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シャルル・フレジェ 「YÔKAÏNOSHIMA」



Le Forum, Maison Hermès
YÔKAÏNOSHIMA by Charles Fréger


銀座メゾンエルメス
「YÔKAÏNOSHIMA」 シャルル・フレジェ展
2016.2.19(金)~ 5.22 (日)
http://www.maisonhermes.jp/ginza/gallery/

フレジェを知ったのは、WILDER MANN (2010-2011) を雑誌で観た時なのですが、この時から既に気になっていたのかも知れないのですが、その引っ掛かりはあまり自分の中で意識されないものだったんですね。 でも、色々な場面でこのWILDER MANNを眼にする度に、じわじわとその存在感が増していくのを感じてました。 見れば見るほど気になっていくのです。 そのフレジェがこのWILDER MANN の制作意図を踏襲した形で日本で撮影された写真展があるというので、これはもう、是非行かねば!と。

行って来ました。Maison Hermès の Le Forum です。 フレジェが「妖怪の島」と名付け、日本列島58か所で古来から風習として残る仮面神や鬼、風土風習に根付いた祭事や儀式の村人の仮装の姿を取材したものです。 実は、「妖怪」と聞いて、これはちょっと違うのでは? と感じたのですが、「妖怪」について、改めて紐解いてみると、【妖怪(ようかい)は、日本で伝承される民間信仰において、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす、不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のこと。妖(あやかし)または物の怪(もののけ)、魔物(まもの)とも呼ばれる。(ここから→) 妖怪は日本古来のアニミズムや八百万の神の思想に深く根ざしており、その思想が森羅万象に神の存在を見出す一方で、否定的に把握された存在や現象は妖怪になりうるという表裏一体の関係がなされてきた。(wikipediaより)】ということ。「妖怪=水木しげる」的に考えていた私の方が、発想が貧困だったようです。 日本には仏教が伝来する遥か昔から、八百万の神を深く信仰していました。それはもっと昔のアニミズムにも深い関わりがあります。 ここに登場する神や鬼たちは、自然界のあらゆるものに宿る精霊の姿で、仏教思想の洗練された雰囲気はなく、もっと風土や風習に泥臭く密着した何かです。それが21世紀の現代でもこの超近現代国家の日本でもまだ残っていて、生活や営みと共に信仰されているという事実にぞくぞくします。原始から綿々と続いている伝統があるのです。それがフレジェの力を借りて、銀座のど真ん中に一堂に会し、イキイキとその姿を現しています。 土着の鬼神や獣神であったり、折口信夫の言う「まれびと」であったり、歳神様であったりが、色鮮やかな仮装をした村人たちの身体を借りて、その土地や、その季節に次々と登場する、とても立体的なインスタレーションでした。会場構成は建築家の松島潤平によるもの。 日本の地形をなぞれる様な感覚を体験できるこの構成もとても秀逸で、この展示において明らかにその効果を発揮しています。


© Nacása & Partners Inc.


しかし、何といっても、このフレジェの撮影した1枚1枚がとにかくイイんです。物語り的な余韻を含むものとか、心象風景、コンセプチュアルな写真、そういうものとは完全に一線を画していて、民俗学の資料写真のような、または、カタログ的な画一的なフォーマットの羅列でありながら、1枚1枚の中に収められている原始の神の姿は躍動的で、また、ものすごく魅力的で、飽きさせることを知りません。真正面からずどんと被写体を捉えたこのシンプルな構図の写真にむしろ新鮮さすら感じることに驚きます。観る人を圧倒させるような迫力がある訳ではないのですが、湧き出てくる力を感じるような感覚です。 それは偏に古来から受け継がれてきた伝承の力というのが大いにあるとは思うのですが、それを存分に引き出したのがフレジェなのです。


© Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d’entreprise Hermès
この獅子がとてもお気に入り。 どことなくユーモラスで、この愛嬌がたまりません。


改めて、風土と共に生きて来た農耕民族の五穀豊穣を願う豊穣祈願の真摯な祈り、自然を司る神々への尊敬や畏怖の念、日本にもまだまだ残るプリミティブな伝統を目の当たりにして感じるこの高揚感は自分でも不思議で、どこからそんな気持ちが湧き上がってるのか解らないのですが、ちょっと興奮しました。「獣人(ワイルドマン)」は、ヨーロッパで撮影された前キリスト教時代といわれる原始の伝統ですが、日本の歳神の文化とも多くの共通点を持っています。WILDER MANNを観た時のあの心のざわつきは、きっと私の日本人としてのDNAの中に潜む、そんなアニミズムが知らず知らずのうちにすぐられていたのかも知れないな、と感じています。



「Namahage」 Ashizawa, Oga , Akita prefecture (Japan), YÔKAÏNOSHIMA series, 2013-2015




© Charles Fréger

鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神行事に登場するボゼです。諸説あるようですが、昔々、海を渡って来た異形の姿をした異国の人間がまれびととして伝承されているという話を聞いたことがあります。

7月にはYÔKAÏNOSHIMAの写真集が刊行される予定だそうです。この写真展を観て、断然欲しくなってしまったのと同時に、WILDER MANNに魅了される自分をしっかりと認識することができたので、2冊とも手に入れないという理由はもうどこにもない感じです。


Facebook Post: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207778281193422


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by sanaegogo | 2016-04-24 00:00 | art | Comments(0)
あの時代(とき)のホリゾント ― 菊池武夫×田口淑子 Special Talk




2016.04.16 Sat - 05.22 Sun
あの時代(とき)のホリゾント
植田正治のファッション写真展
Exhibition of UEDA Shoji’s Fashion Photographs Those Screens, Those Times
http://l-amusee.com/atsukobarouh/schedule/2016/0416_3617.php
Facebook Post: https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207715580145935







植田正治の写真の中でもファッション写真をフィーチャーした写真展です。植田正治の写真家としての年譜を辿ってみると、
1932年: 東京へ行きオリエンタル写真学校に入学、3ヶ月間通う。鳥取に帰郷し自宅で植田写真場を開業。
1939年: 「少女四態」を発表。
1946年: 戦後第1作「童」が朝日写真展覧会特選に入選
1947年: 写真グループ「銀龍社」に参加
1948年: 「小狐登場」発表。
1949年: 「パパとママと子供たち」2作を発表。
1949年頃: 砂丘シリーズのひとつ「本を持つボク」発表。
1950年: 「ボクのわたしのお母さん」発表。
1950年: 「妻のいる砂丘風景(III)」発表。
1955年: 代表作「童暦」のシリーズ撮影を開始。(~1970年)
1958年: ニューヨーク近代美術館でのエドワード・スタイケンによる企画展に「雪の面」を出品
1975年: 九州産業大学芸術学部写真学科に 教授待遇で就任 (~1994年)
1978年: アルル・フォト・フェスティバルに招待される。作品数点がフランス国立図書館のコレクションに入る
1979年: 島根大学教育学部非常勤講師就任(~1983年)
1983年: 最愛の妻を亡くし、同年、広告業界のアートディレクターであった次男、充氏の提案により、砂丘を背景にファッションブランドTAKEO KIKUCHIのカタログを撮影。

・・・・こうして振り返ると改めて、海外でも「UEDA-CHO」として高い評価を得た後、最晩年にファッション・フォトグラファーとして新しい展開を見せていた事を知ることが出来ます。きっかけは最愛の奥様の死。 まるで無気力になってしまい、何か月もカメラを手にしない日々が続いたそうです。しかし、世界的写真家が、身内の縁というものがあったにせよ、ファッション誌のために写真を撮り下ろすなんて、なんとも贅沢な時代だったのですね。そこに加担した人たちのエネルギーというか、パワフルさというか、雑誌にはそんな力があったのでしょうね。



この写真展では、転機を迎え、ファッション界で再び息を吹き返し、イキイキと砂丘で撮影を再開した後の植田正治さんと関わりがあった方々をゲストに招いてのトークショーが企画されていますが、何といっても菊池武夫氏でしょう。 私自身も数年前、鳥取砂丘と植田正治美術館を旅した時に購入した思い出深い写真集である〈TAKEO KIKUCHI AUTUMN AND WINTER COLLECTION '83 - '84〉からここまで、何かが繋がっていたと思うと、勝手に感慨深い思いがこみあげてきます。



菊池武夫さんは、タケ先生と呼ばれていて、とても素敵な方でした。お話を進める元ハイファッション編集長の田口淑子さん。85年にトップモデルだった小林麻美をモデルに鳥取砂丘で撮影が行われた時のエピソードを色々とお話してくれました。その時の紙面には、詩人の清水哲男さんがテキストを書いたそうです。もうこれはモード誌の域を完全に超えていますね。お茶目でいたずら心があった植田正治さんのくすっと微笑んでしまう様なエピソード、昔家族をモデルに砂丘で写真を撮っていた頃のように、何かおもちゃを持ってくるようクルーやスタッフに指示を出して、田口さんが持参したLP盤のレコードを空に向かって投げて撮影したことなど、当時の貴重な記録写真を交えてお話してくださいました。そして、私はとても、この、田口さんが「おもちゃとしても楽しく、植田正治の写真にフィットするようなモダンでシンプルで、それでいて何か温かみがあるものを。」と一生懸命考えてLP盤を選んだ、というくだりにひとしきり感激してしまったのです・・・。 空に投げられた何枚ものLP盤は、植田正治さんの「砂丘モード」の世界観にとてもよくフィットしていました。



タケ先生は植田正治さんご本人というよりは、ご子息のアートディレクターの充さんとのご関係が深かったようで、充さんを通した植田正治さんという人物像をお話してくださいました。 充さんがいかにお父様を愛していたか、父の仕事の環境を整え、思う存分好きな写真を撮れる場を創りだす事にプロとしての厳しい目を向けられていたか、いかに深い愛情で繋がっていた親子だったのかを知ることが出来ます。 中盤からは、植田先生の最後のお弟子さんの瀬尾浩司さんも加わり、植田先生と充さんのプロとしての厳しい仕事ぶりのエピソードをユーモアを交えて。 登場したどの方も、愛情に溢れていて、それは偏に植田正治さんの自分を取り巻く人への愛情深さが連鎖し、増幅していたのでしょうね。



トークの主役はあくまでも植田正治さんとご子息の充さんだったのですが、菊池武夫さんはダンディでカッコよく、とっても素敵でした。全身白の出で立ちは嫌味なところがなく、まさにお洒落な伊達男。今は廉価で買うことが出来るファスト・ファッションが主流で、ともすれば私自身もそれに流されているきらいがあるのは否めませんが、私にもかつて、服を着こなす、という事を楽しみ、自分の個性に合うブランドを選び純粋に服を着る事を楽しんでいた時代があったというのを思い出させてくれます。 高い服(もの)を買うのが豊かさではない、と最近ではよく言いますが、虚栄や見栄のためではなく、丹精込めてつくられた服を吟味して選び、その服が心底似合う様な人間性や環境を手に入れて行く事で得られる心の豊かさ、みたいなものも確かにあった時代のような気がします。(安きに流れない、といった事でしょうか。) トーク終わりに菊池武夫さんと帰りのエレベーターが一緒になり、「とても楽しいお話をありがとうございました。」と声をかけさせていただくことが出来たのも、思いがけない出来事でした。「ありがとう。」と言ってくださったタケ先生、とっても素敵でした。






この1枚は、トークの最後に「別離(わか)れの旗」のエピソードで紹介されました。 先立った最愛の奥様を慕(おも)い、砂漠の果てに向かって別れの旗を振る植田正治さんの心境なのだそうです。






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by sanaegogo | 2016-04-16 00:00 | art | Comments(0)