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100年記念写真展 ロベール・ドアノー


靉嘔展に出かけた日曜日は梯子をして恵比寿に移動し、写真美術館でロベール・ドアノーを観てきました。ワタシがモノクロの写真に憧れて、ぱらぱらと写真集を手にとって捲ったりとか、写真展に足を運ぶようになった頃に好きだった(今でもそれは変わりませんが)写真家の一人です。 ドアノー、ブラッサイ、ブレッソン、それらは多くの人にとっての「入り口」のような役割を果たしてきたのだと思います。

生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー
会場: 東京都写真美術館
会期: 2012年3月24日 ( 土 ) ~ 5月13日 ( 日 )

ドアノーも一度、大昔に写真展を観に行きましたが、その当時のワタシはとある写真家の撮った写真と言うよりは、作品=撮影者 みたいな見方をしていたと思います。なので、まとまった数のものを観るのは初めてで、ドアノーと言っても、かの「パリ市庁舎前のキス」と出てきてしまうのが正直なところです。今回改めてその足跡を辿りながら写真を観ていくと、「これもドアノーの写真だったのね。」とか、「こんな事もやっていた人なのね。」とか「こんな風に写真を撮っていた人だったのね。」とか、(自分にとって)新しい発見も沢山ありました。
ドアノーは、パリ郊外に生まれ、写真家となった後もパリ郊外に居を構えて、生涯フランスで過ごし、パリの、パリ郊外の数々の場面を写真に納めてきました。この当時の芸術家は大戦の後アメリカ生活を経験したりしている経歴の持ち主が多いのですが、ドアノーは一貫してパリを撮り続けていています。報道写真家としてだったり、レジスタンスと活動を共にしたり、ヴォーグ誌の専属カメラマンになった時は、社交界の虚栄に満ちた被写体を撮影するのが嫌で、夜な夜な社会の底辺近くで生活する人々を撮影して廻り、華やかな社交界とは対照的な世界に生きるパリの人々を生き生きと写しています。本人はかなり人見知りで内向的な性格の持ち主だったようですが、レジスタンスにしても、裏社会の人々にしても、そこに空気のように入り込み、カメラを意識していない様々な表情を抑えています。とは言え、全くのドキュメンタリー志向であった訳でもないらしく、「パリ市庁舎前のキス」は完全なセットアップだったと言う話です。しかしながら、ここではスナップだろうが、セットアップだろうが、あまりドアノーを語る上で重要な話題ではなく、ドアノーが紡ぎ取った、または、演出し作り出した日常の中のドラマのようなものがそこには見てとれる訳です。

ワタシがその大昔にドアノーを観に行って、とても印象に残っているのは、実は「パリ市庁舎前のキス」ではなく、「ノートルダムの怪獣」の1枚。 あまり多くの写真を観いていなかった当時の幼い私は、写真といえば、その場面を撮影者がどう見てるかを瞬間的に画に納めたもののように感じていたのだと思いますが、この「ノートルダムの怪獣」は寺院の屋根から見下ろしているパリの街並みがあり、タイトルになっている怪獣は画面の端っこに、それも後姿しか写っておらず、その写真は怪獣の見下ろしているその視線なのだ、と言うのにとても惹かれてしまったのだと、今では判ります。でも、その当時はそんな事を意識する事も出来ず、ただ漫然と「何だかこれ好き」と思っていたのでしょうね。
「国土整備庁の任務によるシリーズ」は最近の自分のトピックに准えて、とても関心を寄せました。 ひと気のない新興地をただただ記録しているそのカラーの写真は、まさに「ニューカラー」で、パリの人々や親交のあった著名人のポートレートなどとは対照的な印象です。ドアノーと言う人は色々と実験的に試みる人でもあった訳です。

≪ノートルダムの怪獣 1969年≫



ドアノーは『自分は内向的なので、人物を撮るにも正面から寄る事ができず、いつも遠巻きに撮影をしていた。 しかし、それが自分にとっては良い事だった。なぜなら、その事によって自分の写真には被写体の周りに空間が生まれて、その余白こそが自分が撮りたいものだったから。』と言うような言葉を残していますが、この言葉は印象的でした。 ドアノーの写真には確かに、彼の見つめる被写体を取り巻く空気感のようなものまで取り込んでいて、『対象物』だけではなく『場面』を鮮やかに描き出しています。

≪芸術橋の上のフォックステリア 1953年≫




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by sanaegogo | 2012-04-30 00:00 | art | Comments(0)
靉嘔 ふたたび虹のかなたに


靉嘔 ふたたび虹のかなたに
会場:東京都現代美術館 1F,B2F
会期:2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)

靉嘔(あいおう)は「虹のアーティスト」として知られていて、赤から紫までの可視光線(スペクトル)を重ねる「虹」をモチーフとして、と言うか、「虹」をメディアにして作品を生み出していると言ってもよいかも知れません。初めての回顧展と言う事だけど、とにかくその出展数の多さ、そしてその全てに溢れる生き生きとしたエネルギーのようなものを感じ、観終わった後は何となく、夏のビーチに日光浴に行った後のような心地よい疲労感みたいなものを感じた気がしました。 時々展覧会のご案内をいただく知人から、『娘が企画した展覧会だから』と言ってチケットをいただいたので、何の気なしに出かけてみましたが、とても面白く、楽しく、良い回顧展だったと思います。
展覧会に出かける前、ちょっと調べてみたら、靉嘔は茨城県に生まれた、と略歴に書いてあったので、日本籍の中国の方かと思っていたのですが、その名前は本名ではないようですね。名前の由来は、当時よく描いていた雲にちなんで、雲がたなびくさまを表した靉靆(あいたい)と言う言葉からから「靉」を、また「嘔」は当時夢中で読んでいたサルトルの小説「嘔吐」からをとって来て、「靉嘔」としたそうです。もっと言えば、この「あいおう」と言う言葉のサウンドも、ア行の中から友達の間で人気のあった音を順番に組み合わせたと言う事らしく、何ともシュールでちょっと刹那的な、若者らしい名前の決め方のように思います。『新たな造形や価値の創造を自らに課し、その誓いを心に刻むつもりで改名した』と靉嘔さんは振り返っています。
靉嘔は、日本では池田満寿夫らと共にデモクラート美術家協会に参加して、明るい色彩と力強い画題で躍動する人々を描いた数々の油彩画を発表して注目され、その後ニューヨークに渡り、知覚以外の感覚にも訴えるようなインスタレーションを制作し、絵画の枠に囚われずに活動するようになります。オノ・ヨーコにジョージ・マチューナスに紹介される事がきっかけで、フルクサスに加わって、当時のニューヨークの前衛的な芸術家と交流していくようになります。この靉嘔展ではこの頃のフルクサスでの写真も展示してあり、若き日のジャンヌ=クロード・クリストなどと一緒に写真に納まっているのもみる事が出来て、なかなか興味深いものがあります。
Pastoral, 1956


とにかくその出品数の多さには圧倒されます。どの時代の作風(スタイル)もかなり大判のものばかりで、どばーーんっとして迫力があります。単純な線で描かれているのに躍動感があり、特にスペクトルのみで画面を表現するようになってからも、青、藍、紫と言った寒色の重なりと線の丸みと光の帯の幅のみで立体感や奥行きを巧みに描き表していて、システマティックでもあり、自由な表現の中で躍動的に描かれているのですが、どこか毅然としたルールに則っていたり、統制されている中で表現されているようであったり、そんな枠の中をたっぷりと使ったある種の特殊な自由のような感じがします。「躍動感」と「統制」と言う相反する要素が全体に亘って混在しているのです。


300 meter Rainbow Eiffel Tower Project, Paris, 1987
Photo: Kenji Mizuyachi

現在のなお続くその旺盛な制作意欲と自由闊達な発想を存分に味わう事の出来る回顧展でしたが、コンテンポラリーの醍醐味は同時代であるが故にその制作活動がこの先も続いていく事を見続けていくことが出来る事です。 今回も、サンデー・プロジェクト/靉嘔によるワーク・イン・プログレスと言う企画が地下の展示室で行われていて、これは、「シジフォスの神話」と言う作品を靉嘔自身が、毎週日曜日の午後、オブジェクトを並べ替えるパフォーマンスを行うという、まさに in progress なインスタレーションも見ものです。この日も日曜日だったので、靉嘔その人が姿を現し展示室の床に並べられた七色のオブジェクトを崩し、また、新たに異なるものを作ると言う作業を見せてくれました。フルクサスのように半ば歴史の中に取り込まれている部分と目の前でこうして作業をしている部分。そのコントラストは何だか感慨深いものさえありました。


コンテンポラリーの展覧会と言えば、キュレーターの意図したテーマのもとに数名の作家の作品群を観せていく、と言うものが多く、それもそれで面白いのですが、やっぱり回顧展とか、ひとりの作家の個展でしかもこのように作品数が豊富であるとインパクトもあり、面白いですね。

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by sanaegogo | 2012-04-29 00:00 | art | Comments(0)
複雑な心境の仙台視察でした
26日、27日と仙台に出張に行って来ました。秋の案件が日本の復興をアピールするもので、その関連の視察が仙台市内で行われるので、そのサイト・インスペクションです。仙台市内は桜が満開で、行きの新幹線の中では、仙台も含めて東北に桜を観に行く旅行会社のツアー客で溢れてました。仙台市内はワタシが東京で体験しても恐ろしいほど揺れたあの揺れよりももっと激しかったはずですが、1年経つと市街地はもうすっかり平常どおり、と言う感じでした。でもちょっと車を走らせて海のほうへ行くと、そこには明らかに震災の爪痕が未だに生々しく残されています。 仙台空港。滑走路を流されていく飛行機を見たときの衝撃は忘れられません。到着ロビーの柱にはワタシの身長の遥か上のほうに、『津波到達の水位』と言う線が示されていて、あの高さまでもし今水があったら、ワタシは水の底に沈んでいるんだ。水面まで浮上するのにあんなに距離があるのか、と、子供の頃、大波に呑まれてもみくちゃにされて、上も下も判らなくなった時の感覚を思い出して、恐ろしくなりました。でもあの頃は無邪気にもそうして遊んでたんです。津波で校舎が孤立してしまったあの荒浜小学校へも行きました。校舎は無残にもめちゃめちゃになっていて、かつ校庭は周囲から撤去して集められてきた農機具や自動車、バイクの集積所になっていました。何ともやり切れない光景です。閖上にある日和山にも行きました。平地の中にぽっかりと小高く小山があって、そこはもともと地元の信仰の場所だったようですが、山の上に上がる階段の手すりも大きな力でもぎ取られていました。山の上には地元の小学生が桜の木を植えたのですが、辺り一面何も無くなっているので、海からの風が直接桜に吹きつけ枯れかけてしまったそうです。元気になるまで他の土地で療養しているので、安心してください、と小学生からのメッセージがありました。
秋の案件でどのように復興しているか、を日本の内外から来た会議参加者に見てもらうのですが、復興して平常化しているところ(例えば塩釜港なども訪れたのですが)を見せるだけではアピールが足りない。やはり、ダメージや災害の痕跡が残るところにも案内して、そのコントラストを伝えるのが判りやすいのではないか。そうすると秋まで先ほどの荒浜小学校の無残な墓場のような光景やあちこちに積み上げられた瓦礫やそれを整備しているクレーンやブルドーザーなどはその時期まで残っているのだろうか。と言うような別の懸念事項もあり、大きな矛盾を孕んだその事実は心境的にとても複雑なものでした。殆どの家が流されてただっ広い平地になってしまった集落に人々が戻ってきてもとの生活を営んだり、一階部分が柱だけでむき出しになり、明らかに誰も住んでいないようなぽつんぽつんと残された家の復旧がそんなに簡単なものではないのは事実なのです。海外の人々にアピールする事よりも最優先されるべきで、秋にはもっともっと今よりも復旧している姿を見たい、と思うと、そんな事を考えざるを得ない状況に罪悪感を覚えてしまいました。もちろんそこに居合わせた誰しもが、秋までこのままで、と思っていた訳では決してありません。 そこに言いようもない矛盾があるのです。秋は秋で、その時の状況を大きく復興のアピールにつなげられる様に、もっともっといい形になっていて欲しいと切に願っています。

塩釜港






荒浜小学校
















閖上地区





日和山の上から





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by sanaegogo | 2012-04-27 00:00 | Comments(0)
よい子のための写真教室 vol.3
「よい子のための写真教室」3回目に行って来ました。1回目は福島の現場中でしたが最終日だったので、今回は現場中ではあったものの横浜だったので、全回出席が原則のこのワークショップ。綱渡り的に出席できてます。 今回の課題は、「ニューカラー」。これはホンマ先生独特のカテゴリー分けで、1981年に出版された『The new color photography』と言う写真集に由来していて、その写真集には凡庸な風景や何と言うこともないモノを曖昧に狙って撮影した写真が納められています。撮影者の立場や立ち位置をはっきりとさせず、客観的でありながら撮影者独自の視点を顕した写真です。少し混乱します。まず、この「客観的」と言うのと「作者独自」と言うのが矛盾するような気がするし、「どう写真を撮るかというよりもどう世界を見るか」、と言ってもその「見方」はあくまでも客観的なものとされていて、そこに撮影者の主観や意図が入る事は想定していません。あくまでも中立的で無機質な立場で覗かれた世界です。代表的な写真家で言うと、スティーブン・ショア。隅々までピントがあった均一で等価な画面で郊外のニュータウンやスーパーマーケットやレジャーランドのような無機質で味気ない街の風景を『Uncommon Places』と言う本に纏めています。ニューカラー双璧となるもう1人が、ウィリアム・エグルストンです。エグルストンは1976年に初めてMoMAでカラー写真による展覧会を行った写真家でこの人をもってミスター・ニューカラーと言わしめたニューカラー魁の人、先鞭をつけたニューカラーの旗手です。そう言う意味では、ショアの映し出した等価値の世界観はどちらかと言うとニュー・トポグラフィックスの趣を多く含んでいるのだ、と色々整理した今では判ります。でもこの課題を与えられた時、どちらかと言うとショアの写真に物凄く引っ張られてしまいました。ワークショップの中で、ショアか、エグルストンか、ショア的か、エグルストン的か、と言うのが多く語られましたが、多分、多分ですが、ワタシはエグルストンの写真の方が普段の自分のスタイルに近く、これまで撮ってきた写真も断然エグルストンだったんですね。で、逆にショア的なものにとても惹かれて、ワークショップでお題を与えられて、そのために撮影をするのであれば普段の自分でないスタイルで出してみたいな、と漠然と思ったんだと思います。でもエグルストン的視点からはいまひとつ離れることが出来ずにごちゃまぜになってしまった。ニューカラーと言われてまず頭に浮かんだのは、この写真でした。で、まずこれを出した訳です。



前回お題を与えられてもいいのが出てこずに、過去のライブラリーの中から何枚か提出した経緯があるので、これではいかんっ、と思って今回はちゃんとカメラを持ち歩いてWS用に撮影する事にして、その中での1枚目がこれ。





でもこれって、(前の写真もそうですが)、広い画ではありますが画面が等価値ではなく中心が生まれてしまっています。(中心と言うのは、文字通り『中心』と言う事ではなく、注目点、注視するポイントが生まれていしまっている事。) ニューカラーと言えば、色の重なりとか色で構成されている画面が真骨頂なのですが、色のバラエティーがなかったので、この水色のポールの写真がきっかけでシリーズで撮影する事に。



この赤いポールの写真は、かろうじてニューカラー的に引っかかったようです。ランダム(に見える)な配置が面白くて、色々な角度から撮影した中の一枚がこれです。画面の調子も飛んでしまっていて、これは結構『もらいっ!』と言う感じで、当日のウケも良かったように思えます。



ホンマ先生に自ずから、『これは一番よくないです。』と言われたのがこの写真。実は課題提出の写真を選んでいる時にこの(↓)写真と迷ったのですが、last minutesで上のにしてしまったのですねー。ちょっと後悔。この写真には「無意味さ」みたいなものはなにも無いです。



他にも何枚かあったんですが、あまりどんぴしゃな感じが持てなかったので、シリーズで何とか全体の雰囲気作り、と思ったのが間違いでした。ここで割愛した写真も、上の黄色いコーンの写真も出して後悔しました。

ホンマ先生は、スルーする写真はあっけなくスルーしてしまうし、自分に響く写真に関しては物凄くコメントしてくれます。でも今回のように写真を見たまま比較的黙り込み、果てはタカザワさんに『困った時には振る・・・・』と言って振られてしまって。ま、でも良い意味で解釈すれば、ホンマ先生の中にもやもや感を残せただけでも、スルーされるよりは励みになったかな、と。そんな中でも『写真としてカッコイイだけど、上の消失点まで入れない方が断然ニューカラーだったかなー。』と言ってアドバイスをいただいたので、試みにそのようにしてみました。 確かに・・・・。今回提出の写真はどれも説明しすぎ、意図が判りすぎ、と言うコメントをホンマ先生からもタキザワさんからもいただきました。こうすると、ぐっとニューカラーな感じがして来ました。



大胆にもばっさりとやってみました。 この切り方はアドバイス無しではなかなか成し得ません。でも確かに空間の感じとか距離感とか、曖昧な無意味さはぐっと増してます、



『これも奥まで見せない方がよかった。』とアドバイスされて切ってみました。『ここだけの視線』がよりクローズアップされるようになりました。
ここで、自分でも誤解しないようにしたいな、と思うのは、写真の良し悪しを言われている訳ではなくて、あくまでもワークショップのお題であるニューカラー的かどうか、と言う観点で物事は語られてます。なので、何でもカンでも自分の写真をこのようにすれば良い、と言われている訳では決してない、と言う事。それをすると混乱の元だし、自分のスタイル、志向(嗜好)を超えたところでいかに与えられたお題を遂行できるか、と言う事がワークショップなどに参加する醍醐味なのだ、と心得ました。そう言う意味では、今回のお題は、ぱっとしない結果には終わりましたが、課題に呼応して撮影したこと、自分なりに課題にあうシーンを探したと言う作業が実行出来た事はよかったと思います。
最後に、ニューカラーのキーワード:
どう写真を撮るかよりどう世界を見るか、距離感、空間、レイアウトの関係性、無意味なものに存在感を与える、色の重なり、uncommon、等価値、中心(注目点)がない、客観性、撮影者の立場をはっきりさせない、色を構成する、平面的、自分だけの発見、自分だけの視点、意味から離れる
など。 ニューカラー、踏み入れば、本当にその奥は深い深い感じです。

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by sanaegogo | 2012-04-14 00:00 | activity | Comments(2)
HIGASHI-YAMA Tokyo (ヒガシヤマ トウキョウ)
何度も同じような事を言ってますが、今年ほどお花見が凝縮された年もきっと無いでしょうねー。ワタシ自身で言うとこの土曜、明けて月曜、そしてこの火曜日。3日間だけでした。夕暮れの「青い時間帯」の下のぼんぼりに仄かに照らされた桜、で、ハレーションの桜、そしてこの度は「夜桜」です。翌日からの缶詰仕事への鋭気を得るために、無理繰り時間を作ってやってきたのは再び、目黒川です。桜はようやく咲いた感じではありますが、夜の漫ろ歩きはまだまだ何となく肌寒い感じがします。夜の桜は妖艶で、それはそれで、いと美し。もっともっと時間があれば、車を飛ばして山桜や野に咲く一本桜とかも観に行ってみたかった今年ではありますが、降って沸いた思わぬスケジュールの関係でそれも叶わず。でも来年も再来年もこれからも桜は咲くでしょうから、そのお楽しみは無理せず出来る時(翌年以降)に取っておくこととして、今年はこれで見納めとすることにします。








遅めに漫ろ歩きを始めて、やって来たのはHIGASHI-YAMA Tokyo (ヒガシヤマ トウキョウ)。ここはお花見の度に何度か立ち寄ったり、予約を入れようと試みたのですが、いつも叶わず、でしたが、今日は時間が遅めだったので上手く予約が取れました。(JK、ありがとう!) 一見外からはお店だとは気がつかないような隠れ家のようなラウンジです。店に着くと、カウンターではなくて「とても落ち着くテーブル席」を用意してくれるとの事。これも遅い時間の役得でしょうか。でも、お店のメニューが変更になっていて、アラカルトでオーダーを受けることは、ちょっと前から止めてしまったそうで、基本はコース。で、私たちは、コースを2人別々のものでオーダーして、それを2人で分ける事に。どれも美味しそうなものばかりでしたが、春の晩餐らしく、菜の花、筍、空豆、ホワイトアスパラなどがいい感じで食せるようにお料理をチョイス。美味しくそして春らしい宴の席となりました。季節には季節のものを食さねばね。



前菜のひとつだった、春野菜の十点盛り。上品で可愛らしい・・・・。



取り皿には金魚が描かれていて、その可愛らしさに思わず1枚。 ここんちの前庭の池にも金魚が泳いでました。 春を通り越して夏の風情ではあるけれど、可愛いです。

何だか忙しくなってきちゃったなぁ、と思うときでも、気の持ち様で、間隙をぬいながらでもこうしてリラックス出来る時間を持てる事がとても大切なのであります。

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by sanaegogo | 2012-04-10 00:00 | お店@恵比寿 中目黒 | Comments(0)
桜 was fogged by halation
先日の雨で桜もすっかり散ってしまいましたが、今年は寒さで花が遅かったけど暖かくなったらぼんっ!と満開になった反面、新芽・新緑が出るのもとても早く、満開なのに葉桜な感じで、例年の桜とはまた感じが違ったようです。毎年毎年、『今年の桜は何色だった?』と自分に質問をしていますが、今年は若々しい新緑を伴って、一斉に咲き誇るような、ハラハラと散る儚い春と言うよりは5月の新緑の骨太の生命力にイメージが近い、そんな桜の色なような気がします。
今週の中頃から仕事で某所に缶詰になるのでその前に、と思ってこの日は久々に一眼を携えて出社。お堀端に咲く桜並木を撮ろうかと思い立った訳です。ただし、普段の仕様で数枚撮ったものの、ここの桜ももう毎年毎年かなり撮りためているので、(それも似たようなものばかり)、今年は趣向を変えてこんな感じで・・・・。 春の日差しの中で、桜の花のハレーションです。















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by sanaegogo | 2012-04-09 00:00 | つぶやき | Comments(0)
お花見@目黒川
沈丁花の花と桜が殆ど一緒の時期と言う年も滅多にないと思いますが、つい昨日まで鮮やかに香っていた沈丁花の匂いも桜の花の勢いにかき消されてしまったようですね。
日本人の桜に対する思い入れ、季節に咲く花にこんなに熱狂する国民もまず他にいないだろうといつも思うのですが、ひとつになれるシンボリックなものを求めているのでしょうか。そして万人のシンボルとなれるものはやっぱり、撫子の花でもなく、八咫烏(ヤタガラス)でもなく、ましてやサムライでもなかった訳です。(って言うか、侍は巷にはもういないし・・・。)(そう言う意味では3本足のカラスも・・・・。)
今年は桜が遅かったせいもあり、じらされていたような気持ちになっていた人々はこの土日どっと花見に繰り出したようです。勿論ワタシもその1人。毎年恒例になりつつある目黒川に行って来ました。今年は臨時改札まで出来ていて、本当に年々、年々大騒ぎになっているような気がします。目黒川の両岸はベンチなども殆どなく、出店が出て色々なものが売っているのですが、それを落ち着いて食べる場所もない。でも皆さん、私たちを含め、片手にビールやホットワインを持ち、片手に屋台で売られている様々な美味しいものを持ち、川の両岸をサーキットのようにぐるぐるぐるぐる廻り、時々ある橋の上で桜の接写をしたり、幾重にも重なり合う桜の奥行きをカメラにおさめている訳です。ワタシはこの目黒川の桜の写真は今まであまりにも撮りすぎていて、流石に今年はあまり触手は動きませんでした。これまでには無い感じのにしようと思ったので、敢えて夕方を待って。夕暮れ時の空は少しの間だけ、物凄く青が濃くそして綺麗な色に写る時間帯があるのですが、それは昼間の青空とはちょっと違っていて、舞台のライティングのように作り物のようであり、イタリアのフレスコ画のようであり・・・・。そんな桜の風景を撮影してみました。(って、ホントはですね、夕方から待ち合わせをして、先ずは腹ごなしとホットワインとフランクフルトとビールを呑んだり食べたりしてしまったので、そんな時間のしか撮れなくなっちゃった訳なんです。)







この後、軽く食事をして久々に VENENCIAに行きました。ここはシェリー酒を出すシェリーバーで、ちょっとした手解きとかもしてくれます。ここの牡蠣のオリーブオイル漬けが絶品で、それが食べたくて立ち寄りました。漬け込む時にシェリー酒も少し入れるようで、濃厚な牡蠣の旨味がぎゅっと凝縮されて本当におススメです。きっと下処理とかをかなり入念にしなくちゃいけないだろうから、家庭ではなかなか作れない「自家製」なんだと思います。季節は寒い寒い冬から突然桜の季節になりましたが、今年の冬は何だかとっても「冬」を堪能した気がします。そんな行く冬の〆としてのこの牡蠣のオリーブオイル漬け。いい流れです。

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by sanaegogo | 2012-04-08 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
AIT Talk Event "Art at SUNDAY" on Saturday
3月は、期せずして予定していなかった仕事を引き受けることとなり・・・・。3月の頭に福島に出張に行ったら、再び暫く春休みを謳歌するつもりが、怒涛のように仕事をするハメになってしまいました。2006年から続けているこのブログも、ひと月のエントリーがたったの2件、何てことは史上初めてで・・・・。まあ、これもある意味、新しい展開なのかと思い、良しとする事にしました。判で押したように同じ事を繰り返しているよりは、こう言ったイレギュラーな事も、後になって『あぁ、あの時は・・・・。』とインパクトのあったものとして心に残っていくものなのでしょう。取分け今年は、先を見据えながらも、目の前に沸いてきた自分に良い刺激を与えてくれるような事案には、チカラを入れて取り組もうと思っている年です。無計画なものを想定の内に取り入れつつ進む。上手くは言えないですが、そんな感じです。そうして行くうちに、きっと進むべくして進んでいく方向に自然に向うような感覚を感じています。あらゆる選択肢と可能性を排除しないで進んで行けば、自ずと向うべき道は決まるだろう、と、そんな感じです。



3月の仕事がここで一段落したので、ちょっと疲れもありつつ振り返って、前置きが長くなりましたが、三宿のギャラリーカフェ SUNDAY で行われたAITのトークイベント 「Art at SUNDAY」 に行って参りました。テーマは「アートを仕事にするために!」という事で、AITの修了生の中からその希望を叶えたお2人、SCAI THE BATHHOUSEのギャラリストの卵、今井曜子さんと日本経済新聞社でアートレビュー面を担当している柳下朋子さんがパネリストとして迎えられています。会場になったSUNDAY ― CAFE ART RESTAURANTは、コンテンポラリーのコレクターのオーナーが営んでいる素敵なカフェで、今度はランチにでも来てみたい感じです。ご近所のご家族連れがたくさん来てました。その奥のギャラリースペースでトークイベントは行われた訳ですが、実はワタシ、この「アート」と言う言葉を頻繁に使用することに多少の気恥ずかしさを感じる帰来があります。なので、この手の話をプライベートでする時は、『文化芸術』みたいな言葉を使ったりして、でもそれとも何だか違うし・・・・。どちらも何だかしっくりしないんですよねー。ま、これは余談ではありますが。今井さんと柳下さんはどちらもAITの修了生ではありますが、バックグラウンドと今のステイタスは全然違います。柳下さんは美大を出て制作を行う側として教育を受け、学芸員の資格も持ち、今は新聞社で中立的な立場でレビューを書いています。言わば評論家の卵でしょうか。今井さんは、全く芸術学部系とは違う学部を卒業して、民間企業の営業職をして、畑違いのところで育とうとしていたのですが、きっかけがあって、アートマネージメントのディプロマをイギリスで修めた後、コマーシャルギャラリーで営利に関わる立場で働いています。これって、端的に業界の縮図を顕している様に思います。純粋に真価を問うていく立場と、語弊はあるのかも知れませんが、そこに商売の要素を含んでいる立場。一口に業界で働くと言っても、一言では語りきれないのはそういった理由なのだと思います。
AITは所謂美術の教養講座と言うのではなく、コンテンポラリーにフォーカスした教育プログラムを行ってますが、お二人が何故コンテンポラリーだったのか、と言う質問に対しては、その作品の制作を行っている作家と実際に話をして色々とコミュニケーションできる事、これからどうなるかも判らない新進の作家を世に送り出していく事、今後(後世)の歴史の中で自分が作家の誕生に関われる事、が仕事が醍醐味だと言ってました。どんな立場でこの業界に関わっていたとしてもきっとこれは共通して言える事なんだと思います。歴史の中で生まれてそして動き始めたもののダイナムズムみたいなものを感じているんでしょうね。いずれにしても、この業界で職を得ていく素養としては、学芸員の資格の有無はさて置いて、しっかりと美術史の知識を有している事。(歴史の文脈の中で認識していると言う事は重要な事です。) あとは英語が出来る事。だそうです。海外のアーティストとコミュニケーションをとるのに、通訳を介してよりは自分の言葉のほうがより良いと言う訳です。



ワタシ自身がこの業界でやっていけるとしたら、今までの実績と経験を生かして展覧会の準備の進行管理やコーディネーターの立場で関わるか、それか、レビューとか記事とか何か取材をして文章を書いていくような感じになるのでしょう。いずれにしても、出来る事からはじめる事とその機会を得る事ですね。それに尽きます。その流れに乗って流れ始める事です。今日はそんな事を改めて感じました。

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by sanaegogo | 2012-04-07 00:00 | art | Comments(0)