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植田正治写真美術館で大山を臨む
念願の鳥取砂丘に分け入ったその翌日、これまた念願の植田正治写真美術館まで足を延ばしました。ご存知の通り植田正治氏が砂漠劇場と称して鳥取砂丘で数々の名作を生み出していたので、ちょっとの移動で行けるものかと錯覚していたのですが、実は鳥取砂丘から美術館のある岸本という駅までは乗り換えも含めて3時間弱くらいかかるのですね。 植田正治が暮らしていた境港までは更にかかるので、家族や助手を連れて、たくさんの機材や小物を運んでの鳥取砂丘での撮影は、まさに家族旅行の小旅行さながら、子どもたちや奥さんのうきうきと楽しそうにはしゃぐ姿が想像されて、とても微笑ましくもあります。宿泊したゲストハウスから電車で行こうと思っていたのですが、ここでの夜の宴で友達になったお二人が車で境港まで行くというので、急遽便乗させてもらう事にしちゃいました。 これもこの鳥取旅行の楽しい思い出のひとつになりました。
舗装はされているけどどこまでも続く1本道をひた走り、1時間半くらいのドライブ。車窓からの田舎の景色がより一層、『遠くまで来たんだなぁ。』なんて気分を掻き立てます。そんなこんなで、ついに植田正治写真美術館に到着!です。
駐車場に車を停めて、まず見たかったのが優美な姿で佇む大山(だいせん)。中国地方の最高峰でその美しい佇まいから伯耆富士とも呼ばれ、この地方の人々に古くから愛されてきました。





植田正治自身も大山には思い入れが深く、美術館は正面の池には多くの写真家や画家のモチーフとなった「逆さ大山」を写し、各展示室からはそれぞれの大山を望むことが出来て、雄大な伯耆の自然とその景観を取り込んだ、まさに大山と渾然一体となった建築物です。1995年の開館、設計は建築家の高松伸氏です。建物の外観や自然の中での在り様については写真に収める事が出来なかったので、この度はGoogle のStreet Viewから拝借しました。本当に便利な時代になったものです。





美術館の前の道から大山を臨む。 青々とした草地(実際は畑)の彼方にまるで富士山のような大山の流麗な稜線が見て取れて美しいです。





植田正治美術館と銘打ってあるパネルと美術館。特徴的な形はどこが正面なのか俄かには判らず。 これは、1939年の作品である「少女四態」をモチーフに設計されたと言う事です。



少女四態






植田正治写真美術館のパネルと大山。 とにかく広々としています。ストリートビューの撮影の季節は定かではないのですが、きっと夏でしょうね。 私たちが訪れた日も(夏ではなかったですが)このViewのように晴れ渡っていて雲が綺麗でした。鳥取に入ってから、澄み渡った空に浮かぶ雲の変化がとても印象的です。 (あ、この車 前の画像に映り込んでいるのと同じ車ですね。 Street View こんなところが面白いです。)





美術館の全貌です。なるほど。少女四態ですな。自然の風景とコントラストをなしたとても人工的な外観です。辺りには本当に何もなく、唐突にこの美術館が建っていますが、周りの景色から浮いてしまっている感じは全くありません。それが不思議です。大山を遥かに眺めている時の植田正治の穏やかで清々しい心境を表してるかのようです。広い風景は本当に気持ちいいもんですねー。

さて、中に入ると展示してあるのは、植田正治が砂丘シリーズではないもう一つの作品群『童暦』を制作するまでに至った道筋と『童暦』の作品などを紹介したものです。

展覧会名:植田正治、〈童暦〉への道
会期:2014年9月13日(土)― 11月30日(日)
http://www.japro.com/ueda/set/09.html

『童暦』は2014年の年の瀬に東京ステーションギャラリーでの展示でも観ました。昭和のおかっぱ頭と坊主狩りのレトロな風貌の少年少女から滲み出てくる不思議なモダンな感じ。「古いものが古いものとして今見ても新しい」と感じたのをよく覚えています。もうひとつ、ここならでは、でとても来て観た甲斐があったのが、映像展示室のあった200インチの大型映像システムによる映像プログラム上映と、世界最大級600mmカメラレンズによる「逆さ大山」の投影です。映像展示室そのものがカメラの内部の構造と同じになっていて、レンズを通して投影され、焦点で結ばれた像が逆さに写るという光学的な基本原理を知ることができます。まるでこの子供の理科の実験室のような雰囲気が茶目っ気たっぷりで可愛いですよね。



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美術館に行ったら、何といっても是非是非写真に収めたかったのが、このショット。展示室を繋ぐ廊下の一角に大山を正面から臨めるところがあって、そこでこんな写真が撮れるのです。ってファンならもう重々ご承知ですよね。 何という粋で茶目っ気たっぷりの演出!! この日は3連休でしたが、訪れる人はそんなに多くなく、皆さんそれとなく順番を待って、みんなが正面から撮影が出来るようにそれとなく譲り合うマナーの良さも、実に気持ちのよいものでした。窓の開口部の隅にはステッキや黒い傘が置いてあって、ちょっとした砂丘劇場っぽい演出も楽しめます。





私は黒い傘をチョイス。もうちょっとなんとかしたら良かったかな。






ゲストハウスで一緒だった2人。 偶然ここで再開しました。
実はこのお2人のポージングには、かなり演技指導、入ってます。(笑)


楽しい時は過ぎ、もう一人の旅のお供(この子もゲストハウスで昨晩一緒に呑んでたのですが・・・。) と帰りはバスで岸本の駅に向かう予定だったのですが、色々考えて境港まで行くお2人の車に図々しくも再び便乗させてもらい、途中の米子の駅で降ろしてもらう事にしちゃいました。 だって、この広大すぎる自然の中のぽつんとしたバス停は。バスを待つには心もとなかったから・・・。 知り合った面々との触れ合いも楽しかった植田正治写真美術館への旅でした。 本当にお世話になりました。 ありがとうございます!!




大山とあまりにも長閑で呑気なバス停。


12月1日から2月末日までは冬期休業に入ってしまうので、このタイミングに行けて、本当に満足です。

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by sanaegogo | 2014-11-24 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
「旅」することを楽しむ旅人へ Guest House 「たみ」
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今日は鳥取でお世話になった「Guest House たみ」について少し。 たったの1泊だけでしたが、密度の濃い楽しい時間を過ごす事が出来ました。 ざっと調べる限り鳥取にはゲストハウスが3軒くらいしかなくて、うかぶLLCという合同会社が運営しているのが「たみ」です。 鳥取砂丘と植田正治写真美術館のある大山エリアの中間の松崎という駅の町にあります。 「たみ」のポリシーとして館内の写真撮影禁止、というのがあって、最初の印象は何だか厳しそうなところだなー、と言うのが正直なところ。 ゲストハウスに泊まる宿泊客というのは、最低限皆が快く過ごせるようなルールで1泊や2泊の共同生活を送るようなゆるい感じの旅が好きな人が多いと思うのだけど、この初っ端に飛び込んできた「写真撮影は禁止です」というのは意外な感じだったのですが、実際泊まってみると厳しい!という感じではなく、とても居心地の良い滞在でした。実は学生の頃、所謂ユースホステルと当時呼ばれていた宿泊施設に泊まった事があって、そこでの食事の後、半強制的に食堂に集められてスタッフの指導(?)のもと、ゲームやちょっとした宴会みたいなものに参加させられそうになった苦い経験があって、その強制的に仲間になろうよ、みたいな感覚に馴染めず、食堂には行かず、友人と相部屋の外人さんとくっちゃべってたという思い出があります。もっと大人になってゲストハウスは何度か利用したけど、今回この「写真撮影禁止」というのを前情報で知り、その時のあまり好ましくない気分を思い出したりしてたのも正直なところです。でもまあ、自分もいい大人になっているし、あの頃の自分は確かに若く、そして青かった、と今ではあれはあれで、いい経験だったという事にします。 と、ちょっとネガティブな事を言いましたが、たみ での滞在は決してネガティブなものではなかったので、誤解のないように・・・・。

たみ guesthouse & cafe:http://ukabullc.com/works/2015/06/85.php
うかぶLLC(合同会社うかぶエルエルシー): http://ukabullc.com/about/

たみは、廃業した旅館をゲストハウスとして再生させたもので、うかぶLLCの地域活性化のプロジェクトのひとつとして運営されています。ゲストハウスの他にシェアハウスもしていて、共同の炊事場や洗濯場では、そこで暮らしている人とまさに共同生活の交差点みたいな雰囲気もあって、ちょっと面白かったです。 シェアハウスの人とも少しだけ話す機会があったんだけど、そこに根付いて生活していながら、何となく長逗留の旅人であるかのような雰囲気でした。 簡単な夕食と朝ごはんが食べられるカフェがあって、そこがとっても居心地が良く、夕食で食べたカレーも生姜が利いてて、一から丁寧な手作りな感じでとても美味しかった。 夜になってあっちこっちから帰って来たゲストがそのカフェに集まって、居心地の良いあまり、その夜はかなり晩くまでビールを呑みながらわいわいと話は尽きない感じで、ゆるく盛り上がりました。カフェの本棚にはオーナーが集めたという本がいろいろ置いてあって、それを手に取りながら寛ぐ事が出来ます。 その中にいくつかアート関係の本で私の好きなのがあって、その日は不在だったもう一人のオーナーさんとも話してみたかったなー、なんて思いました。ちなみにその本とは、ソフィ・カルの写真集と写真家のパトリック・ツァイさんの作品集と、あとはちらほら。 その人の持っている物や集めているモノからその人物像を想像するのって楽しいですよね。 オーナーさんとも是非話してみたかったです。
と、拙い文章では伝えきれないので、少しでもその環境と雰囲気をお伝えしたく、Google Street Viewによる道案内です!



鳥取駅から電車に乗って、JR山陰本線で小一時間の旅のして松崎駅はひっそりと佇んでます。




小さな駅だろし、着いたら地域の略地図でもあろうかとタカを括ってたのですが、町の案内のようなものは何もなく、焦って電話で所在地を訊いてしまいました。駅を背に右歩行にまっすぐ歩いていくと右側にある、とのシンプルな案内を頼りに歩き出します。




歩いて、歩いて、




歩いて、歩いて、




両側は商店街だったようなのですが、店仕舞いをしているところが多いですね。




もうすぐ着きそうなんだけど、あれ? 見えてきたかなー。




これかなー。




着きました!! たみです。 昔は旅館だったというので、玄関周りはふつうの民家とはちょっと違う感じです。




駅から本当に1本道。 とても判りやすい。




ゲストハウスの入り口の奥には近所の人も集まるカフェの入り口があって、たみのゲストやシェアハウスの住人は建物の中からも入れます。 カフェの上にもシェアハウスの部屋やゲストルームがあって、(笑)、布団が干してあります。

もちろん、ゲストハウスにはお風呂もありますが、この辺りは所町村の合併の前は羽合(はわい)町という町名で、東郷湖畔に羽合温泉というのがあって、徒歩圏内で行ける外湯の入れるところをたみでいくつか紹介してくれます。因みにご多分に漏れず羽合町はハワイっぽくしようとヤシの木なんかも植えられていて日本のハワイと言われ(せ?)ているそうです。実際に1996年にはハワイと姉妹都市提携もしているそうです!

長閑な感じを強調して書いているように思われるかも知れないけど、決して揶揄とかしている訳ではなく、むしろ楽しかった旅に感じ入ってます。 何もないところにも何かはある、それはその人の感じ方の受容性みたいなものや、観光だけではない旅を楽しんで、その土地を味わうのが好きな方には居心地の良い場所だと感じています。 たみのコンセプトは、『暮らす人と旅人が出会う場所』。そのコンセプトをダイレクトに味わえる場所です。 もともとはクラウド・ファンディングで始めたみたいですね。(http://camp-fire.jp/projects/view/257) 「場」づくりの楽しさ、それを楽しんでいる人たちをリアルに感じられるような「場所」です。観光だけじゃない旅の楽しさにハマッている旅人には、是非行ってみて、味わってほしい、そんな「場所」です。



後日、たみからいただいた年賀状です。 この秋田犬の僕は、たみのアイドル その名も「お父さん」。 やんちゃ坊主ぶりにさすがの私も圧倒されました!!

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by sanaegogo | 2014-11-23 00:01 | traveling in Japan | Comments(0)
砂丘の果てに見えるもの ― 鳥取砂丘
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いよいよ鳥取旅行について記します! 砂漠を求めて鳥取へ向かったあの時の高揚感は自分自身の中で忘れられない記憶に残る旅でした。実際は(言わずもがなですが)鳥取砂丘は砂漠ではないので、ロレンスのような殿方や、いつも不機嫌な女主人のブレンダや、修行中の若きルーク・スカイウォーカーや、ライ・クーダーのギターのギターが流れるバーや、インド人の兵隊キップもそこにはいませんでしたが、いつの頃からか、これらの映画の舞台となるその砂漠の風景に強く惹かれ、実はチュニジアに行きたかったのです。(まだ諦めた訳ではありませんが・・・。) 鳥取砂丘に行ってチュニジアの代わりと思うのはちゃちすぎると笑う人もいましたが、まずは日本にある最大の砂丘、鳥取砂丘に行かねばっ! そう思ったのです!子供の頃は、童謡「月の砂漠」の歌詞とあの何とも気だるいマイナーなメロディーが好きで、時々「月の砂漠」の画を描いたりしてたのを覚えてます。少し大人になってからは、これも映画ネタつながりですが、スティング様が主演した「デューン/砂の惑星(邦題)」で、砂漠とは英語で”dune”という事を知り(実際は砂丘ですが、後で知りました。)、訳もなくこの”デューン”というサウンドの神秘的な響きにすっかり夢中になりました。 時系列はめちゃめちゃですが、小学校か中学校の時に映画の時間で体育館で観た「砂漠の冒険」という映画があって、そのインパクトの強さといったら・・・・。こんな風に自分の中のとある時代に砂漠が現れ、インパクトを残し、刷り込まれてしまったかのように、あるいはサブリミナルのように、砂漠に思いを馳せるようになっていったのです。あの灼熱であるが故に厳しさがあり、乾いた清潔さがあり、どこまでも続いていくような、地球という惑星の上にありながら、別の世界であるかのような恒久さに惹かれているのだと思います。
2011年、行ってみたい海の向こうのDestinationの中で、そろそろチュニジア、と画策していた時、奇しくもジャスミン革命が勃発して計画を断念しました。治安の悪化でチュニスは遠い街になってしまいました。 北アフリカが落ち着くのを待つ気持ちが心の片隅に追いやられそうになった時、2013年を迎え、その年はかの植田正治の生誕100周年でもあり、改めて氏の写真をつぶさに観ることとなり、そこにはこれまでにないイメージの砂の世界がありました。それが鳥取砂丘です。人生何度目かの砂の世界のフラッシュバック。 この頃から鳥取砂丘に思いを馳せるようになり、2013年の末、思い立って出かけようとしたら、一緒に回ろうと思っていた植田正治写真美術館が12月から冬期休館に入ってしまう事を知り、敢え無く断念。2014年、遂にこの地を訪れることに至ったのです。前段が長くなりすぎましたが、ここで私の心情の変遷を辿れたのは、自分にとって良い機会でした。

さて、そんな風に出かけた鳥取への旅ですが、ゆったりと時間をかけ長い距離を移動し、その移動の過程もまた楽しいものでした。Financial Difficulty的な理由もあり、大好きな飛行機を諦め新幹線と在来線それにローカルバスを乗り継いで、1日かけて砂丘の近くまで行きました。初日にお世話になる宿のご主人に砂丘会館のバス停まで迎えに来てもらった時にはすっかりと暗く、砂丘を見下ろす駐車場からは何も観ることは出来なかったのですが、夜の帳が下りるごとに深さの度合いを増していく暗闇の中の目の前の風景に、確かにそこに砂丘が横たわってるんだなぁ、などと感じたものです。
砂丘の辺りは11月の今はSlowなシーズンらしく、宿泊客はあまりなく、周囲の宿も閉まっているか、夕食を出さない素泊まりばかりの状態。 私がお世話になったところも「夕食はないので、何か食べるものを買ってきてくださいね。」と。 コンビニまでは車で何十分も走らなければならず、夜は真っ暗闇で、とても一人では歩けないと言われ、鳥取の駅でカニ寿司弁当やパンやワイン、ちょっとしたお菓子など、食料を買い込み、キャリーバックとスーパーの袋をもって、もう向かう人などいない鳥取砂丘方面のバスに乗り込んで、何となくアイルランドのイニシュモア島に行った時の状況を思い出したりしました。ご主人を待つ間、閉店しそうな食堂兼お土産物屋の砂丘会館でビールを追加調達。明日は早いので、今日はこれを呑んで早めに寝よう! 宿に着くと奥さんが温かい麺の入った汁物とお茶と名物だという柿を出してくれて、「なんだ。こんだけあればカニ寿司弁当はいらなかったかも。」 などと思ったりもしましたが、お吸い物はよいお出汁の味で美味しかったです。明日は朝食前にご主人が砂丘まで車で連れて行ってくれる事になっています。

夜が明けて、旅も「移動」から「滞在」へ。 今日は砂丘で1日過ごす予定です。うっすらと白み始めた空の下、丘陵にある宿からご主人の車に乗せてもらって砂丘まで坂道を下って行きます。 途中、ちょっとした観光スポットも廻ってくれて、ご主人が今はラッキョウの畑になっている丘辺りまで昔は砂丘が続いていたとという話をしてくれました。こんな上の方まで砂丘が続いていたんなら、それはそれはダイナミックな光景だっただろうな、と思いつつ、土地の人が砂を相手に悪戦苦闘していたんだろうな、という苦労も想像でき、壮大な自然と人々の暮らしの厳しさは表裏一体。今はお互いに歩み寄って豊かな自然の中で少しだけ快適になったと言う事なんでしょう。 朝食は9時なので、それまで朝の砂丘を楽しんで、歩いて宿まで帰る予定です。



日の出前の砂丘。空が大分白んでいます。太陽は反対の山の方から上るらしく、反対側はまだ薄暗いのですが、海の方、つまり砂丘の終わりの方は朝焼けで雲が赤く染まってます。




山並みの間から 太陽が顔を出しました。 空気が澄んでいてすごく冷え込んでます。








こんなに朝早くても、もう人影がちらほらいます。しかも馬の背の一番高いところまで行き着いているんだから、真っ暗な時から砂丘に繰り出している人たちです。





段々あたりが暖かくなってきて、太陽が昇ってきました。 人がまだいない時間に砂丘に来て風紋を撮ろうと張り切っていたのですが、すでに踏み荒らされてしまっている様子。 それとの昨日の名残でしょうか。





太陽が真上から差し込まない朝のほんの少しの時間帯だけ、こんな風に砂が金色に見えるそうです。日本の砂の色ではないみたいです。


まだ人気の少ない早朝の砂丘を堪能。若さを持て余した若者のから騒ぎなどもあって、それぞれの砂丘があり、それぞれの胸の内の砂丘に佇む自分がいます。こんなに広いところにいるのに、自分だけの世界の中に深く入り込んで行くかのような感覚です。陽が高くなるまでの短い時間、くるくると表情を変える砂と雲を追いかけ、いくつかの丘を越えて歩いていると、地球という惑星の上に立っているのだ、と実感することができるようにも感じられ、気分はまさに「星の王子様」でした。"I am all alone."
もう戻らないと朝食に遅れちゃうから、と、砂丘を後にして宿に戻り、奥さんの作ってくれた美味しい朝食をいただき、ゆうべの柿がとても美味しかったと話したら、お土産に柿を持たせてくれました。 そして少し休憩して再び荷物と共に砂丘へ出ると、予想に違わず、そこは別世界になっていました。




鳥取砂丘の全貌です。砂丘入り口から全体を臨むと 第二砂丘の馬の背が高くそびえ立っていて、人々は一様に頂上を目指します。 山の尾根のように狭く連なっている稜線にそって人がびっしりと見えます。 日本海に面した方の第一砂丘まで行く人は少なく、この時間になってもまだ風紋が残っているところもありました。 知らなかったのですが、実はシーズン的には11月のこの季節が砂丘にはベストシーズンだそうで、観光客の多い夏場は暑くて暑くてとても長居は出来ないそうです。





まるで砂糖を見つけた蟻の群れのように砂丘に群がる人たち。高いところがあったら登りたい、そこから世界を見下ろして眺めたい、広いところがあったらその先に辿り着くまで歩き出したい、というのは人間の性のようなものですが、そんな衝動に素直に従いたくなるのが砂丘の魔法です。そんな衝動のままに右往左往する人たちの群れ。





サンドベージュと空のペールブルー、それに白い綿雲。遮るものの何もない砂丘は空気の流れをダイレクトに受けて、雲は絶えず流れ、くるくると目まぐるしく形を変えていきます。





雲の下だけ影が出来ます。





ちょっとした地の果て。the End of the World





砂丘の向こうに広がるのは日本海。普段の生活では太平洋に向かっている私にとっては、ちょっと方向感覚が狂う感じもあります。北を向いて立っているのに、その目の前には海があるなんて・・・。



午後になるにつれ、蟻たちがひっきりなしにぞろぞろとやって来ます。







砂丘の最高峰 馬の背。もっとも勾配のきつところは壁のようで、「よじ登る」という表現がぴったり。 私もここを這い上がって来ました。









一番奥の第一砂丘まで到達する人は少なく、だだっ広い砂の上を腕を振って歩きたくなる気持ち、よく解ります。





第一砂丘のあたりでは、風紋も綺麗に残っていました。

私の未熟な写真の腕前と拙い文章では、あの時味わった自分を取り巻くこの空間と自分の気持ちの奥の方へと広がっていく言い様のない高揚感をあらわす事は出来ないのだけど、広がる砂丘の中にぽつんと立つ閉じられた自分の存在とか、でもその閉じられた自分の中にも確かにインスパイアされて広がっていく世界を感じ、それはまるで、大げさに言えば宇宙の成り立ちと繋がっていく感覚でした。それはチュニジアのサハラ砂漠の代替なんかではない、鳥取砂丘としての存在感だったように感じています。



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by sanaegogo | 2014-11-23 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
ふたつのNerhol展 ―IMA CONCEPT STORE と EYE OF GYRE
Nerholと言えば、今やコンテンポラリーアート界に燦然と輝く星のようであり、ひとつのスタイルを確立して世に知らしめようとしている旬のアーティストです。 Nerholは2人組のユニットで、そのユニット名「ネルホル」は、グラフィックデザイナーの田中義久がコンセプトを「練り」、現代アートに軸としてきた飯田竜太が「彫る」ことに由来しています。最近は、どこかとどこかで同時開催みたいな個展が増えてきたような気がしますが、この度もNerhol個展が都内2個所で開催されているので、行って来ました!

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ネルホル個展「アトラス(ATLAS)」
会場:IMA gallery
会期:2014年10月16日(木)~1月30日(金)
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ネルホル個展「シーネリー、シーン(Scenery, Scene)| 風景と景色」
会場:EYE OF GYRE
会期:2014年10月16日(木)~11月20日(木)
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IMA galleryの「アトラス(ATLAS)」は、彼らのこれまでのシリーズ作品である“Misunderstanding Focus”(2012)、“Portrait”(2012)、“Misunderstanding Focus 16:9”(2013)、“Scene to know”(2013)の作品を再構成してひとつのコンセプトへと集約した約40点が展示されています。さらにそれらの作品はそれぞれハードカバーの書物の体裁に纏められていて、立体作品として、写真として、書物として、多角的に鑑賞することが出来ます。


合計36点のNerhol的ポートレートが一堂に会しています。 撮影はカメラを固定して定点で行われているのだと思いますが、被写体の微妙な動きが要素となって、彫り込まれたポートレートの微妙な歪みに眼が行きます。まるで時間がそこで揺らいでいるかのようです。

   

立体的に展示しているものもあります。 この厚みは時間の厚み、経過を示しているかのようです。 彫進める事で、時間を遡っているかのようにもなって、全てのレイヤーが表面に現れる事によって、一旦時系列は消滅しているようです。







積み重ねられたATLASと共に展示された写真作品。 立体作品を撮影した巨大ポートレートです。こうして被写体とそれを取り巻く時系列は様々に姿を変えて観る人の前に出現することになります。




Eye of Gyreでは、彼ら自身が「私たちの作品は素材がもつ元々の要素から大きく離れた物質となっています。その物質感を再検証し、制作された作品の様々な要素を多角的に解釈できるような空間を構成することが今回の試み」と語っている意欲的な展示になっています。

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目線の高さで展示された写真作品は、彫進めた過程の紙の彫残しやその力加減までつぶさに観る事が出来て、制作過程のリアルな一面を垣間見る事ができて迫力がありました。(絵画でいうところの筆致みたいなものが良く判ります。)


こちらは写真作品が中心でした。額装をせずに壁に直貼りしたり、上から吊るしたり、1点1点の作品のスケールが大きく圧巻です。


Nerholの作品に感じるものはとにかく、滲み出るIntelligenceです。行っている行為は、複雑ではあるのですが、よく整理されていて、整然としたコンセプトがそこに付け加えられています。知性ある人は決していたずらに物事を複雑に表現することはせず、行っていることが複雑であるに拘わらず、単純明快に解りやすく表現/説明できると思うんですね。 意図的に小難しい言葉を使って理解の及ばない人を煙に巻いたり、わざと混乱させたり、何かスゴイ事を述べているような振る舞いを見せたりするような事はないと思うのですね。Nerholの制作態度はまさに、複雑なコンセプトの単純明快な提示、可視化のような気がします。対象の顔に向けて、およそ3分間200回ものシャッターを切り続ける。それを時系列にぴっちりと積み上げ、1枚ずつその人の動きに合わせて切り取って剥がし、断面を露出させて彫進めていきます。それは、「かつての肖像画や、レタッチが無限に可能なポートレートの真正性を疑うことから始まった」と田中さんは語っています。数分間撮影し続けるからこそ見えてくる微妙な動きや変化。断面を露出させることによってその時間の中のレイヤーは、つぶさに観察できるようになります。

――“ATLAS”は、消失し続ける“彼ら”の一瞬の姿に焦点を当てている。僕らは、被写体と向き合い、数分間にわたって200回のシャッターを切る。そして、それら全てをプリントし、重ね合わせて、彫りこんでいく。僕らは、“彼ら”の姿に迫ろうと試みるが、まるで手から零れ落ちていく水のように、“彼ら”は僕らから遠く離れていく。まるで人が書き紡いできた物語が、書けば書くほどに、書き記すことのできないものを浮かび上がらせてきたように。

―― 逆説的だろうか? 被写体となった“彼ら”の存在の本質を掴みたいと願うのに、その姿を彫り歪ませることは。しかし、考えてみるに、僕らが生きる社会は、多くのものを、ものすごい速さで消失へと向かわせている。それが現実を記憶する唯一の手がかりにすら思えてくるほどに。物語は、書物として綴じられたとき、どこにでも移動し、あらゆる人の手に渡ることができるようになった。そして、恐らくそれ以前にも増して、書き換えられ、オリジナルを失うことを運命づけられた。僕らは、“彼ら”の姿を写し取り、層を成す時間を遡るように彫り刻み、それを書物のように綴じてみる。そして、諸現象の連続性へ、消え去ることを順番待ちするかのような循環へ、それを差し出す。綴じられた書物のなかで歪む“彼ら”の姿が、この資本主義をベースにした営為の射程を揺るがせることを願いながら。

(「ATLAS」展リリースから抜粋)

テキストを読むと、少々難解なのですが、その具現である作品を観ると、
「断面を見ると 微妙に動いてるんだなぁ。」 とか、
「もしかして全部違うのかな。同じものは2枚とないのかな。」とか、
「物凄い厚み! 時間の厚みを表しているみたい!」とか、
「ポートレートによって彫進め方が違うのはどうしてかな。」とか、
「断面見ると同じ人なのにズレていくのが面白い。」とか、ごく単純な感想が(観る人が大人であるにも関わらず)どんどん出てきて、観る人を捉えるようです。観れば観るほど観察のし甲斐があります。 これこそが、Nerhol自身のように高尚な言葉を持たなくても、知らず知らずのうちにそのコンセプトについて観察し、考えているという事なのではないでしょうか。その整然とした制作プロセスの提示によって、作家の意図するところが観る人にすんなりと共有されているのです。

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by sanaegogo | 2014-11-16 00:00 | art | Comments(0)