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『目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。』 フランシス・ベーコン展 @東京国立近代美術館
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フランシス・ベーコンを観終った後、うっすらと混乱した感覚と熱に浮かされたような気分で、今まで見たこともない世界を目の当たりにしてしまったような気がしました。抽象的でかつ具体的。"技法""画法""流派"みたいなものに捕われていない、カテゴライズ出来ない世界を観てしまった気がしました。『今までのどれでもなく、誰にも似ていないし、誰の流派(流儀)でもない。』表現世界です。



抽象画家と称されるフランシス・ベーコンですが、その画には全くと言って良いほど、その抽象性に作為的なものが一切感じられないのです。例えば同じ抽象画家として知られている20世紀の巨匠ピカソですが、ピカソの画に作為的なわざとらしさが感じられる、と言う事ではないんです。でもベーコンの画には何と言うか、上手く言えないんですが、『こう描くべきもの。』みたいな誇張された技法がなく、不思議な感覚でねじれ、ゆがむその描写された肢体が誇示されているばかりで、それを観ていると、ベーコンはそこに何が見えていたのかと本当に難解なものを見たもやもやした気分になります。(例えば、ピカソのキュビズム。あれは、「ひとつの対象を色々な角度から見てかつ一つの画面に収めている」、と言うある意味一定のルールに則って描かれている画法ですが、ベーコンにはその様なルールめいた作為が感じられない、と言う事を言いたい訳です。) と、述べたそばから反対の事を言うようですが、そんなベーコンの画にも繰り返し出てくる表現があります。半透明の体、体の中にぽっかりと開けられた口や穴、枠線のようなただの線描と化した背景、などです。でもこれらは、マイノリティー(唯一彼)であるが故、その表現の方法には"○○イズム"と言ったような名前も与えられていませんし、その出現の意図はベーコンにしか説明できないものになっています。もしかして当の本人ベーコンも解らないような事かもしれません。偏に、フランシス・ベーコンと言う人の心の中や考えていた事は、『いと知り難し』と言う事なのでしょう。自分に関するコメントや説明などを殆どしていない人物だ、と言うのも聞いていますし、そんな彼の一面が期せずしてこのミステリアスさを造り出しているのかも知れません。寡作な人ではなかったようですが、ある時期、自ら沢山の作品を破壊してしまったと言う事です。しかし、その理由もどこにも語られていないそうです。
本展はその残された作品の中から『身体』にフォーカスして作られていますが、その中にも少なからずベーコンの変化を見て取ることが出来ます。消え入りそうな半透明の体や描きかけかとも思えてしまいそうな線のみの中途半端な背景、画面は暗くどちらかと言うと精神世界を表現しているかのような時期、それがある時期から背景はマットに塗りつぶし、その色合いは美しく、オドロオドロしさとはかけ離れた爽やかな発色、その中に以前よりよりしっかりと描かれているねじれてゆがんだ身体の一部。この時もその身体の全貌は難解で、『デフォルメ』と言う単純な言葉では顕せない感があります。なのに何故か眼を惹き、眼を奪われてしまう。何故か。それはつぶさには解らないのですが、それを紐解くのに医学や脳科学それに心理学をもって語られているのも、ベーコン作品のひとつの特徴と言えるのではないでしょうか。(あとはちょっと宗教学。信者としてではなくベーコン自身の宗教に対する考え方として。) 個人的には、どちらの時代のものもかなり気になります。特に最後の部屋の三幅対(トリプティック)は圧巻で、圧倒されました。(例えベージュや黒であろうと)美しい発色の地色の中にごろんと唐突に投げ出された身体の一部。その身体部分の筆致を観ると、印象派のような淡いなだらかな優しい諧調が見て取れるのも不思議なコントラストでした。作品に圧倒されて、珍しく図録を購入したのですが、このトリプティックスは図録の中でも再現されていて、3枚の画が山折り、谷折りで図録の中に折り込まれていて、引き出すとトリプティクッスになるのでした。晩年のベーコンはやはりこの繊細な発色が作品の命。と言う事で、制作物には相当に気を遣っているようです。
話は展示に戻りますが、彼の前期の作品の展示には、作品保護のためにガラスが使用されています。これはベーコンが好んでそのように指示していたと言う事です。作品と観る人を隔たたせるガラスの存在を好んだようです。通常は映りこみを嫌ってガラスは用いない作家が多いようですが、ベーコンはあえてガラスを用いる事で、その隔たりを強調していました。 観ている人もその作品に自分の姿が映りこむ事で、ベーコンの世界との隔たりを意識したり、逆に自分の姿を映し込ませ作品に同化させて、それ(自分自身)もろとも鑑賞していた人もいたのかも知れません。こんなところからも、ベーコンが鑑賞する画家と言うよりも体験する画家であると言う事が伺えます。その何とも説明がつかない『何故?』『何故?』だらけの一連の作品を鑑賞するには『感じ取る』しか術がないように思われます。画面に広がる不具合を自分の中でどうにか調整しようと、観る人は感覚を刺激され、神経をざわつかさせられるのです。でもその不可解さは、先に述べたように、ベーコンの観る人に対しての作為や意図的なものがない故に、(大袈裟に言えば)最も単純なルートで直接、ダイレクトに五感に訴えかけてくるのかもしれません。
『目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。』とのミッションを仰せつかって鑑賞したフランシス・ベーコン展でしたが、いやぁ、未消化な部分を多分に残しつつも、これを観ることが出来て良かったです。しかしながら、私としては、ミッションをコンプリートさせるには、もう少し、購入した図録と首っ引きの更なる考察が必要なようです。

■ ■ ■ FRANCIS BACON
フランシス・ベーコン展
http://bacon.exhn.jp/index.html
(● バナーは東京国立近代美術館のウェブサイトからお借りしました。)


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by sanaegogo | 2013-04-27 00:00 | art | Comments(0)
「マーティン・パーが語る・・・・・写真を撮るってなんて楽しいんだろう」
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©赤々舎


過日、表参道ヒルズのスペースオーでやっていたPHOTOGRAPHY展。そこでカラー作品で人気のある6名のフォトグラファーによる写真展を観て来たのだけど、その時その中で私が良いなー、と思ったのは、ライアン・マッギンレーだったかな。若さと勢いを無意識に感じていたのだと思いますが、 (バックデートで記事とかをアップしてた関係で) 最近ではじわじわとマーティン・パーの写真が一番良いなーと、まさにじわじわと、きてます。ライアンの若さを弾けさせているような写真とはまったく路線を異にしていて、歳を重ねていい感じで熟成されたマーティン・パーの皮肉っぽい御茶目さに眼が行きます。マーティン・パーは英国人ですが、(*そう、"イギリス人"ではなくて、"英国人"と表したくなります。) その"趣味の良いスタイリッシュな悪趣味"に何とも言えない『味』のようなものを感じつつ、かつ、そこに捉えられている英国のちょっとposhで、笑えるような事をマジでやっている愛すべき一般英国people。そのコミカルで意図しない愛嬌がいい感じで表現されてます。

さて、そのマーティン・パーが来日して色々と各所でイベントをしていたのですが、その中で、日経のSPACE NIOで行われたトークショーに行って来ました。

ENJOY PHOTOGRAPHY
写真をもっと楽しく撮る、観る、飾る、知る
第1回 「マーティン・パーが語る・・・・・写真を撮るってなんて楽しいんだろう」
2013年4月24日(水) 19:00-20:30
日経 SPACE NIO
協力:IMA メディアプロジェクト / 企画:GOLIGA
http://academia.nikkei.co.jp/special/

そう、マーティン・パーの写真からは、彼が写真を撮る事を本当に心から楽しんでいるのが伝わってくるし、本人の語り口からもその気持ちが溢れるように湧き出ているのを感じる事が出来ました。とっても楽しい人です。日本には良く来日されているようで、通訳を交えたトークもとても上手。ここ最近は少し足が遠のいていたようですが、久々の来日を彼は本当に楽しんでいるようでした。 私は仕事が片付かず、30分ほど遅れて入ったのですが、会場はとても和やかな雰囲気で、ジョークと笑いに包まれ話はとても弾んでいました。

今回は赤々舎から出版された『 Life's a Beach 』のプロモーションも兼ねているそうです。日本通のマーティン・パーですが、写真集を日本の出版社で出版したのは初めてだそうです。

実に楽しいトークでした。ひとつのことを語るのにストレートには行かず、必ずちょっとひねって冗談や明るい皮肉を織り交ぜて話す彼独特の話しっぷり。スライドで見せてくれた写真もそんな彼のテイスト満載で、中でも世界各地のスタジオの笑っちゃうような背景の中で写した自身のポートレイトはサイコーに面白かった。ホント、クオリティーの高いオフザケです。こんな人柄の彼があのシリアスなムードの『マグナム』の一員だと言うのはまさに軽いミスマッチだけど、彼の写真を含め、この辺りがかのカルティエ=ブレッソンをして"別の太陽系から来たようだ"と云わしめた由縁なのでしょう。最後にサイン会とちょっとしたPhoto Sessionがあったのですが、写真に写る彼のファンと一緒に背の高い彼が腰を屈めて、どの人とも一様にcheek to cheekで写真に納まっている姿を見ると、そのお茶目さにすっかりファンになりました。
マーティン、また来てね! See you soon!

― 後日追記
最後に行われたQAの時に、1人の人が、『ある時点でモノクロからカラーに転向されたようですが、何故カラーに変えたのですか? もう一度モノクロに戻ろうとかは思わないのですか?』と質問したのですが、マーティン・パー氏は即答で、『何故なら、この世の中には色が溢れているからです。』と明解な答えをくれました。そして、『もう少し自分が歳をとったりしたら、周囲の人を驚かすために突然またモノクロに戻るかも知れませんけどね。』と茶目っ気たっぷりに付け足しました。このくだりってホントに彼が写真を撮る事を楽しんでるのが顕れているなーと思って。そして、いたずらっ子の彼の性分がよく解るなー、と思って、とても印象深く、書き添えておきたいと思いました。

(関連: PHOTOGRAPHY @表参道ヒルズ vol.2)

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by sanaegogo | 2013-04-24 00:00 | activity | Comments(0)
『美術手帖』×『芸術新潮』「フランシス・ベーコンを編集する。」
鈴木芳雄。ブルータスの名物副編集長時代から「フクヘン。」として名を馳せ、いまもコンパクトカメラ片手に世界中を飛び回る、永遠のスーパーエディター。
(2011年 鈴木芳雄写真展「シヤシン、フクヘン。」テキストより)

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そのフクヘンが最近青山ブックセンターの『青山ブックスクール』で『本・現場・美術』と言うセミナーをやってます。今回はこれの番外編第1回。この度、巷で盛り上っている近美で開催中のフランシス・ベーコン展について、美術手帖と芸術新潮が同時にベーコン展の特集記事を組んだのです。普通なら「被らないように」と言う力学が働きがちな業界で、同時に大々的に特集を組むのはとても稀有な事らしく、この機会にこれをネタに色々出版裏話とか2社(2誌)が互いに互いをどのように意識しているか、なんて話をさせてしまおうと、フクヘンが話を訊く、と言う企画です。近美に展覧会を観に行く前に色々勉強してから行こう!と思い立っていた私は、予てからのフクヘンファンだった事もあり、『今でしょう。』とばかりに出かけてきました。

本・現場・美術 番外編 第1回
フランシス・ベーコン特集刊行記念
『美術手帖』×『芸術新潮』「フランシス・ベーコンを編集する。」
岩渕貞哉(美術手帖編集長) × 米谷一志(芸術新潮編集長) × 鈴木芳雄
2013年4月23日(火) 19:00~21:00
青山ブックセンター本店
http://www.aoyamabc.jp/culture/fukuhen-wkspex1/

本当は4月6日に予定されていたのですが、この日はその前から関東が大荒れで外出は控えてくださいと各局の天気予報が口を揃えて警戒を促していたので、ABCも異例の延期。結果、天候は大して荒れなかったんですが、まあ、英断と言えるでしょう。改めまして、平日の開催だったのですが、行かれてよかった。(安堵)
始めに両誌の編集長が紹介されたのですが、始めに岩淵編集長が、その後米谷編集長が紹介されました。美術手帳の創刊が1948年創刊、芸術新潮が2年後の1950年。と言う事で、米谷編集長の方が年長なんですが岩淵編集長を先に紹介します、とのコメントがフクヘンから。この辺りの(きちんと意図を伝える)さり気ない配慮やそれを伝える事で登壇者2人やオーディエンスに与える安心感。フクヘン、流石です、と思いました。私は美術手帖は特集が面白そうな時に購入したり(何てったってちょっと廉価ではないのでね、時々しか。)して読んでますが、残念ながら芸術新潮は読んだ事がないので、つぶさにその2誌の違いとそれぞれの特徴などは言えないのだけど、今回の特集の取り組み方について、それぞれの編集長がプレゼンをし、それをフクヘンがまとめてくれました。


(画像は青山ブックスクールのサイトから引用 http://www.aoyamabc.jp/culture/fukuhen-wkspex1/)


【美術手帖】裁判的 証言的 映画的 傍聴席的 (読者は証言を聞いている)
【芸術新潮】演劇的 対話的 舞台的 観客的 (読者はストーリーの展開を見ている)

なるほど。美術手帖は文字が多く、(これは創刊からの誌風だそうですが)、出来る限りの情報を詰め込んで理解してもらい検証してもらう、と言うスタンス。芸術新潮は内容の中に演出や効果を施して当事者的な目線を引き出そうとしている。と言う違いでしょうか。各編集長のその基本姿勢に則った誌面の作り方、拘りなど競うようにして(しかし嫌な対抗意識もなく)語っていたのは興味深いものがありました。 美術手帖は、ベーコンのあのカオスの坩堝のアトリエを密室として捉え、ベーコンの制作を事件として捉え、あたかもサスペンスを仕立てるように展開させたそうです。方や芸術新潮はアトリエを編集部肝いりの演出で再現し、ビジュアルからそれにまつわるエピソードを展開していったそうです。表紙の作り方にも特徴が顕れていて、BTはただ事実をどばんと全面に『フランシス・ベーコン』、いかにも事実のみ、芸新は『20世紀のカリスマ フランシス・ベーコンを解剖する』とまるで電車の中の吊り広告みたいではないですか! 写真家の起用も対比されました。ベーコンと言うとモデルを使わずに写真を基に制作をする事を好んだことで知られていますが、BTは杉本博史が写真家の立場とかつての古美術商(評価する人)としての立場と両面でベーコンを語り、芸新では、セザンヌのアトリエを撮影している事で知られる鈴木理策がその目線で筆を寄せていています。面白かったのは、芸新の米谷編集長は自らベーコン展が(一般向けに)始まってから近美に足を運び、実際のジョージ・ダイアの前にゲラを持参して色校をやったそうです。(編集者ってすごい!と思いましたね。) と、この様な数々の面白い話を引き出しつつも、フクヘンがちょいちょいとベーコンにまつわるエピソードを披露してくれて、あっと言う間に予定の時間は過ぎていったのでした。それにしても、本当に、鈴木芳雄と言う人の持つ膨大なデータベースと言うか、知識と言うか、ネタと言うか、身近なものから高尚なものまで、するすると水が湧き出るように語られるその情報は凄いですね。しかも、書籍を読んで知っていると言うだけでなく、彼はその場所に行き、自分で見て、自分の体験の一部、自分が観て聞いた話としてそれを持っている。そして、それを伝える言葉は判りやすく、難解であることで知識人ぶりを誇示するのではなく、個人的に言えば理想的な知識人の姿だと思います。
と、まあ、話は尽きないのですが、ここであの時語られた事を垂れ流し的に記していてもしょうがないのでこの辺(全然言えていないですが)にしておきますが、20世紀のカリスマ フランシス・ベーコンを今現在美術愛好家に人気を博している2誌がそれぞれの論点で特集している。その違い。その対比。学生だったらこれだけで同時代の面白いレポートが書けそうですよね。学生さん、腕の見せ所です。(ワタシのメモもまるで学生が授業で取ってるみたいなものになっちゃいました。)
フクヘンからは数々のベーコンとそれを(時代をまたいで)取り巻く人々の興味深いエピソードも聴けたし、満足の2時間でした。こうなってくると、本当に3月21日に京都造形芸術大学・東北芸術工科大学の外苑キャンパスで行われた、脳科学者の茂木健一郎さんとフクヘンのベーコンについての対談を聞き逃したのが悔やまれます。

(● 画像は、『青山ブックスクール』のページからお借りしました。)

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by sanaegogo | 2013-04-23 00:00 | activity | Comments(0)
第2回パブリック・シンポジウム 「こんなデザイン美術館をつくりたい!」
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© 国立デザイン美術館をつくる会 2013


『そろそろ、日本に国立のデザイン美術館が必要なのではないでしょうか。』と言う一生さんの掛け声のもと、第2回のパブリック・シンポジウム「こんなデザイン美術館をつくりたい!」が仙台メディアテークで開催されました。第1回の「国立デザイン美術館をつくろう!」は東京ミッドタウンホールで行われました。今回2回目にして東京を飛び出し、地方都市での開催となったのは、
(仙台メディアテーク+伊東豊雄氏+仙台+「みんなの家」)×デザインマインド=仙台開催!
と言ったような方程式があったものと思われます。
一生さんが、デザインミュージアムを考える会であるからこそ、仙台メディアテークで伊東豊雄さんをお迎えしてシンポジウムをやりたかった念願がかなった、とおっしゃっておりました。恐らく東京から新幹線に乗ってまで参加した人はそうそういなかっただろうと思いますが、仙台メディアテークを見てみたかったのと伊東豊男さんのお話を聞きたかった、というのがあります。

シンポジウムは3部に分かれてまして、登壇者は以下のとおりです。
(以下、敬称略で。)

10:30~12:00 SESSION1 【クリエーターのアイデア】
中村勇吾(インターフェースデザイナー)
関口光太郎(現代芸術家)
大西麻貴(建築家)

13:00~14:30 SESSION2 【一般から寄せられたアイデア】
宮島達男(現代美術家)
五十嵐太郎(建築史家)

15:30~17:30 SESSION3 【総括】
浅葉克己(アートディレクター)
伊東豊雄(建築家)
三宅一生(デザイナー)
青柳正規(美術史家/国立西洋美術館長)


全てのSessionにわたって 佐藤卓(グラフィックデザイナー)と 深澤直人(プロダクトデザイナー)がモデレーターを務め、最後のSession3には加えて第1回でもモデレーターをされていた 柴田祐規子(NHKアナウンサー)が今回も進行をしました。当初の予定にはなかったのですが、Session1、Session2の登壇者も全て壇上にあがり、総勢11名を束ねるのはさぞかし大変でしたでしょう。そんな事もあったのかなかったのか、結果的に伊東豊雄さんのお話は殆ど伺うことが出来ず、個人的にはここ仙台で開催したのだから、もっとこの場で伊東さんのお話を(多少、国立デザイン美術館をつくる、と言う開催の趣旨からズレたとしても)聞きたかったなぁ、というのが本音のところです。
Session1は【クリエーターのアイデア】と題して、21_21の『デザインあ展』にも参画していた(というか、TV番組「デザインあ」の監修のお1人ですが)中村勇吾さんがユビキタスで網の目のように広がっていくデザインミュージアムや水平垂直方向にメタボして進化していく美術館の在り方などについて語りました。 ネットワークの利用と拡張みたいな観点でお話をして、話を聞いていると、本当に自由。何か既成概念に囚われずにアイディアを口にしていく事が素晴らしいと思いました。絵空事のような事を絵空事で終わらせず、それを具現化する方法論も持っている、そんな感じです。夢と現実を繋げるのは優れた思考力と実行力なのですね。若手築家の大西麻貴さんも、アイディアとして移動するミュージアム的な話をして、最初は正直『何じゃそりゃ?』と訝しい感じもしましたが、話を拾う方に柔軟な発想があると全貌が見えてくるものですね。佐藤卓さんのフォローで、コンセプトの点では何となく理解が出来ました。そしてこの『移動遊園地のように移動する美術館』と言うのが、案外中村勇吾さんの提唱したユビキタスな感じと共通するものがあるのではないかな、と感じた訳です。本筋とはズレるのですが、御三方の話を聞いて、漠然としたものを漠然としたまま終わらせない粘り強い思考力とある種の解決力みたいなものって、クリエイターと呼ばれる人には必須の素養なのだなと切に感じました。ある種突飛な発想が出来なければクリエイティブではないし、それを実際に実現させて何かを産みださないと、これもまたクリエイティブとは言えない訳です。空想と現実の世界をバランスよく軽々と行ったり来たりしている人たち、御三方の話し方、ふとそんな印象を受けました。
Session2の【一般から寄せられたアイデア】。この時間帯はお昼をカフェで満喫し、お腹も膨れたところで、メディアテーク内を見学するためにスキップしてしまいまして・・・・。登壇者の五十嵐太郎氏と宮島達男氏には申し訳ないことをいたしました。一般からのアイディアのディスカッションという事で、これも面白い内容だったに違いないのですが、残念ながら我々は席を外してしまい、その内容は知る由もありませんでした。
さて、そんなこんなで天王山。Session3 【総括】です。伊東さんの自分の仕事についての理念や何をどう考えて(広義な)ものづくり、デザインをしているかが語られる事を期待していたのですが、構成上仕方がないとは思いますが、何となく不完全燃焼で、せっかく仙台メディアテークで行われたのに、その理念を聞かずんば、という感じは否めませんでした。この会場をシンポジウム会場に選んだのですから、多少この度は『国立デザイン美術館』から逸れても良いのではなかろうか、と感じました。それどころか、恐らく、伊東さんの掘り下げて行くであろう話しは、ひいては『国立デザイン美術館』設立の根幹に関わるところまで話が及んだのではないかと拝察されます。(時間が充分であればですが。) そんな中で、やはり『みんなの家』についてのお話には重点が置かれていました。『みんなの家』は作品性だけがデザインの全てなのか、という問いかけの許、①人々が集まって語り合い、心の安らぎを得る、②一緒に作り上げる、③拠点になる、そんな目標というか、目的で推進されている活動だそうです。無数の試行錯誤をひとつひとつカタチにしていく。そんな試みで、それこそまさにシンポジウムが探っていく方向性にヒントを与える話であったはずです。何となくですが、伊東さんは話し足りず、もっと発信したいと壇上で思われているようにお見受けいたしました。(僭越ながら) 最後に地元仙台、東北の被災地という地元の方々からQ&Aのセッションがありました。(こう思うと、東京勢が聴衆として大挙して押し寄せるような事がなくてよかったのだと思います。) 復興のために東北以外の人たちも応援や支援をしているけど、観光(外部から来てそこに何かを残していく)重視という考え方に陥っていて、その場で残すべきもの(伝統文化)などを失ってしまうのではないか、という懸念が地元にはあるようです。自分達(東北の人々)の日常を切り取って提示した上で、そこに観光という切り口で切り取っていく事は出来ないのだろうか。伊東さんはそんな事を語っておられました。『アフォーダンス』という言葉を取り出していましたが、これは今後のキーワードになりそうな予感がします。"体験に基づいて,説明なしで取り扱うことができる何か。" それを残していく事、踏まえて新しいものを作っていく事が重要なのだと示唆していました。
東京仙台の2回のシンポジウムで、こんなミュージアムを作りたい、という設立における基本姿勢が語られてきましたが、次回からは、では具体的にどうすればよいか、どう段取っていくか、どう方策を講じていくか、など、具体的なディスカッションに移って行くことを、個人的には期待しています。それは、シンポジウムとしてはぱっとせず、面白くないトピックなのかも知れません。でも、これまで数々のデザインに関わる方々の意見やアイディアを聞いてきたのですから、今度は少し踏み込んだ方法論みたいなものも必要な気がします。例えそれが理想と現実のコンフリクトを産み出す事になっても、それは避けて通れない道なのではないでしょうか。性急すぎるのも良くありませんが、同じところで足踏みをしているような事でもいけないと思うのです。僭越ではありますが、そんな風に思います。例えば今度は国立デザイン美術館に対して懐疑的なネガティブな人を招いて、討論めいた事をして問題点を洗い出してみるとか、そんな中でも得るものは必ずあると思います。

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by sanaegogo | 2013-04-21 00:05 | activity | Comments(0)
仙台メディアテーク


2012年の仕事でさんざん足を運んだ仙台にこんな形で再び訪れることになるとは、ゆめゆめ思いませんでしたが、酔狂が高じて、仙台メディアテークで行われた 国立デザイン美術館をつくる会 第2回シンポジウム 「こんなデザイン美術館をつくりたい!」に行ってまいりましたよ。 第1回はミッドタウンホールで開催されたのですが、第2回目はここ仙台メディアテークが会場です。"国立デザインミュージアムをつくる"という「国立(National)」というくらいですから、国と行政を巻き込んだ大事業の歩みを発足の時から見られると言ったようなことはあまり機会がないので、来し方行く末を見届けてみたい、という気持ちに駆られ、パブリック・シンポジウムの全回参加を目指しています。・・・・と、いうのも大いにあるのですが、今回わざわざの参加を決めたのは、仙台メディアテークを見てみたかったというのも大いにあります。仙台メディアテークは、2000年に竣工し、2001年開館した建築家伊東豊雄の設計(デザイン)による建築です。伊東豊雄さんは、このメディアテークなどの設計が世界的に評価されて昨年2013年にプリツカー賞を受賞されています。更に、メディアテーク自体に訪れて、実際に見てみたかったというのもありますが、今回の第2回シンポジウムでは、伊東豊雄さんご本人が登壇されるというので、それも目的のひとつとして大いにありました。(あとは終了後の牛タンでしょうか。大いに。)
メディアテーク(mediatheque)という名称は造語で、親戚にあたる言葉で何となくお馴染みなのは、ディスコティーク(discotheque)でしょうか。これは、フランス語が語源で、『disc(o)‐「レコードの」+bibliothèque「図書館」』だそうです。メディアテークはというと、「メディアの」+「図書館」。そう、仙台メディアテークは基本的には「図書館」だったのです。私はここがアートスペースだとばかり思っていたので、これはちょっと少なからず衝撃でした。『図書館だったんだぁ・・・・。』、と。そしてその仙台市図書館は、それはそれは素晴らしく素敵でした。あんな素敵な図書館を持っていると言うだけで、仙台市は自分達の文化的水準の高さを自慢してよいと思います。そして、『デザイン・マインド』を持っているという事も。勿論、図書館以外にも、今回シンポジウムを行ったような多目的なスペースや志賀理江子の「螺旋海岸」が開催されていたギャラリースペースもあります。ギャラリーやシアター、メディアを活用できるスタジオが、各メディアを媒体としてアーカイヴされている情報を閲覧できるライブラリー機能と混在している訳です。(仙台メディアテークの理念・サービス:http://www.smt.jp/smt/about/idea/) 施設内に設置されているちょっとしたベンチ、DVD閲覧用のカウンター、学習スペースなどもとてもスタイリッシュでデザイン性に優れていて観て回るのも楽しくなります。 この時、デザイン性とは文字通り見た目と機能両面においてです。ホントに地元自慢の公共施設ですね。メディアテークの周辺にはアートやデザイン系のお店もどんどん集まって来ているそうです。まさに、ひとつの秀逸な外観と機能を持つ建築物が地域の人々のデザイン・マインドを刺激して、波紋のように広がって行く様をみている感じがします。そんな意味からすると、第2回シンポジウムがここで行われたのはとても理に適った事なのかも知れません。
個人的な話では、設計者の伊東豊雄さんとは2011年に東京国際フォーラムで行われたUIA2011でご一緒させていただきました。『ご一緒』といっても、方やホールAで行われたテーマセッションとUIAワークプログラムという所謂専門家向けの講演の登壇者。大会全体では最も敬意を払われる登壇者のひとり。方や私はそれをコーディネートするいち運営コーディネーターだったのですが、(コーディネーターは壇上でセッションの進行を取りまとめる人という意味もありますが、私はただの講演の運営を準備調整する人です。)、舞台袖で拝見する伊東さんの優しい感じのお人柄に触れ、美しいプレゼン資料を拝見し、すっかりファンになってしまった次第です。
仙台メディアテークは、日本が欧州や北南米に負けないような、地域の文化水準を高め、バックグラウンドを固めていく中心地となり得るような夢を背負っているような気がします。それが東京ではなくて、地方都市だからこそ、なおよい。伊東さんは建物のみならず、市民や子供たちが知らず知らずのうちに、敷居の高いものとは感じずに、アートやデザインに触れ素養として身に付けていけるような環境をも作り出しているのですね。東京にはもう沢山そんな場所があるのかも知れないけど、東京じゃなくたって身近にこんな素晴らしい市民の憩いの場所があるなんて、仙台市民、羨ましい気がしました。北欧デザインのような洒落たベンチでお弁当を食べながら、楽しそうに借りてきた本についてあれこれ話している中学生の姿が印象的でした。
(肝心のシンポジウムについて話す前に、かなりの文量を割いてしまったので、シンポジウムの内容については、改めてお届けすることとします。)

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この日は何と、仙台は雪が降っていたんですが、シンポジウムが終わる頃はすっかり青空で、
メディアテークに映った空が素晴らしく澄み渡り、青々と眼に眩しかったです。




シンポジウム会場の椅子。
スタッキングチェアにも こんなデザインが施してあって、心憎いばかりです。


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by sanaegogo | 2013-04-21 00:00 | activity | Comments(0)