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Sarah Moonの写真に降り積もる時間と記憶 |NOW AND THEN |


時間は確かに流れているものだけど、サラムーンはそれを最も美しい瞬間で止めてしまう事が出来るようです。サラムーンの写真に写し出された世界には、流れている時間とそこに閉じ込められた時間の双方を意識することができます。その写真の中の風景や動物たちのいた時間は、そこに封じ込められるまで確かに流れていたのだと感じられるし、サラムーンがシャッターを切った瞬間、まるで石になってしまう昔話の物語のように突然に、かつだんだんとそこに留まって沈殿していっているかのようです。そして画像の中で動かず物言わぬ存在になっても、「私は覚えている」と観る人にその記憶を語りかけているような雰囲気を醸しています。
実際サラムーンの写真は時間をかけて創りだされています。 ネガ付きのポラロイドで撮影し、薬剤で定着させないまま化学的な変化を待って創り上げられています。 なので、その世界に時間が沈殿しているというのは、まんざら見当外れではないのです。写しだされたものは、徐々に、徐々にその画像の世界の中の住人になっていくのです。またそれが、一見儚げでありながら、ずっしりとした存在感と濃厚な空気感を感じる彼女の作風の由縁でもあるように感じます。


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今回の個展は、2013年パリの自然史博物館で行われた 『Alchimies』展の出品作や新作を中心にカラーやモノクロームの写真で構成されていますが、これはサラムーン本人のセレクトによるものだそうです。この『Alchimies』は錬金術師という意味なのですが、このentitleがまたとてもとても洒落ていて、初めてその意味を知った時は、何ともいえないその言葉の響きにうっとりとしてしまいました。 自然史博物館にひっそりと佇んでいる剥製となった動物たちの記憶と時間から、まるで錬金術師が僅かばかりの金を生成するためにたくさんの手間と時間をかけるように、サラムーンの作品は仕上がっていくのです。私が訪れた時は人もまばらだったそのギャラリースペースは、まるで時間が粒子のようにさらさらと音を立てて流れているかのような雰囲気でした。言葉の響きと言えば、”Sarah Moon“という音の響きもとても素敵です。
自分として2冊目の彼女の写真集を購入したのですが、私が「これ、好きだなぁ。」と思った作品で収められていないものがありました。 でもきっと、その作品は、彼女の写真が生成されていくプロセスのように、私の記憶の中でゆっくりと時間をかけて沈殿し、いつまでも残っていくような気がしています。





NOW AND THEN
サラ・ムーン/SarahMoon
AKIO NAGASAWA
2015年4月24日(金)- 6月14日(日)
http://www.akionagasawa.com/jp/exhibition/now-and-then/










『Alchimies』
パリの自然史博物館の展示室には作品の中で時間を止めているライオンの剥製が展示されていたそうです















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by sanaegogo | 2015-05-10 00:00 | art | Comments(0)
Exhibition05: 'Tarantella' | Go Itami
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GW中にいくつか気になる展示を観て回るつもりにしていたのですが、その中のひとつがこれ。伊丹豪さんが今取り組んでいるというシリーズがCIBONEで観られます。作家は何に向かって作品を生み出し、誰に向かって観せたいのか、というのがありますが、今回はCIBONEというショップの中での展示。 作品を観ることを目的として足を運ぶ美術館やギャラリーではなく、ふらっと入って来るお客さんもいる様な環境です。 なので私もそんな風に作品を観てみたいと思ってふらっと行って来ました。(とは言え、CIBONEの告知でキービジュアルになっていた3枚のアブストラクトなランドスケープの作品を見て、「もっと観たい!」と思っていたので、似非っぽい行為ではありますが。(笑))



Exhibition05: 'Tarantella' @CIBONE
From April 29 (Wed) to May 19 (Tue)
Go Itami


私が勝手に考えている伊丹作品とは、「フォーマットの中で拡散と凝縮の間を行き来する矛盾を孕む世界」といった感じでしょうか。画角の外側にも広がっている世界をぎゅっとフォーマットの中に凝縮させることでマクロがミクロへと変容し、そしてまた、画角の中にぎゅっと押し込まれ凝縮させることで、実はその全貌は自分の視野の外にも広がってく、そんなふうに拡散と凝縮の間を行き来するような作品です。そのベクトルの方向が言い表しがたい違和感を生み出しています。対象をある極限まで拡大して画角の中に収めようとするベクトルによって、その全貌は外へと向かって押し出されて広がっていくようです。外へと広がろうとする光景の中から1点を捉え、その外へ向かうベクトルと逆行してフレームの中に凝縮させるような作業がそこにあると感じます。これはカメラやレンズの機能からすれば、至極当り前のことなのかも知れません。とても汎用性のあるものです。ただそこに某かの伊丹豪らしさがあるのは、これも当たり前の事なのかもしれませんが、そこに伊丹豪だけのフレーミングがあるからだと思います。そして、伊丹豪のフレームをもってその世界から何かを切り出している手のものではなく、ただそこに境界線を引いただけのもので、それは決して分断されてはおらず、フレームの外にも依然広がっているような感覚を覚えます。もちろん、今までの作品を一つ一つ見ればその感覚に当てはまるものばかりではありませんが、ひとつの個性としてそれは確かにあります。これまで撮影の対象は、部屋の中にある小さな生活に密着した品々や、日常の生活の中で目にする当たり前の風景が多かったようにおもいますが、今回展示されている作品は、NASAの衛星写真。いよいよ地球規模になったのか、という感じです。スケールの大きさが一気に拡大しましたね。





地球は本当に表情豊かでフォトジェニックですね。地面に身をかがめて足元の野花も地球であると言えるし、大気圏の外から見た起伏に富んだ地形もまた地球です。自分と近い距離にあれば、微細すぎて人の視力では捉えられないような水蒸気の粒の集合体である雲も、遠くから捉えれば白い塊となってくっきりとその姿を現します。広角な視野をもって眺めれば優れた自然の造形物であるような山脈や河や湖、森林地帯や砂漠、または人間の創りだした都市の人工的な美しさがありますが、その一部分に近づけば近づくほど、具体的だったものは抽象化していきます。対象物をより詳細に正確に捉えようと近づけば近づくほど、ある時点を境にそれは抽象的なものと変容していき、具体性とはかけ離れていく感覚が何とも矛盾を孕んでいて、脳の「形」を認知するところがもやもやするような感覚になります。その意外性は距離があればあるほど、それに対して拡大される範囲が小さければ小さいほど増していきます。難しい事を考えずただ感覚的にその写真たちを観ても、ギャラリースペースに点在しているその異形の地表は美しいものでした。特に床に寝かせてある数枚の写真はまるで自分が高い高いところから俯瞰しているようで体感的なものも楽しむことが出来ます。





様々な角度の視線で観ることが用意されたその作品たちは、CIBONEの既存の空間の雰囲気にとてもしっくりきていて、その場に良く溶け込んで馴染んでいたように思います。テーマが地球規模になったせいか、いつもは割と観ていて「考える」要素が強い伊丹さんの作品ですが、今回は「感じる」ままに観入ってしまったのは、きっと私の思考が地球規模に対応できていないからかもしれません。でも今回の作品は、それが心地よいのだ、とも思いました。 考えるスケールが大きすぎると時として思考は止まってしまうものなのです。 感じるままに観入ったアブストラクトな異形のランドスケープ、堪能してきました。




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by sanaegogo | 2015-05-04 00:00 | art | Comments(0)