INTERSTELLAR


10代から20代の頃にかけて観たSF映画では、その映画の中の「現在」と言うのはその時自分が在た「現在」とは全く様子が違い、それは少々突飛過ぎるとも思えるような状況設定のものが多かったような気がします。「2001年宇宙の旅」はSF映画の金字塔ですが、今は2001年をゆうに15年も超えているのだけど、その時の未来と今の現在で一致している要素は少ないと思う。想像しうる範囲での時代考証みたいなものはあったのだろうけど、神羅万象の自然(ひいては物理の)摂理との整合性はあまりなかったのではないかと思うのだけど、ここ最近は現実に(ながい時間をかけてですが)明らかにされつつある理論を基に科学的考証を行い、「ゆくゆくはまんざらフィクションではなくなるのかも」という体のものが多いですね。それは偏に、より多くの事が理論的に解明され、かつその一部は実践され、SF映画もそれを踏まえて作られるようになって、昔のように映画の中の世界が現実の現在と点と点との関係ではなくなってきたからなのかも知れません。 空想と想像という言葉に微妙な違いがあるとしたら、そんな感じです。想像というのは、現実に起こる可能性があることを想定できるものに当てはまめる事ができる言葉だからです。
インターステラーの中の現実世界が今の現在を少しだけ飛躍させたような設定で、その状況は今の自分のいる世の中の延長線上、線で繋がっているように感じられ、懐疑的になってしまうような違和感はありません。地球にはまだ土があり、植物があり、異常気象で雨が降らなくなってしまっていますが、人間は出来る限りの知恵で何とかぎりぎりその存在を存続させています。食糧難で国家予算をNASAにかけるのよりも食物供給に回す、という選択もまんざらあり得ない事ではないと思えました。大気汚染や放射能ではなく、食糧難に人類が脅かされているとSF映画の中で語られるというのも今まではあまりなかったのではないでしょうか。宇宙的規模で言えば、重力によって地球に押し付けられるように生きている人類や地球上の生物ですが、生きている限りは葛藤や愛情、正義感、責任感など、様々な感情が渦巻いていて、それは何かの理論では説明できない生身の人間である所以です。インターステラーを観て、科学理論という揺ぎ無い強固なものと、人間の感情というどこかあやふやで論理性に欠けた説明しがたいものとのコントラストを強く感じました。
映画の中に登場する「ワームホール」も物理理論としては、全くのフィクションではなくある程度の市民権を得ている理論のようです。「ワームホール (wormhole) は、時空構造の位相幾何学として考えうる構造の一つで、時空のある一点から別の離れた一点へと直結する空間領域でトンネルのような抜け道である。アメリカの物理学者ホイーラー博士が命名した。」とWikipediaには記されていますが、これを矛盾なくストーリーの中で展開させる試みは、ゼメキス監督の映画「コンタクト」の基になったカール・セーガン博士の同名の小説で、前述のホイーラー博士の弟子、理論物理学者のキップ・ソーン博士によって検証が行われています。「ソーンらは「通過可能であるワームホール (traversible wormhole)」を物理的に定義し、アインシュタイン方程式の解としてそれが可能かどうかを調べた。そして、「もし負のエネルギーをもつ物質が存在するならば、通過可能なワームホールはアインシュタイン方程式の解として存在しうる」と結論し、さらに、時空間のワープやタイムトラベルをも可能にすることを示した。」とWikipediaには続いています。インターステラーの前提もこのソーン博士と映画「コンタクト」の製作にも参画したプロデューサー リンダ・オブストによって考案されているそうです。私は物理の世界には(恐らく関心はあるのだと思いますが)全く疎く、「アインシュタイン方程式の解」と言われてみても何のことやらさっぱりですが、カール・セーガン博士や果てはアインシュタインまで繋がっていく壮大な構想と考証のもとに作られた映画だと知ると、素人の私にも何となく説得力のある感じがしたのは、映画の中の設定が今の地球とそんなに姿を変えていないところにあるだけでなく、化学的な裏付けが確固たるものだったからだ、というのを伺わせます。そこをただ単に科学的なフィクションのトーンで押し通していくのではなく、さらけ出された人間の感情の機微みたいなものをしっかりと絡めているのが、このストーリーの説得力のあるところの要因なのだと思います。見応えのあるHumanなストーリー、科学理論の歪みの中で擦れ合う人間の生々しい感情、映画のジャンルでカテゴライズするならば、「サイエンス・フィクション(SF)」だけでなく「ドラマ(Drama)」も是非冠したい、そんな風に思いました。


近未来の地球。地球規模での植物の枯死により、雨が降らない異常気象。 食糧難により人類は滅亡の危機にあった。


頻繁に起こる砂嵐に苛まされていた。


人々は無気力に慣れっこになってしまっていて、砂嵐の到来にパニックになる事もなく、足早に家へと避難していく。


凄まじい砂嵐。肺をやられてしまわないように、マスクで顔を覆いながら家路へ急ぐ。


砂嵐が通り過ぎると全ては砂まみれに。


家の外はおろか、家の中までも砂は侵入してくる。 毎日が砂との戦い。


人々は疲れ果てていた。


そんな片田舎で、元宇宙飛行士クーパーは、義父と15歳の息子トム、10歳の娘マーフとともにトウモロコシ農場を営んでいる。NASAに国家予算がさけなくなり、宇宙飛行士はもはや無用の長物だった。


マーフは自分の部屋の本棚から本がひとりでに落ちる現象を幽霊のせいだと信じていたが、ある日クーパーはそれが何者かによる重力波を使ったメッセージではないかと気が付く。


秘密裏に活動していたNASAの、土星近傍のワームホールを通り抜けて、別の銀河に人類の新天地を求めるプロジェクトのパイロットに任命されたクーパー。帰還できたとしてもそれがいつなのか不明なミッションに、マーフは激しく反対する。

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二人は和解の機会を得られないまま、クーパーは出発の日を迎え、クーパーはマーフに「必ず戻ってくる」とだけ言い残し、宇宙船エンデュランスに搭乗し地球を後にする。


土星に接近するまでの間、乗組員は冷凍休眠に入る。


エンデュランスは土星近傍のワームホールに接近する。


エンデュランスはワームホールを通り抜け、ラザロ計画の先駆者の一人ミラー飛行士が待つ水の惑星を目指す。既に地球を出発してから2年が経過していた。
(ワームホールを表現した映像。秀逸です。)


水の惑星での1時間は地球の7年間に相当し、クーパーは地球に残してきた家族を想い、水の惑星への接近を躊躇するが、他の飛行士らに公私の混同をたしなめられ、着陸は決行されることとなる。


水の惑星に降り立ち、惑星の表面を捜索するが、ミラー飛行士は見つからず、彼女の着陸船の残骸だけが見つかる。間もなく山脈と見まごうほどの巨大な波が一行を襲う。


ミラー飛行士がこの惑星に到着したのは数時間前、死んだのは数分前にだった。クーパーらはエンデュランスに帰還するが、そこでは23年あまりが経過していた。エンデュランスでクーパーらの帰りを待っていたロミリーはすでに壮年に差しかかっていた。


残る二つの候補惑星のどちらを探査するかの選択を迫られる乗組員。クーパーとロミリーは生存信号を発信し続けているラザロ計画の先駆者マン博士の惑星を推したが、アメリアはもう一方のエドマンズ飛行士の惑星へ行くことを強く推した。クーパーはアメリアとエドマンズが恋人関係であることを見抜き、彼女こそ決断に私情を挟んでいると批判する。
(アン・ハサウェイ、宇宙服を着てても、ショートカットでも、美しいです。)


マーフは地球出発時点のクーパーと同い年に成長していた。重力の研究に携わっていて、その研究で重力の方程式に解を見つけられれば、巨大なスペースコロニーを宇宙に打ち上げ、地球に残された人間を宇宙に脱出させられると期待されている。


クーパー、アメリア、ロミリーの搭乗するエンデュランスはマン博士の待つ、氷の惑星へ針路を取り、氷の惑星に降り立ち、マン博士の設営したキャンプに到着する。


冷凍睡眠装置の中で地球からの後発隊を待つマン博士。


マン博士は氷の惑星に着陸してすぐ、この惑星では人類は生存できないことを悟っていた。彼は孤独に死にゆく運命だったが、それを受け入れることが出来ず、氷の惑星が人類の新天地であるかのような捏造データを地球に発信していたのだ。

(氷の惑星のシーンはどれも眼を瞠るほど美しく、そして厳しさがありました。これがCGではなく、地球上のリアルな造形であるのは本当に驚きです。撮影はアイスランドのスナイフェルスヨークトル氷河で行われたそうです。)



マン博士はクーパーを惑星表面探査に連れ出し、クーパーを不意討ち。エンデュランスを奪取しようと惑星外へ離脱し地球に帰還しようとする。
(マット・デイモン、久々の(?)悪役。やっぱり、彼は悪役がはまり役なのでは?)


マン博士は操作ミスにより急激な減圧で死亡する。エンデュランスも事故の衝撃で本来の軌道を外れ、回転しながら氷の惑星に落下しはじめる。


甚大な損傷を蒙ったエンデュランス。地球への帰還、マーフとの再会は叶わなくなった。


クーパーは、アメリア一人をエンデュランスに残し、彼女一人にミッションの全てを託す。エドマンズの惑星で搭載してきた人類の受精卵を用いて絶滅を阻止するのだ。


クーパーは自分を乗せた機体をエンデュランスから切り離し、ガルガンチュアへ落下していく。


クーパーは無数の立方体が幾重にも折り重なった不思議な空間テサラクトにたどり着く。クーパーはそこが、マーフの部屋を通じて地球の過去、現在、未来全ての時間と連結している空間であると気付く。


クーパーは土星の軌道上に建造された巨大スペースコロニー内部の病室で目覚める。マーフの功績でスペースコロニーの建造と打ち上げが成功し地球の人類が救済されたのだ。
(これは、映画の中のシーンではなく、Webから拾ったワームホールが地上に出現した時の概念図。映画でこんなコロニーの姿を観たときは訳が解らなかったけど、きちんとした理論に基づいての再現だったようです。)


クーパーはコロニーの病室で老婆になったマーフと彼女の大勢の子や孫たちとともに再会を果たす。マーフとの約束を果たしたクーパー。マーフはクーパーにエドマンズの惑星へ1人で向かったアメリアを捜索しに行くよう見送る。クーパーは再び小型宇宙船に乗ってコロニーを後にする。

画像は必ずしもストリート一致していないと思いますが、お気になさらずに。 突然のネタバレでしたが、ネタがバレても見応えは充分だと思うので、これを機にご覧になってはいかがでしょうか!!


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# by sanaegogo | 2015-01-01 00:00 | movie | Comments(0)
鳥の旅 ―Birds' Journey―
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この夏(正確に言えば2014年の夏ですが)、ある女性写真家の方の「写真集をつくる」、というワークショップに参加しました。これで足かけ3年目の3回目になります。 今回制作した写真集のタイトルは、『鳥の旅』。昨年が『惑星探査』なので、私にはどうもこういう空間移動的なものが心地よいみたいです。
今回は、どこかで撮影してきたものをまとめるというのではなく、Self-found Photo と勝手に呼んでますが、これまでの自分のアーカイブの中から写真を掘り出してみようという試みです。 それは忘れかけていた昔の写真の再発見でもあるし、文字通り、自分自身をも探ってみる、というのに繋がるのかも知れません。 自分史を辿るものでもあるし、自分自身の再発見、気づきだったのかも知れません。 そうして拙くも膨大な過去のライブラリーの中から写真を選び、再編成し、ただ雰囲気で並べるのではなく、空間も時間も縦横無尽に行き来するような漠然としたストーリーを与えたかったのです。 作者の意図に誘導していくようなストーリーではなく、見る人がその人のその時の思考である種の体験を共有できるような、そんな感じです。 本はいくつかのシークエンスで構成されていて、時間もばらばら、場所もばらばらで、古い写真では2003年のものもあります。 時系列を曖昧にしたのは、私のちょっとした悪戯心で、どの写真もその撮影した時の事を覚えています。 旅の思い出も満載なので、どうしても思い入れがありそんな1枚、1枚を落としていくのが忍びなくもありましたが、鳥の次の訪問地を選んで並べていくのは楽しい作業でした。 鳥のいくつかは沖縄に住むバハマ時代の友人が撮影したものです。

出来上がった写真集はとびらや奥付を合わせて95ページにもなってしまったのですが、その中でいくつかシークエンスをご紹介します。本は長編綴じの縦開き。鳥の飛んでいる空間とその風景は同じ空間なのか否か。 鳥は俯瞰して眼下に広がる風景を見ているのではなく、どこか全く別の次元で羽ばたいているのかも知れません。鳥は何処かの知らない次元を旅していて、そこは繋がっていて、風景だけが点在している。 こうしてみるとそんな風にも見えてきますね。



石垣島、沖縄 (2003)



バレン高原、アイルランド (2013)



バレン高原、 アイルランド (2013)



与那国島、 沖縄 (2004)








バレン高原、 アイルランド (2013)



モハーの断崖、 アイルランド (2013)



モハーの断崖、 アイルランド (2013)



モハーの断崖、 アイルランド (2013)








沖縄南部 斎場御嶽近くの海 (2009)



鎌倉 稲村ケ崎近く (2013)



吉佐美 大浜、 下田 (2009)



横須賀の海 (2009)




実は、この本をつくるにあたり、頭の中でイメージしていた情景があったのですが、それを頭の中から取り出して表現するのにはムービーの方がよいのは解っていたのです。 なので、順番が逆になってしまいましたが、写真集では顕せないもうひとつの『鳥の旅』です。どちらがよりよいとかではなく、それぞれに どちらの世界でも 鳥は確かに旅を続けています。


鳥の旅 ― Birds’ Journey
(スライドショウのムービー こちらでご覧ください!!)





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# by sanaegogo | 2014-12-31 00:00 | activity | Comments(0)
養老渓谷で紅葉狩り The Flavor of Autumn
ネットの情報では12月初旬まで見頃が続くというので、房総半島の真ん中にある養老渓谷に紅葉を観に行って来ましたよ。 養老渓谷は春に市原アートミックスに出かけてその存在を知りました。 小湊鉄道の終点の駅で、その周辺に流れる養老川によって形成された渓谷が続いて、それに沿っていくつかのハイキングコースを楽しむことが出来ます。 この日はDrive & Hikingという事で、現地千葉までは車で行くことにしました。私の住む茅ヶ崎からは首都高で東京湾をぐるりと回っていく方法と、横浜から川崎に出てアクアラインでずどんっと突入する方法があるのですが、我々は横須賀からフェリーに乗って金谷港から千葉に入るコースを選択。往年のデートコースですよね! 超久々のフェリーの旅も同時に楽しんできました。それでも 金谷港から結構走って2時間くらい。目的地は養老渓谷の景勝地のひとつ、粟又の滝です。
駐車場に車を停めて、水月寺の方から遊歩道を歩く事2時間超。渓流沿いの景観を楽しみながら粟又の滝を目指します。 残念ながら今年は紅葉は殆ど終わってしまっていて、(その前の週に結構な雨が降った事によるみたいです。) 、楓の木に着いている紅葉の葉は息も絶え絶え、という感じだったのですが、その代わり、渓流の水面に写ったり浮かんで流れていく紅葉を楽しむことが出来ました。 私の好きな世界です。 それはそれで、私にとっては心洗われる表情豊かな情景ばかりでした。



田舎の道を進んで行くと養老川沿いに突き当り、滝めぐりの遊歩道に降りて行く事ができます。
渓流の水はとても澄んでいて、周りの木々の色づいた色彩や空の青が映り込んでます。





この週に土砂降りの雨の日があって、まだ赤くなっていない楓の葉もたくさん落ちてしまっていました。
でもそれはそれで。 足許にはカラフルな絨毯が広がって眼を楽しませてくれます。





流れの淀みには流れて来た楓の葉溜まりが出来ていて、沈んでいる葉、水面に浮かんでいる葉が重なり合い、美しいレイヤーを見せてくれます。



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自然の配色が創りだす 色鮮やかでカラフルな色彩。
まるで自然で作為的なものは何もない、純然たる華やかさ、です。





時には、自然はまるで印象派の画家のようです。
期せずしてモネのような仕上がり。





こんな風に紅く色づいた葉が折り重なっているようなところもありました。





滝めぐりの遊歩道の終点、粟又の滝です。
滝の姿も素晴らしかったのですが、やはり水面に写る風景の素晴らしさに眼が奪われてしまいます。



養老渓谷には他にも色々とハイキングコースがあって、小湊鉄道の養老渓谷駅を起点にもう少し山深いコースなども楽しめるようです。 養老八景という景勝ポイントが用意されているので、ぐるっと回ってみるのも楽しいかと思います。 養老渓谷駅にある観光案内所の方がとても親切に教えてくれるので、まずはここに立ち寄ってみるのがおススメです。



http://www.youroukeikoku.com/sys/wp-content/themes/yorokeikoku/download/img/keikoku.pdf



朝早く家を出て来たつもりだったのに、思いのほか金谷港から距離があった事と、思いのほかゆっくりと渓流を散策してしまったので、駐車場に戻って来た時にはすっかり陽も暮れようとしてました。 名物という自然薯のとろろ蕎麦を食べて金谷港に戻った時にはすっかり夜。 フェリーに乗り込んでデッキに出ると、遥か彼方には横須賀の街の灯が・・・・。とても寒く空気が澄んでいたので、灯りが綺麗に見えました。別の方向では羽田空港に着陸する態勢に入った飛行機のテールランプも。 昼間の情景とは対照的なモノクロームの世界ですが、これもこの小旅行の思い出深い記念の1枚になりました。






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# by sanaegogo | 2014-12-07 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
植田正治写真美術館で大山を臨む
念願の鳥取砂丘に分け入ったその翌日、これまた念願の植田正治写真美術館まで足を延ばしました。ご存知の通り植田正治氏が砂漠劇場と称して鳥取砂丘で数々の名作を生み出していたので、ちょっとの移動で行けるものかと錯覚していたのですが、実は鳥取砂丘から美術館のある岸本という駅までは乗り換えも含めて3時間弱くらいかかるのですね。 植田正治が暮らしていた境港までは更にかかるので、家族や助手を連れて、たくさんの機材や小物を運んでの鳥取砂丘での撮影は、まさに家族旅行の小旅行さながら、子どもたちや奥さんのうきうきと楽しそうにはしゃぐ姿が想像されて、とても微笑ましくもあります。宿泊したゲストハウスから電車で行こうと思っていたのですが、ここでの夜の宴で友達になったお二人が車で境港まで行くというので、急遽便乗させてもらう事にしちゃいました。 これもこの鳥取旅行の楽しい思い出のひとつになりました。
舗装はされているけどどこまでも続く1本道をひた走り、1時間半くらいのドライブ。車窓からの田舎の景色がより一層、『遠くまで来たんだなぁ。』なんて気分を掻き立てます。そんなこんなで、ついに植田正治写真美術館に到着!です。
駐車場に車を停めて、まず見たかったのが優美な姿で佇む大山(だいせん)。中国地方の最高峰でその美しい佇まいから伯耆富士とも呼ばれ、この地方の人々に古くから愛されてきました。





植田正治自身も大山には思い入れが深く、美術館は正面の池には多くの写真家や画家のモチーフとなった「逆さ大山」を写し、各展示室からはそれぞれの大山を望むことが出来て、雄大な伯耆の自然とその景観を取り込んだ、まさに大山と渾然一体となった建築物です。1995年の開館、設計は建築家の高松伸氏です。建物の外観や自然の中での在り様については写真に収める事が出来なかったので、この度はGoogle のStreet Viewから拝借しました。本当に便利な時代になったものです。





美術館の前の道から大山を臨む。 青々とした草地(実際は畑)の彼方にまるで富士山のような大山の流麗な稜線が見て取れて美しいです。





植田正治美術館と銘打ってあるパネルと美術館。特徴的な形はどこが正面なのか俄かには判らず。 これは、1939年の作品である「少女四態」をモチーフに設計されたと言う事です。



少女四態






植田正治写真美術館のパネルと大山。 とにかく広々としています。ストリートビューの撮影の季節は定かではないのですが、きっと夏でしょうね。 私たちが訪れた日も(夏ではなかったですが)このViewのように晴れ渡っていて雲が綺麗でした。鳥取に入ってから、澄み渡った空に浮かぶ雲の変化がとても印象的です。 (あ、この車 前の画像に映り込んでいるのと同じ車ですね。 Street View こんなところが面白いです。)





美術館の全貌です。なるほど。少女四態ですな。自然の風景とコントラストをなしたとても人工的な外観です。辺りには本当に何もなく、唐突にこの美術館が建っていますが、周りの景色から浮いてしまっている感じは全くありません。それが不思議です。大山を遥かに眺めている時の植田正治の穏やかで清々しい心境を表してるかのようです。広い風景は本当に気持ちいいもんですねー。

さて、中に入ると展示してあるのは、植田正治が砂丘シリーズではないもう一つの作品群『童暦』を制作するまでに至った道筋と『童暦』の作品などを紹介したものです。

展覧会名:植田正治、〈童暦〉への道
会期:2014年9月13日(土)― 11月30日(日)
http://www.japro.com/ueda/set/09.html

『童暦』は2014年の年の瀬に東京ステーションギャラリーでの展示でも観ました。昭和のおかっぱ頭と坊主狩りのレトロな風貌の少年少女から滲み出てくる不思議なモダンな感じ。「古いものが古いものとして今見ても新しい」と感じたのをよく覚えています。もうひとつ、ここならでは、でとても来て観た甲斐があったのが、映像展示室のあった200インチの大型映像システムによる映像プログラム上映と、世界最大級600mmカメラレンズによる「逆さ大山」の投影です。映像展示室そのものがカメラの内部の構造と同じになっていて、レンズを通して投影され、焦点で結ばれた像が逆さに写るという光学的な基本原理を知ることができます。まるでこの子供の理科の実験室のような雰囲気が茶目っ気たっぷりで可愛いですよね。



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美術館に行ったら、何といっても是非是非写真に収めたかったのが、このショット。展示室を繋ぐ廊下の一角に大山を正面から臨めるところがあって、そこでこんな写真が撮れるのです。ってファンならもう重々ご承知ですよね。 何という粋で茶目っ気たっぷりの演出!! この日は3連休でしたが、訪れる人はそんなに多くなく、皆さんそれとなく順番を待って、みんなが正面から撮影が出来るようにそれとなく譲り合うマナーの良さも、実に気持ちのよいものでした。窓の開口部の隅にはステッキや黒い傘が置いてあって、ちょっとした砂丘劇場っぽい演出も楽しめます。





私は黒い傘をチョイス。もうちょっとなんとかしたら良かったかな。






ゲストハウスで一緒だった2人。 偶然ここで再開しました。
実はこのお2人のポージングには、かなり演技指導、入ってます。(笑)


楽しい時は過ぎ、もう一人の旅のお供(この子もゲストハウスで昨晩一緒に呑んでたのですが・・・。) と帰りはバスで岸本の駅に向かう予定だったのですが、色々考えて境港まで行くお2人の車に図々しくも再び便乗させてもらい、途中の米子の駅で降ろしてもらう事にしちゃいました。 だって、この広大すぎる自然の中のぽつんとしたバス停は。バスを待つには心もとなかったから・・・。 知り合った面々との触れ合いも楽しかった植田正治写真美術館への旅でした。 本当にお世話になりました。 ありがとうございます!!




大山とあまりにも長閑で呑気なバス停。


12月1日から2月末日までは冬期休業に入ってしまうので、このタイミングに行けて、本当に満足です。

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# by sanaegogo | 2014-11-24 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
「旅」することを楽しむ旅人へ Guest House 「たみ」
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今日は鳥取でお世話になった「Guest House たみ」について少し。 たったの1泊だけでしたが、密度の濃い楽しい時間を過ごす事が出来ました。 ざっと調べる限り鳥取にはゲストハウスが3軒くらいしかなくて、うかぶLLCという合同会社が運営しているのが「たみ」です。 鳥取砂丘と植田正治写真美術館のある大山エリアの中間の松崎という駅の町にあります。 「たみ」のポリシーとして館内の写真撮影禁止、というのがあって、最初の印象は何だか厳しそうなところだなー、と言うのが正直なところ。 ゲストハウスに泊まる宿泊客というのは、最低限皆が快く過ごせるようなルールで1泊や2泊の共同生活を送るようなゆるい感じの旅が好きな人が多いと思うのだけど、この初っ端に飛び込んできた「写真撮影は禁止です」というのは意外な感じだったのですが、実際泊まってみると厳しい!という感じではなく、とても居心地の良い滞在でした。実は学生の頃、所謂ユースホステルと当時呼ばれていた宿泊施設に泊まった事があって、そこでの食事の後、半強制的に食堂に集められてスタッフの指導(?)のもと、ゲームやちょっとした宴会みたいなものに参加させられそうになった苦い経験があって、その強制的に仲間になろうよ、みたいな感覚に馴染めず、食堂には行かず、友人と相部屋の外人さんとくっちゃべってたという思い出があります。もっと大人になってゲストハウスは何度か利用したけど、今回この「写真撮影禁止」というのを前情報で知り、その時のあまり好ましくない気分を思い出したりしてたのも正直なところです。でもまあ、自分もいい大人になっているし、あの頃の自分は確かに若く、そして青かった、と今ではあれはあれで、いい経験だったという事にします。 と、ちょっとネガティブな事を言いましたが、たみ での滞在は決してネガティブなものではなかったので、誤解のないように・・・・。

たみ guesthouse & cafe:http://ukabullc.com/works/2015/06/85.php
うかぶLLC(合同会社うかぶエルエルシー): http://ukabullc.com/about/

たみは、廃業した旅館をゲストハウスとして再生させたもので、うかぶLLCの地域活性化のプロジェクトのひとつとして運営されています。ゲストハウスの他にシェアハウスもしていて、共同の炊事場や洗濯場では、そこで暮らしている人とまさに共同生活の交差点みたいな雰囲気もあって、ちょっと面白かったです。 シェアハウスの人とも少しだけ話す機会があったんだけど、そこに根付いて生活していながら、何となく長逗留の旅人であるかのような雰囲気でした。 簡単な夕食と朝ごはんが食べられるカフェがあって、そこがとっても居心地が良く、夕食で食べたカレーも生姜が利いてて、一から丁寧な手作りな感じでとても美味しかった。 夜になってあっちこっちから帰って来たゲストがそのカフェに集まって、居心地の良いあまり、その夜はかなり晩くまでビールを呑みながらわいわいと話は尽きない感じで、ゆるく盛り上がりました。カフェの本棚にはオーナーが集めたという本がいろいろ置いてあって、それを手に取りながら寛ぐ事が出来ます。 その中にいくつかアート関係の本で私の好きなのがあって、その日は不在だったもう一人のオーナーさんとも話してみたかったなー、なんて思いました。ちなみにその本とは、ソフィ・カルの写真集と写真家のパトリック・ツァイさんの作品集と、あとはちらほら。 その人の持っている物や集めているモノからその人物像を想像するのって楽しいですよね。 オーナーさんとも是非話してみたかったです。
と、拙い文章では伝えきれないので、少しでもその環境と雰囲気をお伝えしたく、Google Street Viewによる道案内です!



鳥取駅から電車に乗って、JR山陰本線で小一時間の旅のして松崎駅はひっそりと佇んでます。




小さな駅だろし、着いたら地域の略地図でもあろうかとタカを括ってたのですが、町の案内のようなものは何もなく、焦って電話で所在地を訊いてしまいました。駅を背に右歩行にまっすぐ歩いていくと右側にある、とのシンプルな案内を頼りに歩き出します。




歩いて、歩いて、




歩いて、歩いて、




両側は商店街だったようなのですが、店仕舞いをしているところが多いですね。




もうすぐ着きそうなんだけど、あれ? 見えてきたかなー。




これかなー。




着きました!! たみです。 昔は旅館だったというので、玄関周りはふつうの民家とはちょっと違う感じです。




駅から本当に1本道。 とても判りやすい。




ゲストハウスの入り口の奥には近所の人も集まるカフェの入り口があって、たみのゲストやシェアハウスの住人は建物の中からも入れます。 カフェの上にもシェアハウスの部屋やゲストルームがあって、(笑)、布団が干してあります。

もちろん、ゲストハウスにはお風呂もありますが、この辺りは所町村の合併の前は羽合(はわい)町という町名で、東郷湖畔に羽合温泉というのがあって、徒歩圏内で行ける外湯の入れるところをたみでいくつか紹介してくれます。因みにご多分に漏れず羽合町はハワイっぽくしようとヤシの木なんかも植えられていて日本のハワイと言われ(せ?)ているそうです。実際に1996年にはハワイと姉妹都市提携もしているそうです!

長閑な感じを強調して書いているように思われるかも知れないけど、決して揶揄とかしている訳ではなく、むしろ楽しかった旅に感じ入ってます。 何もないところにも何かはある、それはその人の感じ方の受容性みたいなものや、観光だけではない旅を楽しんで、その土地を味わうのが好きな方には居心地の良い場所だと感じています。 たみのコンセプトは、『暮らす人と旅人が出会う場所』。そのコンセプトをダイレクトに味わえる場所です。 もともとはクラウド・ファンディングで始めたみたいですね。(http://camp-fire.jp/projects/view/257) 「場」づくりの楽しさ、それを楽しんでいる人たちをリアルに感じられるような「場所」です。観光だけじゃない旅の楽しさにハマッている旅人には、是非行ってみて、味わってほしい、そんな「場所」です。



後日、たみからいただいた年賀状です。 この秋田犬の僕は、たみのアイドル その名も「お父さん」。 やんちゃ坊主ぶりにさすがの私も圧倒されました!!

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# by sanaegogo | 2014-11-23 00:01 | traveling in Japan | Comments(0)
砂丘の果てに見えるもの ― 鳥取砂丘
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いよいよ鳥取旅行について記します! 砂漠を求めて鳥取へ向かったあの時の高揚感は自分自身の中で忘れられない記憶に残る旅でした。実際は(言わずもがなですが)鳥取砂丘は砂漠ではないので、ロレンスのような殿方や、いつも不機嫌な女主人のブレンダや、修行中の若きルーク・スカイウォーカーや、ライ・クーダーのギターのギターが流れるバーや、インド人の兵隊キップもそこにはいませんでしたが、いつの頃からか、これらの映画の舞台となるその砂漠の風景に強く惹かれ、実はチュニジアに行きたかったのです。(まだ諦めた訳ではありませんが・・・。) 鳥取砂丘に行ってチュニジアの代わりと思うのはちゃちすぎると笑う人もいましたが、まずは日本にある最大の砂丘、鳥取砂丘に行かねばっ! そう思ったのです!子供の頃は、童謡「月の砂漠」の歌詞とあの何とも気だるいマイナーなメロディーが好きで、時々「月の砂漠」の画を描いたりしてたのを覚えてます。少し大人になってからは、これも映画ネタつながりですが、スティング様が主演した「デューン/砂の惑星(邦題)」で、砂漠とは英語で”dune”という事を知り(実際は砂丘ですが、後で知りました。)、訳もなくこの”デューン”というサウンドの神秘的な響きにすっかり夢中になりました。 時系列はめちゃめちゃですが、小学校か中学校の時に映画の時間で体育館で観た「砂漠の冒険」という映画があって、そのインパクトの強さといったら・・・・。こんな風に自分の中のとある時代に砂漠が現れ、インパクトを残し、刷り込まれてしまったかのように、あるいはサブリミナルのように、砂漠に思いを馳せるようになっていったのです。あの灼熱であるが故に厳しさがあり、乾いた清潔さがあり、どこまでも続いていくような、地球という惑星の上にありながら、別の世界であるかのような恒久さに惹かれているのだと思います。
2011年、行ってみたい海の向こうのDestinationの中で、そろそろチュニジア、と画策していた時、奇しくもジャスミン革命が勃発して計画を断念しました。治安の悪化でチュニスは遠い街になってしまいました。 北アフリカが落ち着くのを待つ気持ちが心の片隅に追いやられそうになった時、2013年を迎え、その年はかの植田正治の生誕100周年でもあり、改めて氏の写真をつぶさに観ることとなり、そこにはこれまでにないイメージの砂の世界がありました。それが鳥取砂丘です。人生何度目かの砂の世界のフラッシュバック。 この頃から鳥取砂丘に思いを馳せるようになり、2013年の末、思い立って出かけようとしたら、一緒に回ろうと思っていた植田正治写真美術館が12月から冬期休館に入ってしまう事を知り、敢え無く断念。2014年、遂にこの地を訪れることに至ったのです。前段が長くなりすぎましたが、ここで私の心情の変遷を辿れたのは、自分にとって良い機会でした。

さて、そんな風に出かけた鳥取への旅ですが、ゆったりと時間をかけ長い距離を移動し、その移動の過程もまた楽しいものでした。Financial Difficulty的な理由もあり、大好きな飛行機を諦め新幹線と在来線それにローカルバスを乗り継いで、1日かけて砂丘の近くまで行きました。初日にお世話になる宿のご主人に砂丘会館のバス停まで迎えに来てもらった時にはすっかりと暗く、砂丘を見下ろす駐車場からは何も観ることは出来なかったのですが、夜の帳が下りるごとに深さの度合いを増していく暗闇の中の目の前の風景に、確かにそこに砂丘が横たわってるんだなぁ、などと感じたものです。
砂丘の辺りは11月の今はSlowなシーズンらしく、宿泊客はあまりなく、周囲の宿も閉まっているか、夕食を出さない素泊まりばかりの状態。 私がお世話になったところも「夕食はないので、何か食べるものを買ってきてくださいね。」と。 コンビニまでは車で何十分も走らなければならず、夜は真っ暗闇で、とても一人では歩けないと言われ、鳥取の駅でカニ寿司弁当やパンやワイン、ちょっとしたお菓子など、食料を買い込み、キャリーバックとスーパーの袋をもって、もう向かう人などいない鳥取砂丘方面のバスに乗り込んで、何となくアイルランドのイニシュモア島に行った時の状況を思い出したりしました。ご主人を待つ間、閉店しそうな食堂兼お土産物屋の砂丘会館でビールを追加調達。明日は早いので、今日はこれを呑んで早めに寝よう! 宿に着くと奥さんが温かい麺の入った汁物とお茶と名物だという柿を出してくれて、「なんだ。こんだけあればカニ寿司弁当はいらなかったかも。」 などと思ったりもしましたが、お吸い物はよいお出汁の味で美味しかったです。明日は朝食前にご主人が砂丘まで車で連れて行ってくれる事になっています。

夜が明けて、旅も「移動」から「滞在」へ。 今日は砂丘で1日過ごす予定です。うっすらと白み始めた空の下、丘陵にある宿からご主人の車に乗せてもらって砂丘まで坂道を下って行きます。 途中、ちょっとした観光スポットも廻ってくれて、ご主人が今はラッキョウの畑になっている丘辺りまで昔は砂丘が続いていたとという話をしてくれました。こんな上の方まで砂丘が続いていたんなら、それはそれはダイナミックな光景だっただろうな、と思いつつ、土地の人が砂を相手に悪戦苦闘していたんだろうな、という苦労も想像でき、壮大な自然と人々の暮らしの厳しさは表裏一体。今はお互いに歩み寄って豊かな自然の中で少しだけ快適になったと言う事なんでしょう。 朝食は9時なので、それまで朝の砂丘を楽しんで、歩いて宿まで帰る予定です。



日の出前の砂丘。空が大分白んでいます。太陽は反対の山の方から上るらしく、反対側はまだ薄暗いのですが、海の方、つまり砂丘の終わりの方は朝焼けで雲が赤く染まってます。




山並みの間から 太陽が顔を出しました。 空気が澄んでいてすごく冷え込んでます。








こんなに朝早くても、もう人影がちらほらいます。しかも馬の背の一番高いところまで行き着いているんだから、真っ暗な時から砂丘に繰り出している人たちです。





段々あたりが暖かくなってきて、太陽が昇ってきました。 人がまだいない時間に砂丘に来て風紋を撮ろうと張り切っていたのですが、すでに踏み荒らされてしまっている様子。 それとの昨日の名残でしょうか。





太陽が真上から差し込まない朝のほんの少しの時間帯だけ、こんな風に砂が金色に見えるそうです。日本の砂の色ではないみたいです。


まだ人気の少ない早朝の砂丘を堪能。若さを持て余した若者のから騒ぎなどもあって、それぞれの砂丘があり、それぞれの胸の内の砂丘に佇む自分がいます。こんなに広いところにいるのに、自分だけの世界の中に深く入り込んで行くかのような感覚です。陽が高くなるまでの短い時間、くるくると表情を変える砂と雲を追いかけ、いくつかの丘を越えて歩いていると、地球という惑星の上に立っているのだ、と実感することができるようにも感じられ、気分はまさに「星の王子様」でした。"I am all alone."
もう戻らないと朝食に遅れちゃうから、と、砂丘を後にして宿に戻り、奥さんの作ってくれた美味しい朝食をいただき、ゆうべの柿がとても美味しかったと話したら、お土産に柿を持たせてくれました。 そして少し休憩して再び荷物と共に砂丘へ出ると、予想に違わず、そこは別世界になっていました。




鳥取砂丘の全貌です。砂丘入り口から全体を臨むと 第二砂丘の馬の背が高くそびえ立っていて、人々は一様に頂上を目指します。 山の尾根のように狭く連なっている稜線にそって人がびっしりと見えます。 日本海に面した方の第一砂丘まで行く人は少なく、この時間になってもまだ風紋が残っているところもありました。 知らなかったのですが、実はシーズン的には11月のこの季節が砂丘にはベストシーズンだそうで、観光客の多い夏場は暑くて暑くてとても長居は出来ないそうです。





まるで砂糖を見つけた蟻の群れのように砂丘に群がる人たち。高いところがあったら登りたい、そこから世界を見下ろして眺めたい、広いところがあったらその先に辿り着くまで歩き出したい、というのは人間の性のようなものですが、そんな衝動に素直に従いたくなるのが砂丘の魔法です。そんな衝動のままに右往左往する人たちの群れ。





サンドベージュと空のペールブルー、それに白い綿雲。遮るものの何もない砂丘は空気の流れをダイレクトに受けて、雲は絶えず流れ、くるくると目まぐるしく形を変えていきます。





雲の下だけ影が出来ます。





ちょっとした地の果て。the End of the World





砂丘の向こうに広がるのは日本海。普段の生活では太平洋に向かっている私にとっては、ちょっと方向感覚が狂う感じもあります。北を向いて立っているのに、その目の前には海があるなんて・・・。



午後になるにつれ、蟻たちがひっきりなしにぞろぞろとやって来ます。







砂丘の最高峰 馬の背。もっとも勾配のきつところは壁のようで、「よじ登る」という表現がぴったり。 私もここを這い上がって来ました。









一番奥の第一砂丘まで到達する人は少なく、だだっ広い砂の上を腕を振って歩きたくなる気持ち、よく解ります。





第一砂丘のあたりでは、風紋も綺麗に残っていました。

私の未熟な写真の腕前と拙い文章では、あの時味わった自分を取り巻くこの空間と自分の気持ちの奥の方へと広がっていく言い様のない高揚感をあらわす事は出来ないのだけど、広がる砂丘の中にぽつんと立つ閉じられた自分の存在とか、でもその閉じられた自分の中にも確かにインスパイアされて広がっていく世界を感じ、それはまるで、大げさに言えば宇宙の成り立ちと繋がっていく感覚でした。それはチュニジアのサハラ砂漠の代替なんかではない、鳥取砂丘としての存在感だったように感じています。



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# by sanaegogo | 2014-11-23 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
ふたつのNerhol展 ―IMA CONCEPT STORE と EYE OF GYRE
Nerholと言えば、今やコンテンポラリーアート界に燦然と輝く星のようであり、ひとつのスタイルを確立して世に知らしめようとしている旬のアーティストです。 Nerholは2人組のユニットで、そのユニット名「ネルホル」は、グラフィックデザイナーの田中義久がコンセプトを「練り」、現代アートに軸としてきた飯田竜太が「彫る」ことに由来しています。最近は、どこかとどこかで同時開催みたいな個展が増えてきたような気がしますが、この度もNerhol個展が都内2個所で開催されているので、行って来ました!

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ネルホル個展「アトラス(ATLAS)」
会場:IMA gallery
会期:2014年10月16日(木)~1月30日(金)
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ネルホル個展「シーネリー、シーン(Scenery, Scene)| 風景と景色」
会場:EYE OF GYRE
会期:2014年10月16日(木)~11月20日(木)
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IMA galleryの「アトラス(ATLAS)」は、彼らのこれまでのシリーズ作品である“Misunderstanding Focus”(2012)、“Portrait”(2012)、“Misunderstanding Focus 16:9”(2013)、“Scene to know”(2013)の作品を再構成してひとつのコンセプトへと集約した約40点が展示されています。さらにそれらの作品はそれぞれハードカバーの書物の体裁に纏められていて、立体作品として、写真として、書物として、多角的に鑑賞することが出来ます。


合計36点のNerhol的ポートレートが一堂に会しています。 撮影はカメラを固定して定点で行われているのだと思いますが、被写体の微妙な動きが要素となって、彫り込まれたポートレートの微妙な歪みに眼が行きます。まるで時間がそこで揺らいでいるかのようです。

   

立体的に展示しているものもあります。 この厚みは時間の厚み、経過を示しているかのようです。 彫進める事で、時間を遡っているかのようにもなって、全てのレイヤーが表面に現れる事によって、一旦時系列は消滅しているようです。







積み重ねられたATLASと共に展示された写真作品。 立体作品を撮影した巨大ポートレートです。こうして被写体とそれを取り巻く時系列は様々に姿を変えて観る人の前に出現することになります。




Eye of Gyreでは、彼ら自身が「私たちの作品は素材がもつ元々の要素から大きく離れた物質となっています。その物質感を再検証し、制作された作品の様々な要素を多角的に解釈できるような空間を構成することが今回の試み」と語っている意欲的な展示になっています。

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目線の高さで展示された写真作品は、彫進めた過程の紙の彫残しやその力加減までつぶさに観る事が出来て、制作過程のリアルな一面を垣間見る事ができて迫力がありました。(絵画でいうところの筆致みたいなものが良く判ります。)


こちらは写真作品が中心でした。額装をせずに壁に直貼りしたり、上から吊るしたり、1点1点の作品のスケールが大きく圧巻です。


Nerholの作品に感じるものはとにかく、滲み出るIntelligenceです。行っている行為は、複雑ではあるのですが、よく整理されていて、整然としたコンセプトがそこに付け加えられています。知性ある人は決していたずらに物事を複雑に表現することはせず、行っていることが複雑であるに拘わらず、単純明快に解りやすく表現/説明できると思うんですね。 意図的に小難しい言葉を使って理解の及ばない人を煙に巻いたり、わざと混乱させたり、何かスゴイ事を述べているような振る舞いを見せたりするような事はないと思うのですね。Nerholの制作態度はまさに、複雑なコンセプトの単純明快な提示、可視化のような気がします。対象の顔に向けて、およそ3分間200回ものシャッターを切り続ける。それを時系列にぴっちりと積み上げ、1枚ずつその人の動きに合わせて切り取って剥がし、断面を露出させて彫進めていきます。それは、「かつての肖像画や、レタッチが無限に可能なポートレートの真正性を疑うことから始まった」と田中さんは語っています。数分間撮影し続けるからこそ見えてくる微妙な動きや変化。断面を露出させることによってその時間の中のレイヤーは、つぶさに観察できるようになります。

――“ATLAS”は、消失し続ける“彼ら”の一瞬の姿に焦点を当てている。僕らは、被写体と向き合い、数分間にわたって200回のシャッターを切る。そして、それら全てをプリントし、重ね合わせて、彫りこんでいく。僕らは、“彼ら”の姿に迫ろうと試みるが、まるで手から零れ落ちていく水のように、“彼ら”は僕らから遠く離れていく。まるで人が書き紡いできた物語が、書けば書くほどに、書き記すことのできないものを浮かび上がらせてきたように。

―― 逆説的だろうか? 被写体となった“彼ら”の存在の本質を掴みたいと願うのに、その姿を彫り歪ませることは。しかし、考えてみるに、僕らが生きる社会は、多くのものを、ものすごい速さで消失へと向かわせている。それが現実を記憶する唯一の手がかりにすら思えてくるほどに。物語は、書物として綴じられたとき、どこにでも移動し、あらゆる人の手に渡ることができるようになった。そして、恐らくそれ以前にも増して、書き換えられ、オリジナルを失うことを運命づけられた。僕らは、“彼ら”の姿を写し取り、層を成す時間を遡るように彫り刻み、それを書物のように綴じてみる。そして、諸現象の連続性へ、消え去ることを順番待ちするかのような循環へ、それを差し出す。綴じられた書物のなかで歪む“彼ら”の姿が、この資本主義をベースにした営為の射程を揺るがせることを願いながら。

(「ATLAS」展リリースから抜粋)

テキストを読むと、少々難解なのですが、その具現である作品を観ると、
「断面を見ると 微妙に動いてるんだなぁ。」 とか、
「もしかして全部違うのかな。同じものは2枚とないのかな。」とか、
「物凄い厚み! 時間の厚みを表しているみたい!」とか、
「ポートレートによって彫進め方が違うのはどうしてかな。」とか、
「断面見ると同じ人なのにズレていくのが面白い。」とか、ごく単純な感想が(観る人が大人であるにも関わらず)どんどん出てきて、観る人を捉えるようです。観れば観るほど観察のし甲斐があります。 これこそが、Nerhol自身のように高尚な言葉を持たなくても、知らず知らずのうちにそのコンセプトについて観察し、考えているという事なのではないでしょうか。その整然とした制作プロセスの提示によって、作家の意図するところが観る人にすんなりと共有されているのです。

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# by sanaegogo | 2014-11-16 00:00 | art | Comments(0)
Thomas Ruff: photograms | TOLOT/heuristic SHINONOME


グロンスキー、ヴィヴィアン・サッセンと続いて、トーマス・ルフの写真展 「photograms」です。Photogramとは、写真作品の制作手法のひとつで、カメラを使わずに印画紙の上に直接ものを置いて感光させるというもの。1980年代にタルボットがこのフォトグラムを用いて作品を制作している事例が残っていて、それが始まり。その後1900年代に入って手法が確立されて、1920年代初頭にはマン・レイなどがフォトグラムで大量に作品を作っていて、以降一般的になっていったそうです。この秋、ルフについても2個所同時開催で写真展が開催されていて、銀座のギャラリー小柳と東雲のTOLOT/heuristic SHINONOMEで大迫力の写真展を開催しました。 ギャラリー小柳では、フォトグラムではなくて、「ma.r.s. and negatives」という、NASA の火星探査機によって撮影された火星表面の白黒の高解像度デジタル画像を使用して、画像の構図を変換したり、着色加工を施したりして、テクノロジーを駆使した臨場感あふれる作品を展開しているそうです。(私はこちらには足を運んでいないのですが、写真集「Mars」は観る機会があって、写真集もかなり豪華で重厚感があったのですが、あの写真をまとめるとなるとこんな装丁になるんだろうな、という感じで内容もかなり重厚感のあるものでした。



さて、私が観た東雲のTOLOTの方は、前述のフォトグラムの手法で、デジタル技術を駆使して、もはや写真とは思えないような超仔細な世界とその質感を、巨大なサイズの作品で展示していました。もはや写真はデジタル技術と2人3脚というか、抱き合わせというか、フィルムの画像化に現像液が必要なように、現代写真ではデジタルと切り離せない関係にあるのだ、というのを見せつけるというか、ある種証明しようとしているかのような感じです。その質感はまるでエアスプレーで描いた画のようですが、高度なハイテクを駆使して突き詰めていくと、まるでローテクなアナログの表現手法のように見えるというのが何だか矛盾めいていて面白い気がします。 しかもルフがベッヒャー夫妻に師事していたというのがまた面白いですね。 グルスキーといい、ルフといい、ベッヒャー夫妻のあのアナログで緻密な写真には、テクノロジーの芽というか、潜在的テクノロジストをインスパイアさせる何かの要素があるのだとしたら、非常に面白いと思います。 卒業論文のテーマとかにしたら、膨らみそうな感じがします。


『Thomas Ruff: photograms』
2014年10月4日(土)~11月15日(土)
東雲 TOLOT/heuristic SHINONOME

ルフの作品は、「IMA」Vol.9 2014 Autumn の表紙も飾っています。

グロンスキー、サッセン、そしてルフと現代写真を現在進行形で彩っている3人の作家がコンプレックスの3つのギャラリーで同時開催で写真展をすることは、めったにない機会で、10月4日のオープニング・レセプションは3名の作家が一堂に会して、盛況に行われたそうです。 日本の現代写真のシーンも盛り上がってきましたね。



©Thomas Ruff, r.phg.11_Ⅰ, 2014



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# by sanaegogo | 2014-10-18 00:02 | art | Comments(0)
ふたつのVivian Sassen展 ― LEXICON と PIKIN SLEE
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私のまわりにヴィヴィアン・サッセンのファンって結構いるんですよね。 ファッションの世界に軸足を置きながら、鮮烈な色彩のアートフォトとしての写真作品も手掛けていて、また、ファッションシューティングの方でも一風変わったハッとするようなショットを数々生み出しています。ここ最近は2個所で同時開催という形式をとる写真展が続いている気がしますが、ヴィヴィアン・サッセンについても例外ではなく、ここ東雲TOLOTのG/P + g³/ galleryと恵比寿のG/P Galleryで同時開催されていて、日本初の個展になるそうです。 ヴィヴィアン・マイヤーはオランダの人で、幼少の頃に南アフリカに滞在していたそうで、(ケニアと言っているテキストもあります)、幼い少女にアフリカの鋭く射抜くような日差しと躍動的なそこに住む人々の記憶はきっと強烈なインパクトを与えたのでしょうね。人格の形成に影響を与えたと言っても過言ではないのでしょう。 なので、「自らのルーツ」として位置づけ、アムステルダムで暮らす今でも、繰り返しそこを訪れ撮影を続けているその行為も容易に理解できます。ヴィヴィアンの写真には強いコントラストと濃厚な色彩があります。 スタジオの写真はあまり見たことがないのですが、今回観ふたつの個展でも、強い明るいライティングを施したような眩しいばかりの光と、その強い日差しによって落とされる漆黒のような濃い影が随所に見られました。質量までも感じてしまいそうな骨太の太陽光は輪郭のはっきりとした存在感のある影を創りだします。 カラーであれ、モノクロであれ、彼女の写真にはその明と暗が力強く存在しています。


LEXICON
会期:2014年10月4日(土)~11月29日(土)
会場:東雲 TOLOT内 G/P + g³/ gallery
http://gptokyo.jp/archives/1789




「LEXICON」という言葉を聞いて、私のボキャブラリーにはなかったので、彼女のバックグラウンドから南アフリカの都市の名前かな?と思っていたのですが、用語集、(特定の分野の)語彙、目録、語彙目録とかいう意味の単語だったのは意外でした。これは、写真集のタイトル『LEXICON』からの作品展示で、人間の根源的な感情をテーマに初期から近年までの南アフリカで撮影された写真を再編成したものだそうです。 なるほど。そこにクローズアップされている南アフリカの現地に住む人々が、一見奇抜なポーズをとって、全身で何かの「言葉」を表現しているようで、その集大成としての「語彙録」なのでしょう。ただ、その肢体のポーズに意図されている感情は、とても複雑で複合的なもので、単純にひとつの言葉を象徴しているだけのものとは思えないほど意味深な雰囲気が続きます。 ひとりの人物が示すポーズ、ふたりの絡み合ったいかにも不自然なその状態の意味するところは、ヴィヴィアン自身の意識にも昇ってきていないような気がします。 どの写真も何かの確認作業のようにじっくりと時間をかけて撮影されているのを見て取れるし、その根源にある何かの言葉(感情)を、語彙(感情の総体)をヴィヴィアン自身が探しているかのようにすら見えます。 「嘆きのポーズ」「Sympathy(共感)のポーズ」「絆のポーズ」「羞恥心のポーズ」自分勝手に写真の中の被写体のとるポージングに名前を与えてみようとすると、いかにそれらが一言では顕しきれない複雑で意味深いものを孕んでいるかに気づき、それがヴィヴィアンの持つLexicon そのものなのだと再確認できて、これは面白い作業でした。



全くの余談ですが、この不自然極まりないポーズを見て、昔一世を風靡した「ヴォーギング」とか「山海塾」とかを少し彷彿とさせるものを感じましたが、これはこの両者の造詣に深い人に言わせればきっと、「単なる見た目の問題ね。」と一笑に付されるのだと思います、が、なにか基本の理念みたいなところで繋がっているような気もします。そしてその鮮やかな色彩と強いコントラストを持つ鮮烈な写真であるにも関わらず、どこか憂鬱で何ものかへの畏怖や畏敬を感じる雰囲気を持つその表現世界は、まさに「光」と「影」のコントラストによって象徴されているものなのでしょう。ある種の精神世界がそこには横たわっています。彼女が写し撮りたいものは、その「明」の部分ではなく、その影にひっそりと身構えている「暗」の部分であるに他ならない気がします。それらの写真はある種の感情を表してはいるのですが、そこに写されている人々は一切の感情を排しているかのようであるのが印象的です。





PIKIN SLEE
会期:2014年10月4日(土)~11月30日(日)
会場:恵比寿 G/P gallery
http://g3gallery.jp/archives/782




Pikin Sleeとは、アフリカのスリナムにあるスリナム川の上流の熱帯雨林の中にある村の名前だそうで、サラマッカ族という部族が暮らしています。彼らの祖先のマルーンと呼ばれる人々は18世紀にオランダの植民地から逃れてきた奴隷だそうです。この村で撮影された写真で構成されたPIKIN SLEEは鮮やかな色彩のLEXICONとは対照的にほとんどがモノクロームの風景ばかりです。風景というか、その村での生活の営みを表している某かのシンボリックな「モノ」の連続です。どこか静物画の絵画のような雰囲気にも通じるその作風はヴィヴィアン・サッセンの新しい境地を垣間見せるものだそうです。 よりプリミティブでありのままで、実生活に眼を向けたような落ち着いた静けさ雰囲気の写真です。 しかしながら、その対象の捉え方にはヴィヴィアンらしいどこか迫力めいたところが感じられて、言葉として何かを表現される前に、そのものとして何かを語っているようです。 シンプルな写真だけに、ストレートに感情移入された生々しさみたいなものがあります。よく右脳は画家、左脳は小説家などと言われますが、このヴィヴィアン・サッセンは、そのアウトプットに右脳しか使ってないのじゃないかな、なんて思います。その写し撮るものだけで雄弁に何かを語っているのですが、それは言葉を介してでなく、言語になる前の感情みたいなもの、と言ったらよいんでしょうか。 雄弁に語ってはいるものの、それは言葉ではうまく表せないのです。 言葉で冷静に表現しようとしても、押し迫って来る何かの感情で溢れてしまい、もはや言葉で表そうとする事にはあまり意味がないという事を思い知るのです。 寡黙さが雄弁にありのままを語っているかのようです。




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# by sanaegogo | 2014-10-18 00:01 | art | Comments(0)
アレキサンダー・グロンスキー (Alexander Gronsky) | YUKA TSURUNO GALLERY


I confese… 実は今年の私の写真は、このグロンスキーの影響を多大に受けているようです。だだっ広い風景の中にぽつぽつと点在する人々を散らして、ハイキー気味な写真を撮る。これは、今にして思うと明らかにグロンスキーっぽいと思うのですが、間違いないです。初めてグロンスキーの作品を見たのは、「2013 Summer のVol.4 特集 来るべき写真家のために」でした。
―― 孵化したばかりの作品を理解しようと試みることは、私たちがいま住んでいるこの世界と向き合うことでもあり、ひいては、遠からぬ未来を予測することでもある。
「来るべき写真家」の1人としてピックアップされているように、グロンスキーも確かに若いです。1980年生まれだそうです。もともとは報道カメラマンだそうですが、まるで映画の一場面のために特別に設定した時代や都市の風景のようなどこか違和感の残るランドスケープの写真を撮ります。Vol.4で見た時は、正直自分の中でそれ程インパクトを持って迎え入れた訳ではありません。ただ、雪景色の写真は好きなので、それで印象に残っていたのかと思うのですが、じわじわ、じわじわと来ましたね。 そして、グロンスキーが来るぞ!と知った時、何だかとっても楽しみにしている自分に気が付いてしまった訳です。
そんなこんなで、東雲にあるTOLOTのYUKA TSURUNOで開催されたグロンスキー展に行って来ました。



Alexander Gronsky
アレキサンダー・グロンスキー
YUKA TSURUNO GALLERY
September 6 - November 15, 2014  (*会期を延長しました)
Website
Works in Exhibition
Installation View




『作品の特徴として、グロンスキーは一枚の写真の中に、あらゆる意味での「境界線」を潜ませています。それは、水平線で示される視覚的な境界線だけでなく、郊外と都市、社会主義の遺産としてのインフラと手つかずの自然、私的空間と公的空間、生と死といった様々な境界でもあり、また同時に、それらの全てが一つの画面に収められた、境界のない大地の風景としても提示されています。』
テキストの中に記されているこの「対比」ですが、確かに。ネガティブなものとポジティブなもののコントラストが作品に独特の印象を与えています。『周辺環境と地域住民の関係性を探求する作品』という表現もあるでしょう。ただもっと単純に、このどことなくチグハグな情景は、無理やりに架空の世界を設定した一昔前のSF映画のようでもあり、「近未来的」な情景を感じさせます。 この「近未来的」という言葉もどことなく古びた響きで、グロンスキーの暮らす旧共産圏のイメージとダブるような気がします。ある時点で忘れ去られているかのような近代化です。(余談ですけど、近未来とは結局いつ頃の事なんでしょうね。今はもはや、近未来映画が制作された頃の「未来」をとうに追い越してしまっている現代に生きているって事なんでしょうね。) しかしながら、どこかチグハグで嘘くさいグロンスキーの切り取るその風景は、紛れもなく今現在のロシア・旧ソ連地域で現実にある風景なんです。






写真展はそんな良い意味での違和感に満ちた楽しいものでした。グロンスキの選んだプリントが1枚添えられている写真集を購入してしまったのですが、そのプリント、日本のお客さんには、この写真(左)が人気だったそうなのですが、ご本人のイチオシは、こちらの写真(上)だそうです。勿論私はご本人のイチオシを購入しました。 (もうひとつのも好きだったんですけどね。折角だから・・・・。)




ここで私が勝手にカテゴライズしたグロンスキーの作品をいくつか・・・・。

【snowscape】
殺風景な雪のロシア郊外の風景ですが、社会的なメッセージはあまり表に出ず、ちょっとユーモラスに、ちょっと可愛らしく、ロシアの郊外でそこで暮らす人々が織りなす風景という趣です。画面は白く、寒い戸外でアクティビティーを楽しむ人々がぽつぽつとカラフルに散りばめられています。 ちょっと見ていると、まるでペイント作品のようにも見えてきます。





【Ophelia】
これはただ単に、緑盛んな風景を見て絵画の「オフェーリア」を連想したに他ならないのですが、違うのは、辺りにはゴミが散乱していたり、恋人たちが寛ぐ木立の背後には、殺伐とした原子炉がそびえ立っていたり。人工建造物が創りだす荒涼とした風景と人々の営みが互いに寄り添っている風景です。





【emigration to new planet】
とても目を惹くSituationです。地球ではもはや暮らせなくなった人類が太陽系の外にその活路を見出し移民していて、至極人工的な自然環境の中で、かつて地球で営んでいたような楽しい余暇の過ごし方を全て後天的な環境の中で健気に再現しようとしている・・・・、そんなB級映画のSF映画の一場面を連想してしまいます。 この場所は、きっと大きな透明なドームか何かで覆われているに違いない、と考えが飛躍してしまいそうな人工的な風景が繰り広げられています。




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# by sanaegogo | 2014-10-18 00:00 | art | Comments(0)
Mark Borthwick 「Abandom Reverie`」




マーク・ボスウィックのスライドショーは、もしかして今年観た写真展や絵画の展覧会の中で一番好きで、一番印象に残って、一番いつまでも忘れがたく、一番も一度観たいと願うようなものでした。 こじんまりとしたTaka Ishii Gallery Photography / Film の壁いっぱいに投影された3面のプロジェクションは、眼で見て感じるだけでなく、ボスウィックの創りだした幻想的な現実世界の中に自分自身が唐突に入り込んでしまったような気がします。 スクリーンから僅かに撥ね返って来るプロジェクターの光が皮膚の中から体の中に沁みこんで行きます。 カルーセルが1回転するのに40分くらい、ボスウィックの創りだした色鮮やかなイメージの光に浸っていましたが、カルーセルのカシャ、カシャという音も心地よく、どこからか聞こえてくるボスウィックがしたためたという詩の朗読にも不思議な感じを覚えました。実は「幻想的」とは言ったものの、それとは少し違うのです。自分は現実世界にいるという自覚があるのだけど、どの現実かが解らない非現実的な現実。 (ボスウィックはファンタジーの世界ではなく あくまでも現実の風景を捉えているのです。素晴らしい!) スライドが次々と創りだしていく空気を感じ、空中を漂っている声を感じている・・・っていうような感じ。(上手く言えませんが。) 「聴く」「視る」みたいな能動的な感覚とは違う、もっと自然体な感じ。 Surrounded、包まれている、そんな感覚を覚えるとても心地よい世界観でした。







マーク・ボスウィック(1962年ロンドン生まれ) は、ニューヨークを拠点に活動する『Purple』『i-D』といったファッション雑誌や、数多くのファッションブランドとのコラボレーションなどで知られているファッションフォトグラファー。 近年はファッションの領域を超えて、音楽、映像、詩など様々なメディアを横断的に行き来するような作品を手掛けています。 しかもそのつなぎ目を全くと言っていいほど完璧にかつ自然に融合した独特の不思議な世界観を漂わせています。 彼が撮影した写真作品についても、私の個人的な好みもあるのですが、そのaccidentalな色彩にとても惹かれ、accidentなのか、predictionなのか、その境目もまた見事に曖昧化されていて、自然に馴染んでいます。






光を追い、光が生み出すすべてのもの、色彩、ハレーション、フレア、そして闇までもその術中に収めているようです。一見劣化しているかのように見えるその投影されているスライドの情景に観る人はどことないノスタルジアを覚え、現実の中に身を置きながらそれぞれが抱えている「何処か」に帰っていくような気持ちを想起させられるのでしょう。 3面のプロジェクションもトリプティクスのような構成で、その漠然としたストーリーの中に溶け込んでいくような錯覚を覚えるのかも知れません。
もう会期は終わってしまったのですが、もう一度観たいです。 そして あの感覚の中に浸りたいです。


Mark Borthwick 「Abandom Reverie`」
2014.09.20 Sat – 10.18 Sat
Taka Ishii Gallery Photography / Film
http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/11575/






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作品をもっと紹介したいな、と思っていたら、まとめている方がいたので、ここに紹介します。
http://matome.naver.jp/odai/2137293016689383201?&page=1

Mark Borthwick Project (2010)
http://www.superheadz.com/mark/about/




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# by sanaegogo | 2014-10-11 00:00 | art | Comments(0)
ヴァロットン展



バルテュスのポラロイド写真の展示を観に行って、その帰りに立ち寄ったミュージアムショップでヴァロットンの作品に纏わる数々のGoodsを見て、もうすっかり観たくなってしまった、といういきさつの展覧会です。 それまで街のあちこちでポスターになっている「ボール」という作品を目にしていたのですが、それを目にするにつけ、何故か心にざわついた思いがあったような気がしていましたが、それこそがヴァロットンという人の作品の持つ魅力に他ならなかったのですね。





さて、この『ヴァロットン展』、”冷たい炎の画家”というサブテーマが付いていますが、実は個人的には少なからずこのサブタイトルの打ち出すイメージに違和感を感じていました。かなり僭越な発言ですが、炎のようにめらめらとゆらめく動的なものではなく、何かこう張りつめた弦や鉄線のようにぴーんとした静的緊張感を感じたからなのですが、この“冷たい炎”というのは、クロード・ロジェ=マルクス(美術評論家)が1955年にヴァロットンについて語った「フェリックス・ヴァロットン、あるいは氷の下の炎」から引用されたものだということです。画家を表現したキャッチフレーズ的な言い回しは著名になればなるほど、枕詞のようについて回るものですが、それが定着していなかったほど「知られざる」「知る人ぞ知る」画家だった表れのように思えます。このヴァロットン展は、日本初の回顧展で、グラン・パレ、ゴッホ美術館を巡回した後、日本で3か月にわたり大々的に開催されたもので、とても見応えがありました。出品数は小作品の版画が多い事もありますが、134点にものぼり、美しく柔らかい色彩の油彩画から、写真的で言うと黒潰れした画面構成が印象的な版画作品まで、そのバラエティーも素晴らしかったです。





まず油彩画。コントラストが少なく平坦で滑らか、対象を大きくとらえ背景を極力シンプルに表現したその人物画は、まるで雑誌のグラビアページのような印象です。 そして対象を真っ向から捉えつつも、微妙に真正面からの対峙を避けているかのようなその画家の視線があり、そこに言いようもない危うい雰囲気を漂わせています。画家はモデルやその場面に居合わせながらも、当事者になり切れないような何とも第3者的な傍観者、ただ観察している「場」から外れた者であるかのような心境を醸しています。 自分の描くその画面の中に(入って行こうとしても)入って行く事が出来ないような微妙な躊躇いが感じられます。妻や家族を顕した油彩画もそうですし、世の中の世相を描いた数々の版画作品にもそれは感じる事が出来ます。 それは、疎外感という子供じみたある意味拗ねた幼い感覚ではなく、もっと複雑で知性的であるような。 当事者意識や所属意識が持てない人。ヴァロットンにはそんな人の葛藤や苦悩を感じてしまうのは私だけではないような気がします。
思えば、こんなに画家の深層心理みたいなものが投影されている作品もあまりないような。決して心象風景を描いている画家ではなく、むしろどこに存在してもおかしくない場面や実際の社会現象をモチーフとした画家なのに、そこには必ず画家の心理が投影されているのです。 画面の中には必ず彼が存在しているかのようです。しかもそれはいつも第3者的な視線であり、その存在感とは別のところで画の中のストーリーは展開されていくのです。 不思議な空気があり、只ならぬ雰囲気が漂っています。この画家と画家を取り巻く世界の言いようもない距離感がヴァロットンの作品から滲み出ています。気持ちをざわつかせられるのです。シンプルで明瞭な線で描かれたその作風とは裏腹な、非常に複雑なその画家の心の機微を、観る人は知らず知らずのうちに感じ、ヴァロットンの心理(心情というには「情」を感じないので)へ無意識のうちに関心を抱きつつ、その作品を鑑賞しているのでしょう。少なくとも私はそう感じてしまいました。



        


そんな風に常にヴァロットンの冷ややかな視線を感じさせる作品群ですが、まとめて所蔵しているコレクターがほとんどいないので、まとまった作品として見られる機会は本当に少ないと言います。 大作の大きなサイズの油彩画から、新聞や本に掲載された小ぶりの版画まで、その題材とするものの目の付け処が斬新で、1世紀近く時を経た今でも決して古臭い感じがなく、そしてバラエティーに富んでいながら、一貫してブレがないその作品たちは最後まで見ていても飽きることがありませんでした。 中でも私を釘づけにしてしまったのは、版画のシリーズで、リッチなブルジョア達が密室の中で人目から隠れてこっそりと繰り広げる男女の密会の様子を描いた『アンティミテ』という版画。黒潰れしたベタ、諧調がない白と黒の強いコントラスト、「えっ!? そこを?」というような場面を切り取った斬新な構成、そして、偽善的で隠匿された上流社会を表現したその洗練された雰囲気。 ヴァロットンが冷ややかに嘲笑いながら題材として選んだそれらのスキャンダラスな密会の情景。 それらにもう魅せられてしまい、希少な油彩画とかも収録されていたので図録と散々迷った挙句、版画集を購入してしまいました。 観る度に刺激を受けます。

ヴァロットン展、もう会期は終了してしまったのですが、2014年のベスト3には確実に入る見応えのあるものでした。
http://mimt.jp/vallotton/top.php



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# by sanaegogo | 2014-09-20 00:00 | art | Comments(0)
One day, in Summer 2014 ― 夏の思い出―
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≪下田 奥石廊で見上げた夕焼け雲と月≫



とっても個人的な事なのですが・・・。この夏は穏やかでありながら、微熱のような静かなる高揚感を内に秘めて、足早に過ぎていきました。 ここ10日間ばかり、自分の撮影した写真を用いてムービーにまとめるのがマイブームで、そんな夏の集大成の思い出ムービーを作ってみたので、この夏の記念に、2014年の自分の中の足跡として、ここに残します。
そもそものアイディアはあったのです。2週間ほど前、ある写真家の写真集の講評会に参加したのですが、そこで講評してもらった写真本、その事についてはまた改めますが、それっを作っているうちに、『これは 本という形より スライドショーとかムービーの方がFitするかも。』という感じがしてきました。それで、その写真本の素材でムービーを作る前に、作業的試作版としてゆく夏の思い出を思い入れたっぷり(笑)に編集してみた訳です。



色々なところで折に触れて人に話したり、文章に残したりしているので、聞き覚えがあるかも知れませんが、この夏は地元や海や山や自然の中で過ごす事が多い夏でした。意識的にそうした事もあるし、自然の流れでそうなった感もあります。思えば以前はそうでした。以前と言っても大分昔の事になるのかも知れないけど、夏ともなれば車を飛ばし色々なところに出かけたものです。トレーニングや充分な準備が必要なガチなものではなかったのですが、その頃の夏は、今よりもたっぷりとした時間がありながらも、ゆるやかに、だけど急ぎ足で過ぎて行ってた気がします。今年は何となく原点回帰のような気分になっていて、その頃の自分が好きだったある種の感覚を取り戻したいという思いがありました。 とっても感覚的なものなのですが、ここ数年かかえていたもやもやとした閉塞感みたいなものとは縁のなかった頃の感覚です。 これは私が今年 0学でいうところの0地点だからなのかも知れないですね。なので、自分にとってはカタルシスのような側面をもったものに仕上がっているのかも知れません。
写真はその中にも出てくる 田牛(とうじ)の浜でサンドスキーに興じる若者たち。 そのはっちゃきな感じが微笑ましく、『若いなぁ・・・。』と、その姿を追いかけてみました。 今の心境は何となく、『これから自分は新しいステージに入って行くのかも知れない。』という、静かな高揚感を伴った予感があります。そして、私の予感は当たるのです。 9月24日の新月を迎え、再び何かが動き始める、そんな予感です。










盛り沢山すぎて 11分30秒にもなってしまいましたが、2014年夏の思い出の情景です。



http://youtu.be/3r2NFLVxHfQ



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# by sanaegogo | 2014-08-30 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
イメージメーカー展 @21_21 DESIGN SIGHT



先日 21_21で行われていた企画展 「イメージメーカー展」のレポートです。 随分とバックデートになってしまって、もう会期はとうに過ぎてしまったのですが、切り口というか目の付け処が如何にも21_21らしくて、面白かったです。

企画展「イメージメーカー展」
2014年7月4日(金)― 10月5日(日)
展覧会ディレクター: エレーヌ・ケルマシュター
参加作家: ジャン=ポール・グード、三宅 純、ロバート・ウィルソン、デヴィッド・リンチ、舘鼻則孝、フォトグラファーハル
http://www.2121designsight.jp/program/image_makers/



私はデヴィッド・リンチのリトグラフが楽しみで出かけたのですが、イメージとファンタジーの世界を巧みに創りだしている様々な分野のアーティスト、クリエイターが、それぞれの分野で「イメージメーカー」としてのその世界観を共演しています。 キュレーターに日本文化に精通しているというエレーヌ・ケルマシュターを迎え、彼女がチョイスした国内外のアーティストの意外なバラエティーがまず面白い。映画、デザイン、広告、モード、舞台、音楽など、展覧会に出品した精鋭のフィールドは多岐に渡り、作品として制作したもののみならず、舘鼻則孝氏の手によるエキセントリックな靴(これは言うなれば日用品!)などもケルマシュターの触手に捉えられています。これこそまさに 日常と非現実の世界との境目のない超越したものづくりのアイディアの産物の最たるものではないでしょうか。



さて、どんな展示だったかというと。 まず、デヴィッド・リンチ。 リトグラフの作品が多く展示されていて、まとまったのを見るのはヒカリエで2012年6月に行われていたリンチ展につづいて2回目だったのですが、リンチの若干狂気じみていてそれでいて 茶目っ気がありユーモラスな思考の断片を取り出したようなリトグラフの数々はやっぱり面白い。 体の一部にフォーカスしてクローズアップしたり、その時の思考が文字になって浮遊したり、肢体を機械であるかのようにあらわしたり、リンチムード満載で、ちょっとだけおどろおどろしい感じだけど、コミカルな場面の羅列はリンチ独特の思考回路の中に迷い込んでしまった気分がします。










あえて B級っぽい感じが 如何にもリンチ的です。


この展覧会で初めて知ったのですが、ジャン=ポール・グードというアーティスト。1970年代から広告イメージのクリエーター、イラストレーター、デザイナー、そしてクロスジャンルの美しくも摩訶不思議なハイブリッドな作品を手掛けてきたアーティストです。この人の作品がどれもこれも一級品という感じで圧巻でした。 それは偏に彼が女神と仰ぐ3人のアイコン的モデルの一人グレース・ジョーンズの野性味を帯びたパンチの効いたインパクトによるものに他ならないのですが、パリの地下鉄内のデパート広告を何台もののモニターを繋げてホームに滑り込む電車からの視点を追うように再現された ヴィデオ・インスタレーションの作品に目を奪われました。 セットアップなのか スナップなのか 両者の境目が判らない細部まで緻密に創り上げられた選りすぐりの偶然が連なる世界。そんな感じです。 素晴らしくてそして人の眼を逸らさない「ひき(惹き)」がありました。これは、知らなかっただけに いいものを観せてもらいました。




(全くの余談ですが、私がグレース・ジョーンズを初めてみたのが映画のコナンの中で。(写真) 映画に出てくるオトナの女性と言えば、ふくよかな胸の膨らみがあって当然と思っていた子供の私に、あの中性的で動物的な伸びやかなボディラインは強烈なインパクトを持って記憶に残っていました。)



あとは、やっぱり舘鼻氏でしょうか。あの非現実というか、超現実なフォルムの靴たちが展示されていて、しかも順路の最後では実際にその靴を履いてみる事が出来るという企画には驚きました! ただし、ただ単に突飛な奇を衒ったデザインではなく、エンジニアリング的にもきちんと計算された理にかなったフォルムであり、近未来的なデザインでありながら、それは古き良き時代の日本の花魁の履く道中下駄に着想していると言う事です。 ここにもまた舘鼻氏の独特な視点が介在しているのです。 あと、いかにも21_21らしい選出の顕れだと思います。 靴は実用品なので、鑑賞するアート作品とは違います。 その境目はある時はとても曖昧になってしまいますが、靴が日常で使うある意味道具なのだから、これは紛れもないデザインで、それを展示作品としているのが、やはりDesign Sightたる証ともなっています。 (しかし、この靴を「実用」しているのは レディ・ガガくらいでしょうけど。)






他にも色々ありましたが、やはり特筆するのはこの3名でしょう。しかしながら、出品した6名のアーティスト/デザイナー/クリエイターに共通して言えるのが、このイメージメーカー展の中に見るそれぞれの独自のものの捉え方、ものをみる視点です。 「ものをみる」=「イメージ」、それぞれの視点というフィルターを通って創りだされたオリジナリティとバラエティ溢れる作品の競演。イメージメーカーたちの視線の先にあるものが具体化された、彼らのイメージの中にあるものが現実の世界で実物として一堂に会したような空間に出来上がっていて、その非現実感が非常に面白かったです。

最後に。 珍しく一部を除いては殆どが写真撮影OKの企画展で、コンテンポラリーを題材にした企画展として、これは大いに評価出来るのではないでしょうか。


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# by sanaegogo | 2014-08-24 00:00 | art | Comments(0)
バルテュス 最後の写真 ―密室の対話
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上野の西洋美術館でバルテュスを目撃したのは、5月の事でしたが、その時から楽しみにしていたこの三菱一号館でのポラロイドの展示です。老齢で手が利かなくなってしまい、下絵作業での仔細な描線を描くのが困難になったバルテュスが用いていたのがポラロイドで、その自分の頭の中にあるイメージを精巧に再現し確認するために何枚も何枚も撮影されたものが、三菱一号館の展示室ではなく、資料室で展示されています。 まず、その展示室の小ささ。 今回の展示はバルテュスの作品というのではなく、制作のための資料という位置づけの展示なので、この小さな資料室で展示されているという事が、何だかバルテュス自身の秘められた内側の部分を顕しているようで、私自身は、作者が公開することを望んだか望んでいないか(没しているので確認しようがないけど)は別として、この小さな部屋は、生前は密やかに匿われていたであろう彼の秘匿のようなものを こっそりと観るに相応しい気がしています。




この企画自体はニューヨークのガゴシアン・ギャラリーで写真展として開催されたものを日本に持ってきたもので、ガゴシアンではポラロイドはマッティングをして額装されていたみたいです。 そうなると、この多数のポラロイドの見え方も全然違ったものになるのかも知れないですね。 どちらがどうとは言えないですが、この建物の横の小さな出入り口から入る裏の小さな資料室での展示の方が、このポラロイドを撮影した時のバルテュスの心情により寄っているような気がします。 実際この撮影も、グランシャレのroom107で、幼いモデルと二人っきりで密やかに行われていたようです。




展示の方法もそうですが、観る人によって感じ方が違うであろう展覧会もないように思います。女性ならば、自分の経験を顧みて、まだ固く成長の痛みを伴いながら変化しているであろう幼い胸をさらけ出す少女に何か複雑で不安で危うい思いを感じとるだろうし、男性は、この後、彼女が遂げていく女性としての劇的な変貌の兆しを見て、そこに神秘的なものすら感じられるのかも知れません。(実際ショーケースの中のモデル アンナ・ワーリーは 確実に成長して行っています。) 母親ならあまり賛成は出来ないような光景を目の当たりにしているのかも知れないし、父親ならその娘の勇気を誇らしげに思うのかも知れません。展示室にはひとりもいませんでしたが同年代の少女は? 同じようにモデルに対峙して画を描いたり写真を撮影したりするアーティストは? モデルのポーズを確認するためだけのこれら膨大なポラロイドなのですが、その先に派生していく感じ方や捉え方は多種多様で、それもまたバルテュスのunavoidableな一面を顕しているかのようです。

注目すべきはその「シツコさ」です。何枚も何枚も微妙に位置を変える手や首の角度、ガウンのはだけ具合、などなど。 バルテュスが一枚の画の中の微妙なバランスに拘り、納得のいくまで(だったのかは知る由もないですが)執拗にポーズを求める様子が展開されています。手の自由を奪われた画家の鬼気迫る制作態度と言ったところでしょうが、不思議と全体の流れは静かに粛々とした印象を受けます。 頭に大きな白い布を巻き、顔を隠すようなポーズの写真もありましたが、このシリーズは何だか倒錯めいていて、一言では言い表しがたい世界観を醸し出していました。アンナ・ワーリーは、8歳から16歳まで(1992年~2000年) バルテュスのモデルを務め、イマジネーションを与え続けました。 他の誰もが得難い特別な体験をしたのだと思います。 画家が自分の描く対象を鋭く静かに観察する眼に晒されて、最初はとても緊張したと語っていて、バルテュスも緊張していたそうです。その緊張感がポラロイドを通してこちらにも伝わって来るようです。 実際にモデルを務めた人物の語る生の言葉をテキストとして読み、展示を観ることが出来るのも、同時代に生きていた作家(しかも巨匠)ならではの事で、彼女のテキストがこの展示に一層厚みとリアリティを与えています。テキストの中でアンナ・ワーリーは自分とバルテュスの事を「共犯者」と表しています。 モデル アンナ・ワーリーから見たバルテュスとのその関係性の表現が、まるでこの展示そのものがバルテュスのひとつの作品であるかのような ドラマチックなものにしています。 上野の東京都美術館で「バルテュス展」を観た方は こちらにも足を運ぶことを強くお勧めします。


「バルテュス 最後の写真 ―密室の対話」展
The Last Studies ; Balthus in Tokyo
2014年6月7日(土) ~ 9月7日(日)
三菱一号館美術館 (歴史資料館)
http://mimt.jp/balthus/




こちらは、ガゴシアンギャラリーのもの。



GAGOSIAN GALLERY
BALTHUS
THE LAST STUDIES
SEPTEMBER 26, 2013 – JANUARY 18, 2014
http://www.gagosian.com/exhibitions/balthus--september-26-2013



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# by sanaegogo | 2014-07-26 00:00 | art | Comments(0)
白州の森で 夏の休日 ―その2―


よその家の子供ですが、はしゃいでる様子が可愛かったので。
楽しそうな夏休み。 宿題の絵日記に描くんでしょうね!



あっという間の白州滞在の今日は最終日。 山の清々しい空気と緑の盛りを満喫して、今日の夕方には休日と日常を繋ぐ中央道で帰ります。日常、と言えば、今回痛切に自分の日常を反省したことがありました。 3日目の朝、ぐっすりと良い眠りを得て鳥の声ならぬ子供たちのはしゃぎ声で自然と目が覚めました。 歳の離れた上の兄弟がいるせいか、子供の頃から夜更かしで、それは今でも変わらずその生活サイクルな私は、休日に目覚ましなしで8時台に目が覚めること自体、とっても充実感というか自分を誉めてあげたいような気分になっていたのですが、身支度を整えて階下に降りていくと子供たちの「遅いよーっ!!」のブーイングの声。 朝早く目覚め既に朝の散歩とひと暴れを済ませていた子供たちは、お腹が空いてたまらなかったようなのですが、私の起きるのを待っていた(のかな?)ようで、相対的自堕落ぶりに叱られてしまいました。自分の中に絶対的自律はあったのですが・・・・。 思えば有紀ちゃんもびしょ濡れおじさんも人の親になり、激務に明け暮れていた頃も知っているし(おじさんは今でも少しそうみたいですが)、私もそうだったし、連日遅くまで飲み明かすような生活の頃もあったのを知っています。でも、今では朝の陽ざしが似合う素敵な大人に変貌していて、相変わらず予定のない休日は午前中いっぱい眠り1週間の疲れをとるような私の今の生活をちょっと恥ずかしくも思いました。 そして有紀ちゃんが用意してくれた朝食を食べながら何だかんだと話していると、9時にワタシの携帯が鳴り・・・。 「早苗さん、まさか目覚まし?」 有紀ちゃんはどうしてこう鋭いのでしょうか。 その通り! しかも出かけた日にセットした目覚ましなので、休みの日のセット時間にしてはかなり早い時間。 「えっ?」(しどろもどろ) 「土曜日の朝に鳴るようにセットしたままで。ほら、車運転するからしっかり寝ないと・・・・」と何故か言い訳。 自分の生活ぶりを少し反省し、私も朝の陽ざしを浴びられるようにならないとなぁ、とここ数年では珍しく生活態度について真摯に考えました。 有紀ちゃんのお手製の人参のポタージュは、ちょっぴりしょげた私の気持ちに甘―く沁みわたっていきました。
しかし、あまり深刻にならないのも私の良い特徴である事も間違いありません。朝ごはんを済ませて、いざっ!、川遊びに向かいます!!






尾白川の清流。 上流には砂防堰が出来ていて川の流れは大分穏やかです。 遠くに雲を抱いて見えているのは、位置関係からすると甲斐駒ヶ岳、かな? 山の天気は変わりやすいと言うけれど、ここはこんなに晴れているのに、山にはあんなに雲があります。 またひと雨来るんでしょうかね。






水はこんなにも澄んでいます。 何もない砂地のようですが、これでも川の流れの淀みです。物凄く透明なので、まるで水面ではないように見えます。 細かく黒いつぶつぶはオタマジャクシ。 ものすごい数のオタマジャクシが生まれていました。 これがみんな蛙になるのかと思うと、ちょっと想像できない感じではないですか?





尾白川は、本当に「清流」というに相応しいほど澄みわたっていました。陽の光に水面がキラキラと輝き、景色を川面に映し出すような曇りが全くないので、陽の光は水流の動きがあるところでは反射しますが、ほとんどの光は川底まで到達してそこにある小石や砂を表情豊かに見せてくれています。 猫の眼のように表情を変える水の流れは本当に飽きることなく、何枚も何枚もその輝く様子を捉えておきたくなります。















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川の流れる音や、マイナスイオンにたっぷりと癒されて、そろそろ帰る時間が近づいてきました。 お昼をどこかで食べて家路に着く時間です。今日は本当によく晴れて、楽しい夏休み日和でした。もう少しいたいなぁ、と名残惜しさを残しつつ、尾白川を後にしました。



さて、お昼を食べようと立ち寄ったカレー屋さん(結局ここはランチの時間が終了していて入れなかったのですが・・・・)の横の野原で見た何ともメルヘンチックな光景。 きのこの森。 青々とした下草の野原にキノコがいかにもキノコらしく、にょきにょきとたくさん生えてました。 こんなの見たの初めて! 赤いトンガリ帽子を被った小人が居ても全く不思議じゃない光景です。















結局お昼は甲州街道の近くの台ヶ原宿にある古民家を改装したお食事処で食べて、子供たちは川遊びの疲れで少しお眠りモード。食事を終えて、いよいよ帰宅です。 暗くなる前に家に着きたいな、と思って3時頃に台ケ原宿を出発。都内へ帰る車ほど渋滞ポイントはなかったけれどやっぱり3連休最終日の中央道は少しのろのろ運転で、結局家に着いたのは夜の8時頃でした。





暮れ始める山並みを眺めながら。車のブレーキランプが示す通り、走行中ではなくて、渋滞でちょっと止まってた時です。

久しぶりのロングドライブ。 久しぶりの山間の空気。 久しぶりのBBQ。久しぶりの川遊び。そして、久しぶりの有紀ちゃんとの再会。 どれもこれも楽しかったです。 今年はいい夏になりそうです。

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# by sanaegogo | 2014-07-21 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
白州の森で 夏の休日 ―その1―
夏休みらしい休日を過ごしに、出かけてきました。 山梨県北杜市の白州です。 ここは、サントリーのウイスキー『白州』で有名なところなのですが、ウイスキーを作るのに適した山で磨かれた水は、知らなかったのですが、同じサントリーの『南アルプス天然水』としてこの地でボトリングもされています。有紀ちゃんが田舎暮らしを始めてもうどのくらいになるのか。自分の時系列もあまり解らなくなってきた今日この頃。 あまり正確には思い出せないのですが、すっかり地域に根をおろして色々と楽しそうに工夫をして住みなしています。 山や川を満喫できるように、日帰りじゃなくてお泊りで来てみたいなー、と予てから思っていたのですが、やっと念願が叶いました。

前回訪ねた時は中央本線の電車の旅。 でも茅ヶ崎の我が家からは、実は車で行った方が便が良くて、一度自分で運転して訪ねてみたかったのです。 車で遠出をするのが好きで、(かなりの)以前はいろいろ出かけたものですが、いつの頃からか新幹線や特急列車で景色をみたり、居眠りをしたり、時には呑みながら出かける事の方が多くなり。なので、個人的なことですが、自分自身が今までとは違ったサイクルに変化しようとしている予感がする今この時に、またこうして以前のように愛車を飛ばして遠出に出かけて行くことが嬉しくもあったりしています。 違ったサイクルといっても、もし人が大きな周期で、とあるサイクルを繰り返すのだとしたら、ある時期の楽しかったころに戻って行ったり、そんな時を取り戻せるのだとしたら、それはそれでわくわくするような気持ちにもなります。 ゆったりと新幹線の指定席で出かけて行って、足りないものや忘れ物は現地で買えばいいや、と思っていた自分か、車にありったけの荷物を積んで、自分で運転して出かけて行く自分か、どちらが私に合っているスタイルなのか、自分ではっきりとは解らないのですが、今回の遠出がとても楽しかったというのが素直な感触です。

さて、遠くに日本アルプスの山々を臨みながら、アップダウンの多い曲がりくねった中央道をひた走り、須玉で高速を降りて、車は北杜の市街へ入っていきます。 近くには小淵沢とかもあって、ちょっとした高原の気分を味わう事が出来ます。 空気がとっても気持ち良い! 山が近い! 着いた日は一緒にお世話になる驚異の雨男、通称『びしょ濡れおじさん』のおかげで、ワタシがお宅に着いて程なくした頃、にわかに空は掻き曇り、お約束の雨。 この日は取敢えず運転疲れを癒すべく、夜の酒宴に向けてひとりワインの買い出しに出かけました。




ご近所のワイナリー、シャルマンワインのワイナリーへ。 ここ北杜市は甲府に劣らずワイナリーがたくさんあるようで、その中で一番近所のシャルマンワイン。
シャルマンワイン: http://www.charmant-wine.com/





さっきまで快晴だったのに、これだもの。 八ヶ岳方面には 厚い雲が垂れ込めちゃってます。(びしょ濡れおじさんは 寝床の設営中)





FBにもアップしましたが、シャルマンワイナリーのイチオシがこれ、『白須』。 正式には、シャトーシャルマンカベルネフラン白須 2009年 だそうで、『柔らかく繊細、穏やかなタンニンとふくよかな味わいがバランス良く調和したワイン。抜栓してから少しづつ開いてくる華やかな香りをお楽しみ下さい。やわらかなシブ味ですので、洋食、和食を問わず、料理に合わせやすいワインです。』の事でしたが、なるほど、パンチが足りないと感じたのは、当たり前なのでしょうか。 よく見たら『1時間前に抜栓して室温(20℃)で飲むことをおすすめします。』だって。 これをやらなかったらだったのか!





次の日は、白州の蒸留所へ見学に。 森の中に醸造所があるのは世界でも(?)珍しいらしく、森の成分がウイスキーに沁みこんでいって醸造されるとのこと。 人間が浴びても心地よい森の成分。 フィトンチッドとかかしら? ウイスキーも心地よく精製されていっているのでしょう。 蒸留所の奥に広がる森はいかにも気持ちよさそうでした。





樽を寝かしてあるところは、むせる様なウイスキーの香りで、まるで自分がウイスキー漬けになったかのようでした。 私には嫌いな香りではなかったのですが、この空気だけで酔っぱらってしまう人もいるそうです。





思わず自分の生まれ年の樽を探したのですが、ワインじゃあるまいし、樽のままここにある訳もなく・・・。 完全にヴィンテージなワタシです。





工場見学の後の試飲会では、今日は運転をしないのをよい事に、午前中からハイボールをくぴりくぴりと。 とっても爽やかで喉越しもよく、外気で汗ばみ熱くなってしまった体に沁み渡っていく感じ。 久しぶりに美味しいハイボールを呑みました。 でも、その後の事が心配になったので、2杯目はなっちゃんにしました。 ははは。



川が見たい! と言う子供たちを連れてそのまま尾白川渓谷へ。 尾白川は名水百選に選ばれているそうですが、奥の方まで進むときれいな滝がたくさんあったみたい。 今度来た時は滝のマイナスイオンを浴びに奥の方まで分け入ってみたいものです。 尾白川(おじらがわ)は、古来、白州の山中に白黒で尾が白い神馬が住み、その霊験は白黒(善悪)を明らかにし、人界を律すると伝えられていて、その神馬が住む霊境を源とする川でなので、尾白川と呼ばれるようになったそうです。



ハイキングコースの入り口、甲斐 駒ケ岳神社(竹宇駒ヶ岳神社前宮)。 須佐之男命の子、大己貴命が祀られているそうです。須佐之男命は何をした神様だっけ?確か物凄い暴れん坊だったような記憶がありますが。





登山道へと続く吊り橋。 (吊り橋の場面はなかったと思うけど) 何だか ”Stand by me”な感じ。 往復してみましたが、なかなかスリリングでした。紅葉の時期とか良さそうです。 うーん。それもいいな。




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本当に夏休みらしい風景。 川の水の透明度は素晴らしいですね。 そして見るからに冷たそう。 アルプスの雪解け水です。 今回一番好きな1枚です。これが ワタシが見たかった風景かも。



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この後、有紀宅に帰って自家栽培の野菜とお肉でBBQ。
しかし、何で写真撮ってないんだろ。
午前中のハイボールで まったりちゃったみたい。
あ、それとも、この時もびしょ濡れおじさんのパワハラで BBQ中もひと雨。
お肉や炭を慌てて屋根の下に。 そんなこんなで機会を逸したかな。
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ワイン、ウイスキー、と来れば、最後の〆はやはり、日本酒でしょう。 水の綺麗な土地柄に相応しく、ここにもありますよ、酒蔵が、地酒が。 甲州街道からちょっと入った宿場町の風情が残る一角にある酒の王者「七賢」さんです。

名水を醸じて300年 七賢:
http://www.sake-shichiken.co.jp/concept.html

七賢の由来は、中国の「竹林の七賢人」という、晋朝の時代に俗世を 離れ、酒を好み竹林に清遊していたという七人の賢人のことだそうです。天保六年に信州高遠城主内藤駿河守より欄間(ふすまの上などにある木彫りの仕切り飾り)を貰い受けた事が由来なのだそうです。






店構えはこんな感じ。




造り酒屋の軒先に杉玉が吊られるのは新酒が出来たしるし。「搾りを始めました」という意味なんだそうです。吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているけど、そのうちにやがて枯れて茶色がかってきて、この色の変化が新酒の熟成の具合を物語る目安でもあるのだそうです。七賢さんの杉玉も枯れていい感じの渋さを醸し出してました。



今日では、酒屋の看板のように受け取られがちですが、元々は酒の神様に感謝を捧げるものだったそうです。






有紀ちゃんが運転してくれいるので、ワタシは心置きなく生酒を試飲。 すきっとしてて呑みやすい。 美味しい美味しいお酒でありました。



この日の最後は、金精軒。 水信玄餅が有名なところなのですが、大人気で遠方から来る人が求めて帰るので、すぐに売り切れてしまうそうです。 私はお土産に胡桃信玄餅をお買い求め。
金精軒: http://kinseiken.co.jp/





何でも信玄餅は、桔梗屋信玄餅ではなく、こちらの方が本舗だということ。桔梗屋のは胡桃入りのを食べたことがなかったから、目新しい感じでいただきました!

・・・・とぶらぶら散歩風に綴ってきましたが、白州の自然と歴史と名物、たっぷり堪能いたしましたよ!


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# by sanaegogo | 2014-07-20 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
Ireland Trip ― Bookletが出来ました
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アイルランドにあるアラン諸島、そのうちのひとつイニシュモア島に旅したのはもう昨年(2013年)の夏の事ですが、ブログでの記事は今でも1日数件は何処かのどなたかに読んでいただいているようで、数件の訪問があります。 私にしては息の長いロングランです。 その旅行記をまとめたブックレットがやっと完成しました! と言ってもブログをそのまま冊子の形にレイアウトし直したもので、ブログのテキストに添えて選んだ解りやすい写真ばかりなので、自分の中でフォトブックという位置づけではありません。 あくまでも読み物。なので、表紙なども合わせて、なんと! 80ページにもなってしまったのですが、ブログの時と違って、写真の大きさなどにメリハリをつけて、ちょっと違った見え方になるようにはしています。 綴じ方もウェブを読んでいるようなイメージで見られるよう縦開き(短辺綴じ)にしてみました。これは自分でもなかなか気に入っています。 インデザインとか、編集ソフトも持っていないので、80ページの面付けをパワーポイントで自分で並べ替えてやったのですが、これがなかなかチャレンジングな作業でした・・・・。 そんなこんなで、内容とはまた違ったところに妙な達成感があったりします。(笑)
今まで自分なりに色々なところに旅に出てきましたが、私自身は決して Frequent Flyerとかではなく、2年に1度行くくらいのペースなのですが、行きたいdestinationが偏っているので、密度の濃い旅が出来ているのは幸せです。 今まではウェブの自分のページにアップしているくらいだったのですが、今回はふと思い立ち、ブックレットにまとめてみようと思い・・・・。さらには出来上がったらBook246に持ち込んで見てもらおう!と目論んでいたのですが、閉店のタイミングまでに完成が間に合わなかったのが悔やまれるのみです。 今、アイルランド編が完成しましたが、このシリーズでアルゼンチン編やバルセロナ編も作りたいと思っています。
ここでこの旅をブックレットの形にしたのは、それまでしてきた自分なりの旅を振り返る意味もあるし、ここ数年での自分の環境や意識の変化に伴って、次はどこに行けるのだろうか、というソコハカとない不安な気持ちがある事も否めません。 そういう意味でもある意味分岐点であったような アイルランドへの旅だったと感じています。それまで自分といものを築き上げてきた、その余波というか、残暑みたいな熱い気持ちでアイルランドへ出かけて行きました。 でも、これからはそれまでの自分とは違った領域に足を踏み入れつつあるような気がして、言わば、一から出直し的な状況でもあるので、年齢的にも経済的にも社会人としても、次の旅は、それまでの自分の蓄えてきたもの(金銭的なものと言う意味だけではなく)に頼った気持ちの旅ではないような気がするのです。これが「心境の変化」と言うものなのでしょうか。 だから、次は何を求めてどこに行くのか、今はまだ解りませんが、ここに心境の変化というものがあったのか、なかったのか、それを確かめる意味でもこのブックレットは必要だったような気がします。
と、まあ、珍しく心境を語りましたが、そんなに生々しいものでもないので、お気になさらず、と言ったところです。
「Ireland Trip」の完成を記念して今日ここに記します!!























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# by sanaegogo | 2014-07-14 00:00 | activity | Comments(0)
study / copy / print | Go Itami
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伊丹豪さんの「study」に続く「consideration (考察)」とも言える写真展「study / copy / print」が中目黒でやっていると言うので観に行きました。「study」とはまた違ったアプローチで、そして、ご本人の「展示されている実物の写真を観てほしい」と言うコメントの通り、これは展示されている画像を観て初めて、伊丹さんの真意が伝わるといった意味を持ったものでした。(何となく、『写真(photo)』と言うよりも『画像(image)』と言う表現を使った方が相応しいと思ったのでそう表現しています。) 心象というよりは現象を作品化する伊丹さんですが、今回はその様相が色濃く出ていて、実験的な試みも作品の中に取り入れられているようです。ご本人も『写真というメディアの中で自己完結させるのではなく、他者の力を借りてこの接近を推し進めてみたい』と語っているように、グラフィックデザイナーにご自身の作品を委ね、拡散や凝縮、再構成や分解などを施し生まれてくる新しいセグメントを導き出そうとしています。 展示の構成は大きくはふたつのテーマに即していましたが、そのひとつがこれ。 もうひとつは、伊丹さん自身の発見から実験し、自分で確認するというもの。自分の作品の次の段階の変容を示す2方向からの試みなのだと思いますが、私自身は後者、つまり、伊丹さん自身の実験→確認のプロセスを経た作品の方が断然印象に残りました。 そこにはその意外な変容を驚きをもって迎える伊丹さんのエキサイトメントみたいなものが感じられたからです。 こちらの方が楽しかったし、自分自身も驚きをもってその作品と向かい合ったからです。





この 黄色のような金色のような粒子は、プリンターの操作ミスから生まれた、とある作品の一部分だそうですが、失敗によってある部分が失われてある部分が生成されているのだそうです。 もともとは樹木の葉の茂った部分なのですが、これまでの作品のように 写実を極めて抽象化されていく、というパラドックスの極みのような気がして、それがついに分子や原子のレベルまで行ってしまったような印象を受けました。 勿論、先にも述べたように、これは意図的になされたものではないのですが、画像の一部分が拡散されて、そのまた一部分が凝縮して見えて、ひとつの作品の中のこの矛盾みたいなものが、伊丹さんの作品らしい、と思えるのです。 最初は、何か着色した細かい砂みたいなものをスキャナーの上にぶちまけて撮影したのかな、と思って観ていたのですが、キャンパス地に出力したこともあって、布地のテクスチャーの力を借りてひとつひとつの粒が立体的にも見えてくるのです。 もっとよく見ると黄色味を帯びた粒のそれぞれに微妙に様々な色彩のバラエティーがあって、それが出力の網点のレベルまで細かくなって、その粒のひとつひとつもそれぞれ更にイエロー、シアン、マゼンタなどの細かいドットに落とし込まれていくと思うと何だかぞくぞくしました。 世の中は、分子や原子や素粒子などで出来ている。 当たり前の事ですが、樹木の一部を写した画像からそんな事まで想像が膨らんでしまいしまた。





唐突にガーナチョコレートですが。 この作品はドイツの画家であり写真家でもあるジグマー・ポルケへのオマージュだそうです。 絵画を写真的にアプローチするとどのような変化が起こるのか、それを確認したくて試みたものだそうです。 バックのストライプはネットから拾ってきた画素数の足りないウェブ素材でそれを大伸ばしにして対象を接写したところ、絵画ではあり得ない無数のごみや塵が映り込んでしまい、これこそが写真であることの意味だ、と伊丹さんは感じたそうです。 なるほど、写真はある意味、作意を超えて勝手に全ての事実を捕えてしまうという一面があります。 (もちろん、そうでない一面もありますが。) この作品はとても複雑で、色々考えていると矛盾だらけでまるで禅問答のようです。 (確か前には『哲学的』と言う言葉を使いました。) 拡大したもの(ストライプ)の上に凝縮されたもの(ガーナチョコや埃、塵)が乗っていて、平面に立体感を感じる部分もあるし、ある部分では立体感は完全に失われてレイヤーのような構成にも見えます。 さほど厚みのないはずの無造作に千切られた外箱の切り口には、もさっとした紙の繊維の確かな重なり(厚み)と僅かにしろ質量のある感じが見て取れます。背景のストライプは平面の、しかもバーチャルな世界の代物のはずなのに、粗い画像にありがちなエッジのもっこりとした感じは、現実にはどこに存在するのかすら判らない立体感を生み出しています。 写真は『真実(実体)を写す』という意味のはずなのに、これは本当に実体なのだろうか、という不思議であり得ない疑問が湧いてきます。 ここに伊丹さんが語っていた『展示されている実物の写真を観てほしい』という言葉の真意を感じました。ネットの画像を観るだけでは知りえない様々なとりとめのない気づきがそこにはあるのです。 仮想の世界から来たもの(ストライプ)を物理的に実体化(紙に出力)して、そこに別の実体(ガーナチョコ)を置いてまた仮想の世界(デジタル画像)に閉じ込めて、それごと全て物理的に実体化(大きく伸ばして作品化)するとそこには仮想の世界のような見え方と映り込んでしまった実体が混在して・・・・。説明できないほどの矛盾を孕んだ作品ではありますが、この作品を漠然としたもので終わらせていないのは、伊丹さんの弛まぬ探究する姿勢とそのプロセスなのだと思います。
この作品などは特にそうだと思うのですが、伊丹さんは、撮った画像に(良い意味で)無駄な思い入れがないように見えます。カメラという機械のファンクションが伊丹さんの眼の機能まで連続して繋がっていて 既に自分自身がカメラのファンクションの一部になってしまっているかのようです。無駄な思い入れがないから、その画像を客観的に見ることが出来て そこに再び何かの発見があるのでしょうね。心象風景を思い入れたっぷりに撮影するのとは全く異なった世界観です。
若干、言葉の上での捏ね繰り回しが過ぎたような気もしますが、言葉の定義を意識しながら表すのはとても難しいものです。 「写真」と言うものも然り。東急ハンズで買ってきたラッピングペーパーを作品に見立てたものもありましたが、撮影をする人だけが写真家というのではない段階に入って来た、というのはここ最近本当に色々なところで取り沙汰されています。 また、写真表現のすそ野が広がってカメラで撮影するだけが写真ではない、とも言われています。『写真とは何なのか』、『写真家とは何者なのか』 伊丹さんは、その定義を模索して行く探求の旅の最中にあるのだ、とひしひしと感じた今回の展示でした。

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study / copy / print
HAPPA / sakumotto
2014年05月30日(金)- 2014年06月14日(土)
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# by sanaegogo | 2014-06-14 00:00 | art | Comments(0)
目撃してしまった!! バルテュス
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バルテュス展
2013.4.19 sat - 6.22 sun 東京都美術館
http://balthus2014.jp/

ついに! バルテュスを観てきました。”ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)” とは、もはや本展のキャッチフレーズとして定着しつつありますが、どちらかと言うと素人よりは玄人ウケするその作風で、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と云わしめたことは『流石バルテュス』とも言えるし、一方では、ピカソのお墨付きを得て初めて素人にも『そうなんだ』と認識され、後押しされた一面も大いにあるのではないでしょうか。 それは偏に≪ギターレッスン≫(1933)に現されるように、何ともコメントしづらいモチーフを描き続けていた事にあるのですが、ご存じの通り、バルテュスは少女のあられもない姿を「この上なく完璧な美の象徴」として、センセーショナルな数々の作品を残していますが、実にコメントしづらいものがあります。それなりに理解しようとその作品が生み出された意義や意味を探ろうと試みる人もいるでしょうし、『これではまるで少女ポルノだ!』と嫌悪感や拒否反応を示す人もいるかと思います。 そして往々にして、前者は芸術と言うものに理解がある芸術家や目利き、画商といった玄人で、後者は、『(キュビズム時代の)ピカソみたいな画だったら自分にも描ける』と言い放つ素人もしくは一般人なのだと思われます。 どちらの感じ方も否定できないと思うし、その喧々諤々の論議を経てもなお、打ち捨てられる事無く、こうして回顧展が開かれるまでにリスペクトされてきたというのは、やはり『バルテュスはすごい』という証明なのだと思います。 擁護する芸術家はだしのバルテュス・ファンはさて置いて、それがとるに足らないもので、人々にある種の嫌悪感を抱かせるだけのようなものであれば、自ずと葬り去られてしまうと思うんですよね。 でも何故か眼を逸らす事が出来ず気になってしまう。 そして、批判や酷評を浴びせつつも無視はできないし、忘れることもできない。それがバルテュス作品の確固たる存在感などだと思います。 しかしながら、先の≪ギターレッスン≫や《街路》は、1934年に開かれた個展での出品作ですが、この個展は生活に行き詰ったバルテュスが話題作りのために意図的に挑発的な作品を描いたと言われていて、現代で言うと落ち目の女優が話題作りのためにグラビア誌でヌードになっちゃうみたいな、俗人的な意図もあったようです。




《 ギターレッスン 》 1933年




《 街路 》 1933年



こうしてバルテュスは狭い屋根裏部屋のフュルスタンベール通りのアトリエを離れ、クール・ド・ロアンで人間不信から隠遁生活を送ります。この頃の代表作が、そう、かの《 夢見るテレーズ 》(1938) です。隣の住人の娘テレーズ・ブランシャールで、バルテュスにとって最初の少女のモデルです。これは圧巻でした。




《 夢見るテレーズ 》 1938年




完璧な膝頭です。実に完璧な膝です。この膝を見るにつけ、バルテュスの画人としての技量がひしひしと伝わってきます。手を頭の上で組むこのポーズは女性の色気というか男の人を誘うような雰囲気の象徴のように用いられていますが、すらっと伸びやかな足はまだ少年のようでもあり中性的です。 そこから覗き見える下着が、見るからにだぶっとした子供の履くパンツのようで、微笑ましくもあり、そのアンバランスさが大人への過渡期を表しているような気がします。自分自身にとっても、やはりこの画が一番印象深く、傑作と呼ばれるに相応しいと思います。もうひとつ、ワタシが好きな作品、レストランの壁画として描いたというネコの画(1949)も、この頃の作品だそうです。




《 地中海の猫 》 1949年



十数年ここで暮らした後、バルテュスはさらに引き籠った暮らしを求めて、パリの田舎へ移り住みます。(1953) シャシー村にある古城です。ここで血縁のない姪(兄の妻の連れ子)と2人きりの現実逃避とも言えるような生活を送るのですが、それがフレデリックです。 最初は絵心を刺激されてモデルとして一緒に暮らしていたのですが、やがて恋愛関係に陥るようになります。常識的に考えると兄夫婦はそれをどのように受け留めていたのか、と邪推してしまうのですが、そんな事とは別に、この頃のバルテュスの画は柔らかで穏やかな筆致で、心身ともにとても充足して満ち足りた暮らしの中にいたんだろうなー、と察することが出来ます。なんだか、とても『光源氏』的でもあります。




《 樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭) 》1960年

この頃のバルテュスの画風はゆったりと牧歌的であり 心の安定と充実感が滲み出ています。 色を細かく何層も重ねたフラスコ画のような雰囲気がとても美しいです。


バルテュスは、突然にその安穏とした生活に終止符を打ち、ローマへ旅立ちます。ルネサンス以来の古典芸術の殿堂ヴィラ・メディチ、その館長のオファーを受けヴィラの修復を任されたからです。この時バルテュスは既に53歳。「 五十にして 天命を 知る。」凡人ならば自分の天命を知り、人生の集大成に入ろうとする知命の歳にして、更に伸びしろがあるとは、やはり只者ではありません。 この時期、ヴィラ・メディチでの16年間は寡作でしたが、幾つ目かの転機、節子夫人と結婚をしています。 やはり歳の差24歳。 しかも歳よりもだいぶ若く見られがちな東洋人。バルテュスの幼女趣味はやはり否定できないような気もします。そして、節子夫人と移り住んだ最後のアトリエ スイスの山中の小さな村ロシニエールにあるスイス最古の木造建築グラン・シャレ、ここは素晴らしく素敵でした。 篠山紀信が撮影したバルテュス晩年の暮らしの様子が展示されていたのですが、この写真がまた素晴らしい。 自ら後世に残るような話題作を描きながら自分自身とその暮らしぶりも素晴らしい作品になり得るというのは真の芸術家たる証のようなものです。





そして、このグラン・シャレではポラロイド写真を基に作品を描くようにあるのですが、このポラロイドの展示ももうすぐ始まります。(これも必見ではないでしょうか。) そしてモデルとなったのはまたしても少女、隣の家に住んでいたアンナ・ワーリーでした。

バルテュスの代表作とされる大多数の画は、不遇だったパリ時代にあるようです。 独特の不自然なポーズ、それが醸し出す画面の中の不思議な緊張感。 他の何者も踏み入って行けなかったバルテュスだけの世界観。誰風でもなく、バルテュスが描くまで誰も見たことがなかった作風。バルテュスは長命でしたが、その才能は早熟だったようです。




《 美しい日々 》 1944-1946年

人間関係を極力避けて厭世的だったクール・ド・ロアン時代(実際描かれたのは第二次世界大戦中の疎開先のスイス)に描かれたもうひとつの傑作で、本展のキービジュアルのひとつでもあります。


思えば、展覧会の最初に観た、わずか11歳で書き上げたという『ミツ』の絵本。これも触れておかなければいけません。そして『嵐が丘』の挿絵。 独特さの片鱗は既にこの時随所に散りばめられていて、挿絵の中のポーズを基に後に数点の大作を描いたりしています。




《 mitsou 》1919年



もっと言えば、その早咲きの才能は、あまりにも洗練され過ぎていて、人々の理解の範囲を超えてしまっていたのかもしれません。 もしかして、バルテュスが幼女趣味でなければ、そのモチーフが大人になる前の少女でなければ、世間の理解の眼はもっと違ったものになっていたのかも知れないとも思います。 幼女趣味であった事が唯一のバルテュスの欠陥だったのかも知れません。それはバルテュスの落度です。 でも、他の多くの大家のように成人した艶やかな女性を描く。そしたら、それはバルテュスだったでしょうか。きっと違います。確固たる、才能あふれる描画の技術に裏打ちされて、世間のモラルめいたものに反しても自分が最も美しいと思うものを描き続けたバルテュスだったからこそ、不遇のうちに葬り去られることなしに、今日も無二の存在感とその異彩を放ち続けていられるのだろうと思うのです。 その頑なまでのスタイルがあったからこそ、バルテュスはバルテュスであって、他にはいない稀代の画家、そんな立ち位置を確保することが出来たのです。

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# by sanaegogo | 2014-05-17 00:00 | art | Comments(0)