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アニー・リーボヴィッツ 「WOMEN: New Portraits」




アニー・リーボヴィッツ
「WOMEN: New Portraits」
世界10都市巡回展
TOLOT/heuristic SHINONOME


2016年2月20日(土)~3月13日(日)
www.ubs.com/annieleibovitz-jp



「WOMEN:New Portraits」は、アニー・リーボヴィッツが15年前より制作を始めたプロジェクトで、1990年には写真集も刊行されています。女優や歌手、バレエダンサーなど、素晴らしいパフォーマンスで活躍する女性、アーティスト、政財界の重要人物、学者、実業家として名を成した女性、ビジネス・パーソンとして第一線で働く女性など、様々な分野で功績をあげた女性のポートレートを撮影したものです。その被写体にはイギリスのエリザベス女王もいるのには驚きです。 でもきっとアニーならば、エリザベス女王にも負けず劣らずのオーラを放っての撮影現場だったのでしょう。 彼女自身、物凄い存在感なのですが、不思議と威圧感みたいなものは感じないのは、モデルとなった女性が委縮することなく自然で穏やかな表情で写っているので解ります。 静かな雰囲気の中にも凛とした表情を捉えているのは、きっと、彼女が撮影しながら送っているパワーのなせる業かも知れません。こんな風に彼女の写真を観たことがなかったので、雑誌の見開きページで感じるものとは全く別の世界があり、とても良かったです。 彼女がモデルに送ったパワーを写真の中の女性たちが増幅させているのか、何だか元気をもらった気がします。
Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207248592351532



会場の設えの雰囲気はちょっとニューヨークの古い倉庫を改造したスタジオのようで(Tolotももともと倉庫なのですが)、アニーの写真のちょっとクラシックなトーンにとてもよくフィットしていました。 マルチディスプレイで大きく映し出された2面の画像の前にざっとランダムに椅子が置かれていて、オーディエンスは満足いくまでそのふたつのディスプレイの前に思い思いの角度で座り、スライドショーを楽しみます。自然光が入ってきてもディスプレイに映し出されたアニーの写真の中の落ち着いた光の感じとよく馴染んで、世界10都市を巡回するこの写真展ですが、日本での開催が冬だったというのもいい感じの巡り合わせのような気がします。(アニーの写真には秋とか冬の空気が漂ってます。)



もうこれも色々な機会に口にしているので、聞き飽きたかも知れないですが、アニーは、屋外でのロケの時、映画ばりの撮影機材でセッティングをするそうなのですが、ローアングルで下から舐めるように、そして巨大扇風機でぶわーっと風を吹かせ、モデルのクラシックなドレスや長い髪をなびかせるカットが私の大好きなシチュエーションです。風が吹き抜ける荒野に凛として立つ風と共に去りぬのスカーレット・オハラだったり、嵐が丘のキャッシーの姿を彷彿とさせるのです。


私の好きなアニーは ロケーションといいカメラアングルといい まさに、こんな感じ。
これに風が吹いて 髪がなびけば 最高。



スライドショーの傍らには、通路沿いのウォールに、様々な女性のポートレートが展示されていますが、正面から撮影された女性はどの被写体も真っ直ぐにアニーが構えているであろうカメラを見据えていて、その視線が印象的です。被写体の放つ静かな光みたいなものと同時にアニーの存在感までもその写真の中に感じれるように思います。高い地位を得たビジネス・パーソンの女性が立派な執務室のデスクで微笑みを向けている写真もあって、ここに至るまでの厳しい道のりにあって、何か大切なものを失わずにいた人格の高さみたいなものを垣間見る気がします。



中にはポーズをとって全身を写したものもあるのですが、中でも素敵なのは、やはりこれ。写真展のメインビジュアルにもなっていますが、ミスティ・コープランドの1枚です。話は逸れるのですが、ミスティ・コープランドは、世界最高峰バレエ団の一つ、アメリカン・バレエ・シアター初のアフリカン系アメリカ人のプリンシパルで、その波乱万丈の生い立ちと経歴をどこかで読んだことがあって、逆境の中を時にはしなやかに、時には葛藤をもって、体系的にアフリカン系の女性には不向きだとされていたクラシック・バレエの世界で最高峰に登りつめた女性です。「美しい」というシンプルでかつ全てを包括する形容詞で表現するのに相応しい1枚だと思います。


Misty Copeland, New York City, 2015
© Annie Leibovitz from WOMEN: New Portraits

・・・と、妄想や理想、希望なども含め、好き勝手に語ってしまいましたが、漠然とですが、その実態とそんなにはかけ離れていないような気がしてます。アニーの写真にはそんな風に、その生み出される過程に想像力を掻き立てるような何かがある気がします。(3月13日まで。)




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by sanaegogo | 2016-02-27 00:00 | art | Comments(0)
文化庁メディア芸術祭 受賞作品展


第19回 文化庁メディア芸術祭
受賞作品展
Exhibition of Award-wining Works
2016.2.3 – 2.14 国立新美術館
http://j-mediaarts.jp/

もう19回になるのですね、文化庁メディア芸術祭。 久々に受賞作品展を観に行って来ました。 新美では、アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門の大賞、優秀賞、新人賞などが賑やかに展示されていますが、関連イベントとして、セルバンテス文化センターやスーパーデラックス、六本木ヒルズのTOHOシネマなどで作品の上映やトーク、シンポジウム、ワークショップなど六本木界隈を回遊出来るような感じで様々な催しが展開されていて、まさにメディア芸術のお祭りですね。 今年はスーパーデラックスで行われた 「ラウンジトーク&ライブパフォーマンス「新たな語りへの挑戦~深化する映像・アニメーション~」」というのに行ってきたのですが、最後の最後、大取に上映されたアニメーション部門の大賞の上映を終電前にご飯を食べたいという生理的欲求に負けて見逃してしまったので、それを観に新美の作品展に出かけて来た、という次第です。


その作品がこれ。
アニメーション部門大賞
Rhizome
短編アニメーション(11分25秒)
Boris LABBÉ [フランス]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/animation/rhizome



私たちが生命を得ているこの宇宙もその構成単位をどんどんどんどん小さくしていくと顕微鏡でしか見る事の出来ない細胞単位まで細分化されていくということ、そして、その宇宙の中の小さな単位でしかない惑星の中では、小さな原子から形を成し、それが様相を変化させながら分裂と再構成を繰り返し、様々な個体を形成し、多様な生命体を育んできたこと、そんな事を彷彿とさせるダイナミックな作品で惹き込まれました。スクリーンに蠢く細かな物体は無機質なもので、私たちの想像できる生命体とはかけ離れたものなのですが、宇宙の始まりだったり、太陽系の形成だったり、その中の惑星の進化だったり、自分の身体の中のひとつの細胞の中の出来事だったり、この世のあらゆるところで繰り広げられている活動のように感じられ、そのスケール感がマクロなのかミクロなのか、捉えどころがありません。これは制作技術に素養のある人だったら、もっと面白いんでしょうね。 膨大なプロセスの創案、工程の技術的マネージメント、制作過程の尋常でない作業量など解らないなりに想像してみても、「宇宙の創造」規模のような気がします。作者の制作意図を読み取ろうとして観るのは難解なのですが、その哲学が可視化されておるので、単にスクリーンを観ているだけでも充分に楽しめるし、惹き込まれます。その最小単位としての図案を見ると実に味わいがあって、そのギャップにも心がざわめきました。





あと、これはスーパーデラックスでのプレゼンで観たのですが、
エンターテインメント部門新人賞
group_inou 「EYE」
ミュージックビデオ(3分32秒)
橋本 麦/ノガミ カツキ [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/entertainment/group_inou-eye

インターネットの世界に無数に落ちている画像、その最たるものであるGoogle Street Viewから丹念に世界中の画像をピックアップし、繋ぎ合わせ、仮想現実の世界をひたすら移動していくというもの。誰しもが簡単にアクセスできるものを素材にしていることから、オープンソースとした事を知った上で鑑賞すると、作品自体により自由な広がりを感じられます。フォトグラフ(静止画)の分野でも、Doug RickardのA New American Picture ( http://www.dougrickard.com/a-new-american-picture/) など、ストリート・ビューから切り取って来た世界のどこかで実際に存在した場面の画像で自分の世界を構築し、作品としているようなムーヴメントがありますが、この作品は映像化されている事で、より迫力と臨場感が増しているような気がします。これはgroup_inou の「EYE」という楽曲のPVとして制作されたもので、誰でもYou Tubeとかで鑑賞することが出来ます。





そしてこれは、個人的な思い出の中の琴線に触れ、関心を持った作品なのですが、
アート部門大賞
50 . Shades of Grey
グラフィックアート
CHUNG Waiching Bryan [英国]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/50-shades-of-grey

学生時代、誰も望まないのに必修科目となっていたFORTRANによるプログラミングの授業に苦しめられた経験があり、見た瞬間、もう過去の前世紀の遺物と化したような古臭いコンピューター言語が、こうしてアート部門の大賞を受賞しているのを見ると、少なからず、強制的に学習させられた遠い昔の経験が示す意味を考えたりしてしまいます。コンピューターに侮辱され、演習レポートを突き返してくる担当教授を逆恨みしてボロカスに言っていた、あの頃。 今、前時代的になることへの恐れを抱くFORTRANを前に、今ではそれよりは遥かに高度なテクノロジーを日常的に、直感的に使いこなしている自分に 優越感を覚えたりしました。(全く作品の持つ意味とは関係のないところでのハナシだとは思いますが・・・。)
Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207155939475268






最後に、
アート部門優秀賞
(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合
写真、ウェブ、映像、書籍
長谷川 愛 [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/im-possible-baby-case-01-asako-moriga
何だかとてもハッとさせられる作品でした。実在の同性愛カップルの遺伝子情報を用いて、両者の子供たちの考えられ得る姿を創りだし、家族写真にしたもの。芸術的アプローチといえども、これが遺伝子解析プログラムを用いてのシミュレーション(模擬実験)なのだとすれば、科学において実験とは何かを実現するためのプロセスであり、何を最終形としているのかを考えると、ちょっと空恐ろしい気がしてきます。しかしながら、その作品の中にいるその実在の同性愛カップルと架空の子供たちの様子はいかにも幸せそうで、そのギャップが何かを問題提起している感があります。フィクションとノンフィクションの境界を勇気をもって具体化した、社会派の作品であることと、この架空の家族の満ち足りた表情が何とも言えない気持ちを呼び起こします。






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by sanaegogo | 2016-02-12 00:01 | art | Comments(0)
五百羅漢が 鬼才村上隆によって現代に蘇る | 村上隆の五百羅漢図展

村上隆の五百羅漢図展
2015年10月31日(土)― 2016年3月6日(日)
森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/tm500/index.html

この五百羅漢図展、2015年の夏、ご縁があってるるぶ.comに原稿を書かせていただいたのですが、今日やっと、観に行く機会を得て行って来ました。展覧会の概要については、こちらでまとめさせていただいてますので、ご一読くださいませ。
http://www.rurubu.com/season/autumn/art/column.aspx
「五百羅漢が 鬼才村上隆によって現代に蘇る」と題して書かせていた立たのですが、全長100mにもおよぶ現代に蘇った五百羅漢が繰り広げる白虎、青龍、玄武、朱雀と続くビビッドな仏教世界はまさに圧巻でしたっ!! 村上展らしく、撮影OK、SNSにアップOKと言う事で写真に収めようとしたのですが、これはそれではつまらないな、と思い、拙い動画で撮って参りましたし、そうした人も多かったのではないかな、と思います。



スーパーフラットの提唱者である村上隆が実は芸大の日本画科の出身で、日本で初めて日本画の分野で博士号を取得したというのはご存知の方も多いと思いますが、日本画の分野のひとつの仏画で用いられるモチーフが登場するという事以外、メディアも表現方法も何もかも、所謂日本画とは一線を画していて、狩野派とか、土佐派とか、琳派とか、(近代の流派は良く解らないのですが)、そんな風に、村上派を確立した創始者とその地位を確固たるものにした記念すべきものになったのではないでしょうか。 これほどの大規模展示は、規模だけで語っても、そうそう実現するものではないような気がします。
村上隆について、あの作風を見て、あれがアートとか芸術とかいう類のものなのだろうか、と感じる人も多いかと思います。それは、ピカソのキュビズムの画を見て、「あれなら自分も描ける」と思うメンタリティーと同じのような気がします。 描かれているモチーフの中にはDOBのようないかにもキャラクターっぽいものも含まれてはいますが、それを埋めている色彩の乗せ方、配色、レイアウト、構成、どれをとっても唸るほど精緻でかつ感覚的、なようでいて実はかなり計算しているのかもと思わせる匠な要素が満載です。 一度でも絵筆を取って絵画なり、イラストなりを制作した経験がある人なら、村上隆という人の溢れる才能のようなものを、そこに見て取る事が出来ると思います。 これは、好きとか嫌いとかの話ではなく、確固たる確立された芸術家としての技量なのだと思います。


《達磨大師》 2007年
アクリル、プラチナ箔、カンバス、板にマウント 1601×3510×50mm(六曲) 個人蔵
Courtesy Blum & Poe, Los Angeles
(これって、私が初めて村上隆をきちんと芸術家なのだ、と認識した達磨大師。)


そして、縦横無尽のごとく繰り広げられる独特の仏教世界はどんだけの想像力の広がりがあれば描けるんだろうかと、その創出するエネルギーの大きさはものすごいものだな、と感じた訳です。まあここで、「あれって沢山の学生使って描いたんでしょ」という意見も出そうですが、実は第3者、人の手を使ってなお、完璧に仕上げるのは、全て自分でやるのより遥かに難しいと、様々な分野で経験したことのある人は、それに気が付くと思います。 「村上さま ご指示どおり」とか書かれた指示書というか、設計図みたいなものが沢山展示されていましたが、それも興味深く拝見してきました。 とにかく、大勢の人の手を使って仕上げられているのに、細部に渡って適当にされている箇所が全くないのは圧巻です。 なぜ細部を写真に撮って来なかったのか、今となっては悔やまれますが、マーブル模様のように仕上げられたその画面の色彩はとにかく美しかったのです。

村上隆のファンの人はもちろん、懐疑的な人でも、ここまでの大作を描き上げる環境が整って、これだけのものが展示できる場があって、そんなものを観られる機会もそうそうないと思うので、是非その眼で観てみたらいいんじゃないかな、と思います。




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by sanaegogo | 2016-02-12 00:00 | art | Comments(0)