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Francis Bacon @Taka Ishii Gallery Photography / Film


今、近美で開催されているフランシス・ベーコンの回顧展が熱いですね。何故か無性にこのフランシス・ベーコンが気になるかと言うと、それにはちょっとした個人的理由が・・・・。今年の1月くらいでしょうか。近美でフランシスコ・ベーコンのアジア発となる大回顧展が行われる事がニュースになり始めた頃、『フランシス・ベーコン? 聞いた事ある名前だな。』と思ったのは私です。その記事を読むと、「その人生が20世紀とほぼ重なるベーコンは、ピカソと並んで、20世紀を代表する画家と評されており、生誕100年となる2008年から2009年には、テート・ブリテン(英国)、プラド美術館(スペイン)、メトロポリタン美術館(アメリカ)という世界でも主要な美術館を回顧展が巡回しました。」とあるではないですか。私はそこでちょっと愕然とした訳です。その画を観ると見た事があるようなないような感じであまり記憶はなく、今更ながらに、この後に及んで、巨匠ピカソと並び称されるような20世紀を代表する画家と評されている作家の事をちっとも知らなかったのか。その事実に愕然としてしまったと同時に、なんかちょっと恥を知る感じがしちゃいまして。恐らくひとつの理由としては、その主要作品の多くが既に美術館に収蔵されていて、個人蔵の作品はオークションで非常に高値をつけているので、展覧会を開催するのが難しく、かつ日本には全部で5点しか作品がないそうなので、そんな事に拠るのでないかと。ま、そんな事はさて置き、この歳になってしかも大概の巨匠は知っていると思ってたのに、この段になって新しい名前を知るとは。滅多にない事なのか、果たして今後も頻繁に起こりうる事なのか、それは解りませんが、と言った理由から、このフランシス・ベーコンにはかなり興味を持ったと言う訳です。 (自分にとって全く持って新しい新規の情報とし展覧会を観ることが出来る訳ですから。)
世間がこの展覧会について色々と盛り上がっているようなので、近美を観に行く前にちょっと色々勉強していこうから行こうかな、と思い、今日はタカ・イシイで開催されている「Francis Bacon」展です。





EXHIBITIONS
Francis Bacon
Dates: March 9 – April 6, 2013
Location: Taka Ishii Gallery Photography / Film
http://www.takaishiigallery.com/jp/archives/7527/





色々なところで様々な人たちがフランシス・ベーコンについて何かしているのを見ると彼を語る切り口の多様性とか、薀蓄の及ぶ範囲の広さみたいなものが判る気がしますが、このタカ・イシイで行われている写真展(?)は、ベーコンが制作のアイディアの得るのに使用した数々のコンタクトプリントが展示されていて、もはや、ベーコンの作品ではなく、ポージングや状況演出の指示を出したのはベーコンでしょうけど、撮影者に至ってはこの展示では特に特定されてはいません。ベーコンは名前のある写真家に撮影を依頼していましたが、当時のニューヨークで活動していた無名の写真家にも撮影をさせてたそうです。展示されているコンタクトシートはベーコンの作品が産みだされる素の素、みたいなもので、そこには漠然としたベーコンのイメージが試み的に存在しているだけで、物理的には何も手をくだしたものではないのです。 それすらも、フランシス・ベーコン展として成立してしまうところに、底知れない凄さ(名前の大きさ)みたいなものを感じました。 リスペクトされているんですね。
また、物理的にはそうなのですが、コンタクト・シートをみていると、彼の思考、志向、嗜好、指向、と沢山の試行を垣間見る事が出来ます。言わばネタ帖のようなもので、ベーコンがモデルそのものよりも写真を基に制作をしていた事から、その『写真』の立ち居地を考えてみる、と言う事なのかもしれません。写真と作品とのある種の関わり方ですね。この事から言うと、これらのコンタクトシートは、美術館の展示でよくあるような『・・・のための習作』なんて題名がつく「彼の作品」と呼べるものなのかも知れません。 水泳帽を被った男性二人の不思議な格闘風景、やはり水泳帽を被った水着姿の女性の奇妙なポージング、ある役柄を言われ何らかの情景を再現している男女の役者の様な人たち、などがコンタクト・シートの中で跳びまわり躍動してますが、ベーコンの中で「身体」は最も重要な要素で、何を考え、何を想定してこの撮影を行うに至ったのか、などを勝手に想像したりしているとなかなか興味深いものがあります。特に『水着で格闘』『水着でポーズ』のシリーズはその捉える瞬間がかなり独特のもので、『ポーズ』の方は確実にベーコンがポーズを指示してシャッターを切っていたと思われるので、あの奇妙な肢体表現がベーコン的表現の真骨頂なのかな、と思いました。
なるほど、このコンタクト・シートの要素がどのように彼の絵画にその徴を刻んでいくのか、本編(近美のベーコン展)を観るのがますます楽しみになってきました。

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by sanaegogo | 2013-03-30 00:00 | art | Comments(0)
「デザインあ展」で・・・。 @21_21 DESIGN SIGHT
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会期は6月2日までたっぷり。子供連れでも友達同士でも、いつもの美術館やギャラリー巡りとはちょっと違う、はしゃげる誰かと行ったらいいんじゃないかなー。 と言う事で、ワタシ等も行って参りました。 かなーり盛り上がっている『デザインあ展』です。

タイトル: 企画展「デザインあ展」
http://www.2121designsight.jp/program/design_ah/
会期:2013年2月8日(金)〜 2013年6月2日(日)
会場:21_21 DESIGN SIGHT
主催:21_21 DESIGN SIGHT、公益財団法人 三宅一生デザイン文化財団、NHK エデュケーショナル

協力: 株式会社アマナ、株式会社アマナイメージズ、キヤノン株式会社、キヤノンマーケティングジャパン株式会社、ジャパンマテリアル株式会社、ベンキュージャパン株式会社、マックスレイ株式会社、ヤマハ株式会社
展覧会ディレクター: 佐藤 卓、中村勇吾、小山田圭吾
参加作家: 阿部洋介(tha ltd.)、岡崎智弘、緒方壽人(takram design engineering)、折形デザイン研究所、studio note、Perfektron、plaplax、山田悦子(むす美)、他


そうそうたる顔ぶれですね。 さて、言わずと知れたNHKのEテレでやっている『デザインあ』のスピンオフ企画ですが、実は本物の放送の方は観た事がないのです。(だって、土曜日の早朝でしょ。) 21_21のウェブサイトで紐解くと、偏に「デザインマインド」を育てる事を目的とし、ディレクターの佐藤卓さんはじめ、中村勇吾、小山田圭吾などの「デザイン」と言う土壌で活躍する面々が、『これは子供向けなのか?』と言うようなクオリティで、かつ、反対から視ると子供の眼線まで姿勢を低くしてよく考えられているのが解ります。ワタシが何故この『デザインあ』に関心を寄せたかと言うと、(的外れな意見だとは思いますが)、オボロゲながら覚えていて子供心に大好きだったあの『カリキュラマシーン』を髣髴とさせる雰囲気を感じたからなのです。 行ってみるとカリキュラマシーンとはちと趣旨が違うのは直ぐに判ったけど、あの子供を対象としながら手加減しない、手抜きをしない、オトナのダイナミズム満載の番組構成と言うか、子供向けと言いつつも作り手のオトナの茶目っ気や面白がっている様が垣間見られるところと言うか、オトナに提示する並みの冗談尽くしの勢いとか、そんなものを共通点として感じたのであります。 きっとこれ、作ってるオトナは結構面白がって楽しんでますよ。 なので、子供の「デザインマインド」を育てると言う意味もあるでしょうけど、大人の「デザインマインド」を再確認すると言うか、再構築すると言うか、今からでも遅くない的な、子供向けの隠れ蓑を着た、「デザインマインド」を忘れているまたは知らない大人達へのメッセージでもあるような気がしました。 大人は理解しようとする、子供は感じようとする、そしてどちらも楽しむ、そんな感じです。
今、21_21では別建てで『デザイン』と言うものの定義を考え提示しようとしていますが、説明書を読まないとスマフォが使えない大人達を尻目に、iPadを与えただけで巧みに使いこなす子供たち。 大人が一生懸命アタマで考えて定義付けしようとしているものを子供達の柔らかい感受性は直感的に汲み取る事が出来る、そして大切なのはその良質な『マインド』に触れる機会を数多く提供する事、そんな取り組みを目指しているようです。 ひいてはそんな機会を創造する事で大人もその恩恵を受けているのですから、これは、21_21が言うように、まさに「デザイン教育の可能性に注目した、子どもと大人の双方に向けた展覧会」なのです。




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by sanaegogo | 2013-03-23 00:00 | art | Comments(0)
螺旋海岸 志賀理江子トークイベント
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『螺旋海岸』と言う不可思議なタイトルの写真展を被災地宮城県の仙台メディアテークで開催したと言う事が気になって、志賀理江子さんのトークショーに出かけてきましたが、話を聞いたり、スライドショーで彼女の写真を観てみると、名前は勿論知ってましたが、私はそんなに志賀理江子の写真についてよく知っていて某かの感想を抱いていると言う訳ではなかった事を改めて知りました。『螺旋海岸』という言葉が生み出す不思議な想像力と言葉の持つ独特の雰囲気がずっと気になっていただけで、写真展で展示された写真を観ていて某かの印象があり『あ、このトークショー、行ってみたい。』と思った訳ではなかったんですね。(しつこいですが)私の関心の全てはこの『螺旋海岸』と言うタイトルのネーミングに尽きる、と言う感じでしたが、この造語には何か言い様のない秀逸なものと心を引き寄せる何かを感じてたんですね。タイトルについて、トークショーの中で彼女は、『螺旋階段を造りたくて、人に相談したら、物凄く難しいと言う事が判り、途方にくれて北釜の海岸に寝転んでいたら、そこらじゅうに生えている松の木が下から見上げるとまるで、螺旋階段のようだった。なので、この海岸は螺旋階段がたくさんある海岸で、だから”螺旋海岸”だと思った。』と語っていましたが、この想像力の膨らみ方の方向と言うか、不思議な飛躍と言うか、はすごいなーと思いました。何と言うこともないエピソードが発端でこの如何にも意味あり気な言葉を作り出し、それを写真展を象徴するタイトルにまで押し上げて(造りこんで)、それを据えてしまう。 ある意味迷いの無いというか、自分の世界に対する揺るぎない『思い込み』の強さ、というか、そんなモノを感じました。(観てはいないので、何とも言えませんが)、メディアテークでの写真展もそんな内容だったようです。

VACANT
「螺旋海岸 | notebook」「螺旋海岸 | album」刊行記念
志賀理江子トークイベント



さて、トークショーですが、物凄い濃厚なトークでした。志賀さん本人は客席の反応などを見ながらインタラクティブにやりたいと言いつつ始まったのですが、結果、2時間弱、何かが降りてきて彼女に何かを語らせているような雰囲気で、(正直)まとまりはあまりないのですが、とにかく淀みなく話し、自分の中の未解決な部分や未消化な事とかをあれよあれよと言う間に曝け出し、『どうだ!』と言う感じの話し倒しの感じでした。 何となくですが、自分の感受性を自分で持て余してしまっている印象を受けました。志賀さんの持っている未消化で未解決な部分(大部分)が彼女の生きていく旅ならば、さぞかし生きづらい人生なのかな、などと、余計なお世話の印象を持ちました。 またその難解な彼女の語り口を彼女のファンの人々は一生懸命解ろうと、汲み取ろうとするのです。 何だか痛々しかった。
ご存知の通り、2009年頃から志賀理江子は度々宮城県の北釜を訪れて、その土地に魅せられてそこでの生活に自分を投入し、集落の行事の撮影や年寄りの伝承を記録していくといった作業に没頭するようになります。期せずして先の東日本大震災で壊滅的なダメージを受けてしまった土地ではありますが、この頃の志賀理江子始め、周囲の人たちは勿論、やがて訪れる大惨事を知る由もありませんでした。螺旋海岸は東日本大震災への鎮魂と言う意味合いではない、とトーク中にも言っていましたが、写真家として、フィールドワークに入ったその土地が向かえる事になる大きなこの出来事を当事者として体験する事が出来たのは、ある意味千載一遇の必然的な偶然だったのだと思います。その一連の流れの中に大震災はあった訳で、唐突にその部分だけフォーカスして見て欲しくない、と言うような彼女の意図は理解できます。 ましてや予てからのテーマというか、彼女の追いかけているものが『生と死』それにまつわる矛盾と葛藤というものなので、フィールドワークの果てに訪れた大震災は、余りにも出来すぎの偶然のようになってしまったのかも知れません。
新国立美術館でも4月1日までの展示の「アーティスト・ファイル2013」で、この螺旋海岸のシリーズが展示されるようですが、やっぱりワタシはメディアテークのを観てみないとこのトークショーについては何も解らないな、と思いました。志賀さんは震災の集大成ではないとは言っていましたが、仙台の被災地のあの地の、メディアテークと言う会場で行った独特の展示方法。 スポットを当てないので、夕方になると写真にも影が射しまるで墓標のようだったと聞いています。それを見なければ何を言っても中途半端になってしまう気がしました。

≪関連記事≫
志賀理江子 螺旋海岸: http://www.smt.jp/rasenkaigan/
ART iT 志賀理江子インタビュー イメージに身体が触れる ―架け橋としての歌 :
http://www.art-it.asia/u/admin_interviews/yVsfhQi1o0evIK8nJOD3
Artist File 2013 志賀理江子 : http://artistfile2013.nact.jp/shigalieko/index.html
artscape 考えるテーブル 志賀理江子 連続レクチャー :
http://artscape.jp/report/curator/10016599_1634.html

この写真が 現地の展示で地元の方を始め多くの人から一番反響のあった写真だそうです。 怖い・・・。



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by sanaegogo | 2013-03-10 00:00 | activity | Comments(0)
the Future @ Theater Image Forum
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ザ・フューチャー the Future
ミランダ・ジュライ 監督/主演 Miranda July
イメージフォーラム Theater Image Forum
http://www.the-future-film.com/MirandaJuly.html

ちょっと前にネットで見て気になっていたこの映画。それから程なくして失念していたのですが、再びネットで見て、俄然見たくなってしまって、思い立って行ってきてしまった。ワタシにぐさっと刺さってきたのは、この映画のイントロダクションに書かれていた 『同棲4年目を迎えた35歳の女性ソフィーと恋人のジェイソン。ある日、2人は怪我をした小さな猫を見つけ、パウパウと名づけて最期を看取ると決める。そのことをきっかけとして2人の心境や生活はゆるやかに変化していく。お互いやりたいことをやろうと、仕事を辞め、インターネットを解約して、自分の内なる声に耳を傾けて生きようと決意する。』と言うこの導入。私自身、もう35歳はとうに過ぎてしまっているし、多分今の生活でネットを解約するなんて事はありえないし、考えてもいない。でも、妙に心に刺さってきたのは、『お互いやりたいことをやろうと、(―飛ばして―)、自分の内なる声に耳を傾けて生きようと決意する。』の、この部分。 そう、やりたい事をやろう。 自分の心の声に正直に生きよう。 と、ここまで程"自由へのはばたき"的で"何もかも振り捨てて"感はないものの、これから先は自分のやりたい事をやっていこう、と少なからず決心した経緯もあっての事だったと思います。自分自身、まさに本編で言うところの「始まりの途中」に立った、と言う状況です。そんな訳で、この一文で得られる情報しか持たず劇場に向った私でしたが、ストーリーは想像していたものとは若干異なったものでした。 「あり」か「なし」か、と問われれば、「あり」でしょう。全編に流れる緩やかなトーンは好きな感じのストーリーです。ファンタジー的な要素がありつつも、リアリティー溢れる作品です。 リアリティーのあるファンタジーとも言えます。
(ここからは、みてない人にはネタバレかも、です。)
パウパウを引き取るまでの30日間、ソフィーとジェイソンは、猫を飼い始めると色々と束縛が生じるのでそれまでにやりたい事をやろう(済ませておこう)と決め、仕事を放り投げ、ネットを解約し、それぞれの行動を起こそうとします。 そんな中で、2人の些細な事からの諍い、心のすれ違い、近くに居るのにお互いが見えなくなってしまうような孤独感、そんなものが襲ってきたりしますが、すこしずつ解り合って、いたわり合って距離を縮め、今まで知らなかったお互いの部分を発見したり、見直したりもしながら、互いに大切な存在であると再確認し、そうこうしている内にパウパウを引き取る日が訪れ、猫が居ようと居まいと束縛される事はなにもないのだ、束縛とは互いの意識の中にあって、状況の中にあるのではないのだ、と気付かされる・・・・、みたいなストーリーだと思ってましたが、そうではありませんでした。 やりたい事をやる、とか、自分の内なる声に耳を傾けて生きる、と言うのはある意味何かからの自立(自律)だと思うのですが、主人公ソフィーはどうもこの手のメンタリティーと言うか覚悟がなかったようで、何故だか、自由な状況を避けるようにジェイソンではない男性の許へ逃げ込んでしまいます。(ジェイソンのようなある種の柔軟性も持ち合わせていなかったのかも知れません。) 「君は最初の印象と何だか違うね。もっと自立した人のように感じていた。」と言うようなセリフをその男に言われるソフィーですが、そんなソフィーを責めるとかだらしない(←淫らと言う意味ではなく)と呆れる事は出来ない気がします。 それでもそれが等身大の35歳と言うものなのかも知れないし、迷いなのかも知れないし、人はそうそう信念にそって強く生きれるもんでもないような気もします。 一方ジェイソンは、また違う気付きをします。 自分達の人生は残り少ないどころか、まだ始まってもいない。 自分はまだ何かを始めてもいないのだ、と。それが「始まりの途中」です。これ(この感じ方の違い)って単純に男女差とかによるものなのでしょうかね。興味深いところです。 結局は、ソフィーも男の許を出て再びジェイソンの許に立ち寄る事になるのですが、止まった時を自らの意志で動かしたジェイソン、自分の心の声を聞きジェイソンのところへ戻るソフィー。 でも、結局はパウパウを助けられなかったのが、私にとっては結構衝撃でした。(そう来たか!そう来てしまったか!) 物語は時としてパウパウの眼線で語られていて、そして、パウパウは何の心配もない世界に行ってしまい、そこで語りかけるのです。 「もう待たなくてもいいし、もう猫ですらない世界にいます。」 パウパウとの生活は始まりませんでした。 2人が予想していた「束縛」はもうそこにはなくて、あの時日常だったものですら実は危ういもので、いつまでも続く保証なんてなかったと言う事を2人が実感するのはこれからなんでしょう。何もしないでただ流れていくだけの時間なんてものはないのです。放っといても時間が流れてしまうこと自体凄い事なのに、何も無い様で何かが変化しているのに気づけないだけなんです。
観終わって何か明確な答えを出すような映画ではなく、メッセージもちらちらと見え隠れしているだけでずばんと全面に出て来る訳でもなく、おせっかいな激励ちっくなところがない分、観終わってももやもやが続くようなストーリー。私は結構好きです。

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by sanaegogo | 2013-03-03 00:01 | movie | Comments(0)
JR展 Could art change the world? @watari-um
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JR展
世界はアートで変わっていく
Could art change the world?
(ワタリウム美術館)
2013 年2月10日(日)-2013年6月2日(日)
11時より19時まで[毎週水曜日は21時まで延長]
主催 ワタリウム美術館
助成 在日フランス大使館 アンスティチュ・フランセ

これは、一介の街角の落書き小僧から出発したグラフィティーアーティスト フランス人のJRの(日本、アジアではなく)世界初の個展です。そして、ワタリウムとしては、昨年よりスタートした震災後の展覧会三部作の最終章です。
JR(ジェイアール)(1983年生まれ)は、フランス出身のアーティストで、ある日パリのメトロで拾った1台の28mmのカメラを用いて自分自身や他のグラフィティ・アーティスト達の行為を記録し始めると言うところから自分自身の制作活動を始めています。そうして撮影した写真を街角の壁にゲリラ的に貼り付け、街角のストリートを『歩道ギャラリー』と銘打って発表を続けてきました。 それは単に自分自身のメッセージを他に知らしめるという自己顕示欲からではなく、世界中のストリートに誰でもアクセスできるギャラリーを作り、そこに新しい交流が生まれる事を期待してのことです。それは、自分の存在を知ってもらいたいと言う犬のマーキングのような行為ではなく、ある意味、世の中に対しての問題提起とも言えるものです。『自分は仕掛け人』と言う意識からでしょうか、彼自身も自分の名前を『JR』と言う匿名的なものにしていて、会場で流れていたムービーの中のJRは、街角で夜に紛れて自分の写真を大伸ばしにして、糊でべたべたと壁に貼りまくり、スプレーで落書きも施すのですが、顔は目隠し処理されていて、よくあるTVの裏社会で生きる人にインタビューしたり、容認できないような行為をして街をウロつく若者をあつかったドキュメンタリーもののような様相を呈していました。 街への落書き行為は決して誉められたものではないのですが、それを意味あるプロジェクトにまで昇華させて、2011年には「世界を変えるアイデア」に授与される「TEDプライズ」を受賞しているのは、偏に彼の真摯な信念を持った取り組みの姿勢とプロデュース力だと思います。展覧会としては、第54回ヴィネチア・ビエンナーレ(2007年)、「時代の肖像展」(テート・モダン、2008年)、「パリ・デリー・ボンベイ展」(ポンピドゥー・センター、2011年)と言った錚々たる展覧会に参加していますが、個展はこれが始めて。これは、この展覧会に先駆けて、2012年11月に気仙沼から福島まで東北の被災地を巡り行った「インサイドアウト」計画が遂行された事による縁なのでしょう。
展覧会の構成は、彼の活動を時系列で追っていて、
  • Beginings  始まり
  • Portrait of a Generation  ある世代のポートレイト
  • Face2face  向き合って
  • Women are heroes  女性たちはヒーロー
  • Inside Out インサイドアウト・プロジェクト
と続きます。
どれも本当にエキサイティングで面白いのですが、『Women are heroes  女性たちはヒーロー』の映像作品がすごくよかったです。 あと、大伸ばしにした粗さが作り出す写真とドットの感じ。 あれがJRって感じですかね。 今回、会場で自分の写真を撮ってもらえるのですが、近くにいた大学生(?)のグループが、自分の写真をめいめい持って記念写真を撮ったりしていたのですが、写ってる顔もそれを持って笑っている本人達も、みんなイイ顔してたなー。
『世界各地で弾圧や貧困、差別のもとで暮らす人々を撮影し、それを現地の人たちと壁に貼る活動』 それ全てがJRの作品であるという事は、いかにも『現在』らしく『現在進行形』らしいです。 かつては、美術作品の墓場と言われた事もある美術館ですが、狭いギャラリーを飛び出し、スラム街の裏路地をギャラリーにして生まれた作品(プロジェクト)が、またギャラリー(美術館)に凱旋するのは、何かがループしているようでちょっと面白い感じではないですか。 ワタリウムにいて、何となくインターネットをブラウズしているような不思議な気分にもなりました。 リアルな空間もサイバーな空間も飛び越えて、忽然と顕れる人々のプロフィール。 そのテンポも小気味好い感じです。



INSIDE OUT PROJECT:
http://www.insideoutproject.net/


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by sanaegogo | 2013-03-03 00:00 | art | Comments(0)