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ニーチェの馬


崩壊は、予期せぬところで突然に始まり、そして、それが徐々に進んで行く事を、喰い止める事は出来ない。まるで裁縫の「返し縫い」のように、同じ動作を繰り返し繰り返し、繰り返しを連続させて少しずつ進行していく。
タル・ベーラ監督はこの作品を最後の作品と公言していて、また、「この作品に込めたメッセージは特にない。ただ情景を描いただけ。」と言うコメントを残している。 観に行った人々は、2時間34分の間ただ淡々と崩壊していく世の中の情景を、見せつけられる。風が吹き荒れ、ならず者に怯え、井戸は枯れ、やがて火種も消え、そして6日目に風は止み、世界は静かに終末を迎える。一体、21世紀のこの現在の世界のどこで、この映像を撮ったのだろう、と思わざるを得ない、シンプル、かつ、その印象とは相反して作りこまれた世界である。最期の6日間、常に強い風が吹いていて、娘は毎日井戸のところまで歩き、その日に使う分だけ水を汲みに行く。水が入った桶を両手に持ち、強い風に吹き曝されながらよろよろと歩くその場面には、こちらもぐっと身に力が入るし、家の中に戻り、扉を閉めて閂をかければ、こちらも安堵でほっと肩の力が抜ける。そう、そんな反復を繰り返しているうちに、いつしか自分もあの荒野の中の1軒屋で風にさらされている感じがしてくる。
タル・ベーラ監督は、ニーチェが馬の首に取り縋った後、2度と正気を取り戻さなかったと言うエピソードに発想を得て、ニーチェと別れた後の馬と御者のその後のエピソードとしてこの作品を撮ったそう。『どんな映画?』ともし尋ねられるとしたら、その表現に関しては、すでにタル・ベーラの手から放たれていて、観た側に委ねられている。その時、自分の中で饒舌に言葉を探そうとしても、その要素の少なさ故に、自分の中にいかに表現力があるのかを自然に試されているような気がしてしまう。彼が表現しているものを言い顕した、さらには、それを超える表現は見つけられない。でもそれは、徒労に終わる事は目に見えている。なぜなら、そこには「情景」のみが描かれ、語られているだけで、拙い感想を求める意図は一切ないと感じたからである。




この馬はタル・ベーラが片田舎で見つけた無骨で頑固な馬で、作中ではこの馬を使う以外には考えられないと感じたそう。馬が荷車を牽くそのシーンが流れていく様子と反復される音響には、思わず見入らざるを得ない。


「ニーチェの馬」 公式サイト: http://bitters.co.jp/uma/
「ニーチェの馬」 作品紹介(2012年2月6日): http://eiga.com/movie/57189/interview/
五十嵐太郎が感嘆(2012年2月20日): http://eiga.com/news/20120220/10/
タル・ベーラ インタビュー(2012年2月6日): http://eiga.com/news/20120206/7/

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by sanaegogo | 2012-02-22 00:00 | movie | Comments(2)
"Jack Goldstein" @ RAT HOLE GALLERY



Jack Goldstein "Jack Goldstein"
January 25 – March 25, 2012
12:00 - 20:00
RAT HOLE GALLERY
http://www.ratholegallery.com/


ラットホールギャラリーは、HYSTERIC GLAMOURが運営しているGalleryで彼らがセレクトした作家のsolo showを開催しています。写真やフィルムのものが多いです。この日は近くまで来たので、立ち寄ってみました。




ジャック・ゴールドスタインは、1970年代後半から1980年代の頭にかけて席巻した「ピクチャー・ジェネレーション」と言われる世代のひとりで、パフォーマンス、フィルム作品、ペインティング(描く作業)、音響作品は芸術作品である事を知らしめた、その黎明期に大きな役割を果たしたアーティストです。今では映像を扱う作家は「アーティスト」と言うよりは「クリエーター」と呼ばれたほうがしっくり来る場面も多いですが、時代もそれほどテクニカルな事が不可欠でなかったので、ゴールドスタインは生え抜きのアーティストと言えるのだと思います。先日少しお話をしたグラフィックデザインをやっている人が言ってましたが、『自分にはアイディアはあるけど、CGやコンピューターの技術がない。今ではそう言った「作り方」を知っている人の発想のほうが、作品をつくる事の近道になっている。』、と言うのはとても頷けます。
上映されていたゴールドスタインの10の作品もまたしかり、で、コンセプト作りの段階からこういった作品の制作に携わった事のある人でなければ、もしかして、見るべきところが判り難いのかも知れません。見た目の「感じ」だけでは何とも語れない気がします。しかしながら、観る人の中にリテラシーがあれば本当に面白いものだと思うし、一方で、ちょっとでも観てみようかな、と関心を寄せたのだったら、たとえ観終わった後に『ふうぅ~ん。』と言う言葉しかなくても、また、それはそれでOKだと思います。
今回はジャック・ゴールドスタインの作品を日本で目にするはじ めての機会だそうです。その中でも、The Jump(1978)は昨年のヴェネチア・ヴィエンナーレの企画展『ILLUMInations』で上映されていて近年最も知られた作品なので、ヴェネチア・ヴィエンナーレ関連のレビューで目にした事がある人もいるのでしょう。この企画展『ILLUMInations』は、"物理的な光および概念的な光(もちろん啓蒙主義を含む)についての考察"を意図して企画されたもので、その中でもThe Jumpは、"ヨーロッパの啓蒙主義が生み出した光およびその作品の背景の文脈が示すヨーロッパの闇とも言える部分を象徴している"作品となっています。"レニ・リーフェンシュタールのオリンピックドキュメンタリーを基にして制作された本作は、アニメーション技術に由来するロトスコープで撮影され、ほぼ光だけで構成されており、イメージから参照項を取り去る顕著な例となっています。" (RAT HOLE GALLERY websiteより引用)

"ILLUMInations" Review: http://www.art-it.asia/u/admin_ed_exrev/ko70tdbM9Iup68hYXzAP




ギャラリーの中では赤く塗られた壁に向って映写機がぽつんと置いてあります。
椅子が並べられているのは5脚ほどで、映写機のカラカラカラカラという音だけが響いている感じ。



写真は、その「Jump」の映像です。

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by sanaegogo | 2012-02-18 00:00 | art | Comments(0)
写真家 石川直樹、小笠原諸島を語る


この亀の写真を見て、改めて、『そうだ、石川直樹は北の寒いところに行く人でもあるけど、南の暑いところに行く人でもあったんだ・・・・・。』と思い、その写真の素敵さに見入ってしまいました。いずれにしても、遠くまで行く人、と言う事には変わりはないのですが、ここのところエベレスト登頂があったりで、雪山のローコントラストな写真が多かったのですが、この亀の写真を見て、彼は山ばかりではなく海にも飛び出し、泳いだり潜ったり、熱帯雨林に分け入ったり、カヌーを漕いで海を渡っていた人なのだ、と改めて感じましたね。この亀の写真、本当に好きです。これは(当たり前ですが)ペイント(絵画)ではないので自分で絵の具の色を選んだりするのではないのですが、この写真で映し出されている色彩が全て自然に生まれているものだと考えると、本当に素晴らしい・・・・、と思います。




と言う訳で、

EVENT|レクチャーシリーズ「The Seven Continents」第3弾
写真家 石川直樹、小笠原諸島を語る
2012年1月17日(金)
アート&カフェスペース『VACANT(ヴァカント)』
http://openers.jp/culture/tips_event/thesevencontinents_120213.html?rp=fb


に行って来ました。
これはTOO MUCH magazineが「The Seven Continents」と銘打って行っているレクチャーシリーズの第3弾で、今回はゲストとして前田司郎氏(劇団「五反田団」主宰)を迎えて行われたもの。因みに第1弾はエベレスト、第2弾はブータンでした。どの回でも石川さんがそれぞれのレクチャーのために作成したzineがもらえます。
ゲストの前田司郎氏と石川直樹さんの出会いは、前田さんが『前田さんにそっくりな人がいるんで是非紹介したい。』と石川直樹さんを紹介されたのが馴初め(?)と言う面白エピソードも話題にされていましたが、同世代との掛け合いトークという事で、石川さんは何となくいつもよりリラックスした感じで、等身大な感じだったように思います。個人的には石川直樹の話をもう少し多い分量で聴きたい気がしていたのですが、zineの中でも、トークの中でも何度も語られているように、小笠原は文化的、民族的な歴史や特徴があまりなく、ニュートラルで『とっかかり』が少ない場所だ、と余り話が膨らまない様子でした。トークショーのその講演者の席に座っているにも関わらず、『自分の小笠原の話だけで1時間半もたせる事が出来るのか、疑問。』と飄々と述べてしまうのは、何とも彼らしいと思います。多分、取材に行って、皆が期待している沖縄や台湾のような独特な民族性が見受けられなかったと言うのがあるのだと思うけど、なる程、例えば前回聴きに行った『アーキペラゴ』のトークショーとかと比べると、あの時のようにスライドを繰りながら次から次へと話したい事が出てくる、と言う感じではなかったようです。知らなかったんですが、小笠原は日本人が本土から移民しただけではなく、アメリカやハワイやミクロネシアからの移民も多くいるらしく、外国の方のお顔の名残がある日本名の住民とかもいると言う事です。もともとずっと島に暮らしている人が続いていないので、そこ本来のアニミズム的なものはない、と言っていました。きっと人類学、民俗学的なところでは、あまり面白くない事がわかった、と言うのが本音なのでしょうね、きっと。
それよりも、石川直樹さん自身が高校生の時に訪れた時の小笠原の話をするときの、あの弾むような感じが印象的でした。映画『グランブルー(Le Grand Bleu)』に感化されてイルカと一緒に泳いでみたくて、尼さんに弟子入りして素潜りの特訓をして小笠原に出かけたそうです。(ワタシも当時シネセゾンに観に行きましたよー。すっかり感化されて『イルカと、海へ還る日』を夢中で読んだりしました。) その時、「潜ルンです」で撮影したイルカ数頭が石川さんを追い越して尾びれをハタメカセながら消えていく写真を見せてくれました。画像は荒く劣化してましたけど、その写真も素敵だった。トークショーの中で見せてくれた写真の中では、前のウミガメの写真と、その高校生の時撮ったイルカの写真が一番よかった。10年以上前の事なので島に上がっても当時の記憶は殆どない、と本人は言っていましたが、「小笠原」と言われてこんな古い一枚の写真を出してくるなんて、その時のイメージは、感覚は、高校生だった石川さんに鮮烈に焼き付けられているんでしょうね。その頃の事、もっと聴きたかったかな。

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by sanaegogo | 2012-02-17 00:00 | art | Comments(0)
東京カテドラル聖マリア大聖堂 (St. Mary's Cathedral, Tokyo)
I wake up to the sound of music
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom,
"Let it be."

この唄の中で、このフレーズが特に好きなのですが、(理由は自分でも不明。こう言うこと、ワタシには結構多いかも、です。)、ここに来た時、頭の中でこのフレーズが流れました。東京カテドラル聖マリア大聖堂(St. Mary's Cathedral, Tokyo)です。
文京区にあり、道を挟んでフォーシーズンズ・ホテルと椿山荘があります。フォーシーズンにも椿山荘にも仕事で何度も来ていたのですが、ここに東京カテドラルがあるのだとは知りませんでした。過日観に行った「メタボリズム展」で紹介されていて、時間を見つけていつか来ようと思っていたのです。
1899年の木造ゴシック様式の建物が東京大空襲で消失したので、1900年に丹下健三の設計で再びこの地に建てられたそうです。「教会」と言うと連想されるゴシックな様式とは趣を異にする一見モダンな建物ですが、当時のメタボリズム建築がそうであったように、教会内の配置や動線は日本古来の伝統的な神社仏閣といった「神聖な場」の構成を踏襲しているそうです。
平日のカテドラルは人も少なく、撮影が禁止されてる教会内では、2人か3人か、ただそこに座り佇んで、何かを考えている人がいました。こうして物見遊山でやってきたワタシが足を踏み入れるのも憚られるような、静かな厳かな空間でしたが、不思議と拒まれている感じがしなかったのはやっぱり、マリア様の懐の深いところなのでしょうか。















聖母マリアが聖女ベルナデッタに無原罪の御宿りを告げたとされる
フランスのルルドの泉の洞窟の岩場

















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by sanaegogo | 2012-02-15 00:00 | traveling in Japan | Comments(0)
鎌倉アルプス縦走 踏破!
ちょっと思い立って、鎌倉にハイキングに行って来ました! 鎌倉と言えば紅葉や桜、紫陽花など季節毎に明媚な風景が見られますが、ワタシが見たかったのは冬木立。山路に分け入って、かさっかさっと枯葉を踏みしめて歩きたくなったんです。この日は良く晴れて日差しは出てたんですが、気温は低く風は冷たく。でも、山歩きで少し汗ばんだ額に当たる冷たい風が気持ちがよかったです。

この日辿ったコースは、
明月谷登山口 勝上嶽展望台 十三岩の展望 八百やぐら 天平山山頂 天園 獅子舞 永福寺跡 鎌倉宮
「鎌倉アルプス」 (← 大袈裟でしょう・・・・(笑)) とも呼ばれている尾根路を歩くコースで、要所要所で鎌倉の海を臨む事が出来ます。よくよく考えてみたら、日本の一時代を築いた源氏の都なんです。古の丈夫(ますらお)もこの山路を駆け抜けたのでしょうか。源頼朝が鎌倉の地を幕府として選んだ理由は、正面を海、背後の3方を山で囲まれた自然の要塞だったから、と言う話を聞いたことがあります。なんてったって、自然の要塞ですから。 『散策』よりももっとハードな感じもあったりして・・・・(汗)。



明月谷の登山口。
明月院の脇から急勾配の坂道になって、気がつくと高い木立の山に入っていたのに気づきます。




一気に頂を上がると暫くは平坦な路が続きます。




勝上嶽展望台から臨む富士山。
この日は空気が澄んでいてとても良い天気。 富士山も丹沢・箱根の山々を従えて一際優美に映ってました。
「いよっ! にっぽん晴れ!」
やっぱり、"富士はにっぽん一の山"ですね。


  


山路がなかなか険しくなってきました・・・・。




木立をぬって陽の光が薄暗い山路に入り込んで来てます。
影を眺めてるのも面白い。




十三岩の展望。
と言っても自然の岩なので、よじ登るのみ。




十三岩の展望から由比ガ浜、材木座が一望できます。
この位置は鶴岡八幡宮の真後ろに立っているらしく、海から真っ直ぐに延びる若宮大路を見る事が出来ます。




天平山山頂を抜けて獅子舞に入ってくると、足下には枯れてしまった楓や銀杏の葉がたくさん落ちていました。
ここは紅葉のシーズンはそれはそれは美しいそうです。
こんなにふんだんに落ち葉が残っていて、これが紅や黄色に染まっていたなら、さぞ綺麗なんでしょうねー。
見てみたい。




獅子舞と言う名前の由来は、うずくまった獅子の形をした奇岩がそこかしこに点在するから。
二階堂川の源流伝いの谷の道を経て、下山。
暫く歩くと永福寺跡の薄野原に出ます。
何やら造成をしてましたが、ワタシはこの何でもない薄野原が良いと思うんだけど。

慣れない足でゆっくりゆっくり歩いて3時間あまりの山歩きは終了。「鎌倉アルプス」、踏破して参りました!実はそもそもは雪の高野山の山道を歩いてみたい!と言う希望があったんだけど、問い合わせたら結構本格的な装備と慣れが必要との事で計画変更。でも身近にこんな場所があったなんて、改めて発見。楽しかったです。今度は別のコースを訪れてみよう!

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by sanaegogo | 2012-02-09 00:00 | traveling in Japan | Comments(2)
エリオット・アーウィットが見つめたパリ
この日は紀尾井町のオーバカナールでランチ。以前から1ヶ月に1度くらいここでのランチを楽しんでます。年が明けてから暫くぶりに会って、あれやこれやとあっという間の1時間でしたが、ここの雰囲気は大好きなのです。パリには行った事がないのですが、(ストップオーバーで1日だけ滞在したことがありますが)、パリの雰囲気ってきっとこんな感じ。そんな雰囲気が味わえるのが夜ではなくてランチタイムだからこそ、なお一層によいのです。
さて、ランチを終えてから3人の予定はばらばらだったのですが、ワタシはこのまま有楽町線に乗って東京カテドラル聖マリア大聖堂に写真を撮りに行って、その後再び有楽町線で有楽町まで行って、シャネル・ネクサス・ホールで開催されているエリオット・アーウィットの写真展『エリオット アーウィットが見つめたパリ』を観に行くと言う何となく『パリっぽいもの三昧』な1日を考えてたのです。何となく、いい流れでしょ。

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さてさて、前置きは長くなりましたが

「PARIS SERA TOUJOURS PARIS!」
エリオット アーウィットが見つめたパリ
シャネル・ネクサス・ホール
2012年2月3日(金) ― 2月29日(水)
12:00~20:00

を観てきました。
エリオット・アーウィットと言えば、言わずと知れたユーモアとウィット溢れるマグナム・フォトの旗手で、温かみのある日常生活を垣間見せてくれるような数々のスナップショット、ストリートフォトを機動力を駆使して撮影した写真家。大好きな写真家の1人です。写真家は犬好きが多いのかな。アーウィットの写真にもお茶目でおすましで、人間と心を通わせている数々の犬達が納められています。(それがとっても可愛かったし可笑しかった!)
80歳を越えた今でも闊達な感じで精力的に元気一杯に活動されているアーウィット氏ですが、今回の写真展は2010年に刊行された『Elliott Erwitt's Paris』の中からセレクトして紹介されている60点余りが出品されています。このパリの写真集はアーウィットの都市をテーマにした写真集のうちで、ニューヨーク、ローマに続くものだそうです。
写真展は思わず口角が上がってしまうようなウィットに富んだものばかりで、観る人を幸せな気持ちにしてくれる感じです。彼はスナップを撮る場合、あくまでも『決定的瞬間』に拘っている訳でもないようでやらせや仕込みもちらちらと混じっているようです。本人もフィルムの中であっけらかんと言ってました。(ファッションフォトやコマーシャルフォトも手がけているので当たり前なのかも知れませんが。) どれが『決定的瞬間』でどれが『やらせ』なのか。そのトリックを『暴く』と言うよりは、彼がこっそりと仕掛けた悪戯を見つけるようなワクワク感が生まれてくるのは、アーウィット氏自身のお茶目な人柄によるところが多いのだと思います。このフィルムですが、これがまたとっても楽しいものでした。アーフィット氏自身が色々とカメラに向って語るのですが、アーウィット氏と裏の人格の某(名前は忘れましたが、後で調べたら"アンドレ・S・ソリダー"でした。)が登場して、色々と相反する事を話すのです。
漫然と目の前に流れる人々の日常や生活ですが、それを一瞬に切り取った情景がドラマチックなものになって、その一瞬の前後にストーリーが生まれて、それを観る人に想像力が働く。そんなイメージの連鎖を可能にしているのは偏にそれを見つめるエリオット・アーウィットの深い愛情、想像力、洞察力なのではないでしょうか。
大好きな街で、カメラを持ってぶらぶらして、こんなに楽しい風景が撮れるなんて、写真ってホントにいいなぁ・・・・、何て改めて思ってしまう、heartwarming な写真展でした。


エリオット・アーウィット氏と愛犬サミー。
(アーウィット氏本人に怒られそうですが) ちょっとビートたけし氏と合い通じるものがあるような気が・・・・。
2009年のインタビューですが、面白かったので。
http://www.excite.co.jp/ism/concierge/rid_5623/pid_1.html




ついでですが、アーウィットが撮影したゲバラ。(素敵)
ジャーナリスティックな側面でも、数々の作品を生み出しています。
こんな笑顔を引き出して捉えるなんて・・・・・。


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by sanaegogo | 2012-02-08 00:00 | art | Comments(0)
飛べ飛べ鳶(とんび)
冬の空はどんより曇っていて、モノトーン。心做しか気分もモノトーンになっていく感じです。これは気持ちが沈む、と言う感じではなくて、なんか、こう、心が無になっていく感じで、決して嫌いな感覚ではないです。今日も寒いですね~。



何気なく外を見ていると、向かいの建物の屋上に鳶(とんび)がとまっているのが見えます。最近この辺でカラスが減ったのは、この鳶がやってきているかららしいんです。カラスもあちこちでやりたい放題な感じですが、鳶にはどうも弱いらしい。鳶はこの辺りでは海のほうにいるのですが、本当に頭がよく、よく学習をします。よそから来た人が鳶に餌をあげてしまうようになって、やがてBBQやピクニックなどで人間が食べているものを直接奪っていくようになって、今では鳶に餌をあげる事はかたく禁じられてるんです。なのでこっちの方に来たんでしょうか。でも鳶は気位が高そうなので、カラスが狙うような家庭ゴミなど気にもかけないと思うのですが。

スズメ、ではないですね。もう少し大きな鳥のように見えます。鳶は猛禽類なのでお肉も食べると思うのですが、カラスがこの辺にいた頃よりも平和な感じがします。五線譜の上のおたまじゃくしのようで、ちょっと可愛い。



ふと向かいの建物に目をやると、鳶(とんび)はいなくなっていました。『あれー!?どこだ、どこだ?』と思ってきょろきょろしていたら、遠巻きに飛んでいたカラスがにわかにざわめきだし、鳶が数羽空を滑空しているのが見えました。







ちょっと『カモメのジョナサン』を彷彿とさせる1枚。(リチャード・バックに敬意を込めて・・・・。)

カッコイイですねぇ。幸運にもこの数枚は上手くいったのですが、後は悠然と空を飛ぶそのスピードに着いていけず、フレームにも納められない始末。でも、冬の沈んだ空の色に空の勇者のシルエットがよく映えてます。

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by sanaegogo | 2012-02-07 00:00 | つぶやき | Comments(0)
"Somewhere" @ Utrecht
青山にとある本屋さんがあって、そこのサイトで最近見つけたのが、『ENGLISH FOR ARTISTS WORKSHOP』。面白そうなので、ちょっと参加してきました。これまでは定期的にやっていたみたいなのですが、私がここを見るようになっていた暫くの間は少しお休みをしていたようです。これは、自分の作品や自分が大好きな作品を英語でプレゼンすると言うもの。ちょっと面白そうでしょ。1回のクラスは4名で、その本屋さんの片隅のテーブルで和気藹々とした雰囲気の中、とっても楽しかったです。
この日集まった4人はいずれも自分のものを持参。先生のMr. PATRICK TSAI (from USA)はちょっとテンションが上がっていたようです。(因みに彼は2011年の写真新世紀で優秀賞を受賞したPhotographerです。) ワタシ以外の3人は常連さんらしく、お互いにもちょっとしたお知り合いでした。自分の作っているzineについてプレゼンした谷中在住のベーグル屋さん、以前グループ展で出したイラストからぱらぱら漫画のように作ったアニメーションとそのキャプションとしての詩を出したグラフィックデザイナー、岸田劉生の1枚の画からインスパイアされた写真についての写真展の構想を語ったカメラマン、そして、現在休職(求職)中のワタシ、の4名でした。ワタシは何を持っていこうかと言うと、ちょっと悩んだんですが、自分の撮った写真を持っていく事にして、これ用にまとめている時間はちょっと無かったので、昨年2011年の夏にワークショップの写真展に出品したものについて話す事にしたんですねー。それぞれ自分達が持ってきたメディアもzineそのものだったり、iPhoneやMac Bookに入れた動画やフライヤーの試作だったり、(ワタシが持って行ったのはその時のテストプリント)、色々でとてもバラエティーに富んでいて面白かったです。
今までワークショップ的なものに何度か参加してきましたが、英会話、もしくは、写真についてのものが多かったので、そのふたつが一緒になって、かつ、先生はPhotographerなのですが、プレゼンされたメディアは写真にしてマルチもしくはクロスな感じだったので、今までに無い感覚を覚えてとても面白かったし、こんな感じは悪くない、むしろ好きですね。
気軽に参加できるのが良いと思ったので、原稿とかは全然準備をしていかず、ぶっつけ本番で臨もうと思ったのですが、今まで仕事でも、英語での打合せは対応できても大きな会議とかは厳しさを感じる場面があったけど、プレゼントなると日本語で自分が言いたいようには出来ないものですね。抽象的説明や表現をするためのボキャブラリーが今のワタシには不足してる、と痛感してしまいました。





(プレゼン概略。サムネイルをクリックすると写真が拡大されます。)
― 数年前に一眼レフのカメラを買ってから、出かける時、機会がある度にカメラを持ち歩いて写真を撮っています。今日は、昨年の夏にワークショップに参加して写真展に出品した写真を持ってきました。今までに撮りためてきた写真の中から、気に入っている写真を数枚選んだのですが、ワークショップの写真展だったので、特別なタイトルはありません。色々なシチュエーションやトーンで撮られた写真の中で気に入ったものを集めたのですが、共通しているものは暗いところに見える光、そして強い光によって作り出された影です。これは横浜港の近くの桟橋です。暗い空間にぽっかり明いた光の窓、と言うのは好きな状況のひとつです。天井に鈍い色のライトがあって、それが床の木目に筋を作っています。私はこれがとても好きです。あと、もうひとつ不思議な共通点が生まれていて、それは、『この写真は一体何所で撮られたんだろう。』と言う事です。見ている人に、そう言う感覚を持たせたいと思いました。この2本の樹の写真は、南米とかの荒涼とした土地のようにも見えますが、実は家の近所の工事現場です。最近日常で、こんな広い土地を見る事もないので、呆気にとられて写真に撮りました。この樹々と太陽が水面に写っている写真は丸の内です。一体何所なんだろう、と思うでしょ。実はこれは昼間明るい時に撮影したものです。明るいところで測光してこのようにしました。実はこれは成功例ですが、ワタシはまだカメラの操作に熟達している訳ではないので、あくまでもこれは偶然です。カメラをコントロール出来てはいないのです。これはヨーロッパっぽく見えますが、恵比寿のガーデンプレイス。ブレてしまいましたがこれでOKなのです。これは香港ですが、これもこのブレが好きです。ブレッソンみたいで気に入っています。
主にこの2年くらいの間に色々な状況で撮った写真です。こう言う場合、大切な事は写真を選ぶ事ともうひとつは、どう並べるか、です。写真を選ぶ事と並べる事は楽しい作業です。過度にストーリー性を持たせる場合もありますが、私はそう言うのは好きではありません。これが正解とは思っていないし、答えは何通りもあって、どれも正解なのだと思います。どの写真をメインにするかも重要です。今回は、さっきの2本の樹の写真が一番好きで、これを中心にしてイメージを膨らませていきました。以上です。
― タイトルは無いと言う事ですが、敢えてつけるとしたら、何ですか?
― ・・・・そうですねぇ・・・・。 『Somewhere』にします。

と言う事を述べてきました。 (英語で喋った事を、後から思い出して日本語にしたので、文章がちょっと変ですが・・・・。) また次回、是非行きたいです!

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by sanaegogo | 2012-02-06 00:00 | art | Comments(0)
コズミック・トラベラーズ - 未知への旅


「コズミック・トラベラーズ - 未知への旅」
"Cosmic Travelers - Toward the Unknown"
Espace Louis Vuitton Tokyo
until Mon. 6 May, 2012

エスパス ルイ・ヴィトン東京で行われているコンテンポラリーの展示。原口典之、佐藤允、塩保朋子、高木正勝、渡辺豪の5人のグループ展と言う事ですが、何とも豪華な「グループ」だとは思いませんか。 そして、キュレーションは西沢碧梨です。何でもこのエスパスで行われたエキシビションで日本人のアーティストによるものは初めてで、ルイ・ヴィトンの日本のコンテンポラリー分野に対する理解と賞賛を表したものだそうです。思い起こせば、村上隆が衝撃的に登場したのが2003年なので、ヴィトンと日本のコンテンポラリーアートのお付き合いはもう10年弱にもなろうとしてるようです。

まず、エスパス。展示スペースはガラス張りで、自然の日光、太陽の光がふんだんに取り入れられている。この展示スペースに展示してある原口典之、佐藤允、塩保朋子らの作品は、その自然光が意識されていて充分にその作品を演出する要素のひとつとなってました。ペイントの作品は自然光があると色が飛んだり、光の当て方によって意図する色と違う風になってしまう事があるので、光が強い展示室は苦手なものなのだけど、佐藤允のドローイングはシンプルかつ精緻な画面が光溢れる展示室によくマッチしてました。描きかけの画は、ライブで完成作業が見られるようです。



そう言う意味では、塩保朋子の作品も光を上手く取り入れた美しい作品でした。これもまた仔細に切り抜かれた作品で、8mはあるだろう天井高一杯に吊られている白い帯。何か厳かなものが空気に巻き上がっているような、沸きあがってくるようなイメージは圧巻で、多分訪れる時間によって天井や周囲の壁などに落ちた影が微妙に変化するのが観られるのだと思います。



展示室の中央に配置されているのは、原口典之のTriadシリーズで3点からなるインスタレーション。開放的なガラス張りの壁面に配置されたふたつのオブジェと展示室とその空まで取り込んでしまうようなぽっかりと空いた穴、の作品。この穴には黒いオイルが満たされていて、そこに写りこんでいる他の作品や建物の外の風景などの世界観がとても面白い。じっと覗き込んでいると、まるでもうひとつのセットがその中に仕込まれているような錯覚さえ覚えます。



この3人の作品は、この展示室の光の効果をそれぞれのやり方で巧妙に捉えています。
それに対して、渡辺豪のアニメーションは光を全く遮断した真っ暗な部屋で繰り広げられています。日常使用されているなんと言うことのない磁器がばらばらになり再編成されていく様子を淡々と表したものですが、崩壊と再編成が秩序立てて進んでいくその様子に見入ってしまいます。その部屋は本当に暗く、スクリーンに映し出される磁器の青白い輝きだけが唯一の光なのです。



実は、ワタシはこれを2回観に行っていて、その理由は、この展示室に高木正勝の映像インスタレーションは展示されていないのですが、それに気づかず、『あれはどこだ?』となった時には時間切れで、1階のショップの置くにひとつだけサテライト的に置かれている彼の「Anyura」と言うアニメーションを観るために、後日もう一度訪れたのです。
高木正勝自身が子供の頃に描いた画を題材に、ほとばしるように展開するそのアニメーションは、これもまた光の粒、色彩が楽しげに踊る作品でした。短いものではありましたが、堪能してきました。あれを売り場のフロアに置いてしまうのはもったいない、と思う反面、誰しもがアクセスできるあの場所に置かれている事の贅沢さも同時に感じました。温かみがあって、子供の心を垣間見れるような楽しいさがあります。そしてやっぱり、とても美しい・・・・。贅沢ですね。



『Cosmicとは、一般的には「宇宙」を意味しますが、その他にも、無限大や無制限、開放的など様々なものを指しています。比喩的な表現として使う場合、Cosmicとは、繋がりが拡大していく状態のことを言い、Cosmic Travelersとなると、「五感や直観、感情、そして思考を伴う肉体と精神の旅をする者」を意味します。その場合、私たち人間は皆、生きることの意味と真実を模索しながら時空を行き来するCosmic Travelersだと言えるでしょう。』
― エキシビション公式ホームページより引用
『光』にインスパイアされて作品を構成し、この空間の特性を巧みに反映させているこの展示。アドミッションはフリーなので、時間を変えて何度も観に行ってみると面白いかもしれません。

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by sanaegogo | 2012-02-03 00:00 | art | Comments(0)
BIUTIFUL (ビューティフル)


昨年の6月に公開された映画だけど、まだやっているところがあったので、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の『BIUTIFUL (ビューティフル)』を観て来た。このイニャリトゥ監督は『バベル』『21グラム』などの作品を世に送り出していて、この『ビューティフル』を観て、『21グラム』はまだ観てないのでこれも観てみたい、と思ったし、『バベル』は観たのだけど、淡々と流れていく鬱屈したストーリーは、"そうだった、『バベル』もそうだった"、とその時の暗い雰囲気を彷彿とさせた。この作品も憂鬱で暗く重く、救いがないストーリーだったけど、厳しい現実を懸命に骨太に生きる力強さを感じさせられた。
舞台はバルセロナ、社会の底辺で生きる主人公に宣告される余命2ヶ月。でもこの事で自暴自棄に陥ったり気力を無くし嘆き悲しむ、と言ったような主人公ではない。そんな事をしている猶予や余地がないのだ。現実は待っていてはくれない。それまでの主人公の生活をストーリーから推し量る事は出来ないが、物語が始まった余命宣告の後、とにかく主人公ウスバルは周囲の人々への思いやりと心からの慈愛に満ちている。子供達に、躁鬱病の妻に、不法就労を斡旋している中国人に、不法入国して違法で物を売るアフリカ人に、自分の周囲の人々に主人公は常に気を配るが、それはいつも結果として上手く廻らない。良い方向に転がっていかない。セネガル人の友人を強制送還から救えなかった罪悪感から、ウスバルに対して懐疑的だったその友人の妻と赤ん坊を自宅に住まわせた。友人の妻はいつか心を溶かして行き、ウスバルの子供達も彼女に懐き、この事に関してはこのまま上手く日常になっていくのかも知れない、と観ている者が思い始めた時、裏切りは突然行われ、そしてとても残酷だった。彼女は迷いも無く引き寄せられるようにその裏切り行為に身を委ねていく。それもそれで、彼女につきつけられた現実で、その選択もまた生きていくための手段なのだ。彼女に罪悪感はない。あのシーンは、ラストの方だったんだけど、本当に静かな衝撃と戦慄が走った。「これでもか、これでもか」的な不幸せの連鎖。別の言い方をすれば、「不仕合わせ」とも言えるが、ホントに何もかも裏目に出るのだ。(上手く噛み合わない・・・・。)
「清貧」と言う言葉があるが、ウスバルには清らかでいられる余裕もない。残していく子供達に少しでも何かを残していかなければならないと懸命なのだ。その重たい現実。「死にたくない。子供達を残していけない。」と苦悩するウスバル。「自分だけで子供を育てていると思っているの? 万物によって育てられているのよ。」と言う言葉に、「万物は家賃を払わない。」と。何所までも現実的で地を這うようで、胸が苦しくなる感じだ。
ウスバルがこうして自分の末路と子供達の行く末を相談していた女性は、スピリチュアルな能力があり、ウスバルの中のその能力を見出した人物。ウスバルは死者の声を聞くような仕事も時に請け負ったりしている。ストーリー中、ウスバルは何度も死者の姿を見る。それは時には彼自身の心象風景だったり、時には死者自身からのメッセージだったりする。とは言え、スピリチュアルな能力のような非現実的なものが物語の軸に関わっている訳ではなく、あくまでもそこには逃れようのない現実(リアリティー)が横たわっている。けどこの事で、例えば主人公の見る心象風景かと思ってるとそれは現実に起こったことだったり、その反動が強烈だったりした。中国人の遺体が何体も波間を漂い、岸に打ち上げられている風景などがそうだ。あれは、ウスバルの心の風景かと思っていた。

ドラッグ、賄賂、同性愛、殺人、過失死、躁鬱病、不貞、非合法、不法入国 、裏切り、邪推、あらゆる負がしんしんと降り積もったような映画だったけど、約2時間半、長いとは思わなかった。(途中でお尻が痛くなったことは事実だが・・・・。) 暗い重い、こちらにも現実を直視する事を突きつけて迫ってくる映画だったし、感じた事も言葉にして言い表すのが難しい感じではあるが、観に行ってよかった。

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by sanaegogo | 2012-02-01 00:00 | movie | Comments(0)