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内田ユキオ氏が語るPHOTOGRAPHY @表参道ヒルズ vol.3
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このところ大分生活が落ち着いてきて、何となくある一定のペースと言うかテンポが出てきたので、また後回しにしていたやつをバックデートでエントリーですが。 もう大分前の事ですが、表参道ヒルズで行われた内田ユキオさんのトークショーについて。表参道ヒルズでやっていたPHOTOGRAPHYに際してのものです。PHOTOGRAPHYは、ウィリアム・エグルストン、スティーブン・ショア、ナン・ゴールディン、マーティン・パー、テリー・リチャードソン、ライアン・マッギンレーの6名がFUJIFILM のデジタルカメラXシリーズで思い思いに撮り下ろす・・・・と言ったものでした。内田ユキオさんは、これらのフォトグラファーの作品や写真集に造詣が深く、Xシリーズの名手(?)と言うような立場でレクチャラーとしてお話をしました。この内田ユキオさん、ご存知の方も多いのかと思いますが、もともとは公務員で、カメラ好き、写真集好きが高じてフリーの写真家になり、個展を開いたり執筆をしたりしている方だそうです。(自称、「最後の文系写真家」との事。) 謂わば、素人さん(と言うか、ハイアマチュアと言うべきか?)から、きちんとした写真教育を経てなくても写真家として世に出たひとで、まあこの辺の経歴がワタシの興味をそそり、いちファンから評論のような事をするに至った人はどのような話をするのだろうか、と聴いてみたくなり行ってみる事にした訳です。
色々なところで講演や写真教室をやっているような人なので、話す事には長けている(慣れている?)のだろうと思ったのですが、この日はちょっとグダグダな感じだったような気がします。6名のフォトグラファーの写真に造詣が深いというので、最初に『順番にひとりひとりの写真の見どころとかお話したいと思います。』と言っていたので、『うんうん』と期待をしていたのですが、途中からオーディエンスに質問を受け付けてそれに答える形式に変わってしまって、聴きに来た人は皆、半ば彼の薀蓄のような話を聞きたくて来ているだろうので、それらのフォトグラファーについて他の聴衆も聴きたくなるような穿った感じの達人的な観点での質問がどう捻ってもたいして出る訳はないと思うのだけど、案の定質問はあまり盛り上がらず、果ては、場の雰囲気を打開するために助けを求めるように内輪の人や知り合いに当事者だけに解るようなトーンで質問を求めるような状況に陥り、何だか消化不良と言うか不完全燃焼と言うか、そんな感じのトークでした。もっとガンガン内田さんの言いたい事を言い放って進めてくれればよかったのに、と思います。コネタとか、裏話とか、人となりのエピソードとか、『へーっ』と思うような話を聴きたかったし、そもそもは、その6人のフォトグラファーの写真の、漠然と見ていたらなかなか気が付けない見どころとか、そんな話が聴けると思っていたので、これはちょっと残念でした。まぁ、その系の話が全く出なかった訳ではなかったので、『そこ、聴きたい、そこ、もっと。』と言うところで話が流れてしまったり、中途半端で終わったりしたのはいただけない感じでした。(痒い所に手が届かない感じ。)
そんな中でも、面白かったコメントを挙げます。

≪William Eggleston≫


この6枚の写真は、エグルストンが始めてデジタルを使用した写真だというのは前回も触れましたが、これをどう観るか、です。エグルストンが撮影したと知ってみるのと知らずに観るのでは印象が違ってきます。もしかして、エグルストンっぽく撮られている誰か別の全然素人が撮った写真としか思わないかも知れないし、(つまりは、『えっ?エグルストンだったの?』と言う感じ。)、 果ては、その良さが全然解らないと言う人もいるかも知れません。(現に聴衆の中にはそう言う人もいました。) 写真は誰か著名な人が『これいいね。』と指を指せばそこで評価が決まるという危うい前提の基に成り立っている、と内田氏は言ってました。過剰な拒絶反応を恐れずに口にしたこの辺りは、権威ある賞の受賞などとは別の道で叩き上げてきた人ならではの言い口だと思うし、内田氏のバックグラウンドならではと思い、いいぞっ、もっとそこを、と思ったのですが、それ以上真っ向からあまり深くは入り込まず、この辺の彼なりの評をもう少し聴きたかったりしました。

≪Terry Richardson ≫


この写真は、フラッシュを使って一発で撮った写真だそうですが、テリー・リチャードソンのふざけた感じを良く顕しているのだそうです。(多分、この写真展の趣旨、メーカー推奨のカメラで撮ってみよう、と言うのを半ば舐め腐った態度で臨んだと言う事を言いたかったと思うのですが、メーカーの人に遠慮したんでしょうか。) 頑張って誠実に機会に臨むような態度は全くなく、スタジオにあった花をただ、1枚、2枚と写して出してきたようです。ある意味、そこにテリーという人となりが出ていて面白いのですが、フラッシュの使い方は見事だそうで、『フラッシュをちゃんと使えるほどの頭があったんですね。』などとも評していました。

≪Ryan McGinley≫


反して、大御所たちと肩を並べて選出された最年少のライアンは、臆する事なく、遠慮や年長者に対する気遣いみたいなものは全くなく、堂々とガッツリと気合を入れて撮り下ろして来て今の自分の若さと存在感を見せつけているような感じにも取れました。年功序列みたいなものに対する控えめな態度も感じさせず、若さと勢いを見せつけて、いつもの自分の作品の発表に臨むように撮ってきた、と言うのが感じられて面白かったと言います。これはワタシも同感。

≪Nan Goldin≫


彼女の写真が一番解りやすいのではないでしょうか。と。一見解りにくそうな、コンセプチュアルな場面を写してますが、どこかしら見ている者の気持ちに引っ掛かっていくざらつきのようなものが満載で、すんなりとしていて、眼が肥えてないとその醍醐味が見つけられないような写真に比べて、喰いつくところは一番アピールされているのではないか、と、『どの写真が一番気になったか。』と言うので挙手を聴衆に求めた時、意外に彼女の写真に手を挙げる人が少ないのを受けてコメントしていました。

マーティン・パーとスティーブン・ショアについては、特に記憶に残っているコメントはなかった気がします。

≪Martin Parr≫



≪Stephen Shore≫



やはり、大御所だけあってか、エグルストンの写真についてのコメントが多くあった気がしますが、彼の言わんとしている事は、『これをエグルストンが撮ったと明白になっている状況なので、訪れた実績のあるカメラマンの人とかが「うーん、流石にエグルストンだ。いい写真とるねぇ。」とか言いますが、そうじゃなかったら、この写真、すごい!と思いますか?』などと言っていて、その辺りが正直な気持ちなら、主催者のことなど気にせずに、彼なりの感じ方をもっとつまびらかにしたら、また違う切り口の面白いトークになっただろうに、と感じてしまう歯切れの悪さが残りました。次は是非、忌憚ないトークを期待したいところです。 (個人の感想です。)

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by sanaegogo | 2013-01-20 00:00 | art | Comments(0)
「田中一光とデザインの前後左右」 @21_21 DESIGN SIGHT
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企画展「田中一光とデザインの前後左右」
会期: 2012年9月21日(金)〜 2013年1月20日(日)11:00〜20:00
会場: 21_21 DESIGN SIGHT

田中一光と言えば、日本におけるグラフィック・デザイナーの魁であり、2002年に他界された後、今もなお、グラフィック・デザインを志す者にとって、空の高いところで輝いている星のようであり、その星が教えてくれる方角と道筋を辿っていけばいつか素晴らしいところへ導いてくれるかのようです。1930年のお生まれなので戦争も経験されている時代を生きた方です。終戦後の殺伐とした風景の中、来るべきデザインの時代をいち早く予感し、その道を駆け抜けて、と言うよりはじっくりと丁寧に歩を進めていった方です。巨星のように重鎮然としていているようなところは全く無く、その暖かい人柄のエピソードはこれまでこの展示との連動企画で展開されている「私の一光さん」でも存分に知る事が出来ます。その数々の作品は日本文化への深い愛情に溢れていて、そこには日本固有の美を熟知していると言う自負を垣間見る事が出来ます。 会場は作品を展示する展覧会と言うよりも田中一光さんの生きた歴史、その仕事の足跡を辿る一光資料館の様相を呈してました。
展示の内容は、
  1. プロローグ
  2. ギャラリー1 田中一光 本の世界
  3. ギャラリー2 田中一光:グラフィック表現の多様性
  4. エピローグにかえておくる作品とメッセージ
のセクションで展開されていて、やっぱり面白かったのは、「ギャラリー2 田中一光:グラフィック表現の多様性」です。一光さんのグラフィック表現の広がりそして奥行き(まさに前後左右ですね)をテーマ別に、完成品の縮刷とともに原画や校正紙などの貴重なアーカイブを10 のテーブルに配置して紹介されているものです。壁面にはオリジナルポスターやグラフィックアート(版画)70点あまりが展示されていました。ギャラリー2の中のテーマと各テーブルの内容は次のとおりです。

「ヴィジュアル表現の発想と表現」
1. 文字、タイポグラフィーの追求 ― フォントの誕生へ
2. 立ち上がる文様 ― 古典に親しみ、つくる楽しみ
3, 4. 日本の仕込み人 ― 海外への、日本からの発信
「ライフスタイルの基盤」
6. アートディレクションと社会 ― 市民、企業の活動とともに
8. 場づくりー人の出逢いがクリエーションにつながる
10. 生活美学:無印良品 ― 生活者の視点でものづくり
「アートとともに」
5. パフォーミング・アーツとー演劇、ダンスの表現のために
7. ミュージアム、グラフィックアート ― 芸術の表現を支える
9. 墨戯 ― 筆と墨の自由に任せながら、つくる行為の展開

一光さんが自分が追求したタイポグラフィーを用いて、ポスターや本の装丁の仕事をしていたのは存じ上げていましたが、その集積の最終形として「光朝」なるフォントまであったと言うのは初めて知りました。『欧文書体のボドニーを念頭に、明朝体のエレメントを様式としてつきつめたモダンな造形は、極限まで細く鋭い横画、三角形のシャープなウロコ、たっぷりとしたおさえ、太く力強い縦画で構成され、洗練の切れ味をたたえています。堂々とした品格と繊細な美しさを兼ね備え』ています。(モリサワのHPより抜粋) 伸びやかで大らか、端麗でありながらどこか親しみのある構成は、一光さんの人柄そのものだと思い興奮しました。これでも以前、フォント作家になりたい、とちらっと思っていた事があります。「さな明」とか「さなゴシ」と呼ばれるような日本語フォントを作ってみたいと夢のような事を考えていた時期もあるので、これは全くの個人的高揚感なんですが。あとはやはり、多くの来場者を魅了する「日本文化をオリジンとした仕事ぶり」と「生活におけるデザイン的思考の伝播」でしょう。

日本文化をオリジンとした仕事ぶり: 日本文化の中にはもともと「グラフィック・デザイン」の要素はあったか、なかったかと言えば、あったのだと思います。家紋や屋号、商標、着物の柄や和菓子など、いろいろ。それを丁寧に紐解いて、近代の「グラフィック・デザイン」の文脈に載せ、日本ならではのものに発展・確立させたのは一光さんの大きな仕事のひとつでした。今では、グラフィック・デザイナーと言うとPhotoshopやillustratorを駆使してバーチャルな世界で制作しているデザイナーが殆どだと思いますが、一光さんのアーカイブの中には、鉛筆書きの雲形定規で描いたと思われる曲線や、ペンやポスターカラーや墨で描かれたものもあり、彼の生きた時代としては、現代の私たちの世代に近いのに、その手法としては、もしかして、江戸の円熟した手仕事、丁寧な手作業の文化に近いものがあるのだとしたら、自分も少なからず経験した現代の日進月歩のテクノロジーの発展について、少し考えてしまいました。現在現役で活躍される若手のグラフィック・デザイナーの一光さんに対する立ち位置はよく解らないのですが、この展覧会にしても、レトロな感覚で過去の一時代を築いたものとして触れるのではなく、その中にある、伝統を踏まえて尚も新しい気概を見て取れる感覚は期待したいものだと感じました。

生活におけるデザイン的思考の伝播: そう言う意味では、今の私たちに多大な影響を残し、今も受け継がれ続けているのは、『無印良品』の精神だと思います。一光さんの無印良品に対しての提唱の精神、その美学は、『田中一光と無印良品』のサイトで見ることが出来ます。一光さんが無印良品に思いを込めて残した数々の語録を見ることが出来ますが、示唆に富んでいて、嫌味じゃない含蓄があります。暮らしの中にデザインを取り込み、それを楽しむ気持ちを持つこと。経済的に裕福と言う事ではなく、生活が豊かであると言う価値観。北欧がお手本になってよく取り沙汰される事ですが、日本でも、一光さんの「モノづくり」へ込められた思いが、今でもじわじわと広がっています。

最後に一言。
一光さんが自分のスタッフに、本の装丁やポスターの制作の仕上げをする時は、必ずそれに触れて触角で感じてみる事、と常日頃言っていたと言う話は面白かったです。 視覚のみならず、触覚を稼動させて仕事を仕上げていたんですね。
あと、山口小夜子さんの姿を、この展覧会で超久々に拝見しました。


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by sanaegogo | 2013-01-13 00:00 | art | Comments(0)
PHOTOGRAPHY@表参道ヒルズ Vol.1 Ken Miller×幅允孝 トークショウ
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今、原宿の表参道ヒルズで『PHOTOGRAPHY』、やってます。 1月12日(土)から始まりました。 これは、新進気鋭の話題の写真家やこれまでも時代を牽引し多くのファンにインパクトを与え続けている重鎮の写真家によって、FUJIFILMデジタルカメラ「Xシリーズ」でこの写真展のために撮り下ろされた作品が一堂に会する写真展です。写真家のラインナップは、ウィリアム・エグルストン(1939-)、スティーブン・ショア(1947-)、ナン・ゴールディン(1953-)、マーティン・パー(1952-)、テリー・リチャードソン(1965-)、ライアン・マッギンレー(1977-)の6名。今回参加した写真家は、作品としてのカラー写真を世の中に知らしめた写真家だったり、デジタル世代を魅了してやまない若手フォトグラファーだったり、その豪華さは必見だろうと思います。 以前、GRで芸能人やタレントさんにカメラを渡して撮ってもらう、なんてのをやってたと思いますが、そんなものとは比べ物にならない程豪華な陣営です。これらの写真家をチョイスしたキュレーターは、ケン・ミラーさん。ニューヨークを拠点に活躍している(キュレーターと言うよりは)エディター/ライターの方。かつて東京のサブカルチャーを扱った伝説的雑誌『TOKION』では2002年から2007年まで編集長を務めていたそうです。この他に日本では、2009年『SHOOT ―Photography of the Moment』(Rizzoli)を出版。出版を記念して、写真集に掲載されている26名のフォトグラファーを集めた展覧をPARCO Factoryで開催しました。2011年11月には、ケン・ミラーが当時最も注目していたフォトグラファー4名(マルセロ・ゴメス、マリア・ロバートソン、サム・フォールズ、小山泰介)のアブストラクト・フォトを展示した『PICTURE』が南青山で開催され、今回で3回目。これらの展覧会でキュレーションを行っています。そんなケン・ミラー氏をゲストとして、トークショーが行われました。

PHOTOGRAPHY
■場所:表参道ヒルズ 本館B3F スペース オー
■日時:2013年1月12日(土)~1月27(日) 11:00~20:00 
http://imaonline.jp/ud/exhibition/50bca6306a8d1e34d8000001
■関連イベント: Ken Miller×幅允孝 トークショウ (1月12日13:30~14:30)

キュレーションと言っても、所謂『キュレーション』と言うのとは少し違って、ケン・ミラー氏がその華麗なる人脈を辿って、6名の写真家をセレクト。(伝手や繋がりが無く、正式にプロポーザルを送ったのはマーティン・パーだけだそうです。) その6名のフォトグラファーが6ヶ月の間思い思いに撮影を行って送って遣した写真を展示したものなので、所謂、キュレーターの構想とかテーマなどはそこには関与していないようです。特にウィリアム・エグルストンなどは、何をお願いしても、自分が気が乗らないとダメだし、ウィリアム・エグルストンとして自由にやる人なのでその様に依頼した、と言っていました。なので、それぞれのフォトグラファーの個性を前面にクローズアップしある意味競わせている内容になっていて、ケン・ミラー自身が今回のために構築した何らかの世界観に基づいて写真をもセレクトした、と言う作業は介在しておらず、キュレーターと言うよりはむしろコーディネーターとかファシリテーターとか言う方が近いような気もします。とは言え、これだけの6名にカメラを渡して写真を撮ってもらう事を承諾してもらえたのは、華麗なる人脈と言わざるを得ない感じです。ライアン・マッギンレーとは個人的に友人で、エグルストンの息子とも親交があると言っていました。トークの進行役をしていた幅允孝さんは、青山ブックセンターで建築・デザイン書のバイヤーを経て、編集者になった方で選書集団・BACH(バッハ)を設立し、今では選書家、ブック・ディレクター、編集者、執筆家として活躍している方で、その活動は、企画、ディストリビューションなど、本をツールに幅広い分野に及んでいます。で、かなり英語も堪能とお見受けし、それが話の盛り上がりを大いに助けていたという感じです。ケン・ミラー自身のこと、それぞれのフォトグラファーについてのこと、今回のプロジェクトのオファーの方法、各フォトグラファーのそれについての反応、データのやり取りの裏話やデジタルとフィルムに共通したフィジカルな写真としての意味付けなど、幅さんのトークのリードはとてもスムースな流れがあり、結果とても話が弾んだ1時間で、終了時間をとうに過ぎてもまだ話し足りない、聞き足りない、と言った余韻が残ったトークショーでした。キュレーターとして誰に最初に依頼するか非常に気を遣うと言う苦労(?)話やナン・ゴールディンが『ライアンが承諾して出すなら私もやる』と言ってきて、そこには少なからずフォトグラファー同士の競争心のようなものがあるようだ、と言うエピソードは、自分の表現を一途に追及しているような人物にもそこに何か人間臭さを垣間見る事が出来て興味深いものがありました。(へー、意外に意識しあったりしてるんだ。) エグルストンがデジタルの機材を使って撮影するのがこれが初めてだったけど、かなり楽しんでもらえたようだ、など、それぞれのフォトグラファーの人間像や日常の姿勢みたいな話をみんな聞きたがっていたようです。スティーブン・ショアが毎日写真を撮影するというのをずっと続けていると言う話は聞いた事がありますが、それがミラー氏が表現するところの”book”と言う形態だったと言うのにはビックリしました。(ショアは1947年生まれの66歳。どんだけバイタリティーがあるんだ!と。) あと、この手のトークショーでよく語られるトピックですが、デジタルの功罪、ローテクながらフィルムの優秀さや素晴らしさ、などについても触れていました。 と言っても、正確に言うとよくあるデジタルVSフィルムと言う図式ではなくて、ミラー氏が言うには、デジタル化が進み(エグルストンも自分の写真をスキャンしてJPGで送って来るし)誰でも簡単にwebなどでブラウズが出来るようになったけれど、パブリックなwebと言うツールで写真を観るのと写真展を会場まで観に来たり、オリジナルプリントを購入してプライベートに飾ったり、写真集を所有し手許に置いて眺めるのでは全然違う、と言っていましたが、同感です。また、今回同じXシリーズで撮影したにも関わらず、エグスルトンはエグルストンらしい、ショアはショアらしい、マーティン・パーはマーティン・パーらしい内容になったと言う事は、ある意味昨今のデジタルは撮影者の個性を汲み取る力量が充分にある、という事の証明でもあるのだと思います。(尤もこれをFUJIFILMとしては狙っていたのだと思いますが。) 先に、ケン・ミラー氏のキュレーションはテーマや世界の構築に基づいたものではないようだ、と述べましたが、そこにはそれぞれの写真を写真として観て感じて欲しい、と言う意図があり、なので、自身が創る写真展は『SHOOT』、『PICTURE』、(今回の『PHOTOGRAPHY』も然り)、というようにシンプルなタイトルにしている、と言っていたことも付け加えておきます。

『TOIKION』と言う雑誌に興味をもったので、ちょっと調べてみました。 バックナンバーはこんな感じです。


『PHOTOGRAPHY』のレビューはまた次の機会に・・・・・。

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by sanaegogo | 2013-01-12 00:00 | activity | Comments(0)
PHOTOGRAPHY @表参道ヒルズ vol.2
ニュー・カラー
New Color Photography

1970年代に登場した、カラー・フィルムを使用して撮られた写真作品のこと。カラー・フィルムは40年代からすでに実用化されていたが、報道や広告の分野で使われることが多く、保存性や表現性の面でもモノクローム・フィルムに劣ると考えられていたため、作品としての写真に用いられることは稀であった。しかし、76年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた、ジョン・シャーコフスキー企画によるウィリアム・エグルストンの個展が、カラー写真による表現の可能性を世に示したのを皮切りに、美術作品としての写真にも、積極的にカラー写真が用いられるようになっていった。81年にはキュレーターのサリー・オークレアが、カラー写真を集めた展覧会「ザ・ニュー・カラー・フォトグラフィ」を開催し、同名の写真集を刊行。エグルストンに加えて、スティーブン・ショア、ジョエル・メイエロウィッツ、ジョエル・スターンフェルド、レン・ジェンシル、ジャン・グルーヴァー、レオ・ルビンファイン、デイヴィッド・ホックニーなどの作品を紹介した。これらのカラー写真の多くが光の効果を印象的に用いたものであったため、「ニュー・アメリカン・ルミニズム」という呼称が用いられることもある。また、こうした潮流の影響は日本を含めた他国の写真家にも広く及んでいる。オークレアはその後も84年に『ニュー・カラー/ニュー・ワーク』を、87年に『アメリカン・インディペンデンツ』を刊行し、ニュー・カラーに関する考察を続けた。

ニュー・トポグラフィクス
"New Topographics"

1975年にジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開催された展覧会。「トポグラフィクス」は「地勢学」の意。ウィリアム・ジェンキンズが企画し、ロバート・アダムズ、ルイス・ボルツ、ベルント&ヒラ・ベッヒャー、ニコラス・ニクソン、ヘンリー・ウェッセル・ジュニア、スティーブン・ショアなど、9組10名が参加。70年代初頭における風景写真への新しいアプローチを取り上げた。伊奈英次や小林のりお、柴田敏雄、畠山直哉など、日本の写真家にも大きな影響を与えている。「人間によって変えられた風景の写真(Photographs of a Man-Altered Landscape)」とサブタイトルにあるように、展示に選ばれたのは、かつて風景写真のモチーフであった「自然」が人間の営為によって変貌した様子をニュートラルな視点で淡々と記録した写真で、大型カメラを使って撮られたものが多かった。こうしたアプローチは66年に同館で開催された「コンテンポラリー・フォトグラファーズ」シリーズの第1回展、「社会的風景に向って」が有していた眼差しを、さらに推し進めたものであり、同時期に登場した「ニュー・カラー」の写真とも共通する部分をもっていた。同展は81年にイギリスのアーノルフィニ・ギャラリーで再展示されたほか、2009年から10年にかけてアメリカ、オランダ、スペインなどを巡回して、再展示が行なわれている。
(出典: artscape/Artwords)

と言う訳で、表参道ヒルズで開催されているPHOTOGRAPHYを観て来ました。

PHOTOGRAPHY
■場所:表参道ヒルズ 本館B3F スペース オー
■日時:2013年1月12日(土)~1月27(日) 11:00~20:00 
http://imaonline.jp/ud/exhibition/50bca6306a8d1e34d8000001

今回はフィルムではなく、ニュー・カラー以降カラーで作品を制作している6名の豪華なフォトグラファーにFUJIFILMデジタルカメラ「Xシリーズ」で様々にそれぞれのスタイルで写真を撮影をしてもらったと言うもの。世間には案外モノクロの写真をこよなく愛しているモノクロ至上主義の人が多いけど、ワタシはカラーが好き。(勿論、モノクロも好きで、別段モノクロを敵視する気は毛頭有りませんが。) モノクロの方が色彩の情報量が少ない分、写真を観る眼に想像力が働いたり、深みが生まれる、などと言う話もよく聞きますが、カラー写真には全てを曝け出したような明け透けな感じがあり、自分が観て写真に撮ろうと思ったその世界と写真に納めたこの世界は別物ではない、つまりモノクロ写真が言う所の「想像力」などが入り込めない余地で+αの何かが表現されているような気がしてます。
フライヤーではlast name のalphabetical order で並んでいましたが、ここでは年長順にしてみました。


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ウィリアム・エグルストン
William Eggleston (1939-present)

アメリカ南部のテネシー州メンフィス生まれで、現在も消え行きそうなアメリカ原風景がいまだ残る何気ない南部の生活や風景をカラーで撮影しています。1959年ころのカルティエ=ブレッソンとウォーカー・エバンスの 写真集との出会いをきっかけに写真家を志したそうです。 初期のモノクロ写真はロバード・フランク、リー・フリードランダー、ゲイリー・ウィノグランドを強く感じさせますが、1965年からはカラー写真中心に作品制作を行うようになります。エドワード・ホッパー好きとしては、私としては、繁々と見入って何かを解りたいとひしひしと感じるのは、このエグルストンです。エグルストンのある種の写真とホッパーは、主人公がロードムービーのように旅に出る事はしないで、小さな街に留まってそこの淡々とした毎日を過ごしているかのような共通点を感じる時があります。飾られている4枚の写真は、どれも何処となく絵画のような雰囲気を持ち、アメリカ南部の何処となく古臭く田舎臭い空気感に満ちています。今回の彼の「カラー」がイエロー、オレンジ、枯れ草の色など、自然由来の色だった事もそんな事を感じる理由のひとつなのかも知れません。



スティーブン・ショア
Stephen Shore (1947-present)

ニューヨーク生まれ。わずか6歳で写真や暗室作業を開始し、若干14歳でエドワード・スタイケンによってMoMAに写真が収蔵されたそうです。17歳でアンディ・ウォーホールと親交を厚くし、1971年にはMETで写真家として初個展を開催したと言う輝かしい経歴の持ち主です。24歳の頃、フォト・ダイアリーを撮影しながら全米を廻る旅に出て、普通で何と言うことのない街並みを記録していきます。今でも毎日写真を撮るそうですが、それはこの頃からのプロジェクトなのかも知れません。フォト・ダイアリーは更に展開を見せて、これまで撮影していた旅先の街並み、ガソリンスタンド、ダイナー、モテルなど、毎日見たこと、行ったこと、出会った人などの他に、アメリカの土着の建築物と自然の原風景の微妙な共存を撮影するようになりこれが"Uncommon Places"へ集大成されることになります。今回は切り取ったその画郭の中に様々な要素を詰め込みながらも、均質で画面全体で表現していて、捨てている箇所がないというのは、やっぱり物凄く巧妙な空間の捉え方です。そう言う意味では、女性の顔の1枚は、ちょっと趣が異なっていて意外な感じもしましたが。



マーティン・パー
Martin Parr (1952-present)

パーティン・パーはイギリス人です。その挑発的な写真スタイルに対する論争が繰り返された後の1994年にはマグナム・フォトのメンバーになっています。当時、カルティエ=ブレッソンは彼のエキセントリックな人柄を"別の太陽系から来たようだ"と評したそうです。その後、作品は欧米の美術館やギャラリーで展示されたり、コレクションされるようになっていきますが、一貫して、英国のマス・ツーリズムの虚像の探求や中流・下層階級の精神的な危機を追いつづけ、主に写真集と言う形で作品を発表していて、現在ではアートフォトブック分野の専門家としても知られているそうです。日本の写真集にも造詣が深く、昔はよく四谷界隈で目撃されたと言うエピソードは本当なのでしょうか。 写真は、何処となく嘲笑的で、独特の皮肉っぽさが含まれているような印象ですが、それが彼のスタイルのようです。



ナン・ゴールディン
Nan Goldin (1953-present)

彼女が育った家庭はユダヤ人の中産階級で、両親は穏健な、自由・進歩主義の思想を持っていましたが、当時18歳であった姉が自殺をし、その姉の死と喪失感が写真を撮り始める動機の一つともなっているそうです。同居人や周囲のドラッグクイーン・ゲイ・トランスセクシュアルの友人達を被写体としてドラッグサブカルチャーを題材に写真を撮り続けました。 1986年に発表された『性的依存のバラード』(The Ballad of Sexual Dependency)は高く評価されると同時に反発もされ、大きな反響を呼びましたが、登場するほとんどの被写体がドラッグの過剰摂取やエイズ等で、1990年までに亡くなっているそうです。自身もドラッグ患者の1人であり、家族像の変貌、家庭内暴力、薬物乱用、性的依存や倒錯、エイズなど、80年代以降の欧米社会の時代性が色濃く反映された作品を撮り続けています。真ん中の写真は、結構これまでも目にする作品のような気がしてましたが、これも今回のプロジェクトのために撮影したものだったのですねー。



テリー・リチャードソン
Terry Richardson (1965-present)

アメリカのファッション写真家で、父親は同じく写真家のボブ・リチャードソン。ニューヨークで生まれ、ハリウッドの高校に通い、パンクバンドのメンバーとして活動していましたが、バンドの解散後、母親が紹介した写真家のアシスタントとして自身のキャリアをスタートさせたそうです。セレブですね。 『どのような被写体でも、その生の本質に迫る能力の高さで知られており、彼のヴィジョンは、ときにユーモアがあり、美しく、悲劇的であり、また常に挑発的です。 そのセクシュアリティーを前面に出す撮影スタイルからいままでに多くの論争を巻き起こしてきました。』だそうです。6人の中では、撮影している題材が最も「デジタル」「カラー」をニーズとしているところでやっている人だと思います。 なので、飾られているその写真も、そんなものを感じるものでした。



ライアン・マッギンレー
Ryan McGinley (1977-present)

現在33歳。ショアやエグルストンとは親子ほども歳が離れています。スケートボーダーとして友人やその周囲を取り巻く環境や日々を撮影して来たライアンは、弱冠22歳の時、自主企画(自分の部屋を会場とした)の展覧会や自費出版した作品集が話題となり、その3年後にはホイットニー美術館で同館史上最年少で個展を開催します。元ホイットニー美術館学芸員のシルヴィア・ウォルフは、「前の世代の若者文化を捉えた写真作品と違い、彼の作品は皮肉や退屈さ、そして不安を欠いている。彼自身やその被写体の生活は無邪気な明るさを手に入れているようだ。」と絶賛しています。偶然の中で撮影を行っているかのようで、実は何度も緻密にリハーサルを繰り返し、自然体のポートレートと完璧なセットアップの狭間を行くような、ある種の陶酔感や恍惚感の中で躍動する裸体の若者とロードトリップをしながら撮影したシリーズは鮮烈な世界観を創りだしています。先に清澄白河で行われていた個展に出展されていた写真もありましたが、あれも今回のプロジェクトで撮影したものだったのですね。 写真はその時には出ていなかった1枚です。

自分の備忘録も兼ねて長々と書きましたが、最後にひとつ感じるのは、(全くの私見ですが)、やっぱりカラーって、欧米人の得意とするものなのではないかな、と言う感じがすると言う事です。はっきりとした根拠がある訳ではないのですが、これらの写真には日本人(東洋人?)が撮りたくても到達できないような独特の世界があるような気がします。女性の白い肌や薄い色の髪の毛、色彩を巧みに用いて色とりどりにペイントされた街並みや、部屋の内装。そんなモノ達に囲まれた文化圏で培ってきた何かがそこには作用しているような気がします。 (とは言え、それで悲観的になっていると言う訳ではないのですが・・・・。)

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by sanaegogo | 2013-01-12 00:00 | art | Comments(0)
レ・ミゼラブル (Les Misérables)


明けまして おめでとうございます! 2013

また新しい1年が始まりました。来るべき1年が 良き年となるよう 願っています。
という訳で、今年もまた 地元の友人と恒例になっている 元旦レイトショーに行って参りました。 昨年はガス・ヴァン・サント監督の「永遠の僕たち」でした。生と死を題材とした若者のラブストーリーで、新年早々「生きていく事 死んでいく事」なんてを考えた作品でしたが、今年は年末に封切られた超話題作の「レ・ミゼラブル」を堂々チョイス! 「これからも生きていく事 しかも骨太に」なんてメッセージをもらってきました。

レ・ミゼラブル (Les Misérables)
監督: トム・フーパー (Tom Hooper)
原作: ヴィクトル・ユーゴー (Victor‐Marie Hugo) (1862)

小説の邦題は言わずと知れた『ああ 無情』ですが、今では子供の頃読んだ少年少女名作物語のような原題以外で『ああ 無情』と言うのを見る事はなくなっています。 それもこれもブロードウェイのミュージカルが余りにも有名すぎる影響でしょうね。 邦題『ああ 無情』から連想すると、世の中の無情に嘆くか弱い人々の失望に満ち満ちた世の中の不条理を描いた救いようのない作品のように思えてしまうのですが、ご存知の通り、この物語は明日への希望を胸に抱き、自分を奮い立たせ生き抜いていく登場人物たちが描かれていて、観る人に困難に立ち向かう勇気と生きる希望、そして信念、人は何度でもやり直せる、と言う事を伝えています。しかしながら、劇中、運命の波に呑み込まれて失意のままに散っていく命とのコントラストは強烈です。でもそこには、今のある程度平和な世の中の勝ち組とか負け組みとかの尺度では軽々に測りきれない、時代のうねりの激しさがあるのです。でもでも、今だって決して生き易い世の中ではありません。そんな今日この頃だからこそ、このストーリーを観て、少なからず自分を重ね合わせて、勇気を貰う人も多いのではないでしょうか。
物語は不朽の名作、これまでもミュージカルでは幾度もロングランを記録、となれば、映画としては注目すべきはその配役の豪華さと演技力、そしてミュージカルの舞台俳優に勝るとも劣らない、いえいえ、引けをとらない俳優陣の歌唱力でしょう。それはまあ、どの役も素晴らしかったです。主人公ジャン・バルジャンを演じたヒュー・ジャックマンはブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ボーイ・フロム・オズ』でトニー賞 ミュージカル主演男優賞を受賞しているそうですね。 そして、ジャベール警部を演じたラッセル・クロウがまた妙に唄が上手いんです。唄い方が妙にこなれていて、声もいいんです。まるでポップシンガーの唄うロートーンの弾き語りのようで、凄く意外で驚いたんですが、ラッセル・クロウは若かりし頃ロックバンドを組んでいて、シングルをリリースした事もあるそうです。ジャン・バルジャンを執拗に追いたて、彼自身の正義感に迷いと疑問を感じるジャベールの内なる葛藤をその歌唱力で存分にあらわしていました。 何でも今回は、劇中の全ての歌をアフレコではなく実際に歌いながら演技して、それを生で撮影したらしいです。(これももはや、誰もが知るところのエピソードだと思いますが・・・・。) 実はワタクシ、(舞台はOKなのですが)ミュージカル"映画"が苦手で、これまでも話題作を敬遠してきました。唄が終わって唐突に現実の会話や振る舞いに唐突に切り替わるあの瞬間が何とも気恥ずかしい感じがする、と言う人は案外多いのではないでしょうか。でもこの作品は全編セリフが全て歌唱によるものなので、まるで「動く歩道の終点」のような唐突に流れが変化する感じがなくて、すんなり引き込まれる事が出来ました。 (が、これって昨今のミュージカル映画では当たり前なのでしょうか。余り観てないからその辺は詳しくないのですが。)
ワタシは残念ながらミュージカルの舞台は観ていなかったのですが、映画のカメラワークだったからこそ舞台では表現できない世界が描かれていたと思います。 奥行きのある映像、パリの街の俯瞰、配役のアップなどは、舞台では決して観ることの出来ない、首筋の張りや表情は圧巻でした。 特にアン・ハサウェイのくだり。彼女、頑張りましたね。 凄く良かったです。空間の広がりも、寄った画も、より一層の臨場感を創り出していて、あっと言う間の2時間半でした。
原作、その後のミュージカルの評判の大きさに臆する事なく、超大作に真っ向から正攻法で取り組んだ、大作を題材とした作品らしい堂々とした映画だと思います。そこから溢れ出すこれからを生きていく勇気や希望へのメッセージを斜に構える事なしに受け取りつつ、新年にあたって、自分にとって刺激的な原動力になった気がします。

e0168781_259432.jpgDo you hear the people sing?
Singing a song of angry men?
It is the music of a people
Who will not be slaves again!
When the beating of your heart
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start
When tomorrow comes!


この唄を聴くと 何だか 自分の中にも力が沸いてくる感じがしますよね。

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by sanaegogo | 2013-01-01 00:00 | movie | Comments(0)