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Cathedrals of Culture, Wim Wenders



『Cathedrals of Culture』(邦題: もしも建物が話せたら)
2016年3月21日(日) 渋谷アップリンク
製作総指揮:ヴィム・ヴェンダース
監督:ヴィム・ヴェンダース、ミハエル・グラウガー、マイケル・マドセン、ロバート・レッドフォード、マルグレート・オリン、カリム・アイノズ
http://www.uplink.co.jp/tatemono/
Facebok Post: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207446864188204


「これまでにない新感覚のドキュメンタリー映画」と各所で紹介されているこの作品。新感覚、それはとてもよくこの作品を言い表していると思いました。(ドキュメンタリー映画なので、それは自然の流れなのかも知れないのですが)、6編のオムニパス形式の中で、クライマックスを捉える事が難しく、淡々と時間の流れに沿って目の前の映像を受け入れていくといった鑑賞は、まるで美術館に行って、美術作品を観た後のような感覚が残るような気がします。 ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー作品はいくつか観て来ましたが、ドキュメンタリーとして撮影しているのですが、ドラマチックなストーリー性がふんだんに盛り込まれていて、演技を指示したり、台詞を与えている訳ではないのに、シーンの創り方や登場人物の本質の引き出し方が卓越している、と感じられるような作品ばかりです。 今回もその雰囲気は保ちつつも、建築物が主役なので、そこに登場する人物や関係者が更に客観的なものになっていて、当事者めいた登場人物がまるでいないのが、この映画を不思議な雰囲気にしているようです。 言わずもがなですが、建物はたんなるものを内包する箱ではなくて、そこには、機能というものがあるのですが、建物を使う人々もまた、(この「使う」と言うのは、そこで働く人も利用する人も含めた意味での「使う」なのですが。) この機能の一部であるかのように表現されています。 原題は「Cathedrals of Culture」。「もしも建物が話せたら、私たちにどのような言葉を語り掛けるのだろうか」をテーマに制作されているので、邦題は「もしも建物が話せたら」になっていますが、この「Cathedrals of Culture」の意味を考えた時、物語りはますますミステリアスな様相を呈するような気がして、建物の心の声を聴くことで、ヴェンダース監督が表現したかった真の意味は何だろ、と考えてしまいます。それを掘り下げて考えるには、建物達の語る言葉はあまりにも自分の感情を押し殺して控えめなような気がしてしまうのは、建築物という存在があまりにも恒久的すぎるからなのかも知れません。(まるで遥か昔からの村の歴史を語る長老のように。) 観終わってから、「だから何だ?」と感じた人も多いのかも知れませんが、それも理解できる気がします。なぜなら、建物は、自分の意志や意見や、喜びや悲しみ、感じることをあまり語ってはいないからです。ただ淡々と、自分がそこに存在する事を語っています。


監督:ヴィム・ヴェンダース
ベルリン・フィルハーモニー (ドイツ・ベルリン)
ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策を遂行していた安楽死管理局のあった通りに面して建てられています。建てられた当時は辺りは街らしい佇まいはまるでなく、この建物だけがぽつんとそこにあった、と建物は語っています。








監督:ミハエル・グラウガー
ロシア国立図書館 (ロシア・サンクトペテルブルク)
18世紀後期、皇帝エカテリーナ2世によって建てられたロシア最古の公共図書館。そこで働いている女性たちが、館内を血液や体液のように巡って、蔵書や図書カードを細胞の新陳代謝のように整理していた姿が描かれています。








監督:マイケル・マドセン
ハルデン刑務所 (ノルウェー・ハルデン)
ノルウェーにある世界一人道的であると言われる刑務所。独房には最新型テレビと小型冷蔵庫が完備されていて、太陽がよく差し込む大きめの窓もあります。運動場を囲む高い壁には、ノルウェーのグラフィティ・アーティストのドルクが手掛けた壁画が描かれています。「私は刑務所。」と、全てを許し、受容するようなその刑務所は女性として語っていました。





監督:ロバート・レッドフォード
ソーク研究所 (アメリカ・サンディエゴ)
ソーク研究所は、ポリオの予防接種を開発したことで有名なカリフォルニアの研究所。ロバート・レッドフォードは、自身が11歳の時にポリオに罹患したそうです。映画『普通の人々』で見た郊外の美しい自然風景を彷彿とさせて、穏やかで静かなその映像にいつしか心地よい眠りに誘われました。





監督:マルグレート・オリン
オスロ・オペラハウス (ノルウェー・オスロ)
建築を手がけたのは、ノルウェー現代建築の巨匠スノーヘッタ。海の間近に建ち、氷山の造形をしたオペラハウスで、屋上からはオスロフィヨルドや市内を一望することができます。訪問者は誰でも自由に、地上から屋上へと続くゆったりとしたスロープの上を歩くことができ、市民の散歩道としても愛されていて、建物はその愛情を一身に享受し、喜びに満ちていました。








監督:カリム・アイノズ
ポンピドゥー・センター (フランス・パリ)
シャルル・ド・ゴール政権で首相を務めたポンピドゥーが推進した開発計画によって建設されました。彩色されたむき出しのパイプとガラス面で構成された外観は、現代的を通り越して前衛的で、建物自体がひとつの芸術作品のよう。パリが芸術の中心地として返り咲き、フランス政府がコンテンポラリーアートを支援していることを内外に知らしたい、といった威信を背負ったプライドが滲み出ていました。








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# by sanaegogo | 2016-03-22 00:00 | movie
アニー・リーボヴィッツ 「WOMEN: New Portraits」




アニー・リーボヴィッツ
「WOMEN: New Portraits」
世界10都市巡回展
TOLOT/heuristic SHINONOME


2016年2月20日(土)~3月13日(日)
www.ubs.com/annieleibovitz-jp



「WOMEN:New Portraits」は、アニー・リーボヴィッツが15年前より制作を始めたプロジェクトで、1990年には写真集も刊行されています。女優や歌手、バレエダンサーなど、素晴らしいパフォーマンスで活躍する女性、アーティスト、政財界の重要人物、学者、実業家として名を成した女性、ビジネス・パーソンとして第一線で働く女性など、様々な分野で功績をあげた女性のポートレートを撮影したものです。その被写体にはイギリスのエリザベス女王もいるのには驚きです。 でもきっとアニーならば、エリザベス女王にも負けず劣らずのオーラを放っての撮影現場だったのでしょう。 彼女自身、物凄い存在感なのですが、不思議と威圧感みたいなものは感じないのは、モデルとなった女性が委縮することなく自然で穏やかな表情で写っているので解ります。 静かな雰囲気の中にも凛とした表情を捉えているのは、きっと、彼女が撮影しながら送っているパワーのなせる業かも知れません。こんな風に彼女の写真を観たことがなかったので、雑誌の見開きページで感じるものとは全く別の世界があり、とても良かったです。 彼女がモデルに送ったパワーを写真の中の女性たちが増幅させているのか、何だか元気をもらった気がします。
Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207248592351532



会場の設えの雰囲気はちょっとニューヨークの古い倉庫を改造したスタジオのようで(Tolotももともと倉庫なのですが)、アニーの写真のちょっとクラシックなトーンにとてもよくフィットしていました。 マルチディスプレイで大きく映し出された2面の画像の前にざっとランダムに椅子が置かれていて、オーディエンスは満足いくまでそのふたつのディスプレイの前に思い思いの角度で座り、スライドショーを楽しみます。自然光が入ってきてもディスプレイに映し出されたアニーの写真の中の落ち着いた光の感じとよく馴染んで、世界10都市を巡回するこの写真展ですが、日本での開催が冬だったというのもいい感じの巡り合わせのような気がします。(アニーの写真には秋とか冬の空気が漂ってます。)



もうこれも色々な機会に口にしているので、聞き飽きたかも知れないですが、アニーは、屋外でのロケの時、映画ばりの撮影機材でセッティングをするそうなのですが、ローアングルで下から舐めるように、そして巨大扇風機でぶわーっと風を吹かせ、モデルのクラシックなドレスや長い髪をなびかせるカットが私の大好きなシチュエーションです。風が吹き抜ける荒野に凛として立つ風と共に去りぬのスカーレット・オハラだったり、嵐が丘のキャッシーの姿を彷彿とさせるのです。


私の好きなアニーは ロケーションといいカメラアングルといい まさに、こんな感じ。
これに風が吹いて 髪がなびけば 最高。



スライドショーの傍らには、通路沿いのウォールに、様々な女性のポートレートが展示されていますが、正面から撮影された女性はどの被写体も真っ直ぐにアニーが構えているであろうカメラを見据えていて、その視線が印象的です。被写体の放つ静かな光みたいなものと同時にアニーの存在感までもその写真の中に感じれるように思います。高い地位を得たビジネス・パーソンの女性が立派な執務室のデスクで微笑みを向けている写真もあって、ここに至るまでの厳しい道のりにあって、何か大切なものを失わずにいた人格の高さみたいなものを垣間見る気がします。



中にはポーズをとって全身を写したものもあるのですが、中でも素敵なのは、やはりこれ。写真展のメインビジュアルにもなっていますが、ミスティ・コープランドの1枚です。話は逸れるのですが、ミスティ・コープランドは、世界最高峰バレエ団の一つ、アメリカン・バレエ・シアター初のアフリカン系アメリカ人のプリンシパルで、その波乱万丈の生い立ちと経歴をどこかで読んだことがあって、逆境の中を時にはしなやかに、時には葛藤をもって、体系的にアフリカン系の女性には不向きだとされていたクラシック・バレエの世界で最高峰に登りつめた女性です。「美しい」というシンプルでかつ全てを包括する形容詞で表現するのに相応しい1枚だと思います。


Misty Copeland, New York City, 2015
© Annie Leibovitz from WOMEN: New Portraits

・・・と、妄想や理想、希望なども含め、好き勝手に語ってしまいましたが、漠然とですが、その実態とそんなにはかけ離れていないような気がしてます。アニーの写真にはそんな風に、その生み出される過程に想像力を掻き立てるような何かがある気がします。(3月13日まで。)




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# by sanaegogo | 2016-02-27 00:00 | art
文化庁メディア芸術祭 受賞作品展


第19回 文化庁メディア芸術祭
受賞作品展
Exhibition of Award-wining Works
2016.2.3 – 2.14 国立新美術館
http://j-mediaarts.jp/

もう19回になるのですね、文化庁メディア芸術祭。 久々に受賞作品展を観に行って来ました。 新美では、アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門の大賞、優秀賞、新人賞などが賑やかに展示されていますが、関連イベントとして、セルバンテス文化センターやスーパーデラックス、六本木ヒルズのTOHOシネマなどで作品の上映やトーク、シンポジウム、ワークショップなど六本木界隈を回遊出来るような感じで様々な催しが展開されていて、まさにメディア芸術のお祭りですね。 今年はスーパーデラックスで行われた 「ラウンジトーク&ライブパフォーマンス「新たな語りへの挑戦~深化する映像・アニメーション~」」というのに行ってきたのですが、最後の最後、大取に上映されたアニメーション部門の大賞の上映を終電前にご飯を食べたいという生理的欲求に負けて見逃してしまったので、それを観に新美の作品展に出かけて来た、という次第です。


その作品がこれ。
アニメーション部門大賞
Rhizome
短編アニメーション(11分25秒)
Boris LABBÉ [フランス]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/animation/rhizome



私たちが生命を得ているこの宇宙もその構成単位をどんどんどんどん小さくしていくと顕微鏡でしか見る事の出来ない細胞単位まで細分化されていくということ、そして、その宇宙の中の小さな単位でしかない惑星の中では、小さな原子から形を成し、それが様相を変化させながら分裂と再構成を繰り返し、様々な個体を形成し、多様な生命体を育んできたこと、そんな事を彷彿とさせるダイナミックな作品で惹き込まれました。スクリーンに蠢く細かな物体は無機質なもので、私たちの想像できる生命体とはかけ離れたものなのですが、宇宙の始まりだったり、太陽系の形成だったり、その中の惑星の進化だったり、自分の身体の中のひとつの細胞の中の出来事だったり、この世のあらゆるところで繰り広げられている活動のように感じられ、そのスケール感がマクロなのかミクロなのか、捉えどころがありません。これは制作技術に素養のある人だったら、もっと面白いんでしょうね。 膨大なプロセスの創案、工程の技術的マネージメント、制作過程の尋常でない作業量など解らないなりに想像してみても、「宇宙の創造」規模のような気がします。作者の制作意図を読み取ろうとして観るのは難解なのですが、その哲学が可視化されておるので、単にスクリーンを観ているだけでも充分に楽しめるし、惹き込まれます。その最小単位としての図案を見ると実に味わいがあって、そのギャップにも心がざわめきました。





あと、これはスーパーデラックスでのプレゼンで観たのですが、
エンターテインメント部門新人賞
group_inou 「EYE」
ミュージックビデオ(3分32秒)
橋本 麦/ノガミ カツキ [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/entertainment/group_inou-eye

インターネットの世界に無数に落ちている画像、その最たるものであるGoogle Street Viewから丹念に世界中の画像をピックアップし、繋ぎ合わせ、仮想現実の世界をひたすら移動していくというもの。誰しもが簡単にアクセスできるものを素材にしていることから、オープンソースとした事を知った上で鑑賞すると、作品自体により自由な広がりを感じられます。フォトグラフ(静止画)の分野でも、Doug RickardのA New American Picture ( http://www.dougrickard.com/a-new-american-picture/) など、ストリート・ビューから切り取って来た世界のどこかで実際に存在した場面の画像で自分の世界を構築し、作品としているようなムーヴメントがありますが、この作品は映像化されている事で、より迫力と臨場感が増しているような気がします。これはgroup_inou の「EYE」という楽曲のPVとして制作されたもので、誰でもYou Tubeとかで鑑賞することが出来ます。





そしてこれは、個人的な思い出の中の琴線に触れ、関心を持った作品なのですが、
アート部門大賞
50 . Shades of Grey
グラフィックアート
CHUNG Waiching Bryan [英国]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/50-shades-of-grey

学生時代、誰も望まないのに必修科目となっていたFORTRANによるプログラミングの授業に苦しめられた経験があり、見た瞬間、もう過去の前世紀の遺物と化したような古臭いコンピューター言語が、こうしてアート部門の大賞を受賞しているのを見ると、少なからず、強制的に学習させられた遠い昔の経験が示す意味を考えたりしてしまいます。コンピューターに侮辱され、演習レポートを突き返してくる担当教授を逆恨みしてボロカスに言っていた、あの頃。 今、前時代的になることへの恐れを抱くFORTRANを前に、今ではそれよりは遥かに高度なテクノロジーを日常的に、直感的に使いこなしている自分に 優越感を覚えたりしました。(全く作品の持つ意味とは関係のないところでのハナシだとは思いますが・・・。)
Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207155939475268






最後に、
アート部門優秀賞
(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合
写真、ウェブ、映像、書籍
長谷川 愛 [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/im-possible-baby-case-01-asako-moriga
何だかとてもハッとさせられる作品でした。実在の同性愛カップルの遺伝子情報を用いて、両者の子供たちの考えられ得る姿を創りだし、家族写真にしたもの。芸術的アプローチといえども、これが遺伝子解析プログラムを用いてのシミュレーション(模擬実験)なのだとすれば、科学において実験とは何かを実現するためのプロセスであり、何を最終形としているのかを考えると、ちょっと空恐ろしい気がしてきます。しかしながら、その作品の中にいるその実在の同性愛カップルと架空の子供たちの様子はいかにも幸せそうで、そのギャップが何かを問題提起している感があります。フィクションとノンフィクションの境界を勇気をもって具体化した、社会派の作品であることと、この架空の家族の満ち足りた表情が何とも言えない気持ちを呼び起こします。






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# by sanaegogo | 2016-02-12 00:01 | art
五百羅漢が 鬼才村上隆によって現代に蘇る | 村上隆の五百羅漢図展

村上隆の五百羅漢図展
2015年10月31日(土)― 2016年3月6日(日)
森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/tm500/index.html

この五百羅漢図展、2015年の夏、ご縁があってるるぶ.comに原稿を書かせていただいたのですが、今日やっと、観に行く機会を得て行って来ました。展覧会の概要については、こちらでまとめさせていただいてますので、ご一読くださいませ。
http://www.rurubu.com/season/autumn/art/column.aspx
「五百羅漢が 鬼才村上隆によって現代に蘇る」と題して書かせていた立たのですが、全長100mにもおよぶ現代に蘇った五百羅漢が繰り広げる白虎、青龍、玄武、朱雀と続くビビッドな仏教世界はまさに圧巻でしたっ!! 村上展らしく、撮影OK、SNSにアップOKと言う事で写真に収めようとしたのですが、これはそれではつまらないな、と思い、拙い動画で撮って参りましたし、そうした人も多かったのではないかな、と思います。



スーパーフラットの提唱者である村上隆が実は芸大の日本画科の出身で、日本で初めて日本画の分野で博士号を取得したというのはご存知の方も多いと思いますが、日本画の分野のひとつの仏画で用いられるモチーフが登場するという事以外、メディアも表現方法も何もかも、所謂日本画とは一線を画していて、狩野派とか、土佐派とか、琳派とか、(近代の流派は良く解らないのですが)、そんな風に、村上派を確立した創始者とその地位を確固たるものにした記念すべきものになったのではないでしょうか。 これほどの大規模展示は、規模だけで語っても、そうそう実現するものではないような気がします。
村上隆について、あの作風を見て、あれがアートとか芸術とかいう類のものなのだろうか、と感じる人も多いかと思います。それは、ピカソのキュビズムの画を見て、「あれなら自分も描ける」と思うメンタリティーと同じのような気がします。 描かれているモチーフの中にはDOBのようないかにもキャラクターっぽいものも含まれてはいますが、それを埋めている色彩の乗せ方、配色、レイアウト、構成、どれをとっても唸るほど精緻でかつ感覚的、なようでいて実はかなり計算しているのかもと思わせる匠な要素が満載です。 一度でも絵筆を取って絵画なり、イラストなりを制作した経験がある人なら、村上隆という人の溢れる才能のようなものを、そこに見て取る事が出来ると思います。 これは、好きとか嫌いとかの話ではなく、確固たる確立された芸術家としての技量なのだと思います。


《達磨大師》 2007年
アクリル、プラチナ箔、カンバス、板にマウント 1601×3510×50mm(六曲) 個人蔵
Courtesy Blum & Poe, Los Angeles
(これって、私が初めて村上隆をきちんと芸術家なのだ、と認識した達磨大師。)


そして、縦横無尽のごとく繰り広げられる独特の仏教世界はどんだけの想像力の広がりがあれば描けるんだろうかと、その創出するエネルギーの大きさはものすごいものだな、と感じた訳です。まあここで、「あれって沢山の学生使って描いたんでしょ」という意見も出そうですが、実は第3者、人の手を使ってなお、完璧に仕上げるのは、全て自分でやるのより遥かに難しいと、様々な分野で経験したことのある人は、それに気が付くと思います。 「村上さま ご指示どおり」とか書かれた指示書というか、設計図みたいなものが沢山展示されていましたが、それも興味深く拝見してきました。 とにかく、大勢の人の手を使って仕上げられているのに、細部に渡って適当にされている箇所が全くないのは圧巻です。 なぜ細部を写真に撮って来なかったのか、今となっては悔やまれますが、マーブル模様のように仕上げられたその画面の色彩はとにかく美しかったのです。

村上隆のファンの人はもちろん、懐疑的な人でも、ここまでの大作を描き上げる環境が整って、これだけのものが展示できる場があって、そんなものを観られる機会もそうそうないと思うので、是非その眼で観てみたらいいんじゃないかな、と思います。




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# by sanaegogo | 2016-02-12 00:00 | art
天空の渚


天空の渚
野町和嘉
Gallery 916
2016.1.15 – 2.14
http://gallery916.com/exhibition/theshoreofthefirmament/


「写真が私たちに与えてくれた楽しみの一つに、見たことのない世界との出合いがある。遠く離れた場所にどんな風景が広がっているのか、そこでどのような暮らしが営まれているかを写真は正確に描写し、私たちに届けてくれる。」
と、この展示に寄せたForewordでタカザワケンジさんも記しています。
ナショナル・ジオグラフィックやマグナム・フォトの写真にあるようないわゆるジャーナリズムにのっとった写真は、時として発するエネルギーが私にとって強すぎて、まさに「写真の力」みたいなインパクトを受け留めきれない時がままあるのですが、野町さんのこれを観に行きたいと思った動機のひとつに、撮影地が中南米のメキシコ、ボリビア、チリ、アルゼンチンを巡る旅だったというのがあります。
昔観た映画で、「The Motorcycle Diaries」というのがあって、若き日のエルネスト・チェ・ゲバラがアルゼンチンからチリ、ペルーと旅をするストーリーなのですが、その映画に感化されていて、この写真展にその世界観を感じられるかしら、と思ったからです。まあ、それは私の早とちりで、ロードムービー的な構成ではなかったのですが、内容は充分に素晴らしいものでした。
南米やラ米の持つあの独特の情感が巨大とも言える写真の中から滲み出ていました。特にやはり、難破船を捉えたあのシリーズは、頑強な巨大船が静かに滅びていく時間をも捉えているようで、こんな世界の誰も知らない片隅で朽ちていくその様を目の当たりに出来るのも、また、違った形の「写真の力」とも言えるのかも知れません。野町さんの写真には、思考が事実だけで埋め尽くされてしまうような、見せつけられる「提示」はなく、どこか余白があり、そこに情緒めいたものを感じる事が出来て、自分の中の内なる旅みたいなものとオーバーラップさせることを許容してくれるように感じました。それは偏に風景写真が中心の構成だったからと言えるとは思いますが。



朽ちていく難破船は、火災にあって座礁して放置されたものだそうです。
どんよりよした空とあり得ない場所に佇む船の記憶。ドラマチックでセンチメンタル。




一番好きなシリーズ。
こんな光景をこの眼で見たい、と思いました。
ここに佇んでいる自分の姿を想像しました。




南米、ラ米によく見られる精緻な彫り物の装飾を施した教会の天井。
隅々まで埋め尽くされたキリスト教世界。


同一のフォーマットが淡々と、しかも1枚1枚が圧巻で、それは、あの916の空間にとてもフィットしていたと思います。大きくプリントしたのは、 EOS 5Ds 約5060万画素とタイアップした商業的な側面もありましたが、細部にわたるその再現力、描画力は素晴らしいものでした。何枚か写しだされた光景の部分の写真を撮ってみたのですが、まるで、自分がそこに行って自らの眼で見て来た風景のように映し出されていて、自分自身もその風景の中に佇んでいたような錯覚を感じます。視覚体験がそこに行ったかのような体験にすり替わってしまうのです。自分が今よりもっと若く、色々な選択肢を選べるような年代で、男性として生まれていたら巡ってみたかった未踏の地への旅を野町さんはここに届けてくれたのです。



イギリス船籍
1889年アイルランド建造
Load Lonsdale号

1909年にフォークランド諸島にて火災の後
チリ・マゼラン海峡 ブンタ・アレナス海岸に放棄された




パタゴニアの風景。
いつかは訪れてみたいけど、叶うのかな。




高地の南米にある水辺の写真も多くありました。




天空にある渚、です。



Facebook: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207073589656574
会場の風景もアップしてあります。
https://www.facebook.com/sanaegogo/videos/10207080054858200/



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# by sanaegogo | 2016-01-31 00:00 | art