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目撃してしまった!! バルテュス
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バルテュス展
2013.4.19 sat - 6.22 sun 東京都美術館
http://balthus2014.jp/

ついに! バルテュスを観てきました。”ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)” とは、もはや本展のキャッチフレーズとして定着しつつありますが、どちらかと言うと素人よりは玄人ウケするその作風で、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と云わしめたことは『流石バルテュス』とも言えるし、一方では、ピカソのお墨付きを得て初めて素人にも『そうなんだ』と認識され、後押しされた一面も大いにあるのではないでしょうか。 それは偏に≪ギターレッスン≫(1933)に現されるように、何ともコメントしづらいモチーフを描き続けていた事にあるのですが、ご存じの通り、バルテュスは少女のあられもない姿を「この上なく完璧な美の象徴」として、センセーショナルな数々の作品を残していますが、実にコメントしづらいものがあります。それなりに理解しようとその作品が生み出された意義や意味を探ろうと試みる人もいるでしょうし、『これではまるで少女ポルノだ!』と嫌悪感や拒否反応を示す人もいるかと思います。 そして往々にして、前者は芸術と言うものに理解がある芸術家や目利き、画商といった玄人で、後者は、『(キュビズム時代の)ピカソみたいな画だったら自分にも描ける』と言い放つ素人もしくは一般人なのだと思われます。 どちらの感じ方も否定できないと思うし、その喧々諤々の論議を経てもなお、打ち捨てられる事無く、こうして回顧展が開かれるまでにリスペクトされてきたというのは、やはり『バルテュスはすごい』という証明なのだと思います。 擁護する芸術家はだしのバルテュス・ファンはさて置いて、それがとるに足らないもので、人々にある種の嫌悪感を抱かせるだけのようなものであれば、自ずと葬り去られてしまうと思うんですよね。 でも何故か眼を逸らす事が出来ず気になってしまう。 そして、批判や酷評を浴びせつつも無視はできないし、忘れることもできない。それがバルテュス作品の確固たる存在感などだと思います。 しかしながら、先の≪ギターレッスン≫や《街路》は、1934年に開かれた個展での出品作ですが、この個展は生活に行き詰ったバルテュスが話題作りのために意図的に挑発的な作品を描いたと言われていて、現代で言うと落ち目の女優が話題作りのためにグラビア誌でヌードになっちゃうみたいな、俗人的な意図もあったようです。




《 ギターレッスン 》 1933年




《 街路 》 1933年



こうしてバルテュスは狭い屋根裏部屋のフュルスタンベール通りのアトリエを離れ、クール・ド・ロアンで人間不信から隠遁生活を送ります。この頃の代表作が、そう、かの《 夢見るテレーズ 》(1938) です。隣の住人の娘テレーズ・ブランシャールで、バルテュスにとって最初の少女のモデルです。これは圧巻でした。




《 夢見るテレーズ 》 1938年




完璧な膝頭です。実に完璧な膝です。この膝を見るにつけ、バルテュスの画人としての技量がひしひしと伝わってきます。手を頭の上で組むこのポーズは女性の色気というか男の人を誘うような雰囲気の象徴のように用いられていますが、すらっと伸びやかな足はまだ少年のようでもあり中性的です。 そこから覗き見える下着が、見るからにだぶっとした子供の履くパンツのようで、微笑ましくもあり、そのアンバランスさが大人への過渡期を表しているような気がします。自分自身にとっても、やはりこの画が一番印象深く、傑作と呼ばれるに相応しいと思います。もうひとつ、ワタシが好きな作品、レストランの壁画として描いたというネコの画(1949)も、この頃の作品だそうです。




《 地中海の猫 》 1949年



十数年ここで暮らした後、バルテュスはさらに引き籠った暮らしを求めて、パリの田舎へ移り住みます。(1953) シャシー村にある古城です。ここで血縁のない姪(兄の妻の連れ子)と2人きりの現実逃避とも言えるような生活を送るのですが、それがフレデリックです。 最初は絵心を刺激されてモデルとして一緒に暮らしていたのですが、やがて恋愛関係に陥るようになります。常識的に考えると兄夫婦はそれをどのように受け留めていたのか、と邪推してしまうのですが、そんな事とは別に、この頃のバルテュスの画は柔らかで穏やかな筆致で、心身ともにとても充足して満ち足りた暮らしの中にいたんだろうなー、と察することが出来ます。なんだか、とても『光源氏』的でもあります。




《 樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭) 》1960年

この頃のバルテュスの画風はゆったりと牧歌的であり 心の安定と充実感が滲み出ています。 色を細かく何層も重ねたフラスコ画のような雰囲気がとても美しいです。


バルテュスは、突然にその安穏とした生活に終止符を打ち、ローマへ旅立ちます。ルネサンス以来の古典芸術の殿堂ヴィラ・メディチ、その館長のオファーを受けヴィラの修復を任されたからです。この時バルテュスは既に53歳。「 五十にして 天命を 知る。」凡人ならば自分の天命を知り、人生の集大成に入ろうとする知命の歳にして、更に伸びしろがあるとは、やはり只者ではありません。 この時期、ヴィラ・メディチでの16年間は寡作でしたが、幾つ目かの転機、節子夫人と結婚をしています。 やはり歳の差24歳。 しかも歳よりもだいぶ若く見られがちな東洋人。バルテュスの幼女趣味はやはり否定できないような気もします。そして、節子夫人と移り住んだ最後のアトリエ スイスの山中の小さな村ロシニエールにあるスイス最古の木造建築グラン・シャレ、ここは素晴らしく素敵でした。 篠山紀信が撮影したバルテュス晩年の暮らしの様子が展示されていたのですが、この写真がまた素晴らしい。 自ら後世に残るような話題作を描きながら自分自身とその暮らしぶりも素晴らしい作品になり得るというのは真の芸術家たる証のようなものです。





そして、このグラン・シャレではポラロイド写真を基に作品を描くようにあるのですが、このポラロイドの展示ももうすぐ始まります。(これも必見ではないでしょうか。) そしてモデルとなったのはまたしても少女、隣の家に住んでいたアンナ・ワーリーでした。

バルテュスの代表作とされる大多数の画は、不遇だったパリ時代にあるようです。 独特の不自然なポーズ、それが醸し出す画面の中の不思議な緊張感。 他の何者も踏み入って行けなかったバルテュスだけの世界観。誰風でもなく、バルテュスが描くまで誰も見たことがなかった作風。バルテュスは長命でしたが、その才能は早熟だったようです。




《 美しい日々 》 1944-1946年

人間関係を極力避けて厭世的だったクール・ド・ロアン時代(実際描かれたのは第二次世界大戦中の疎開先のスイス)に描かれたもうひとつの傑作で、本展のキービジュアルのひとつでもあります。


思えば、展覧会の最初に観た、わずか11歳で書き上げたという『ミツ』の絵本。これも触れておかなければいけません。そして『嵐が丘』の挿絵。 独特さの片鱗は既にこの時随所に散りばめられていて、挿絵の中のポーズを基に後に数点の大作を描いたりしています。




《 mitsou 》1919年



もっと言えば、その早咲きの才能は、あまりにも洗練され過ぎていて、人々の理解の範囲を超えてしまっていたのかもしれません。 もしかして、バルテュスが幼女趣味でなければ、そのモチーフが大人になる前の少女でなければ、世間の理解の眼はもっと違ったものになっていたのかも知れないとも思います。 幼女趣味であった事が唯一のバルテュスの欠陥だったのかも知れません。それはバルテュスの落度です。 でも、他の多くの大家のように成人した艶やかな女性を描く。そしたら、それはバルテュスだったでしょうか。きっと違います。確固たる、才能あふれる描画の技術に裏打ちされて、世間のモラルめいたものに反しても自分が最も美しいと思うものを描き続けたバルテュスだったからこそ、不遇のうちに葬り去られることなしに、今日も無二の存在感とその異彩を放ち続けていられるのだろうと思うのです。 その頑なまでのスタイルがあったからこそ、バルテュスはバルテュスであって、他にはいない稀代の画家、そんな立ち位置を確保することが出来たのです。

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by sanaegogo | 2014-05-17 00:00 | art | Comments(0)
平林奈緒美の国連萌え に萌える!
平林奈緒美さんといえば、その名前をご存じの方も多いかと思いますが、MUJI、東芝dynabook、journal standardなどのグラフィックを手掛けたグラフィックデザイナーです。が、しかし、やはりこの名前を聞いて思いつくのは資生堂時代の仕事でしょう。ロンドンでの1年間のデザインスタジオ「MadeThought」への出向を経て2004年に資生堂を退職しています。 その後のアートディレクターとしてのご活躍は皆さまご承知の通りです。資生堂時代は自分の名前で仕事をしていた訳ではないのですが、その後、帰国後の2005 年1月に独立してからは、それ以降の活躍に伴って、資生堂時代の仕事にも脚光を浴びるようになったみたいです。この日は、今通っている芸術学舎の講座で、『写真集を見る、読む、楽しむ。そして作る 自分だけの写真集をつくるところまで!』の講師で「写真をレイアウトする、印刷する」と題してお話をいただきました。
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アートディレクターという仕事にとって、写真は何かの目的のための素材であることが多い。故に、写真そのものを忠実に再現するだけでなく、印刷方法であったり、製本であったりという方法で、そこに演出を加えることもあります。写真を紙に落とし込む、ということについて、お話をしたいと思います。
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『写真を紙に落とし込む』ですか。 これまで何度となく行ってきた作業ですが、こんな風に捉えた事はなかったので、(と言うか、それ自体を何か定義付けるような明確な目的意識とか持ってなかったなぁ。) とても楽しみにしていたのです。内容は予想に違わずとても面白く、ご本人のキュートな雰囲気とも相まって、あっという間に時間は過ぎていきました。フクヘンこと鈴木芳雄さんとの掛け合い(?)もベストマッチで、2人ともとても楽しそうにお話いただきました。(と言ってもご本人は人前で話をするのはとっても苦手で、ともすれば、たとえ少人数でも、人に会うのも気が向かない、と言っていました。)話が弾むというのは、話があちこちにぽんぽんと展開するという事で、要点を、と言われてもなかなか難しいのですが、シンプルなテーマである『写真を紙に落とし込む』と言う事は十分に伝わりました。 それにしても、この『写真を紙に落とし込む』という端的で明白なテーマのとりかたも 平林さんのお人柄を表しているようですね!

アート本とアイドル・グラビア本とフォトブック(写真集) 初めての融合
平林さんが初めて写真集というものについて意識させられた写真集。それは、マドンナの「SEX」。1992年10月にワーナーブックスより発売されて、日本では1992年11月に同朋舎出版から発売されていますが、これは修正版で輸入は事実上禁止されました。表紙はアルミで出来ていて、デザインに秀でた秀逸な装丁、これまでの常識に囚われない自由な構成、有名人の奔放な振る舞い、おまけに撮影したのはスティーブン・マイゼル、という、マドンナという超一流のアイコンを撮影して纏めた本を見て「アート本としての括りにも写真集としての括りにもなり得るんだ」、と平林さんは思ったそうです。


印刷物が好きならペン型マイクロスコープを持つべし
ポケットマイクロスコープともいい、印刷物の網点を見るものです。印刷物の網点を見るのに必要な倍率は20倍ほどなので、25~30倍くらいのものを持っていると楽しいそうです。 50倍、100倍もあって網点も大きく見えるそうですが、見える範囲が狭く扱いが難しいので、相当明確な用途がないと不要かも。 網点が見えない時はグラビア印刷で、雑誌の世界で言う「グラビア」というのは「芸術印刷といえばグラビア」だった時代の名残だそうです。網点が見えるのは、オフセット印刷で、マイクロスコープでオフセット印刷を覗いてみると、CMYKの世界が広がり、それを見ているだけで写真集を作るに伴った色々な知恵や事情が見て取れる、と平林さんは言います。「ただし、本屋でやったら嫌われるだろうなぁ」(一同爆笑) とは、平林さんご本人の談です。


予算のない中での仕事との向き合い方
「製作費」というちょっと生々しい話も出ました。 いつも予算が潤沢な仕事ばかりではないので、常にlow-cost/high-qualityの工夫をしているそうです。それは、ただ安く上げることを目標とするのではなく、high-costを承知でもある部分は譲れないものがあり、それを実現するために他の費用を抑えるといったもので、ページのPP貼り、写真の上だけにPP加工を施したもの、バーコ印刷、金銀の発色をきれいにしたいなら比較的廉価な女神インキのものを指定せよ、など、第1線で制作にかかわってきた人ならではの四方山話を聞くことが出来ました。 ご自身の信念としている「今までのノウハウに頼らず 一から仕事に向き合う」というのもこの姿勢の顕れなのですね。


写真集とアート本の境界線
写真集とアート本との明確な違いは、自分で調査や掘り下げの作業をしてその結果というか集大成として生み出されるものが写真集なのではないか、と語っていました。期せずして平林さんの口からも、カメラを使用しない写真とか、ファウンドフォトの話が出ました。 平林さんご本人はベッヒャーの給水塔のような写真集が好きだそうです。 カタログのように同じカテゴリーの対象物が同じ調子で撮影されたものが淡々としかもしつこいくらいに収められている写真集に萌えるそうです。 ティルマンスのコンコルドや杉本博史のジオラマシリーズについては、フクヘンと大いに盛り上がっていました。 そして、最近は医療系の博物館にハマっていて、人知れず素材を集めて全国各地の医療系の博物館を巡っているそうですが、そんなのあるんですか? 見たことないですが・・・。(笑) この時ティスマンスの写真集『FESPA Digital / FRUIT LOGISTICA』についても楽しそうに語ってました! (私も好き!)


e0168781_324138.jpgさて、そんなこんなですが、今日最もフォーカスしたいのが、この平林奈緒美さんの考えるカタログ的写真集の具体的事例 「(fig.1) UN UNITED NATIONS - COLLECTION, TEXT and IMAGES」です。 これは、普段は仕事としてのアートディレクションはしているけど、自分の作品は創った事がない、という平林さんの処女作(笑)で、BCCKSが立ち上がった時に依頼されて無理やり創った写真集だそうで、国連萌えでもある平林さんの「淡々としかもしつこいくらいに収められている写真集」というワールドを具現化したものです。 これが物凄くイイッ! ワタシ的には、その萌えている姿に萌えました。これには平林さんが密かに収集した国連軍の車両や兵器、それにNYの国連本部の中の様子、代々の国連総長などの肖像写真が収められていて、国連のツアーで参加したという国連軍の出で立ちをした コスプレ中の平林さんまでいて、内容は笑えるのですが、実際は笑えないほどスタイリッシュです。 唸ってしまいます。 これを冗談っぽく作れるなんてすごすぎる。 ミニカーを撮影した平林さんご本人による写真もまた素晴らしい! 写真は普段から趣味、というスタンスではなく、あまり撮影はしないそうなのですが、国連軍の車両などが同じ光で、同じように淡々と羅列されている様はミニマムで構成されるカタログ式写真集として充分に成立しています。 写真そのものに訴えかける力がないとなかなかこれは成立しないと思うのですが、「国連が好きすぎて」という平林さんの気持ちの顕れなのだと思うのです。






































実にブレや迷いがない明確なテーマを持った写真集です。 実に潔い。 こんな写真集もやっぱり「あり!」なんだなぁ、と今更ながらに気づかせてくれる貴重な出会いでした。一方で、手の込んだ構成やともすれば難解な制作理念みたいなものがなくても、作品として通用する機会は充分にあるんだ、という編集というもの重要性を改めて目の前に提示されたような気もしたりしました。

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by sanaegogo | 2014-05-14 00:00 | activity | Comments(0)
「食」が楽しい!! いちはら ART×MIX
今年のGWは前半の連休も後半の連休もどっちも天気はばっちりという前評判だったのに、よりによって今日はすっかり曇天の空模様。そんな中、千葉県の市原まで出かけて来ました。市原は友人の実家があって、一度遊びに行ったことがあるんだけど、その時散策した渓流の谷間とか、畦道とか、雑木林、小湊鉄道の線路とか、里山の豊かな自然、清々しい空気の気持ちの良さをとてもよく覚えています。 その市原で地域を巻き込んだ芸術祭が開催されています。 その名も、『ICHIHARA ART×MIX(いちはらアート×ミックス)』。第1回だと言うので、作品数はそんなに多くなかったのですが、小湊鉄道を中心としてバスで各エリアを巡って、“雨ニモ負ケズ”楽しんできました。

名称:中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス
会期:2014年3 月21日[金]- 5月11日[日] 52 日間[会期中無休]
会場:メイン会場:千葉県市原市南部地域[小湊鐵道上総牛久駅から養老渓谷駅の間]
主催:中房総国際芸術祭いちはらアート× ミックス実行委員会[会長 佐久間隆義(市原市長)]
協力:小湊鐵道株式会社
http://ichihara-artmix.jp/

天気が良かったら、田植えが終わった水田の水面に青空が映り込む写真でも撮りたかったのですが、この日は生憎の雨が降ったりやんだりで。それでも傘を広げることなく、帽子で雨除けで凌げたのですが、しかし、ちょっと寒かったです!



雨粒に濡れた睡蓮の葉っぱ。この日はこんなのが似合う感じでした。


ここ数年、地域の村おこしとして芸術祭やアートフェスを開催するところが増えています。越後妻有のトリエンナーレや瀬戸内芸術祭もだんだん有名になってきましたが、いちはらアート×ミックスもそれを目指しているひとつ。主催者の構成員には市長さんのお名前も見受けられます。 このいちはらアート×ミックスは越後妻有を立ち上げた北川フラムさんが企画した芸術祭で、廃校になった小学校の活用や小湊鐵道の列車やバスなど交通の活用などという目的はまあよくある話だなぁ、と思うのですが、ワタシが特徴的だなーと思ったのは、『食』に関することに結構フォーカスとアピールがあることです。地元で採れるおいしいお米やピーナッツ(落花生)を使ったお弁当やカフェご飯を各ポイントで食べることが出来て、各人それを目的に計画を立てる、みたいな、食いしん坊たちの食のスタンプラリーみたいな感じなのが面白いです。勿論、第1回目なので、そんなに豊富なバラエティーはないのですが、今後もこのコンセプトで発展してったら、越後妻有や瀬戸内とは全く違ったアプローチで面白いと思います。



今回みんなの争奪戦(?) (笑)が繰り広げられたのが、このわっぱめし。 左かららっかわっぱなっぱわっぱまっかわっぱ。「らっか」は落花生の「らっか」でアート×ミックススタートの上総牛久駅に売っていて、ここでしか手に入りません。「なっぱらっか」は「なっぱの三色わっぱ」の事で、里見駅に売ってます。 そして、養老渓谷駅 の「まっかわっぱ」。ワタシ達はこのまっかわっぱを狙っていたのですが、養老渓谷駅は小湊鉄道の(芸術祭では)終点の駅。 それに賭けることにしたのですが、途中で計画変更を余儀なくされたのは、想像に難くないと思います・・・・。 (わっぱめしも作品のひとつとカウントされていて、スマイルズ 生活価値拡充研究所 の作品になっています。)



上総牛久駅まで小湊鉄道に乗ってきて、参加者はここで思い思いに行動開始。




長閑な単線の小湊鉄道。スタンド・バイ・ミーの世界ですね。


さて、上総牛久駅の案内所で、指輪ホテルが小湊鉄道の車中で上演するという『あんなに愛しあったのに~中房総小湊鐵道篇』の当日チケットを手に入れる計画だったのですが、朝の7時から並んでいた人もいたほどの人気で敢え無く撃沈! かなり良い評判を聞いていたので残念です。 潔く諦めてひとつめの作品『内田未来楽校』までバスの旅。 会期中は市バスを活用した周遊バスが走っています。



関東地方、しかも東京の隣の県なのに こんな風に木造平屋の校舎が残ってるなんて、なんだかスゴイ。
本格的な田舎です。


内田未来学校の次は湖畔美術館へ。 晴れていたら屋外の櫓のような作品とかも面白かったんだろうけど、この最大の降りはこの湖畔美術館で迎えてしまい・・・。美術館のショップで 大多喜産バジル&市原産トマトのビスコッティをお土産に買いました。
この辺りで養老渓谷までお昼ご飯を我慢するのは危険ではないか? という懸念が生まれていて、美術館のカフェがいい感じのところだったらそこでランチにしてゆっくりしよう!と計画変更をしていたのですが、あまりの雨でカフェは激混み、アート×ミックス的なカフェなら良かったんですが、ピッツェリアだったので、里見の駅まで雨が降ってるうちに移動してしまい、なっぱわっぱを手に入れるべく動くことにしました。そして周遊バスで里見駅へ。
バスの便は結構良い感じです。まぁ、先ほども少し述べましたが、結局のところ、里見駅に到着した時にはなっぱわっぱは売り切れており、お母さんがやさしく結んだおにぎりと胡瓜の浅漬けを食べることに。気の毒がったお母さんがお味噌汁をサービスしてくれました。 アート×ミックスは地元の人や参加する人と触れ合うことも楽しみ方のひとつになっていますが、里見の駅でおじさんやおばさんとおしゃべりしたのは楽しかった。
そしてこの里見駅で本降りになってしまった雨が止むのを待っていると、何やら辺りがザワついてきて・・・・。



ゾンビ 登場!!写真撮らせてもらいました!


朝出発の時、既に完売していた指輪ホテルの当日チケット。この里見駅は単線の小湊線が上りと下りのすれ違いの待合の駅らしく、そのすれ違いの停車時間を利用して上演のために走らせている特別列車にさらにゾンビが乗り込んで停車中に何かパフォーマンスをするらしく、列車に乗ることは出来ませんでしたが、ラッキーにもゾンビ追加投入のパフォーマンスを見ることが出来ました。



コーヒー飲んでスタンバッてたゾンビ姉さんを含め、3人のゾンビが・・・。
乗り込み・・・。




電車は走り去って行きました・・・。




指輪ホテルの臨時列車を見送ったら小湊線はあと1時間ほど来ないので、バスで移動。 お腹がまだちょっと物足りないので、山登里食堂まで。ぽのわプロジェクトがやっている『とぬま』というプログラムで、カフェでシシッチャ(いのしし)サンド、猪肉の山登里カレーなどが食べられます。 が、ワタシ達はサバサンドというなんとも魅力的なサンドイッチをいただく事にしました。



これがサバサンド。焼いた干物のサバがサンドしてあって、ジューシーで美味しかったです!


何故、市原でサバなのか? イノシシは解る。お店のお兄さんに尋ねてみてもいまひとつ「なるほどっ!」という答えは得られませんでしたが、写真を撮ってなくて残念なんですけど一緒に飲んだジンジャーエールの生姜のたっぷりさにワタシとしては大満足でした。 (でもあれは、生姜の苦手な人には大量すぎるのでは? ま、でも生姜苦手ならジンジャーエールは敢えて飲まないのでしょうね。)
おっと次のバスの時間だ!と山登里食堂を出て養老渓谷まで。途中間違ったところでバスを降りてしまいアップダウンの道をテクテク歩く羽目になったのですが、やっと到着。養老渓谷駅です。



趣のある駅舎。
ここは養老渓谷のハイキングの出発駅で、長閑な山間の風景が広がってました。




まっすぐに伸びる線路




養老渓谷


そのまま10分ほど歩いて あそうばらの谷 まで。大巻伸嗣の『おおきな家』という作品があります。 そこに行くまでに立ち寄ったのは、開発好明の『モグラTV 』には笑いました。畑の中の穴の中にモグラの姿をした開発さんが来る人を待ち構えておしゃべりをしてくれます。 穴の中はスタジオになっていて番組がある時は市長さんとかもゲストに来て、穴の中に入るそうです。(笑) この人、1日中誰か人が来るのをこの穴の中で待ってるみたいなんです。 厭世的雰囲気を醸したモグラとのおしゃべり。シュールです。



モグラTV


アートハウスあそうばらの谷」は、ART×MIXのための作品ではなく、養老渓谷にある本来の古民家の雰囲気をできるだけ残しつつ、古民家とアートの融合を図る新しい試みとして改修された築100年以上の古民家ギャラリーです。 企画展もやっているギャラリーで『大きな家』はART×MIXのために制作された作品のようです。靴を脱いで暗く照明の落とされた屋敷の中を歩いていくのですが、屋敷の中にいくつか展示されていた中の最後の作品がとても印象的でした。撮影が禁止だったので説明だけになりますが、板の間の高い梁の上からぼーっと白い球体がゆっくりと生まれ降りてきます。 空中を漂うようにしてそこにある白い球はシャボン玉で、中に何か煙かドライアイスか粒子の細かい何かが入っているようで、球は地面に到着するとふわっと壊れてしまい、そしてふわっと白い何かが立ち昇ります。そしてゆっくりと拡散して消えるのですが、ここだけ時間がゆっくり流れているようで、音もなく静かで、しゃがんでその球の生まれては消えするのを見ていると気持ちが知らず知らず鎮まってくる気がします。こう言う作品、本当に好きなんです。 「漂う」「散る」「消える」それが静かに静かに繰り返される感じ。シャボン玉の中の白い煙のようなものは、空気(大気)より比重が重いのでゆっくりと降りてくるのだと思うのですが、こんな風に科学、化学あと大げさに言えば自然の摂理とか、自然現象、神羅万象を取り込んだ作品であることが、ワタシが好きなもう一つの理由です。



古民家を前庭から撮影。雨が上がったばかりなので、緑が瑞々しいです。



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田植えが終わったばかりの水田。整然と均一な畝の様子が素晴らしい!


里山のピクニックの最後にまたちょっと休憩ということで、ここでもまた「食」作品を堪能・・・・しようと、スマイルズ生活価値拡充研究所の『山覚俵家』にお邪魔することにしました。 ご飯の時間は終わっているのですが、なんかちょっと甘いものでも、と。ここは、季節のまぜご飯セット を出していて、これもとってもおいしそうでした。 お米が自慢だそうです。 残念ながらいくつかあった甘いものは完売してしまっていましたが、ちょっと寒さで冷えていたので、コーヒーをいただいて温まりました。 ちなみにコーヒーはお替り自由。うれしい心遣いです。





働いていたお母さんたちは皆さん どこか垢抜けていて こなれた会話も素敵でした。


ICHIHARA ART×MIXは今年が第1回目で、展示してある作品数は数は少ないですが、「なっぱすごろく 」と銘打って限定食みたいな素朴で美味しいものを食べ歩くという企画も面白いし、各所各所で地元の人や運営をしている皆さんとおしゃべりが出来たのが楽しかったです。小湊鉄道は鉄ちゃん達に人気があるらしいし、養老渓谷は風光明媚でハイキングが最高らしいし、田んぼの畔を散歩するのも楽しそう。 そして、会期も残りわずかですが、これから行く人はお昼に何を食べるかを軸として計画を建てることを強くおススメします。(笑) 今後の盛り上がりに期待します!

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by sanaegogo | 2014-05-05 00:00 | activity | Comments(0)