは乗れると思うのですが、その頼みの綱の空席が出るのかどうか。マジ、祈りました。デルタが手続きを締め切った後も、ダラダラ、ダラダラ、乗客がやって来るんです。何か問題もあったみたいで、輪になってなにか相談しているデルタの職員達。ドキドキドキドキ。その瞬間!昨日のお姉さんが、『あなたたち! こっちに来て!早く!』と私たちを呼び、『席はゲートでアサインしてもらって!早くっ!』と!ボーディングパスと手荷物チケットをさささっと渡され・・・・。 そうです!多分、もう締めちゃおうぜ、みたいな雰囲気の中、あのお姉さんは無理矢理2席突っ込んでくれたのです!空席が合った事が本当にラッキーでした。超特急で手続きをして!荷物を預け、ゲートに急ぐ時は、頭の中はストップモーションの映像が、あと映画のように何かの曲が頭の中をぐるぐる廻っていた気がします。同じくスタンバイで待っていたアメリカ人のカップルの男の人が、『Have a nice flight back!』と声をかけてくれました。あの大勢のスタンバイの人たちはまた明日も同じ事をするのか、と思うと、本当に気の毒になります。


さて、そんなこんなで、無事アトランタに向けて脱出。1日遅れで日本に帰国。でもこれでこの帰路のエピソードは終わらなかったのです。 まず、ロストバゲッジ。でもこれは予想はされてました。でも、アトランタでたっぷりと乗り継ぎ時間があったのに。ブエノスから荷物が出ていない事だけ心配してましたが、調べてもらうとアトランタまで一緒の便で来ているというので安心したのですが。日本のデルタでロストの手続きをして、ぐったりとして家路に着きました。翌日デルタから電話があり、無事に1日遅れで荷物が届いた、との事。『明日の午前中にはお届けできますよ。』との言葉に、『ありがとうございます!』と素直に感謝を述べたのに、のに、のに、です。その翌日家に帰ったら友人のスーツケースが届いているではありませんか!母が、不思議には思ったけど、私宛に届いたので受け取った、と言うのです。『デールーターめー。』と、またその翌日クレームの電話。『とにかく直ぐに対応してください。』とチャーター便を出してもらい、その日のうちに二人の荷物を配送し直してもらった。『デルタ、ポカはするけど対応は早いよね。』とその対応の早さを誉めたのに、のに、のに、のに、です。また!残業している私にメールが入り、鍵が入れ違っている、との事。何じゃ、そりゃ。あり得ない。翌日もまたデルタに電話。友人の鍵を仕事先まで持ってきているので、バイク便を出して友人の会社まで届けろ、と。対応は早いのに本当に残念なデルタ。そもそものこの入れ違いの発端が多分、鍵をスーツケースに付ける人の入れ違いミスからきているんでしょうねー。
そんなこんなで、1日遅れの帰国から、ほぼ一週間かけて、旅の最終章が本日終了しました。ここまで長文を読んでくれた方、ご精読ありがとうございました。今回の事はイミジクモ、ナッソーでランドオペレーターとして働いていた頃の経験が少なからず役に立ったと思って、これまでの人生も無駄ではなかった(爆)と思わざるを得ませんでしたねー。自身としては、空港で夜を明かしたのも、乗り継ぎ以外でスタンバイになったのも初めて、ロスバゲも初めて。初めて尽くしの帰路となりましたが、タフなものになりました。旅レポは改めて。取り急ぎは、帰国エピソードです。



アルゼンチン旅行記 こちらからどうぞ! ここを→Click!

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by sanaegogo | 2011-07-08 00:00 | travel abroad | Comments(12)
Noticias de Argentina Day7 ― Buenos Aires
昨晩、何となくへとへとになってBar Surから帰って来て、今ではすっかり顔なじみになったモレノ・ホテルのフロントデスクで、メンドーサで果たせなかったマッサージを出発日の午前中モレノでするか!と深夜だったのにも関わらず、2名で予約を入れていたのだ。O'myuは「今日は朝食はいらない。」と言うので、1人でALDO'Sまで降りていって朝食を食べた。モレノの朝食には、クロテッドクリームみたいなクリームが出て、これに何気なくハマッていたのだ。部屋に戻るとフロントから電話があって、11時から1時間マッサージが来るとの連絡。チェックアウトが12時だと余裕があって良いですね。マッサージはスウェーデン式リンパマッサージ。仕事もしてないので、肩こりとか滞っている感じはしないのだけど、疲労感はある。そんな疲れた体を再び始まる飛行機の長旅に備えてほぐしてもらう。心地良い1時間だった。



≪最後の夜に泊まったモレノ・ホテルの部屋から見た風景≫


モレノ・ホテルでチェックアウトをして、あのクラシックなエレベーターもすっかり慣れたもの。最後のお土産を買うためにブエノスアイレスの街に出るも、まずは腹ごなし、と言う事で昨晩行く事が出来なかったカフェ・トルトーニに行く。流石にランチはあんまり並んでいないだろう、と思ったけど、並んでる、並んでる。それでもランチなので列は動いているみたいなので、今度こそ観念して並ぶ事にした。「名前とか書いてくるのかなー?ちょっと見てくるねー。」と店の入り口に行くと、中から日本人男性が出てきた。日本人を見かけるのはとても珍しかったので、お互いに目が合って、先方がにやっと笑うので、私も笑い返したが、後で知ったが、その人はサッカー全日本代表だった長谷川健太選手だったらしい。どうやらコパ・アメリカを見に来たらしい。







順番が来て、店の中に案内されて、改めて見回してみると・・・・、素敵ねぇー。人々の話す声、ウェイターのお客さんを迎える声、食器の合わさる音、そんなざわめきがとても洒落ている感じがした。かつての芸術と文化の交流の場、知識人の社交の場だったと言うこの店。旅も終わりだし、これまでを振り返る感じで、ワインも呑みたかったけど、日本に帰ったら恐らくもうお目にかかれないあのビール「パタゴニア」を再びチョイス。こうして店の中でボーっとお客さんを眺めながら時間を過ごすのも本当に楽しい。何となくいつまでもこうしていたい気もしたけど、おっと、飛行機の時間もあるので、そろそろ行くとしますか。


≪トルトーニのドアマンのおじさん≫












フロリダ通りに出て最後の街歩き。ぶらぶらしながら、ブエノスアイレス、コルドバ、メンドーサ、3都市廻ったけど、どこもとっても良かったなー、などと思うと同時にブエノスアイレスの街のちょっとうらぶれた感じとか、冬枯れた感じとか、最後にたっぷり味わって帰ろう、などと思った。写真を撮るなら断然ブエノス。どこもかしこも画になるのだ。お土産屋さんでゲバラのフィギュアを購入。自分のじゃなくて誰かのお土産にしよーっと、ふたつ購入。隣にはなぜかカストロが。ここはどこじゃ?フロリダ通りの露天でアクセサリーを購入。そろそろもうアルゼンチンペソは手に入れたくないけど、こう言うところで買うと、ま、米ドルでお釣りを望むのは無理と言うもの・・・・・。





ブエノスアイレスの街もかなり頭に入ってきたのだけど今日はもう出発。最後にディフェンサのあのカフェでカフェ・コン・クレマを呑んで帰りたかったけど、時間切れで断念。出発まで荷物を置いていてもらったモレノ・ホテルに戻り、マニュエル・ティエンダ・リオンのピックアップのバスを待つ。そして再び、イゼイザ空港に向けて出発の途についた。











何だか駆け足で通り過ぎたアルゼンチン旅行だったけど、各地もうちょっとだけ長く滞在したかったなぁ。空港に向う高速道路からはブエノスアイレスの中心部ではなくて、中心からちょっと外れたダウンタウンの地区の人々の営みとかを垣間見る事が出来た。どの建物にも屋上があって、バスケットボールやフットサルのコートがあったり、洗濯物がほしてあったり、何のためか椅子がひとつ置いてあったりとか、隣の建物への渡り廊下やあれやこれや。ブエノスアイレスに住む人の生活が感じられる。そんなものを見ていると車窓からではなくて、その場に行ってその空気を味わってみたい気がした。今度2度目に訪れる機会があれば、そんな街の人の生活感が味わえる場所にも出かけてみたいな。街路樹がどれもこれも大きくて、冬なので葉をつけたまま枯れていたりするのも印象的だった。アルゼンチンには四季があると言うけれど、冬に来れたのはとてもよかったのだ、と思う。私の中のアルゼンチン、ブエノスアイレスのイメージと、冬と言う季節は本当にマッチしていたのだ。
「さようならぁ~。ブエノスアイレス。」空港までの1時間。少しでもこの風景を逃しちゃならん、心に焼き付けねば、と思って、ずっと窓の外を見てた。またぜひもう1度来たい、これから帰るというのに、そんな事を思ったりした。



アルゼンチンの旅情報: http://www.mercosur.jp/01_argentina/index.html

(壮絶な帰国の後日談もあります!・・・・・> Click!
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by sanaegogo | 2011-07-01 00:00 | travel abroad | Comments(0)
Noticias de Argentina Day6 ― Mendoza/Buenos Aires
今日はボデガを巡る日。ボデガとはワイナリーの事で、メンドーサの市街から車で20~30分のエリアでアンデス最高峰のアコンカグアの裾野に点在している。アルゼンチンの中西部はクージョ地域と呼ばれていて、世界第5位のワイン生産量を誇っている。今日の夕方にはブエノスアイレスに戻るので、昨日ワインショップのお兄さんに勧められた旅行会社のツアーでは、金額の点もさることながら、ちょっと時間的に心配かな、と言う事で、ホテルのツアーデスクにちょっと短めのツアーに、ちょっと安めで連れて行ってくれないかな、と持ちかけたのだ。とても綺麗な英語を話すデスクのお姉さんは、全然OKよ!、とボデガ2箇所をEnglish speaking guide/driver で廻ってくれるツアーを組んでくれた。「行くボデガは時間的な事も考えて、こことここね。」と。朝、指定された時間にツアーデスクに行くとそこにはミラー・シェイドををかけた黒いウールのロングコートを着たイケメンのドライバーが私たちを待っていた。想像してた感じと大分違うわー。ラテン系の人はホント、こう言うのカッコイイのよね。この方もとても綺麗な英語を話す人だったんだけど、メンドーサで生まれて、メンドーサで育って、ボクはメンドーサが本当に大好き、と言っていた。



メンドーサから車に乗って、郊外に行く高速にのり、1軒目のボデガに到着。
ALTA VISTA。歴史のある建物なのだけど綺麗にリノベーションしてあって、何よりも驚いたのが、ワイナリーと言うと地下に沢山の樽が寝かせてあって・・・、みたいなものだと思っていたけどメンドーサでは大きなコンクリートの貯蔵タンクみたいなものでワインを熟成させていた。ALTA VISTAでボデガを案内してくれたお姉さんもとても可愛らしい人で、私たちがテイスティングをしている時に、一緒にワイングラスを揺らしながら、気持ち良さそうにすすすすすーーーっとワインの香を味わっていたその幸せそうな顔が印象的。
ALTA VISTAでワインを3種類くらいテイスティングして、次のボデガに移動。
次のボデガは ACHAVAL FERRER
ここは比較的新しいボデガで、4人の創業者の苗字がボデガの名前になっている。着いた途端に超ラブリーなチワワちゃん(かな?)がお出迎え。物凄い活発で甘えん坊。「撫でてぇ~!」と擦り寄ってくる。ツアーの順番が廻ってくるまで暫しこの子と戯れて、癒されるー。このボデガのガイドのお姉さんも若い世代で、そして綺麗な英語を話していた。きっと、英語が話せるからこの仕事、なのかな。スペイン語のガイドさんはもしかしたら、年季の入ったおじさんみたいなガイドさんも出てくるのかもしれない。ここのボデガは建物自体も新しい感じで、樽やボトリングされたワインが整然とずらっと並んでる広いセラーみたいなものはなかった。ボトル詰めしているところ、エチケットを貼るところとか、ビン口のシールを付けるところとかも見せてくれるのは少しびっくり。子供の頃の牛乳工場見学みたい。何だか、開けっぴろげなのね。ここでもテイスティングを楽しんだのだが、ここのガイドのお姉さんは自社のワイン哲学について熱く語る人で、"our philosophy"と言う言葉を多用してた。ツアーの中でも自社独自の葡萄のブレンド方法とか、「自社の強いこだわり」があるようだ。ここでテイスティングした中で、強烈だったのが"Dolche"と言うデザートワイン。甘すぎず、干し葡萄(レーズン)の味がして、購入できるのはこのボデガの中だけだそうで、ガイドのお姉さんがまるで最終兵器のように出してくれたのだけど、アルコール度がかなり高い、と言うのを私はよく聞いていなかったのだ。口当たりの良さにくぴくぴとグラスに注がれるままの量を全て飲んでしまったのだけど、これが後々にまでひびく事になろうとは・・・・。酔っ払いはしなかったんだけど、アルコール度数が強すぎて珍しく体調がどよよんっとしてしまったらしい。勿論この時はまだ平気。メンドーサの街に戻ってからのどんどん、どんどん体がダルくなり・・・・・。ツアーデスクのお姉さんは限られた時間の中でも、伝統的なボデガと革新的なボデガ、ふたつを上手にコーディネートしてくれたらしい。特徴の違うふたつのボデガを巡って再びアコンカグアを遠くに眺めながらメンドーサの街に戻った。








≪超ラブリーだった 女の子≫


メンドーサの街に戻り、ランチを食べようとサルエミント通りのラ・フローレンシアに行った。ここもとても感じが良い老舗店だ。ここはブエノスと同じように、恰幅の良いウェイターさんがきびきびと立ち働いているクラシックな造りのカフェレストラン。ここもアサードが評判らしく、どよよよんっとしていなかったら最後の牛肉と赤ワイン、と言うのでも良かったのかも知れない。でも何だか食欲がなく、アスパラガスのポタージュとHearts of Palmのサラダを注文。滞在中に"Compartiremos"と言う言葉はまあまあ使えるようにはなったみたい。スープもサラダもさっぱりしてて、美味しい!斜め前のテーブルに座っていた銀髪の紳士。ワイン1ボトル。アサード1皿(通常2人前)、サラダと何かのハードリカーのグラス、デザート、コーヒー。次々と平らげ、爽やかに出て行った。アルゼンチンでは良く食べてる人もたまに見かけたけど、アメリカ人みたいに太ってぶよぶよ、と言う人はあまりいない。






≪フローレンシアの店内 大食漢の初老の紳士≫


どよよよんっが収まらず、空港に移動するまでの時間、スパに行ってマッサージをしてもらおう!と思ったのだけど生憎予約が間に合わないそうで。そんじゃ、隣へ、と思って建物が続いている隣のシェラトンホテルにも行ってみるけど、ここもいっぱい。仕方がないので小一時間くらい、ホテルのロビーで仮眠。酔い覚まし。ピックアップの時間が来て車が来るとその人はまた体格の良いカッコイイ初老の人で、やっぱり黒いウールのコートを着ていた。メンドーサ、お洒落な人が多いなぁ。空港まで行く道々、また日本での津波の被害を訊かれた。正確に言うと、津波ではなくて地震の被害。メンドーサはチリ地震でもかなり揺れたので、親身になって心配してくれる。この運転手さんは、カリフォルニアで仕事をしていた事があるので、英語も流暢。メンドーサに来てからは殆どコミュニケーションで苦労した事はなかった。「メンドーサはいい所だよー。」、と彼は言う。「今度来るときは収穫祭(FIESTA DE LA VENDIMIA)に来るんだよ。」収穫祭は毎月3月に行われて、ボデガや街中ではワインが飲み放題になるらしい。メンドーサもコルドバと同様、長逗留するには良さそうな街。「アルゼンチンは良いところだよ。自然は豊かだし、四季がある。」日本人以外に四季の素晴らしさを感じる他国の人の言葉をこれまで聞いた事がなかったので、この時改めてアルゼンチンにそこはかとない親近感を感じた瞬間だった。「日本にも四季があるのよー。メンドーサもとっても良いところですねー。」空港までの道のりはとても楽しいドライブになった。


≪メンドーサの街から空港へ≫


そうこうして、ブエノスアイレスへの2度目の到着。戻ってまいりました。明日の夜はいよいよ日本へ向けて出発。ブエノスに着くのは夜の9:00くらいの予定だったので、それからどこか夕食を食べに出歩くのも何なので、ブエノスアイレスを出る時にこの日の夕食を予約していた。再びBar Sur。本当は5月通りのカフェ・トルトーニ(Café Tortoni) でショーを見ようと思ったんだけど、平日のこの日は21:00でショーは終わり。なので再びスールに行く事にした。
タクシーでSurに行くが、久々に味わったブエノスアイレスのちょっとぴりぴりした感じ。タクシーの運転手は全く言葉が通じないし、あからさまにそれにイライラしている。見た感じSurの近くまでは連れて来てもらったみたいだけど、全然Surではない所で、何やらまくし立てられて降ろされてしまう。もう夜の12時近く。ヤバイでしょ。「とりあえずここじゃヤバイよ・・・。明るい表通りまで行こう。」と夜も明るいコロン通りまでちょっと移動。裏路地にあるSurの位置を確認して、ちょっと遅れてまたまたSurに到着。今夜は私たちとブラジル人の2組だけ。バンドネオンとタンゴをほぼ独り占め。何とも贅沢なステージだけど何せ(私は)昼間のDolceがまだ効いている感じで、ちょっと、どよよん・・・・。

明日は最後のアルゼンチン!・・・・・> Click!
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by sanaegogo | 2011-06-30 00:00 | travel abroad | Comments(0)
Noticias de Argentina Day5 ― Córdoba/Mendoza
比較的早起きをして、ホテルの素敵なダイニングで朝食を済ませ、8時半の空港までのピックアップを待つ。今日はメンドーサへの移動。メンドーサのプルメリージョ空港へ。


≪空から見たアンデスの山並みとメンドーサの街≫



≪空港からメンドーサ市街地への移動 車窓の風景≫


ここでのホテルは、 Huentala Hotel BoutiqueでO'myuが予約を担当した。ワイン通のO'myuらしく(?)"Huentala Hotel Boutique it features a wine-tasting cellar lounge, an art gallery, and a theatre auditorium." だそう。メンドーサはアルゼンチンワインの70%を生産している土地で、ボデガ(ワイナリー)が沢山ある土地柄。なので、こうしてホテルにもテイスティングが出来るセラーなどがあるところが多いらしい。モダンな感じの絵画も目に触れるところに掛けてあって、目を楽しませていた。コルドバのホテルにも至るところにアーティストの作品が飾ってあった。アルゼンチンの旅でのホテルは本当にどこも素敵だった。味気ない大手のホテルチェーンではなく、そのホテルならではの美的感覚とか美意識とか、どこもとても個性豊かだった。


≪ホテルに飾ってあったアルゼンチンの国旗≫


ホテルにチェックインして、両替をして、街を散策しながらランチを食べに出かけた。メンドーサは、コルドバよりも更にアンデス山脈に近く、アンデス最高峰のアコンカグア山に臨む事が出来る。アンデスを越えれば直ぐチリで、あのチリの大地震の時、街には壊滅的なダメージがあったそう。なので、ブエノスアイレスやコルドバのように、物凄く歴史のあるクラシックな建物は少ないようで、そのためかどうかは解らないけど、メンドーサにはシュレックなおじさんが切り盛りしている老舗のカフェっが少なく、若い世代の人が新しい感覚でやっているカフェが多かったみたいだ。ランチに行ったEl 23 Gran Bar (エル・ベインティトレス・グラン・バー)もそう。ワインの卸し業を経営するワインショップがやっているカフェ・レストランで、とても雰囲気の良いところだった。パソコンを見ながら商談をしているようなテーブルもあったけど、商談っぽいのにテーブルには赤ワインのグラスが置いてあるのがなんだかとってもアルゼンチンらしい。いい感じのカフェがあると、ついついいつまでも腰を落ち着かせたくなっちゃう。






≪El 23 Gran Bar (エル・ベインティトレス・グラン・バー)≫




さて、お昼を食べて、街の中をぶらつくも、何故かおかしい感じ。店は閉店しているところが多いし、平日なのに活気がなく、『あんまり景気が良くないのかな。』と。あまり用事はなかったけどギャレリア(免税店)っぽいところも店をやっている気配がない。O'myuが靴下を買うと言うのでそんな感じの店を探してみるも、お店がなかなか見つからず。後で聴いたら、ここでは夕方からお店が開いて、夜になるほどに賑わってくるらしく、私たちが散策していた時間帯は最も街が閑散とした時間帯だったみたい。それでも開いているお店はいくつかあって、サルミエント通り沿いにあるワインショップ alpatacoにぶらっと入ると、そこのお兄さんが結構英語が話せるみたいで、しばし色々な話をした。翌日ボデガに行く予定にしていたので、その質問とか、世間話とか。日本の日の丸は”Rising Sun”と言うんだけど、アルゼンチンの国旗には何か特別な呼び方があるのか、(日本と同じ、太陽が国旗にはいっているからね。)、とか訊いたり、あと、ここで海外に出て初めて、『日本の地震はどうだった?もう大分リカバーしたのか?』と尋ねられた。アメリカを通ってアルゼンチンに入って初めてだ。ここら辺りはチリの地震の影響もあり、大きな揺れを体験している人も多く、若い世代にもその話しが伝わっているので、他人事ではない、と思ってくれたらしい。『私たちはダメージエリアから離れたところから来たので、最近は落ち着いて来たのだけど。東北エリアではまだまだ先は長い。電気の供給もこの夏は不安定なの。』などと近況を報告。日本を代表してその声援にお礼を述べてきたつもりになる。そのお兄さんに翌日のボデガ巡りの安いツアーを訊いてみて、おススメされた近所の旅行会社に行ってみるも、費用がホテルのツアーデスクで訊いた金額とそんなに変わらないので、やっぱりツアーデスクで、廻るボデガの数を減らしたりカスタマイズを交渉してみることにした。










≪スーパーマーケットで写真を撮る怪しい日本人≫


夕食もそのalpatacoでおススメされたレストランに行く事にした。実は、その店でお兄さんにカメラの事を注意された。『コンパクトならポピュラーだけどそう言うSLRのカメラはアルゼンチンではまだ珍しいから、外に出して持ち歩くのは気をつけてね。』と。彼自身もソニーのコンパクトを持っているらしいが、一眼レフを始めてみた時びっくりした、と言っていた。結局ブエノスアイレスでもコルドバでもメンドーサでも、良識ある人にカメラを肩にぶら下げて持ち歩いていた事を注意された。
そんなこんなで、夕食はそのパトローナというレストランで。ここもとっても雰囲気が良い店で、アルゼンチン本当に外してない感じ。コルドバで評判のパリージャがあったのに何故そこで肉を食べなかったのか、今となってはその時の心境は思い出せないんだけど、ブエノスに戻る最後の夜。都会を離れかつてのパンパにいる今が最後の牛肉ナイトのチャンスである。人の数より牛の数が多いと言われているアルゼンチンに来たからには、一度は牛肉を食さねば!と言う事で、ここでビーフステーキを注文!メニューにはパリジャーダとかアサードとは書いていなかったので、典型的なアルゼンチンスタイルではなっかったのだと思うけど、確かに! お肉は美味しかった。ここのレストランも店内にアーティストのペイントやドローイングの作品が飾ってあってとても目を惹いた。赤ワインもたっぷりと味わい、食事してからの夜歩きもすっかりほろ酔い加減。







明日はボデガ巡り!・・・・・> Click!
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by sanaegogo | 2011-06-29 00:00 | travel abroad | Comments(0)
Noticias de Argentina Day4 ― Córdoba
コルドバの街を知るには、まず広場に出ろ!と言う言葉があるかどうかは知らないが、朝食を済ませた私たちは2ブロック先のサン・マルティン広場に出かけた。コルドバはブエノスアイレスに比べると大分暖かく、ブエノスで強かった冷たい風もない。午前中は北市場の方まで出かけてみる事にしたのだけど、まずは、土地を知るには土地の人に聞け!という事で、カビルドの中にある観光案内所へ。カビルドはカセドラルと連なっている旧市議会のことで、白い壁がとても綺麗。暖かい感じのコルドバの日差しを反射させている。そこで地図を貰って目指すは北市場。ついでにローカルフードのロクロが食べられるレストランの場所も取材した。北市場まで続くサン・マルティン通りは両側が商店街になっていて地元の人で賑わっている。『伊勢崎町(横浜)に似てるわ・・・・。』 生活用品、電気屋、地元の人が行くコーヒーショップ、銀行など色々なお店が雑多に集まった感じが伊勢崎町を思い出させた。


≪カビルドの白い壁≫



≪カビルドの向こうに見えるブーゲンビリアのあたりが商店街の入口≫



≪日用雑貨の店≫


さて、市場に到着。最初私たちは公設市場の建物を遠巻きに見ていた。アルゼンチンの人って、何だかとっても迫力があるのだ。観光客が殆どいなくて、そこで生活している人ばかりの北市場は、雰囲気がとっても迫りくるものがあって、意を決さないと入れない気がした。最初、市場の表に出ている商店で写真を撮ったり、うろうろしてたのだけど『ゆくぞっ!』とばかり勢いをつけて内部に潜入。入り口近くは肉屋のエリアで、それはもう、大迫力だった。ブッチャーのオヤジ達は皆寡黙でそしてとても端正な顔立ちをしている。その鼻筋の通った精悍な面持ちででかい包丁や電動鋸(丸い歯がぐるぐる回るヤツ)で肉をばんばん切っていた。始めはこっそりと写真を撮っていたけど、気がつくと凝視されるので何だか気が引けてきて、正々堂々話しかけて撮らせて貰う事にした。隅っこの方で「旅のスペイン語」を開き、意を決して、『プエド サカル フォトス?』と、ここ!と決めた肉屋のおじさんに話しかけると、厳しい顔をしていたおじさんはたちまちにっこりと笑い、そして中からさらに人が出てきて、3人で笑顔で写真に収まってくれた。アルゼンチンの人の寡黙な少し険しい感じの顔と、会話を交わした時のその人懐こい笑顔のギャップが素晴らしい!










≪コルドバは何故か 犬天国 そこらじゅうにこんな風に犬達がいた≫


午前中は北市場と広場を挟んで反対側のラ・カニャーダ川沿いの地区を散策。途中でドライフルーツとナッツを量り売りしてるお店で、何種類か選んで混ぜてもらって購入。コルドバにはこの手のお店が多いらしく、日本にもあればよいのになー、と。
広場の近くに戻って、朝観光案内で勧められたローカルフードのレストラン、Bar Alfonsinoで遅めのランチ。ロクロと生ハムのサラダとビールを注文。ロクロはアンデス地方の伝統料理でブエノスアイレスではあまり食べられていないそうだけど、アンデス山脈に近いコルドバではレストランでも出てるみたいだ。トウモロコシの粉と豆、野菜、角切りの牛肉などを塩味で濃厚に煮込んだもの。ここは家族連れや友達同士が多いレストランのようで、サービスはアルゼンチンスタイルではなく、お店の人はちょくちょく気にして声をかけに来てくれた。






≪これがロクロ 濃厚な塩味≫


店を出て、いざ!、コルドバ大学に潜入!昨日少しぶらっとして入り口の辺りを散策したけど、大学は私が想像しているよりもずっと近代的で、『広いキャンパスに溢れる緑』と言う感じではなく、狭い敷地を利用して階段状になっているようで、近代的な複雑な構造の建物だった。学校に入っていたら学生は好奇心旺盛だし気さくなのできっと誰かしら話しかけてくるだろう。そしたらカフェテリアの場所を聞いてお茶しちゃおう!と思って、教務課と思われるあたりをうろうろした。学生は不思議そうな感じでこちらを見るも、会話をするまでには至らず。アルゼンチンの人は本当にシャイだ。すると。台車に荷物を載せた男の人と女の人が話しかけてきた。スペイン語だったのでよく判らなかったけど、『あなたたち、ここで何をしてるの?』みたいな感じで部外者だから注意をされたような気がした、のだけど、後で考えるとそうでもなかったらしい。『あなたたちは学生?』と訊かれたので、『いいえ、旅行者です。カフェテリアに行きたいのですが、カフェテリアは何処ですか?』と英語で答えると、英語は判らない、との事。なんでも彼女はイタリア人で、ここで働いているとの事で、道を挟んだ向こう側にミュージアム(歴史博物館)があって、今日は休みだけど、明日はやるので、明日見に来るのよ、みたいな事をアドバイスしてくれて、『こっちに来て。』と言うので、悪そうな人でもなかったので、素直に着いて行った。学校の部外者に校内をウロウロされちゃ困る、と言う感じでその場から連れ出そうとしているのかと思ったのだ。だけどその人は、ミュージアムの入り口をわざわざ案内してくれて、中庭の南米でも最古の部類でアルゼンチンでは始めてのこの大学を創立したイエズス会の誰かの銅像とかの説明をしてくれた。(多分)。『私たち、図書館が見たいんです。』何の気なしに思っていることを口にすると、台車の上の荷物を指して、『私たち図書館に荷物を納品するのよ。図書館にはよく行くわよ。』(多分)、 と言って、女の人1人が、『こっちに来て。』と私たちを案内し始めた。そして、なんと、なんと、なな、なんと。私たちは図書館の入り口に立っていた。彼女はドアを開け、パブロ・ピカソのような顔をした図書館司書に何やら説明する。『なんちゃら、かんちゃら。』図書館司書は始め渋い顔をしていたような気がするけど、彼女の熱心な説得に負けて、『カメラと荷物をロッカーに入れれば、見学しても良い。』と言う事になったようだ。す、すごい展開。大きな声は決して出してないけど、入り口のほうからわさわさと何やら気配がするらしく、図書館で勉強していた学生達がみなジーッとこっちを注目していた。みんな、賢そうだなー。荷物をロッカーに納め、図書館司書にお礼を言い、図書館の中に入る事になった。あのイタリア人女性は『それじゃあね。』と言ってそそくさと立ち去ってしまって、お礼をするのもそこそこになってしまったけど、何だか粋な計らいに感謝!図書館内に入っても、学生達に注目されるその視線は痛い感じ。皆図書館でしか見られない(自分じゃ買えない)ような、厚い厚い、重厚な本を開いて、何やら沢山のノートを取っている。友達同士でひそひそとこちらを見ながら話している。ひゃーーー、なんか、映画の中みたい。図書館の中の独特の雰囲気を味わっていると、あの司書がやってきて、扉の外に私を連れ出して、すこし扉を開けて、『写真はここから撮るように。』と言ってくれた(と思う)。これもまた!粋な計らいで!多分私たちがカメラを肩にかけていたのをロッカーに仕舞わせたのが、何となく気になっていたのだろう(と思う)。コルドバ大学でのこの出来事は、今回の旅の飛び切りの思い出となった!イタリア人の彼女が何故、見ず知らずの学内をウロウロしてた地球の裏側から来た観光客にここまでしてくれたのか、全くわからないが、彼女も図書館司書も結果とても良い人だった。図書館を出て、少し興奮冷めやらぬ感じで『びっくりしたねー。』などと話していると、中国語を専攻しているらしき学生から話しかけられた。『中国語やってるけど、デフィカルターデス!』って言ってた。それから、『貴方たち、旅行者ですか? どこから来たんですか?』など、学生はやっぱり英語少し解るから、コミュニケーション取ろうと話しかけてくるなー。旅の目的のひとつ。コルドバ大学での忘れられない楽しいひと時だった。

 



≪コルドバ大学の教室≫



≪コルドバ大学の図書館≫



≪コルドバ大学の図書館≫



≪コルドバ大学近くの広場の大木 別方向から≫



≪市民の洒落たアパートメント ミッドセンチュリー風≫



≪市民の洒落たアパートメント ミッドセンチュリー風≫






夕食は昨日ホテルの人に勧められたうちの1軒に行く事に。 ベルグラーノ通りにあるALCPRTA CARNES Y CINOSです。『良いワインが飲めるわよー。』との事。料理の味もサービスも良かったのだが、オーダーした海老のトマトクリームパスタ。これがまるでソフト麺。パスタ独特のコシも全くないし、何より麺が白い。『きっとセモリナ粉とか使ってないんだよねー。』と言いつつ、学校給食ネタで盛り上がる。

明日はメンドーサへ移動です!・・・・・> Click!




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by sanaegogo | 2011-06-28 00:00 | travel abroad | Comments(0)
Noticias de Argentina Day3 ― Buenos Aires/Córdoba
ALODO'Sで朝食を摂って、チェックアウト。昨晩予約していた車の到着を待つ。実は、最後の晩はまたブエノスアイレス泊なのだが、ホテルを確保していない私たち。昨日の昼間この最終日のホテルを探す時間がなかったし、モレノはとても気に入ったので、最終日もまたモレノに泊まる事にした。また帰って来るからねー、とお世話になったフロントデスクの面々に別れを告げて、国内線のニューベリー空港に。ニューベリーは地元ではアエロパルケと呼ばれていて、綺麗で整然とした空港だった。パレルモ地区の先にあって海沿いなので、早めに空港に着いた事もあり、海沿いの公園を散策。海はどす黒く汚かったのだが、海風がすがすがしかった。釣りをしている人も沢山いた。ここでもカフェ・コン・クレマを呑んで、チェックインしてゲートまで行くも、何か変。そう。突然搭乗口が変わってたのだ。(当たり前かも知れないけど)英語の放送が一切ないのよー。音を拾って「コルドバ、なんちゃらかんちゃら」と言っているので、確認の放送かと思ってたのだが、どうやらゲート変更のアナウンスだったらしい。隣にいた女性が『コルドバ、なんちゃらかんちゃら』と話しかけてくれたのだけど、『私もコルドバに行くのよ。』と言ったと思い込んでいて、うんうん、と頷いたが、どうやら後で考えるとゲートの変更を教えてくれていたのかも。通じないからほっとかれたようだ。搭乗の段になって、ゲートの人に搭乗券を渡すとなにやら、『オチョ、シンコ、なんちゃらかんちゃら』と。まさかっ!遅れていると思っていたので、時間を過ぎてもここでずっと待ってたが、私達の乗る便の出発時間はとうに過ぎている。慌てて走る走る。そちらももうファイナルコールが終わっていて、すんでのところで乗り遅れるところだった。汗かいた。アルゼンチン、どうやらころころと出発ゲートを変える習性があるようで、滞在中、これには何度か慌てさせられた。


≪コルドバ パパス・ブランカス空港からコルドバの市街へ移動の車窓から≫


コルドバのパハス・ブランカス空港に到着。コルドバは宛ら地方の文化都市、と思っていたのだが、マイアミのダウンタウンのようで、ひどく雑多で、人がやたらうおーっと多い一角で車が止まり、へっ?ここ?今回コルドバとメンドーサは自分達で探したホテルで、しかもコルドバは私の担当。やばいっ!やっちまった!とカメラその他大切なものを車の中に置きっぱなしにして、ぽかんとその建物を見上げる私にO'myuはかなり呆れていた。どうやら、アルゼンチンの街はヨーロッパのように、どれも入り口が狭く、中に広々とした素敵な空間がある造りらしく、古い建物を改装してできたホテルの入り口からは中のモダンで洒落た感じは到底想像出来なかった。そう言えばモレノ・ホテルもそうだった。コルドバの宿、アズール・レアル・ホテル・ブティック ( Azur Real Hotel Boutique )も典型的にそうだった。しかも、第一印象の凄さを払拭するに値するほど、ここも素敵でモダンで洒落たホテルだった。多分瀟洒な豪邸をホテルに改造しているらしく、こんなところで長逗留して(そんな趣味はないが)小説書いたりしたら素敵だろうなぁ、何て感じた。チェックインまではどんなホテルか半信半疑だったので、まず予約担当の私が。エレベーターは1人乗りの書類シューター(って判ります?)みたいな透明のチューブで出来ていて、上で閉めないと下に降りないのだが、余りにも慌てていた私は、フロントロビーに着いた途端その洒落た感じにすっかり安堵し、さっさとフロントに出向き、チェックインを始めてしまっていたのだ。2ベッド(ツイン)の部屋をオーダーしていたので、それがちゃんとリクエストが通っているかどうか、なんだかんだ、とフロントデスクの人と話していたら、はっ!おみゆを置いてきた!『と、友達を見に行ってきます。』とエレベーターまで戻ると、吹き抜けの下からちょっと怒った顔で上を見上げ待つ彼女。ごめんごめん、かなり待たせていたような・・・・。そして無事チェックイン。部屋はここも、物凄く広い。すこし休んで、コルドバの街を散策に出かけた。


≪コルドバのダウンタウンの一角≫


ホテルは街の中心の広場から直ぐのところで、広場まで来るとコルドバの印象も変わった。やっぱ街に入ってきた時はダウンタウンから入るから、何となく雰囲気が殺伐として違ってたんだなぁ、きっと。でも広場を中心に伸びる旧市街は、とても感じがよく文化的。ブエノスの「人生の坩堝、the都会」って感じとは対照的だった。









飛行機の移動の疲れを癒すため、カセドラルに面した老舗のカフェに入る。店の名前はEl Ruedo(エル・ルエド)。どうやらアルゼンチンの人は、決して感じは悪くはないのだが、過剰にお客さんに愛想を振りまき話しかける事はしないらしい。そしてまた暫し放置。やっと、シュレックのようなウェイターさんが来て、おススメをお願いしたらチキンのミラネサだった。味付けは塩のみ。でも美味しかった!喉も渇いていたので、ワインではなくビールをオーダー。アルゼンチンでは大きな瓶ビールをシェアして呑むのが通常らしく、メニューの中から「パタゴニア」と言うビールを選択。味はベルギービールに似ていて、少し濁っていて、軽すぎず、これはイケる!
(後で気がつくことになるんだけど)、アルゼンチンの、特に老舗のカフェで働いている人は男の人、貫禄のあるおじさんが多い。後々、コルドバでは女性のカフェ店員も見かけたけど、どれも若い世代の人がやってる新しい感覚のカフェが多かった。そしてそんなカフェはどれもとっても内装とかがアーティスティックでこれもまた楽しめた。




≪コルドバでよく見かけた馬車を牽く人々 南米でもこう言う人はジプシーと呼ぶのだろうか?≫



≪コルドバ滞在中 ずっとここにいた怪しい東洋っぽい音楽を奏でるヒッピー≫


サン・マルティン広場と国立コルドバ大学のある一角は、石畳で壁は漆喰のようで白く、明るい感じがする良い街で、とっても気に入ってしまった。こんなところでまた大学生やりたいなぁ・・・・、なんて。建物はみんなコロニアル建築で、古い建物の枠組みの中で内装を改装したカフェや雑貨屋さんが軒を連ねている。コルドバっ子はおしゃれな人が多いらしい。今日はこの辺りを(下見がてら?)ぶらっと散策、明日さらに行動範囲を広げる事にした。


≪コルドバ大学横の広場のとてもシンボリックな大木≫



≪コルドバの街並み イエズス会が築いたそうで とても綺麗≫









≪コルドバ大学近くの私立高校≫



≪コルドバ大学の構内≫


夜のコルドバはライトアップされていて、とても綺麗、そしてちょっと幻想的。コルドバにいったら、肉を食べよう!と言っていたのだけど、夕方近くにチキンカツを食べてしまったので、この日はやっぱりあっさり目に。だって、肉料理は2人前がスタンダードで、たっぷり出てくる、と言うから。ローカルフードのレストランでチョリソとタマルを注文。「タマルですっ!チョリソですっ!」と言う感じで大きなお皿にただそれだけが置かれて運ばれてきたのには少し笑ったけど、味は素朴でとても美味しかった。タマルとは、トウモロコシの粉を蒸して中に野菜やお肉が入っている軽食なんだけど、どうやら、この手のローカルフードはレストランとかにはあまり置いていないみたいだ。



コルドバは夜歩いていても危ない感じは全然しないのはやっぱり学園都市だからだろうか。食後に少し夜歩きをして、ホテルに戻る。












明日はコルドバ散策。そして、待ちに待ったコルドバ大学潜入!・・・・・> Click!

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by sanaegogo | 2011-06-27 00:00 | travel abroad | Comments(1)
Noticias de Argentina Day2 ― Buenos Aires
朝起きて、ホテル指定のレストランで朝食。昨日は何だかセレブな感じの人々で賑わっていたあのALDO'S。 モレノホテルの蛇腹の扉を手で開け閉めするクラシカルなエレベーターを降り、ベルキャプテンデスクの脇の『こんなところにっ!?』と思わせるところにアルドスへの隠し扉がある。朝食を食べて、今日はカミニートに行くのだ!

カミニートは、ボカ・ジュニアーズの本拠地があるボカ地区にある。ボカ生まれの画家 キンケラ・マルティンのアイディアで形作られていったアート地区。画家を始めとする芸術家の卵達があつまって路上に自分達の作品を飾って売っている。私たちが訪れた時はまだ朝早めで人出が疎らだったので、思う存分写真が沢山撮れた。日曜日だったこともあり、時間が経つと大道芸人とかも沢山出てたけど、中でもディエゴのそっくりさんがみんなと写真を撮っていたのにはかなり笑えた。(似てるんですよ、ホントにっ!)
マラドーナはやっぱりアルゼンチンの英雄なんですねー。O'myuはこの偽ディエゴと一緒に写真を撮れなかったのが最後まで心残りのようだった!


≪カミニートの入り口≫








カミニートでは昼間から店先でタンゴショーがあり、バンドネオンが鳴り響いている。『絶対、昼酒やろうよっ!』と暫しぶらぶらした後、感じの良い店を見つけて午前中から赤ワインを注文。目の前で並々と赤ワインがグラスに注がれる。ワイングラスに並々と溢れそうに注ぐのがアルゼンチン流らしい。暫くするとタンゴショー(演奏とダンス)が始まるようで、バンドネオンやウッドベースを持った奏者達が入ってきてセッティングを始めた。ワクワクです。そして、始まり!『お客さん、どこから来たんですか?』の問いに再び『ハポーンッ!』お約束のようになってきた。ブラジルからの旅行者も沢山いた。バンドネオンの調べと客席の狭いスペースを巧みに行き来して繰り広げられる踊り。アルゼンチンに来たぁ~!って感じになって来た。カミニート、最高っ!アルゼンチンは冬だったけど、日差しはとても濃い感じがした。カミニートにも大きな街路樹が沢山あり、街を彩っている色とりどりの壁に映し出される影がとても素敵。コントラストが強いのだ。











ワインを呑んでほろ酔いになって再びセントロに戻り、ドレーゴ広場の骨董市に。今日は日曜日。ドレーゴ広場からディフェンサ通り沿いに骨董を扱った露天や出店が沢山並び賑わいを見せてる。朝はこのディフェンサを通って広場まで行き、そこでタクシーを拾ったのだけど、その時間は準備に勤しんでいた出店たちも一斉に商売を始めていて、昨日の夕方到着した時のディフェンサの閑散とした雰囲気とはまるで違ってしまっていた。ここディフェンサの路上でもバンドネオンは鳴り響いていた。




≪ ドレーゴ広場の骨董市 懐中時計を売るおじさん≫


今回の旅の目的のひとつに、「アンティークのシルバーのペンダントヘッドを購入!」と言うのがあったんでけど、ディフェンサ沿いのアンティークショップを漁ったり、露天で片言のスペイン語を駆使したりでいくつか購入。熱心なクリスチャンが多いアルゼンチンらしくキリストやマリア様のイコン(アイコン)が多かったので、記念にそれを。あと、アルゼンチンの1ペソコインに国旗と同じ太陽が彫ってあるんだけど、その1ペソ削って造ったペンダントヘッド。これは(自分への)いいお土産、そして思い出になった。

  

これはチョリパン。何とも素朴なチョリソが何とも素朴なるパンに入っていて、アルゼンチンでよく食べられている軽食だそうだ。このパンはまるで給食のコッペパン。昨夜のアルマイトの食器と言い、(後で出て来るが)ソフト麺的なパスタと言い、何故だかアルゼンチンは学校給食を彷彿とさせるものが多く、こんなところで学校給食ネタで盛り上がってしまったのだ。



今夜はバースールに行くのだ!
バースールは、ウォン・カーウァイ監督の同性愛をテーマにした映画 「ブエノスアイレス(邦題)」で、主人公の1人トニー・レオンがイグアスの滝を目指す道中、恋人と喧嘩してブエノスアイレスに残り、バーで働くシーンに使われたその実際のバー。映画自体は1997年のもので、私はその頃日本にいなかったので、また、当時私が居た彼の地はこんな映画を上映する文化はなかったので見逃しているのだが、後で映画好きの友人達からその評判は聞き及んでいて、ブエノスに来るからには是非行かねば!と旅の目的のひとつに挙げていたものである。ドレーゴ広場と私達のモレノ・ホテルの間くらいにあって、場所の確認を兼ねて今夜の下見とばかりに、ちょっと立ち寄ってみた。そんなうらぶれたバーが近所にある、そんな所からもモレノ・ホテルがあるエリアはあんまり健康的ではない事が察っせる感じだ。






日曜の骨董市を一頻り堪能した後、昨日は比較的あっさりスルーした大統領府へ。アルゼンチンの歴史にはあまり詳しくないのだけど、スペインの植民地でスペインから独立したんだよね。中には建国に貢献した数々の偉人の肖像が飾ってあって、その中にはかのゲバラ様もいた。夕方に行ったので、丁度国旗を降ろす(掲揚の反対、何て言うんでしょうか。)式典を見ることが出来た。









大統領府や5月広場、オベリスコなどを散策してディフェンサに戻り、近くにあるニューヨークっぽいカフェでお茶。私はこの辺りからカフェ・コン・クレマにハマリ出し、滞在中は相当飲んだ。
スールに行く前に夕食をと思って再び街へ。昨日イベリアにするか迷って入らなかったもう1件のカフェに行こうと歩き出したのだけど、道を間違えて辿りつけず。ブエノスアイレスは治安は余り良くないと言えども、そんなに身の危険をぴりぴりと感じる程ではなかったんだけど、夜になるとやっぱりコリエンテス大通り、7月9日通り、広場から放射状に伸びる5月通りやディアゴナル通り、それにフロリダ通りくらいじゃないと夜歩きはマズイらしく、迷い込んだ何処かの道で、街の風景を撮ろうとカメラを構えたら、後ろから来たオフィスワーカーみたいなお姉さんにとんとんと肩を叩かれ、『ここではカメラはしまいなさい。』的な事をスペイン語で注意された。身が引き締まる感じがしましたねー。カメラを狙う悪い人もいるし、こうして注意をしてくれる良識のある人もいるのだ。色々な人が雑多に集まった都会なんだなー、ブエノスアイレスは。少し前のニューヨークみたいかな。そして翻って東京の治安の良さを改めて感じた出来事だった。さて、そのように道を間違えて夕食の時間がどんどんなくなり、何と、この日はフロリダ通りのバーガーキングで済ませてしまった。(後でスールに行くし。)アメリカや日本のバーキンと違って、セットにしても飲み物は選べないらしく、コーヒーみたいなものを飲みたかったんだけど、すったもんだの挙句、諦めてセットのコーラを貰った。観光客にありがちな大きな額の札で支払いをしたので、お釣りがなく、銀行から来た1ペソの筒をそのまま渡されたのには仰天した。後でホテルで札に換えてと頼んだら、特に何のコメントもなくあっさり交換。ブエノスでは良くある事なのかな。


≪ とっても居心地がよかった モレノ・ホテルのロビー ≫


さて、ホテルに戻り、いよいよバースール。
スールまでは徒歩圏ながら、ホテルの人に勧められてタクシーで移動。やはり夜の9時近くにうろうろしてはいけないエリアのようだ。夜のバー・スールは昼間の面持ちとは雰囲気をガラッと変えていて、訳ありの誰かが片隅でひっそりと赤ワインを舐めているような雰囲気だったが、この日は週末と言う事もあり、お客さんは観光客が多いようだった。それでも私たちを含めて10人ほど。コジンマリした店の中央がダンスフロアになっていて、古びたピアノが置いてある。そのフロアでバンドが演奏し、歌手がタンゴを唄い、そして踊り手が縦横無尽に踊るのだ。何とも切ない顔をして。この夜ここで聴いた「俺はカミニートのバンドネオン弾き」(←題名は勝手につけた。)は、妙に耳に残ってしまい、この旅の間ずっと、私たちの間で口ずさまれる事となった。

もともとはUnion Bar と言う名前だったそうで、その時のプレートもバーカウンターに飾ってあった。店を切り盛りするウェイターが、絶えずガラスドアにかけられたカーテンをチラッと開けて外の様子を伺う。その仕草はまるで、ギャング映画のようだった。桟敷席には大きなモンステラの葉が飾ってあって、Sur(南)たる由縁を醸し出していた。多分今は観光客相手の商売なんだろうけど、サン・テルモに船乗り達が心の癒しを求めて屯している頃からの変わらぬ雰囲気を守り続けているのはある種のプライドなのかも知れない。





≪バー・スールのウェイターさん≫
「写真撮らせてください」の申し出に
「With glasses or without glasses? With Smile or without smile?」
とお茶目な返事が・・・・




明日はコルドバに向けて、またしばしの空の旅。・・・・・> Click!
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by sanaegogo | 2011-06-26 00:00 | travel abroad | Comments(2)
Noticias de Argentina Day1 ― Buenos Aires
アルゼンチンへの旅が始まりました。今日はアトランタに向けて出発。今まだ震災の影響で成田エクスプレスがあまり通っていないのだ。なので、不定期的な運休とかあったらいけないな、とチェックイン時間よりもかなり前に成田空港に到着するような京成線に乗って、成田空港まで。チェックインも済んで、搭乗、離陸。そしてアトランタまで到着。思えばこの旅で、何度も飛行機に乗ったが、順調に飛んだのは本当にこの1便だったような気が。
アトランタからまた一路、ブエノスアイレスのイゼイザ(エセイサ)空港へ。と、まあこれが遅れに遅れて、6時間遅れた。(今となっては軽く言ってしまうが・・・・。) なんでも天候不良で、イゼイザに着陸する時に機長から『アルゼンチンから悪天候をものともせずアメリカに飛んで、そしてまたここに戻って来たのはデルタのこの1機だけですっ!』と何故か『どやっ!』(顔は見えないが)のアナウンスが入り、感動(?)の拍手が起こる。そんな「イチかバチか」な感じに巻き込まれたのはどうなんだ、と思いはしたが、何故か私たちも拍手。長かったけど、とにかく着いたよーーー。


≪イゼイザ空港からブエノスアイレス市街に行く時 車窓からの風景≫


イゼイザ空港で物凄くゆるいカスタムを通過した後、市内までのリムジンバスを探す。マヌエル・ティエンダ・レオン(Manuel Tienda León)社。このライオンマークには旅中、本当にお世話になった。欧・米系の大きなホテルに泊まった訳ではなく、小さなホテルだったのでDispatcherのお兄さんに、『Moreno Hotel』と告げても『?』と言う顔。日本から持ってきたホテルバウチャーを出してようやく住所から検索してもらえたようで、お兄さんはにっこりと微笑み返してくれた。リムジンバスは、レティーロ駅近くのエドゥアルド・マデーロ通りにあるバスターミナルまで大きなバスで連れて行ってくれて、そこからセントロと言われる市街の中はバス会社手配の車で送ってくれる。タクシーの中で、『どこから来たの?』『ハポーン』と声を揃えて。ちょっと浮かれ始めていた私達に、『この辺は危ないから気をつけて・・・・。』とちくっと忠告が。モレノホテルは旧市街のサン・テルモ地区にある素敵なホテル。ホテルは概観の印象をまるでくつがえすようなモダンで素敵なホテルなのだが、この周りは石畳が残っているような旧市街であまり裕福でない庶民が暮らしている地域と言う事で、昔は皆、日常の憂さを晴らすためにタンゴを踊りワインを呑んだ、と言ったような地域。石畳のディフェンサ通りは少しキューバのハバナの街並みに似てた。
ホテルにチェックインして、散歩して夕食を食べに街に出る。思えば朝8時にブエノスに到着するはずが、今日1日は潰れてしまった。明日朝から色々散策するので軽い散歩のつもりで、ディフェンサを真っ直ぐ歩いて5月広場へ。大統領府は少し外観を見ただけで、そのまま夜も賑やかだと言うフロリダ通りまで。ブエノスアイレスの街並みは、古き良きヨーロッパを舞台にした映画のようで、近代的なテイストのものは少なく、まるで映画の世界にタイムスリップしたようだった。冬だったのもきっと良かったと思う。寡黙な人々はコートの襟を立てて口数が少なく足早。市街には大きな街路樹が並んでいて、樹上で冬枯れた葉が何とも旅情をかき立てるというもの。


≪エビータが演説を行ったと言う 大統領府≫



≪5月広場のモニュメント≫



≪夕暮れのブエノスアイレスの街並み 遠くに見えるのはオベリスコ≫


さて、夕食。その土地で初めて食べる食事が夕食というのも、まだ勝手が解らないので、なかなか難しいものがある。どんな感じか全然わかんないのだ。「カフェ・トルトーニ」と言う1858年創立の市内最古のカフェで食事をしようと試みるも、長蛇の列が! ここは諦めて、同じく5月通りにある「イベリア」と言うカフェに挑戦。どうやら、店の人が過剰に話しかけて来ないのがアルゼンチン流らしく、入り口に立つも、全く席に案内してくれる気配がない。『勝手に座ってもいいのかなー。』と空いている席に座って待つもメニューがなかなか来ない。メニューが来ても(当たり前かもしれないけど)英語が全く書いてない。マジ!? 実は私の持参した「旅のスペイン語」は料理のメニュー名とかいっぱい書いてあるんだけど、なんと! 全部スペインの情報だったのだ!アルゼンチンでの事は全く判らず!しばし放置されるも、話しかけると親切なアルゼンチンの人々。『とりあえず、地元の料理でも食べようか。』とアルゼンチン風カツレツ ミラネサ(Milanesa)とトマトサラダを注文。サラダは、(この先よくお目にかかったが)、老舗のカフェだと何故かサラダがアルマイトの食器で出てくる。そして、お酢とオリーブオイルと塩をかけて食べる。私は自分でも時々こうして食べるのが好きなので全然平気だけど、このサラダは日本のファンシーなドレッシングじゃないとダメな人にはとてもキツイかもしれない。




≪この日は入れなかったカフェ・トルトーニ≫





喉が渇いていたのでイベリアではビールを呑んだ。なので、アルゼンチンとなれば、やっぱりワインが呑みたくなって、モレノホテルの下にある 「ALDO'S」と言うワインバーに立ち寄り赤ワインを呑んで、明日に備えて就寝!
これでやっと、横になって眠れます・・・・・。


≪ALDO'Sの店内 お客さんはセレブな感じの人が多い≫


明日はいよいよ、ブエノスアイレス街歩き!・・・・・> Click!
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by sanaegogo | 2011-06-25 00:00 | travel abroad | Comments(0)