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『機械になりたい』 アンディ・ウォーホル展:永遠の15分
 


今日は森美術館でやってるアンディ・ウォーホル展。 終了間際だし、G.W.だし、さぞ混んでるだろうなーと思ってたんですが、予想に違わず・・・・・、混んでました。 アンディ・ウォーホルは、(誰しもがそうだと思うのですが)、アート好きな人にとっては一度は通る道です。 斯く言うワタシも過去にどこかでやったウォーホル展に行ったりしてて、クローゼットの奥底を探れば図録やポストカードが出てきます。

森美術館10周年記念展
アンディ・ウォーホル展:永遠の15分
会期:2014年2月1日-5月6日
会場:森美術館


人気も高く、これまで様々ウォーホルをテーマに展覧会が開催されて来ましたが、今回は展示作品点数約400点。初期から晩年まで包括的に紹介された日本では20年ぶり過去最大級の回顧展だそうで、2012年からシンガポール、香港、上海、北京とアジア各国を巡回してこの度東京にやって来ました。ウォーホルといえば、シルクスクリーンで制作された作品があまりにも有名で、というか、それをもって私達は『アンディ・ウォーホル』というものを認識している感がありますが、”初期から晩年まで”とうたっているその言葉どおり、並べられた作品はシルクスクリーンの他にドローイング、スケッチ、写真、保管していた様々な品、映像作品、広告マンとして仕事をしていた頃のビジネスアート、他のアーティストとのコラボレーション作品と本当に多岐に亘っていて、じっくり観るのに結構な時間がかかりました。 あと特筆すべきはセクションが変わる所々に彼の残した含蓄ある語録の数々です。 これは面白かったです。必見です。 その時その時の彼の思考のベクトルが刻み込まれた短いテキストは、作品の流れと合わせて彼の生きた様を顕していて、その人物像や人生観までも際立たせています。サブタイトルになっている「永遠の15分」は、彼の語録の中の

In the future everyone will be world-famous for 15 minutes.
( 誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう。)

と言うもの(1968年)から来ていますが、これが実に深いですね。 謎めいていますね。

退屈を好み・・・・、

I like boring things.
( 退屈なものが好きなんだ。)

オリジナルではなく他人と同じであることを良しとし・・・・・、

But why should I be original? Why can't I be non-original?
( なんでオリジナルじゃないといけないの?他の人と同じがなんでいけないんだ?)

I think everybody should be a machine. I think everybody should like everybody.
( みんな機械になればいい。誰も彼もみんな同じになればいいんだ。)

マクドナルドを世の中で一番美しいものと言い放つ・・・・、

The most beautiful thing in Tokyo is McDonald's.The most beautiful thing in Stockholm is McDonald's.The most beautiful thing in Florence is McDonald's. Peking and Moscow don't have anything beautiful yet.
( 東京で一番美しいものはマクドナルド。ストックホルムで一番美しいものはマクドナルド。フィレンツェで一番美しいものはマクドナルド。北京とモスクワはまだ美しいものがない。)

そんな ウォーホル。 名声を得て不動のものにしてもなお、誰しも(誰でも)有名になれる、と預言めいた事を言う。 あまりにも突出した個性をもってしまった才能の没個性への回帰願望みたいなものなのでしょうか。 いずれにしても自分自身の好むと好まざるとに関わらず、彼自身が超一流の「オリジナル」となっている事には変わりはありません。
そして、展覧会を進んでいくと、こんなテキストに出逢います。

It’s the place where my prediction from the sixties finally came true: “In the future everyone will be famous for fifteen minutes.” I’m bored with that line. I never use it anymore. My new line is, “In fifteen minutes everybody will be famous.”
( 『誰もが15分間なら有名人になれる。いずれそんな時代が来るだろう』僕は60年代にそう予言したけど、それはすでに現実になった。僕はもう、この言葉には飽き飽きしているんだ。もう二度と言わない。これからはこう言う。『誰もが15分以内に有名人になれる、そんな時代が来るだろう』。)

とは、1970年代の末の言葉。突然にこう言い放つのですが、『誰もが15分間なら有名人になれる。』のフレーズも未消化なワタシにはその真意は依然よく解りません。それが『15分以内に』に変わったのはどういう心境の変化なのでしょうか。 「有名になるのは特別な事ではない、誰にでもチャンスはあるんだ」、と言うポジティブなメッセージにも聞こえるし、一方で、言った本人は大して意味を考えて口にしたのではないような気もします。ウォーホルは感覚の人だったのです。実にシュール(超)でエキセントリックです。 そのシュールで鋭い感覚(直感)で多様な色彩のパターンを操り、シルクスクリーンのように数限りなく複写ができる作品を量産しました。内省を重ね、意味の上塗りをして創りあげていくそれまでのアートとは完全に一線を隔した世界観です。もっとも、感覚の鋭さを感じざるを得ないのは、ドローイングを見ても解ります。殆ど2度描きの気配が見うけられず、一気に一発で描き上げられているその作品の数々を見れば、彼がその頃から感覚の人であった事は一目瞭然です。
またある時、ウォーホルはこんな言葉も残しています。

If you want to know all about Andy Warhol, just look at the surface of my paintings and films and me and there I am. There's nothing behind it.
( アンディ・ウォーホルって人間について知りたければ、ぼくの絵や映画を、ただ表面的に見ればいい。そこにぼくがいるから。裏には何もないんだ。)

これを言葉通りに解釈すると やはり彼の言葉は思いつき(という言葉ほど乱暴で雑ではないですが)で口から出てきた 大して意味を成さないもののように感じられます。 ただその時感じた事をストレートに口にして、意味をなさない、というよりは、深い意味(裏の意味)はない、の方が妥当でしょうか。でも またある時には、

I'd prefer to remain a mystery. I never like to give my background and, anyway, I make it all up different every time I'm asked.
( 謎を残しておきたいんだ。自分がどんな人間かは話したくない。だから聞かれるたびに答えを変えるんだ。)

とも言ったりします。 深読みさせるような他意の無い言葉を吐き、そこに意図的なものは実はなかったりする感じに、結果として私たちは翻弄されてしまうのです。 まさに表裏一体とはこの事ではないでしょうか。 裏はないけど謎はある。 今回の回顧展はアンディ・ウォーホルという人の人物像を紐解くアプローチだと思うのですが、彼の人間としての深さとか広さとか言う尺度で考えると、凡人はその巧み(?)な語録にすっかり混乱させられてしまうのです。
彼はこうも言います。

My mind is like a tape recorder with one button-erase.
( ぼくの心は、ボタンひとつで消去できるテープレコーダーみたいなもの。)

どこか自虐的でもあり、スタイリッシュでもあります。

・・・・・と、語録のカッコ良さに引きずられてきましたが、勿論、作品も堪能してまいりました。

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まとまった数のドローイングを観たのは初めてでしたけど、シルクスクリーンの尖がったウォーホル作品とはまた違った味わいのソフトな作品が多くありました。 ネコが好きだったんですね。 眼が大きくくりくりと描かれた可愛いネコたちの甘えたポージングが炸裂してました。



独特の描画法は、「ブロッテド・ライン」(しみつきの線)と言われ、イラストレーターとしても成功を収めたウォーホル独特のものだそうです。今回は図録ではなくて、ドローイング集を思わず購入。



子供向けの作品のコーナー。 色彩が豊かなので、子供の情操教育なんてのにも良いのではないでしょうか。 刺激的なモチーフは一切なく、子供の眼線を意識してか、低い位置に飾ってあったのが心和みます。



希少動物、絶滅危惧種の作品のコーナー。 彼のシルクスクリーン作品でよく見られる奔放で自由な感じのする刷りのズレがあまりなく、きちんとしていて、何処となくデジタルな雰囲気を漂わせています。色彩感覚、秀逸です。



彼の撮影した写真も今回多く展示してありましたが、写真もよかったです。 セレブリティ達のウォーホルならではの距離感で撮影されたスナップは、彼とセレブの間の微妙な距離感を顕しているような気がします。



そして、キャンベルスープ。 これはMoMAでも観ました。 日本の美術館は作品の前で写真が撮れないのが残念ですね。 ましてやマスプロダクト、量産や複製の中にアートを見出した彼なのです。 ウォーホルなら現在の「拡散」という現象についてどのように語ったのでしょうか。

他に、ジャン=ミシェル・バスキアとのコラボ作品で、「Year of Rat」(かな?)というバスキアのネズミが描かれていた黒とグレーの画がとってもキュートでした。イーディ・セジウィックやベルベット・アンダーグラウンドの映像作品など、ウォーホルが生み出した多くのの伝説的作品が一堂に会す、全てを曝け出したような回顧展だったのに、その人物像や心のプロセスに依然「謎」を感じる人は多かったのではないでしょうか。 しかしながら、その「謎」には何だか「釈然」としたものがあるのが、いかにもウォーホルらしいのですが。

≪展覧会構成≫
  1. ウォーホル作品のアイコン的存在、シルクスクリーンによる名作の数々
  2. ウォーホルとセレブリティ
  3. 一流ファッション誌『ヴォーグ』などにも掲載されたドローイング作品
  4. 現代美術史に燦然と輝くウォーホルの彫刻作品
  5. 約25本の実験映像作品を迫力ある展示空間で上映
  6. 天才画家、ジャン=ミシェル・バスキアとのコラボレーション
  7. 伝説のアートスタジオ、ウォーホルの「ファクトリー」を体験型空間として再現!
  8. ウォーホルの私的アーカイブ「タイム・カプセル」から日本に関する品々を本邦初公開!


Warhol Café でチーズバーガーセットも食べてきました!

   


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by sanaegogo | 2014-04-27 00:00 | art | Comments(0)
ERIK KESSELS(エリック・ケッセルス) | In almost every picture
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今年 2014年の学びは・・・・・。 今、東京藝術学舎のセミナーに通っています。今日はその初日なのですが、本日の内容は、『最新写真集と写真集出版の現在の動向を例にあげながら、過去からの流れをひもときつつ、写真集がこれまでなにを見せて来たのか、これからどこに向かって行くのか、写真集の果たす役割について考えていく。』というもの。 日本と絡めながら海外での写真集のあり方や取り組み方の変遷などのハナシを聴いたのですが、その中で講師の鈴木芳雄さん(aka.フクヘン)と IMA編集長 太田睦子さんから「ファウンド・フォト」についてのメンションがありました。
写真を撮る事が、万人がリーチ出来る娯楽の手段のようになった昨今、写真を撮ること、惹いては家族のスナップのような記録の1種としてではなく、日常を手軽に作品化出来るような雰囲気になっている今日この頃、作家からスマフォでSNSにアップするのが大好きな写真ファンまで、「撮る人」はとっても多様になってきてます。撮る人の飽和から写真表現の新規開拓まで、色々な要素が相まって、写真を撮る事だけが写真表現だろうか、という動きもあったりして、自分で撮るばかりが写真家ではない、と言ったアプローチも生まれてきています。 何もこれは2014年の最近の話ではなくて、もう何年も前から、多分、デジタル化の波に押されて、写真を撮る人層の急増に突き上げられるような形で、それまで「手軽」ではなくもっと「真摯」に写真と向き合ってきた人たち(作家達)の中で、既存との差別化みたいな形でむくむくと台頭してきたのだと察せます。 もっと言えば、もっとずっと前から、こんな風潮が出来る前から、ひとつの表現方法としてファンド・フォトをひとつの作品として再生する事を試みている人がいて、その1人が、ERIK KESSELS(エリック・ケッセルス)という人です。 思えば、個人的には2007年とかに コンテンポラリー・アートとかのセミナーやトークに出かけるようになってから、この名前は繰り返し聞いてきたのですが、今日、この講義に出て初めて、それが全て繋がって、エリック・ケッセルスのしてきた事として自分の中にやっと認識された気がします。(時間かかりましたねー。) 初めてその名前がワタシのノートの中に出現したのは、2008年の畠山直哉さんの‎AIT でのセミナーの時です。 畠山さんは、その時 彼の最初に出版したKessels Kramerの写真集シリーズ「In almost every picture」の第4巻の事例を挙げてファウンド・フォトについて説明をし、実物も見せてくれました。 この時は、その写真集自体、物凄く印象が深くて、その不可思議な成り立ちと淡々とした世界観に眼を奪われたのを覚えてます。ファウンド・フォトは、もはや、どこの誰のものでもない写真ですが、それを並べることによって、何かの意図が浮かび上がってきて、物凄く想像(妄想といっても良いかも)をかき立てさせられ、自分の中でいくつもの勝手なストーリや状況が湧き上がってくるような 動的感覚を覚えたのを記憶してます。 この日の太田さんのお話は ファンド・フォトだけに特化したものではなかったのですが、その行(くだり)のところで期せずして、この時の事がフラッシュバックのように甦ったので、今日は自分の備忘録として、エリック・ケッセルについて書きます! ( 先にも述べたように、それ以降名前だけは幾度と無く耳にしているのに、何故この時なのか、自分でも不思議ですが。 もうひとつの偶然としては、Webで調べ物をしていて偶然見つけたファウンド・フォトがあまりにも可愛くて、数ヶ月前からPCの壁紙にしているのが、なんと、知らず知らずのうちにこのエリック・ケッセルの見つけたファウンド・フォトだったのです。(冒頭の写真))
ケッセルスは自身のケッセルス・クライマー社からファウンド・フォトを用いて「Useful Photography」と「in almost every picture」という写真集のシリーズを出版しています。「Useful Photography」は、すでにどこかで公開されているものを集めたもので、もともとあったはずの場所から唐突にピックアップされて、写真集の中で何らかの意味や意図を発揮している、というシリーズ。もうひとつの「in almost every picture」は、蚤の市や古書籍店で集めてきたファウンド・フォトを編集した写真集のシリーズで、そこにはどこの誰とも判らない人々の思い出として様々なシーンが淡々と繰り広げられています。 そのイメージの羅列は何かを物語っているようでもあり、その時はさして意味を成さなかったもののようにも見えます。 でも時を経て、その時のその(それらの)写真を写した時の状況を察すると、とても意味深に見えてくるのです。

その「in almost every picture」の中から。
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この黒い犬。 飼い主家族には大変に可愛がられていたことが見て取れます。 可愛らしい専用のベッドが与えられていて、まるでわが子のように常に写真の中では主役として納まっていて、それが時には家の主が座るであろうリビングのソファーであったり、自由に遊び回れる広い庭であったり。飼い主は一生懸命その可愛らしさを写真に収めようとしているのでしょうが、当時のカメラではただただ黒い塊として写るばかり。ついぞ、その顔が写真に残る事はなく、愛されていた犬のシルエットばかり。 どちらを向いているのかさえも確認できず。その時の当事者達は決してふざけている訳ではないのですが、コミカルさが滲み出ていて、並べてみると何とも微笑ましい雰囲気がありますよね。


― in almost every picture #2


これも謎めいた写真です。 街中を走る1台の車。遠くから車を映しています。 これからドライブにでも行くのでしょうか。 車のオーナーやドライバーなら、この撮影距離は不自然で、わざわざどうしてこんな遠距離からこの車を写真に収めたのでしょうか。


と思いきや、車の中から写した写真もあります。写真を撮った人は同乗者なんですね。でも良く観ると撮影された車の運転席は空っぽ。 じゃあ、路肩に停めて撮影したんでしょうか。 それとも この車があの車? でも、この写真だけ車の上にTAXIのサインがついているんです。 そして、運転する人が助手席の人を「何故この位置から?」と謎が深まる写真もあります。


そんな写真は他にもあって、明らかに走っている車を「何故この位置から?」と思われる写真が続きます。 そして、街を抜けて車は山間に入ってきたようです。 どこかに旅行に出かける途中なんでしょうか。


写真は明らかに、ドライバーが助手席に乗せた女性を撮影したものです。 路肩に車を停めて。 空っぽになった運転席がそれを物語っています。 そして、街を離れだいぶ遠くまでやってきたみたいです。



とうとうこんなところまで来てしまいました。 谷間の路肩に車を停めて、ドライバーはまた運転席の女性を写します。 そして、女性は決して車から出て来はしないのです。



これは運転している人? 彼女の旦那さんでしょうか? 女性は足が悪い人なのかもしれません。 この写真も車の中から撮影されているようです。 決して車から出てくる様子はありません。 だったら、あの遠景で写された写真は、一体誰がどういう状況で、どういう意図で撮影したものでしょうか。 2人はご夫婦かも知れないし、お金持ちの足の悪い女性に雇われたドライバーなのかも知れません。 ストーリーはいくつもあるのです。


― in almost every picture #4

さらにドラマチックなのがこの写真。 友達、姉妹、二卵性双生児、いずれかは判りませんが、彼女達はいつも同じ服を着て写真に納まっています。 そしてそれを写真に撮っている「誰か」が常に彼女達の側にいるのです。



おしゃれをして、お揃いの服を身をまとい、そしていつも腕を組んで、楽しそうにカメラに向って笑いかけています。



季節を問わずいつもお揃いです。 こんなにいつもお揃いだったらそれは双子だからだろう、と思いがちなのですが、あまりにも違う背格好。 もしかしたら、恐ろしく仲の良い友達同士なのかも知れません。



そして、色々なところに出かけています。 本当にこの2人(いえ、撮影者を合わせると3人)はいつも一緒なのです。



他の第3者が一緒に写っている写真もあります。 しかも2人の間で2人から腕を組まれ楽しそうに笑っています。



写真は突然 小さい方の彼女1人きりになります。 もう大きい方の女性の姿はどこにもなく、お揃いの服かどうかも確認できません。 それでも彼女は色々な場所に出かけて、笑顔で写真に納まっているのです。 実は写真を撮っていたのは小さい人の婚約者で、あまりにも仲が良い大きい人を内心疎ましく思ってたのですが、2人の仲を引き剥がし、やっとプライベートなデートの時間を得るに至った、というストーリーはワタシの勝手な想像です。もしかして、第3の人物(撮影者)は実は存在せず、いつもお揃いを着て一緒に旅行に行って 居合わせた人にカメラを渡して記念写真を撮ってもらってたけど、ある日大喧嘩して絶交。 それからは1人で旅行に行くようになったとさ、というありがちな話だけかも知れません。

ワタシは実際にこの写真集を持っている訳ではないので、並びも実際こうなのかどうかは定かではなく、#2と#4のストーリーは全くの想像です。 でも、1枚ではただの古びたたまたま発見された写真(ファウンド・フォト)ですが、まとまって展開すると、その時の意図を超えてその想像はどこまでも広がっていくのはとても興味深いと思います。 しかもその想像はファンタジーとかではなく、具体的で実際有り得そうなのが、ファウンド・フォトが主にスナップで、写真がその人のその当時の生活を垣間見せているからなのでしょう。
それにしても、海外では蚤の市や古本屋さんに個人のアルバムや全くもってプライベートな書簡などが売り買いされているそうですが、何故思い出のつまったアルバムが売りに出される事になったのか、何所をどう巡ってここに至ったのか、その点でも想像はぐるぐると駆け巡りますが、それは想像してもしても理由や経緯は知る由もなく、そんな時感じる切ない気持ちに似たものがファウンド・フォトを特別なものに見せるひとつの要因なのかも知れません。 ここで、こんな風に写真集になる事がひとつの奇蹟みたいなものですからね。
最近では、Web上で拾った写真もファウンド・フォトと位置づけられているらしいです。 (もっともここで掲載した写真もWebから拾ったものですし・・・・) そしてそれを作品として再構成している作家も多く見られるようになっているようです。蚤の市やWebsiteで手に入れた写真で写真集や作品を創る。もはや、写真家というのは「写真を撮影する人」ではなくって「写真を作品として世に生み出す人」の事というように意味合いが変わって来ているんですね。

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藝術学舎(京都造形芸術大学・東北芸術工科大学)
写真集を見る、読む、楽しむ。そして作る 自分だけの写真集をつくるところまで!
2014年4月 9日(水) 「写真集が映し出す過去、現在、未来」
講師:太田 睦子、鈴木 芳雄
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テキスト参考:
http://blog.livedoor.jp/talbot2011/archives/52695597.html
http://jmcolberg.com/weblog/extended/archives/conversations_about_photobooks_erik_kessels/
http://www.shanelavalette.com/journal/2008/03/27/erik-kessels-in-almost-every-picture/
http://josefchladek.com/book/erik_kessels_ed_-_in_almost_every_picture_4#image-6
http://www.webinapage.com/2011/01/in-almost-every-picture-by-erik-kessels/
http://www.cartype.com/pages/4859/in_almost_every_picture
http://www.creativereview.co.uk/back-issues/creative-review/2008/february-2008/feature-lost-found


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by sanaegogo | 2014-04-09 00:00 | activity | Comments(0)