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雪景色を求め 北の大地へ (後日談)
今日で2月も終わりですが、あっと言う間に春めいて来ました。とは言え、北の国では依然厳しい積雪に見舞われているらしく、私が札幌に行った時は概ね穏やかでとってもベストのタイミングだったようです。
この札幌旅行の間は、何とも言えない不思議な気分になっていて、北の大地に居ながらにして、何かが動き出し、何かが始まろうとしている、そんな気分でした。 滞在中、色々なところから色々な連絡が入り、物事が動き、そしてそれが3月になろうとしている今、流れ出そうとしています。北の国で感じた春の訪れ。 何かが芽吹いていく感覚。風景や気候の事ではありません。 自身の気持ちやステイタスです。("status"は、「地位」とか「組織内の高い立場」、ではなくて、自分自身の「変化する状況」や「立場」の意。) そう言う意味でも、何だかとってもいい旅だったような気がして来ました。後になってこの頃の思い出を振り返る時、きっと感慨深く忘れられないエピソードになっているとじんわりと思います。
3月から、新しい環境で、楽しみつつ頑張ります。 そして、Let me see what will happen.

























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(詳しくは 北の大地旅行 1日目 (小樽) からどうぞ ・・・・> コチラ )

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by sanaegogo | 2013-02-28 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
雪景色を求め 北の大地へ (雪の円山動物園)
早いもので、今日もう帰ります。 札幌に来てすすきのにも大通り公園にも繁華街には寄り付かない旅ですが、今日は円山動物園に行く予定。 帰りの飛行機の時間が夜なので旭山動物園も行こうと思えば行けるのですが、今回はちょっと寂れた人のいない雪の動物園をイメージしてて、円山動物園に行く事にしました。 午前中、チェックアウトの時間までホテルでゆっくり。初日、2日目と雪の中を歩き廻ったので、普段使っていない筋肉がちょっとお疲れ気味。股関節と内腿のインナーマッスルに疲労感があると言う事は、知らず知らずのうちにボーゲンのような感じで歩いてたのかな。
ホテルを出て、東西線にのって円山公園駅へ。観光案内に円山公園から動物園までのバスの時刻表を貰いに行ったら、案内のお姉さんが『バスは便が悪いので、歩いていっても10分くらいですよ。』と言ってました。なので円山公園駅に着いたら、お姉さんの言うとおり動物がたくさん書いてある通路とサインボードを頼りに徒歩で動物園に向いました。実は、時刻表を見ると丁度いい、急げばちょっと乗れそうな時間にバスがあったのですが、バスターミナルの位置が判らないからこの時間的余裕でバス停まで行き着けるかが不明で、それよりも私は小樽でおっきな転倒をやらかしていて、(これはホント骨折したかと思った。かなり腫れてしまって、慌てて湿布を買って癒していた次第。) 急いで滑ってまた転んだらダメージに耐えられる自信がない・・・・、と思ったのです。(因みにこの転倒は、前後への転倒は歩き方に気を付けてたし心得てるのでダイジョブなのですが、雪の轍のように盛り上がった所に乗り上げて横に滑ったのです。 交差点の真ん中で。 なので、横から地面にどすんと落ち、腰から落ちました、横向きに。)
でも、これは間違いだったようで、この円山公園を突っ切って行く円山動物園までの道のりが今までのどの道よりも難関で悪路でした。確かに距離はそんなにないのだと思うのですが、北海道神宮 裏参道と言う道らしく、人の歩く道はまったく除雪がされておらず、人に踏み固められた気配もあまりなく、20~30分待ち時間があってもバスで行くべきだった・・・、と後悔しました。『歩きで行った方がいいですよ。』とお姉さんが笑顔で言ったのに・・・・。 『バカッ。』ツブヤキながら更に内腿に負担をかけつつ踏ん張り歩く雪の細道。そうして、途中何回か挫けそうになり立ち止まりつつ、円山動物園に到着しました。
円山公園で会いたかったのは、雪と共に生きる北の動物達。オオカミやシロクマ達。これまで晴れていた札幌はこの日は雪が降り頻ってます。雪の屋外で体に雪を積もらせながら静かに佇む動物達。北の動物は何故か寡黙で、凛としていて、そして健気。動物園の中は人影も疎らで、他の人を気にする事もなく心行くまでオオカミ達と見つめ合い語り合っていました。オオカミは何故だかこっちを見て、何かもの言いたげな眼をしているんですが、その心は知り難し、です。円山動物園。何だか切ない感じもしましたが、雪の動物園はひっそりとそこにありました。 夏はきっと子供連れとかで賑わうんでしょうね。









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(北の大地旅行 (後日談) に続く ・・・・> コチラ )

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by sanaegogo | 2013-02-14 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
雪景色を求め 北の大地へ (北海道大学キャンパス)
モエレ沼から環状通東駅のターミナルまで戻るバスを待ちながら、ガラスのピラミッドの中でひと休み。冬の間はここのレストランは休業していて、持参したパンを齧りながら足の疲れを癒したりしました。
再びバスと電車を乗り継いで札幌まで戻ると既に夕方の4時近く。 二条市場を覗いてみるにはちょっと遅すぎるし。中途半端な時間だけど、北大のキャンパスまで足を延ばす事にしました。そう言えば、ちらっとですけど、大学を受験する時、日本でも外国でも雪の降るところにキャンパスがある大学に行きたいなー、と憧れた事がありました。 具体的にはここ北海道大学か金沢大学。どちらも国立なので、教科によって成績にムラがあった私には既に国立受験が無理な感じではありましたが。北海道大学のキャンパスはかつて訪れた事があるような気になっていましたが、多分それは記憶違いで、あれは北海道庁旧本庁舎だったような(?)だったのかなー。
北大はれっきとした観光地として位置づけられているようで、外部から来る学生以外の人に配る用のキャンパスマップまで用意されているのには驚きました。インフォメーションセンターみたいなセクションもあって、何かを案内してもらう前に『学生じゃないんですが・・・・』みたいな前置きは不要だったようです。そのせいかキャンパスの中は、学生と思しき人をはじめ、旅行者、社用で来てついでに観光してる(ような)人、もしくは学内に仕事で来てる人、近所の人、果ては犬の散歩をしている人など様々な感じの人が往来していました。 勿論、広いので、学内を車もばんばん行きかってます。 なので、まるでちょっとした北欧の田舎町のようにも見えてきて、森があったり、その森には川が流れていて西洋風の建物はそこかしこに建っていたりと、まるでノルウェーとかに来た気分になりました。 (ちなみに、ノルウェーには行ったことないのですが。 あくまで"イメージ"です。)
キャンパスのシンボルでもあり有名なポプラ並木にも行って来ましたが、ここは2004年9月の台風で甚大なダメージを受けたそうです。今ではかなり復活していますが、この台風で持ち堪えた開拓当時から植えられているものは、樹齢100年にもなるそうですよ。













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(北の大地旅行 3日目(丸山動物園) に続く ・・・・> コチラ )

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by sanaegogo | 2013-02-13 00:01 | traveling in Japan | Comments(0)
雪景色を求め 北の大地へ (モエレ沼公園)
今度恵比寿の写美でマリオ・ジャコメッリの写真展があるみたいですね。(マリオ・ジャコメッリ 写真展 THE BLACK IS WAITING FOR THE WHITE 03/23(Sat) -2013/05/12(Sun) ) この旅行のひとつの目的に 一面の雪野原に行ってそこにぽつりぽつりとある雪に埋もれたもの達を撮って来たい、というのがありましたが、それはもしかしたら、(そこそこ)遠い記憶の中でこのジャコメッリの写真にインスパイアされていたのかも知れません。(ジャコメッリは2008年にも写美でやっていて、それを観に行きました。) そんな雪野原を求めて、モエレ沼公園に行って来ました。
モエレ沼公園は、彫刻家イサム・ノグチがその原型を設計した札幌市の郊外にある公園で、1988年に着工して2005年に完成したそうです。半円状のモエレ沼の内側を中心に、沼の岸も含んでいて、公園の中にはイサム・ノグチが構想していた「プレイマウンテン」の他、「モエレ山」「サクラの森」「モエレビーチ」「海の噴水」などが点在しています。このモエレ沼はもともとはゴミの埋立地だったそうです。そこを訪れたノグチは、予てから「大地を彫刻する」という着想を基に公園計画などに興味を持ってましたが、この地にそんなノグチの構想を具体化するべくダイナミックに設計されたのがモエレ沼公園です。
札幌から地下鉄東豊線に乗って環状通東駅まで。そこのバスターミナルから中央バスに乗ってモエレ公園東口まで。バスターミナルでのバスのアクセスが良ければ、1時間のローカルな旅です。この環状通東駅のバスターミナルは鉄道網ではカバーされていない地域に向うバスが集まるところで、石垣島で言ったら離島ターミナル、ニューヨークで言ったらバス・ディーポみたいなもんでしょうか。
モエレ公園東口で降りて、『モエレ沼公園こちら』みたいなサインボードを期待していた私は、それまでバスで進んできた道と雪だらけの歩道があるのみのその様子にちょっと唖然としました。 人もいないし、どこに何があるのか目印になるものがない。あたりは雪だらけで、夏だったら目印になると思われるモエレ山の姿もまるで判らない。ここまで来れば何とかなるだろうと高を括っていた私はうっすらと焦り始め、バス停を中心に20mくらいの範囲でウロウロすると自動販売機の中身を補充交換している人を発見。駆け寄って、『すみません。モエレ沼公園ってどっちの方向ですか?』と訪ねてみると、『私地元じゃないので、詳しくないんです。』と言うツレなすぎる返答。仕事で販売機の中身を替えるだけに来ているその人を責めても仕方がない。遭難覚悟で範囲を30mくらいに広げてみると公園の駐車場の入り口を発見。でも、公園の雰囲気の風景は見当たらず、覚悟を決めて車道から離れていく方向に伸びた真っ直ぐな道を歩いていく覚悟をした訳です。
疑いながら、15分くらい歩いたのかなー。 公園の入り口であるガラスのピラミッドについに到着。
そこは私の期待を裏切りませんでした。 一面の雪景色。広い雪原の中にぽつりぽつりと見える人影。 空気は冷たく緊張感があり、暖かなお陽様の光がありながらシンとした静寂も同時にそこにあります。 人々は遠くで動いてますが、まるでサイレント映画のようで、何処となく非現実的。かといって、自然のままの人を寄せ付けないような厳しさはなく、そこは明らかに何かが柔らかく形づくられています。思い描いていた風景に出逢えて、感激でしたが、この風景は今までもこれからもここにあり続けていて、ただ単に私が他所(よそ)からやってきただけなんだなー、と思ったりもしました。ここにあるのを知っている人と、これを求めてここに足を運んで来た人は、いつでもここで会える風景なんですね。 そんな風景をこれからもたくさん見つけたり、足を運んでこの眼で見たりしたいな、などとも思ったりしました。

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(北の大地旅行 北海道大学 キャンパス に続く ・・・・> コチラ )

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by sanaegogo | 2013-02-13 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
雪景色を求め 北の大地へ (小樽)
雪景色が見たくて、この寒い中、今年もまた雪国への旅、札幌です。 札幌はこれまでに仕事や遊びで数回訪れてますが、今回は行きたいところは決まってるんですが、どこをどんな風に廻るかはふわっと決めて、郊外まで足を延ばすつもりで気儘に出かけてきました。 (まず最初の難関と言えば羽田から飛行機が飛び立てるかどうかです。)
札幌はこの日は良いお天気。新千歳空港も問題なし、と言う訳で時間通りに羽田を出発。すると12時半頃には新千歳空港に着きます。午後はたっぷりあるけど到着日なので中途半端。 それじゃ、先ずは何度も行った事のあるので半日使うにはもったいないなーと思っていた小樽に行こう! そしてお寿司を食べちゃおう!と思い立ち、札幌駅に向う電車を札幌で降りず、そのまま小樽まで。今回もキャリーバッグと共に急ぎ最初の目的地に向う運びとなりました。
札幌を過ぎて小樽に向うJR線(名前は知らない)の中で、車窓から外を見るのに好きな場所があります。トンネルに入る前、海沿いを、それもかなりの海沿いを走るところがあって、雪が降り積もった何日も利用者がなかったような小さな駅を通過したりします。(その場所に電車が止まっているのを未だかつて見た事がないです。) 電車の窓の下は直ぐに波打ち際、と言う感じのロケーションなのですが、真冬に訪れる時、いつもこの雪が波打ち際に降り積もった海の中で、何人かの人が波乗りをしているのです。 アザラシのような真っ黒のウェットスーツ(多分ドライスーツ)を来て、ボードに跨って静かに波を待っているんです。 これはもう、ビックリであり、感激、感涙ものです。何故そこまでして、波乗りをしてるんでしょうか。自分を追い込んで、ある種の世界へ到達するべく精神性を求めてるんでしょうか。それはまさに修行です。 たいして(と言っては失礼ですが)いい波も立ちそうにないその見るからに凍えるような海の中で、どんな心境でひたすらと波を待っているのか。測り知れない感じです。 でも、これ、もしかして、私がサーファーだと思っているだけで、もしかして海女さんとかなんでしょうか。北海道の一部(知床や羅臼とか)では1月もウニのシーズンらしいから、何となくここら辺でもそんなのがあるのかな、という感じもしてきてしまいました。
さて、小樽に着いたら、目的はお寿司を食べる事。勿論そのウニです。着いて早々遅いお昼ご飯で美味しいお寿司に舌鼓を打ち、小樽を散策しました。 この日は丁度「小樽雪灯りの路」が開催されていて、ぶらぶらと歩いているうちにあちこちにだんだんと灯りが灯されて、あっと言う間に暖かな光に街中が満たされました。 小樽は初めてじゃないけれど、こんな風な景色に遭遇したのは初めて。今まで知ってたのとはまた違った新しい街の印象に、何だか旅の幸先の良さを、札幌まで戻る電車の中でじんわりと感じたりしました。




























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(北の大地旅行 2日目(モエレ沼公園)に続く ・・・・> コチラ )

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by sanaegogo | 2013-02-12 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密
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フェルメール風。と言うか、どっちかと言うとレンブラント、でしょうか。

もうかなりのバックデートになるんですが、TOKYO INSTITUTE OF PHOTOGRAPHYの72Galleryでやった「写真の視点から解き明かすフェルメール絵画の秘密」と言うのを聞きに行ったので、その事もちゃんと書いておくことにします。講師は美術家で版画家で写真もやる北川健次さん。この方の事は失礼ながら存じあげていなかったのですが、クリストにオブジェ作品を誉められていたり(1993年)、ランボーを主題とした作品で、フランスで開催された展覧会にピカソ、クレー、ミロ、ジャコメッティ、 ジム・ダイン、メープルソープなどと並んで選出されたり(2008年)その実績は素晴らしい方のようです。
私は、絵画と写真を横断的に縦断的に扱った感じの話が好きなんですが、これもフェルメールを写真の視点から解き明かす、と銘打っていて、ちょっと関心を寄せた訳です。フェルメールはカメラの眼を持つ画家みたいな事をよく言われますが、ライティングの手法もはっきり確立されていない頃からまるでスタジオで撮影した写真のような絵画を残してますよね。事実、(このトークに行ってはっきり意識したのですが)、フェルメールの書いている室内は左に窓があり、そこから光が当たり、室内に色々な影や光のハレーションを起こしているのが圧倒的に多いんですよね。あの部屋はアトリエと言うか、フェルメールにとってスタジオだったんですね。
実は、話としては(氏の人柄もあり)とても面白かったのですが、期待したものとは内容が少し違っている気がして、で、今までここにアップもせずスルーしていたのですが、先日脳科学者の茂木健一郎氏がやはりフェルメール絵画について語っていて、その判り(解り)やすい話を聞いて、北川氏の言わんとしていた事が見えてきた、と言う次第で・・・・。北川さんは福井県の出身のようなのですが、こんな事を言っては何なのですが、独特のイントネーションでお話になり、あまり言葉が頭の中に入ってこなかったんですよね。あと、四方山話的に挿入されるエピソードと言うかコネタがあまりにも面白くて、話がどんどん膨らみ、流れ、色々楽しい話も伺えました。でも、それが本題をみっちりと言う感じではなくなってしまった要因のひとつとも言えるのですが、ま、総じて話は面白かったです。結局、物凄く要約してしまうと、フェルメールは写真で言うと常にピントが微妙にボケている状態を画面に描いていて、それを人間の生理行動としてピントを合わせて視ようと集中するところに、彼の画が人を惹き付ける要因があると言うのです。(北川さんの言いたかったこの結論は茂木さんが端的に解説していました。) フェルメールは、カメラで言うとピントを画面より前にズラシたところで合わせた画を描いているので、その場合、カメラだとボケが生じたところに光玉が出来るその場所に、ちゃんと光玉を描いていると言うのです。 なるほど、よく視てみると白い絵の具を使って、光の玉をチラチラと散りばめたりしています。 つまり、写真の原理で画を描いているんですね、やっぱり。 トークではフェルメールがカメラオブスクラを使用していたかどうかを実証と言うか体験するために実際にカメラオブスクラを覗かせてもらって、フェルメールが見たであろうその装置を通した時の光の神秘性を体験したりしたんですが、みな装置自体に盛り上がってしまったりしました。
実はそのトークの前に展示してある北側氏の写真を観ていたら、『今日の参加者ですか? 作者です。』とご本人に話しかけられたんですね。で、色々と話していて話の流れで、私が、『カメラの事はあまり詳しくないんです。』と言うフレーズを言うに至ったんですね。その後、氏がギャラリーの人に『今日は写真を撮る人どの位くるの?』と訊ねていたのを小耳に挟んだので、直前で話そうとしていた内容を変えたのかもしれません。写真撮らない人だと思われてしまったのね、きっと。
とは言え、このカメラオブスクラ体験と氏の話は面白かったのは間違いはないです。ただ、私はライティングの事とか、もっと聴きたかったんですね。





ご存知 ≪真珠の耳飾の少女≫です。
画面のあちこちに「白い光玉」描かれていますよね。
これは、真珠や眼が光に反射した時のハレーションぽいから、比較的判りやすいですよね。




これは、≪レースを編む女≫
これもなかなかファンの多い作品です。




これなんかは今まで何度も観てたけど気がつかなかったのですが、レースを編むその鈎針のところとか、
ちょっと光沢のあるような布の上とか、女の襟元とか、さりげなく「白い光玉」が描かれていてます。



これは、≪牛乳を注ぐ女≫
フェルメールを有名にした作品のひとつですよね。




この画はパンのところに「白い光玉」満載だそうなんですが、
ネットから画像をもらう限りでは、皆サイズが小さいので、そこまではつぶさに判りませんね。
(そもそもフェルメールは実際の画のサイズもかなり小さいから・・・・。)




話がどんどん流れていって別の話題にすり替わっていったひとつのトピックとして、この画のこの部分。
ただの壁のシミ・汚れなんですが、何だか海辺の風景がのようではないですか?
何でもダリ作のこの画にそっくりな画があるそうで、氏はしきりに、
『ダリはこの画のこの部分を知っていたに違いない。それであの画を描いたのだ。』
と熱く語っていました。画の題名もきちんとおっしゃっていたのですが、
その福井のイントネーションで自分の知らない言葉だったので、
頭の中で耳から聞いた音(声)が文字として再生されなかったのです。
何て言ってたんだろう。 調べようとしてたんだけど、調べようがありませんでした。


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by sanaegogo | 2013-02-10 00:00 | activity | Comments(0)
Robert Mapplethorpe (ロバート・メイプルソープ) flowers
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折しもレスリー・キーが問題の男性写真集で警視庁保安課に逮捕された事件が数日前にありました。まあ、それと同列に扱っては余りにも失礼、次元が違うのですが、かつて刺激的で過激な性描写の写真の数々を世に残してこの夭逝したロバート・メイプルソープの写真展に行って来ました。しかし、今回は彼のそういったシリーズではなくて、彼が残した花の写真です。自分自身、性器が露出した系の写真は男でも女でも苦手なのですが、(とは言え、エゴン・シーレとかは好きなのですが・・・(矛盾))、今回はその体(てい)のものではなく、私が好きな系、花の写真です。メイプルソープは生涯いくつかのシリーズの写真を精力的に撮影してます。主に4つ。それはスティルライフ、ポートレート、ヌード、セックスの4つで、今回はそのうちのスティルライフの写真、印象的に構図の中に配置された花の写真展です。

Robert Mapplethorpe (ロバート・メイプルソープ)
flowers 写真展
■会期:2013年2月1日(金)~14日(木)
■会場:別館2階=西武ギャラリー

メイプルソープのシリーズのうち、SMプレイやゲイの絡みの写真などは彼のいち側面である過激なセンセーションを物語るようなものですが、彼の花の写真だけは、何故だかそこに静かな精神世界があり、構図と配置を旨とした日本の華道や日本庭園の作庭のようなものと通じるような気がしていて、自分の中では過激なセックスやヌードを撮った他の写真とは一線を画しているような気になっています。と言っても、前に挙げた理由から、パンクな感じの生々しい写真はあんまり見ていないので、それほど彼の写真を数多く見ている訳ではなく、メイプルソープと認識して見てきた写真の殆どが花の写真だったという背景が個人的にあります。(あとはポートレイトも若干かな。)
殆どがスクエアフォーマットで統一された100点余りの写真達が順路にそって連なっていく様はまさに圧巻で、その点数の多さにもかかわらず、花の質感・透け感、花弁の奥に作り出された陰影、活けられた花全体のフォルムなどが均質になっていて、撮影技術のみならずその画面を作り出す技量の卓越さには眼を奪われました。写真展や写真集の構成を考える時、ストーリーやその意味、意図などを(後付でも?) 何か明確にして打ち出して観る人に訴えないといけない、との考えに固執しがちな一面がありますが、メイプルソープのこれらの花の写真にはそう言った説明的なものは一切無く、あえて言うならその根底に一貫して流れているのは彼の持つ美意識と対象となる花に投影した自身の心象世界があるのみ、と言った感があります。その鉄壁の美意識が、ともすればエロくグロいだけになりがちなショッキングな性的素材の写真を撮るにしても、彼の写真をある種の芸術性が顕れているものに高めている、と言った事もあるようです。光、影、花、それをとり巻く空間、余白、全てが絶妙にして完璧でした。メイプルソープの花というと黒く潰した背景にそこだけ光を受けて浮かび上がった花、という印象が強かったんですが、今回この「Flowers」を観て、その背景に映る影の様相もとても印象的でした。どこの何が落としている影なのだかはその写真からは知れないのですが、その影の形状、作り出す構図・配置もまた完璧でした。花の作り出す丸みや柔らかいアールの花びら、茎のしな垂れようとは対照的に幾何学的な影が背景に写しこまれていて、『計算』と言う言葉は似つかわしくないのかも知れませんが、まさに「The Complete Flowers」と言えるのでしょう。そのcompletedな構図が試行を尽くされた上に生まれたものか、はたまた直感的なものなのかは知る由もありませんが、そこに彼の美意識の全てが集約されています。
デパートの催事場としては、順路も工夫さえていて変化がありました。今回はカラーの写真も数点展示されていて、カラーのものを見たのは初めてでしたが、これも良かったです。

このチューリップ(1987年)は、彼自身が自分の余命を知った後に自身の生きた証として撮影されたものだそうです。メイプルソープは1989年3月9日に42歳の若さでエイズによりこの世を去っています。(1986年にエイズの宣告を受けたそうです。) 当時、ゲイカルチャーや性の解放運動をアートとして表現し後押しするような風潮がありましたが、メイプルソープもこの流れに乗っていたひとりだったそうです。そのゲイカルチャーの美意識が彼を早世させることになったのは、なんとも皮肉な話だと思います。


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by sanaegogo | 2013-02-08 00:00 | art | Comments(0)
荒木経惟展 "淫夢"
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代官山のTSUTAYAでやっている荒木経惟展 "淫夢" を観ました。『写真画報』のイベントでアラーキーがIMPOSSIBLE社のポラロイドで撮影して来た写真を展示したもの。この"淫夢"と言うタイトルはIMPOSSIBLE社にちなんでいるそうです。

荒木経惟展 "淫夢"
2013年1月29日(火) - 2月17日(日)
蔦屋書店2号館 1階 ブックフロア
http://tsite.jp/daikanyama/event/001505.html

アラーキー、と気安く呼べるほど荒木経惟については、詳しくなく追っかけたりはしていません。だいたいの色々なエピソードは知ってますが、写真集などを手にとって観た事とかはあまりないんですね。 まぁ、どちらかと言うと、絵画のような、テキスタイルデザインのような、映画の一場面のような写真に眼が行きがちなので、当然の事といえば当然かも。好きか嫌いかを問われたら、嫌いではないです。でも、大好きでもない感じ。強いて言えば、苦手。 「アラーキー、いいよねぇ。」と言う感じではなく、その作品群の全貌をよく知らないのです。 あまりにもストレートに色々なものを提示してくるから、受け留める体力が私にはないのかもしれません。ともかくも、今更 荒木経惟、と表するのも何となくそぐわない気もするので、ここでは、アラーキーと呼ばせていただきます。
アラーキーは、その制作の点数が多い写真家としても有名で、作品のテーマによってカメラを替える事でも知られています。そして、実は、インスタントフィルムでの撮影も以前から行っているそうです。ヌードや妖しいポーズのポートレイトなど、アラーキーの写真というとふっと思い浮かぶある種の世界がありますが、撮影した後、誰の眼にも触れる事なくこっそりと確認できて大切にしまっておけるインスタントフィルムで撮影していたと知ると、雰囲気がいっそう秘密めいた感じに助長されて、ますますエッチっぽい感じがしました。展示されている写真の中には妖しいイモリのような生物に全周包囲されてにじり寄られている少女の人形や股を広げて陰部を曝け出している女性の写真もありました。まあ正直、あのポーズの女の人を撮影する衝動に駆られる男性フォトグラファーの気持ちは未だに今ひとつ理解し難く、そこに何を観るのか、逃れ様もない真実、なにか崇拝する気持ちにも似たもの、とでも言ったところなのでしょうか、そこまでまだ私の理解は及んでいないようです。イモリと女の子の何枚かの写真は、アラーキーが少年のように頭の中でにわかストーリーを作りながらあれこれ動かして撮ってたんだろうか、と思うとちょっと可愛らしい感じがしました。
写真画報には記載してあったのかも知れませんが、これらの写真が最近撮られたものなのか、どの位以前のものなのかは判りません。インスタントフィルムの製造が2008年に終了しているのでその辺り、5年前そこそこの話なのかも知れませんが、このノスタルジックな感じはスゴイですよね。デジタルの進歩に伴って、写真で細部にわたって仔細に再現できるようになりましたが、これらの写真の画面は再現どころか、ある意味きちんと再現されていないようであり、それを見ると人は見たままの様に鮮明だったり仔細だったりしないので、なんだかもやもやとした気分になるんだと思います。 そのもやもや感を「昔懐かしい感じ」「ノスタルジック」「味がある」など表現は様々ですが、そんな風に感じるんだと思います。 デジタルの紛れも無く再現した真実を「どうだっ!」と提示したようなものは、ある意味視覚にとって何か余地や余白、バッファーのようなものが無くて、ある種の刺激がないのだと思います。何か再現しきれていないもやもや感。昨今、デジタルのハイテク技術を駆使して、撮った写真をローテクの頃の再現しきれていない感じに味付けをするのは、何だか矛盾を孕んでいますが、判るようで判らないもやもやをしたい欲求を抱えている人間の性分としては当然の回帰現象なのかも知れません。そんな事を考えました。



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by sanaegogo | 2013-02-05 00:00 | art | Comments(0)
こころの眼 L'Imaginaire d'après nature.
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今日はもう3月3日で、恐ろしいほどのバックデート&遅筆になってしまいましたが、この日、アンリ・カルティエ=ブレッソンの「こころの眼」を観に行って来ました。

アンリ カルティエ ブレッソン Henri Cartier‐Bresson
こころの眼 L'Imaginaire d'après nature.
2013年1月8日(金) ― 2月10日(日)
12時 ― 20時
CHANEL GINZA NEXUS HALL

最近自分の変化も鑑みて、以前は自分が写真を撮る事に精一杯でそれに尽力してましたが、ここ1年でかなり色々(自分としては)新しい作家・写真家を知ったりして。 写真展といえば20代の頃キャパやこのブレッソン、ドアノー、ブラッサイ、マン・レイ、エリオット・アーウィットなどを観に行ったりしてはいたものの、そこで流れが止まっていた感じもあるので、今となっては、例えば『写真撮ってるの。』とか自分の事を言い、『どんな作家が好き?』と聞かれ、『ブレッソンとかブラッサイ。』とか答えると前世紀の遺物と思われやしまいか?というような懸念を持ったりしてました。(思えば、みんなモノクロでフィルムがメインの人たちだ。) その後、色々な同時代の写真家を知るようになり、ワタシの中のアーカイブもかなり増えてきましたが、やっぱり思ったのが、月並みですが好いモノは好い、好きなものは好きだと言う事でしょうか。 これを観に行って、数年前に観た時と何か感じ方が違ったりするのかな、色褪せて見えたりつまらなく見えたりするのかな、などと思ってたのですが、古くから親しくしていた友人に久しぶりに再会したような、そんな気分になりました。 そしてこれからも、『好きな写真家は?』と聞かれたら、『ブレッソンとかアーウィット』と胸を張って言おう!と思いました。 好きなモノは増えるけど減らないのです。逆に言うと色々と以前よりは知恵がついた今でさえ、ブレッソンはワタシの中で色褪せてはいなかった、と思える写真展でした。
今回の写真展では、「決定的瞬間」 「ジャーナリスト的旅の写真」 「アーティストのご友人のポートレイト」 など、数は少なかったですが ブレッソンが網羅されてましたよ。展覧会名は彼の実際の著書からとられていて、決定的瞬間を撮影するに至った彼の撮影術(カメラの操作の事だけでなく)の軸となっている幼少期からの彼の『眼』を書き下ろしたものです。今はしょっちゅうは会えないけれど、昔大好きだった大切な友達。今では自分の心を占めている時間も少なくなってはしまったけど、決して忘れる事は出来ない懐かしい恋人。そんな感じの空間でした。

CHANEL GINZA NEXUS HALL:
http://www.chanel-ginza.com/nexushall/2013/hcb/





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by sanaegogo | 2013-02-05 00:00 | art | Comments(0)