静かな森に誘われ・・・ サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―
『サイ・トゥオンブリーの写真―変奏のリリシズム―』
Cy Twombly Photographs Lyrical Variations
2016年4月23日(土)~ 8月28日(日)
DIC川村記念美術館 (千葉県 佐倉)
http://kawamura-museum.dic.co.jp/exhibition/20160828_cytwombly.html


サイ・トゥオンブリーが、その画家、彫刻家としてのキャリアの中で、こんなにも写真が好きでポラロイドやピンホールカメラで生活の中の対象を撮り続けていたというのはあまり知られていなかったようです。(勿論(?)私はこのトォンブリー展でその事を知りました。) 聞けば、その写真作品の殆どは長い間未発表で、トゥオンブリーが密かに持っていたという事。そこには密やかにトゥオンブリーの内面が詰まっているような気がして、彼が自分の心の内を静かに語りかけているような雰囲気がそこに流れていたような気がします。川村美術館は、森の美術館とも呼ばれてて、緑豊かな森を配して密やかに建つその雰囲気もまた、今回のトォンブリー展の独特の雰囲気にぴったりです。都会の喧騒から時間をかけて 彼が待つ森の美術館まで訪ねていくという行為自体から鑑賞が始まっているようです。



今回は、トゥオンブリー(1928年-2011年)が1951年から2011年までの60年間で撮影した写真作品の中から100点を展示されていています。写真の他、絵画(3点)、彫刻(4点)、ドローイング(4点)そして版画(18点)など、トゥオンブリーが様々なメディアを通して表現した中での、共通性、一貫性などが自然と入って来るような流れで展覧会は構成されています。

『変奏のリリシズム』というタイトルもとても洒落ていて、展覧会全体の静かでありながらどことなくリズミカルな構成をとても良く表していて、言い得て妙です。変奏とは、音楽で言うところの、ある主題をいろいろな技法によって形を変えて表すこと。様々な表現を用いながらトゥオンブリーの内面世界(リリシズム)が編成され、ひとつの形となって創り上げられています。全体としてもそうなのですが、こと写真の並びについては、それぞれの写真の横の間合い、縦の間合い、並べられている被写体のお互いの関連にもこの変奏の表現が生かされています。 ひとつの写真から次の写真へと視線を移すときの壁の余白。 「この余白にもトォンブリーのリリシズムが現れているから、そこにも注目してくださいね。」と、偶然立ち話をする事が出来た学芸員の方が言っていました。私は、トォンブリーの写真から立ちのぼるふわっとしたメッセージを感じようしていて、そこまでの思考には至らなかったのですが、会場内は都内の美術館とは違い人の混み合いはまるでなかったので、時間をかけて余すところなく全てを感じ取り理解しようと時間をかけて鑑賞している人が多いように思いました。 そんなゆったりとした雰囲気も、今回の展覧会にぴったりだったと思います。

ふわっとしたメッセージというのは、その理由がトォンブリーが好んで使用していたのがポラロイドやピンホールカメラだったからというのに他ならないのですが、ピントが甘く、対象の境界線がじんわりと滲むようになるのには、更にこれにトォンブリーならではの工夫と創作作業が加えられていたようです。ポラロイドカメラで撮影した写真を厚紙にプリントし、その台紙の粗めの質感がふわっとした画像の雰囲気を更に強調しています。更には80年代に製造されたロースペックのコピー機を使って、オリジナルの写真を拡大し、色彩の滲みや紙への浸透を自分なりに気に入った効果に調整していたそうです。こんなことからも、トォンブリーの自身の写真作品へのこだわり、日常的な身の回りの被写体を好んで撮影していたのにもかかわらず、単なる記録的な意味や時間が空いた時の息抜きではなく、写真にしっかりと向き合い、自分の表現したい内面性をきちんと創り込んできたのだ、という事が解ります。写真の出来栄えとしてはどことなく技術的には稚拙な雰囲気が漂っていて、古代ローマの遺跡や古い絵画にノスタルジアを感じていたというトォンブリーの美意識をよく表しています。

気に入った作品をいくつか挙げるとすれば、まず、このズッキーニ。 するっとした感じで画面に横たわっているズッキーニを見れば、俄かにはズッキーニと判らない程寄って撮影してあり、抽象化してあります。このするっとした造形になんだかとっても艶めかしさみたいなものを感じます。






ズッキーニの全貌はこんな感じ。
自然のままに収穫されたそのフォルムは、やっぱりどこか艶めかしい。



あと、これを挙げる人も多いと思いますが、チューリップ。これはとても朧気なんですけど、そんな中でチューリップの花びらの実はとても肉厚な様が見て取れたり、曖昧な世界に放つ花の存在感みたいなものにギャップを感じて、見入ってしまいます。




何といっても、画像の資料としてはネットに出ていないのですが、このパン。(図録が届いたので撮影しました。) このパンの写真を手許に置いておきたくて図録を買ってしまったと言ってッも過言ではない感じです。普段当たり前のように食べているひと塊のパンがこんなにリリカルに表現されている事に感動しました。アーティストというものはその生活の暮らしぶりも美しいとはよく言いますが、トォンブリーの日々の暮らしの美しさもこの1枚から想像が出来て、何だか色々な意味でとっても印象に残ります。




余談ですが、会場の最後に1枚のトォンブリー自身が写ったプロフィール写真がありました。 トォンブリーが写っているので、彼の撮影ではない事は明らかなのですが、妙に眼を惹くものがあって。 撮影を見てみたら、ブルース・ウェーバーでした。お互いに親交があった(のかな?)のも意外な感じでしたが、(タイプが違うので)、やっぱりブルース・ウェーバーもいい写真撮るんだなー、なんて、再確認。




さらさらと時間の粒子が流れるような、そんな雰囲気の中の鑑賞。良い1日でした。


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by sanaegogo | 2016-08-20 00:00 | art | Comments(0)


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