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文化庁メディア芸術祭 受賞作品展


第19回 文化庁メディア芸術祭
受賞作品展
Exhibition of Award-wining Works
2016.2.3 – 2.14 国立新美術館
http://j-mediaarts.jp/

もう19回になるのですね、文化庁メディア芸術祭。 久々に受賞作品展を観に行って来ました。 新美では、アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門の大賞、優秀賞、新人賞などが賑やかに展示されていますが、関連イベントとして、セルバンテス文化センターやスーパーデラックス、六本木ヒルズのTOHOシネマなどで作品の上映やトーク、シンポジウム、ワークショップなど六本木界隈を回遊出来るような感じで様々な催しが展開されていて、まさにメディア芸術のお祭りですね。 今年はスーパーデラックスで行われた 「ラウンジトーク&ライブパフォーマンス「新たな語りへの挑戦~深化する映像・アニメーション~」」というのに行ってきたのですが、最後の最後、大取に上映されたアニメーション部門の大賞の上映を終電前にご飯を食べたいという生理的欲求に負けて見逃してしまったので、それを観に新美の作品展に出かけて来た、という次第です。


その作品がこれ。
アニメーション部門大賞
Rhizome
短編アニメーション(11分25秒)
Boris LABBÉ [フランス]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/animation/rhizome



私たちが生命を得ているこの宇宙もその構成単位をどんどんどんどん小さくしていくと顕微鏡でしか見る事の出来ない細胞単位まで細分化されていくということ、そして、その宇宙の中の小さな単位でしかない惑星の中では、小さな原子から形を成し、それが様相を変化させながら分裂と再構成を繰り返し、様々な個体を形成し、多様な生命体を育んできたこと、そんな事を彷彿とさせるダイナミックな作品で惹き込まれました。スクリーンに蠢く細かな物体は無機質なもので、私たちの想像できる生命体とはかけ離れたものなのですが、宇宙の始まりだったり、太陽系の形成だったり、その中の惑星の進化だったり、自分の身体の中のひとつの細胞の中の出来事だったり、この世のあらゆるところで繰り広げられている活動のように感じられ、そのスケール感がマクロなのかミクロなのか、捉えどころがありません。これは制作技術に素養のある人だったら、もっと面白いんでしょうね。 膨大なプロセスの創案、工程の技術的マネージメント、制作過程の尋常でない作業量など解らないなりに想像してみても、「宇宙の創造」規模のような気がします。作者の制作意図を読み取ろうとして観るのは難解なのですが、その哲学が可視化されておるので、単にスクリーンを観ているだけでも充分に楽しめるし、惹き込まれます。その最小単位としての図案を見ると実に味わいがあって、そのギャップにも心がざわめきました。





あと、これはスーパーデラックスでのプレゼンで観たのですが、
エンターテインメント部門新人賞
group_inou 「EYE」
ミュージックビデオ(3分32秒)
橋本 麦/ノガミ カツキ [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/entertainment/group_inou-eye

インターネットの世界に無数に落ちている画像、その最たるものであるGoogle Street Viewから丹念に世界中の画像をピックアップし、繋ぎ合わせ、仮想現実の世界をひたすら移動していくというもの。誰しもが簡単にアクセスできるものを素材にしていることから、オープンソースとした事を知った上で鑑賞すると、作品自体により自由な広がりを感じられます。フォトグラフ(静止画)の分野でも、Doug RickardのA New American Picture ( http://www.dougrickard.com/a-new-american-picture/) など、ストリート・ビューから切り取って来た世界のどこかで実際に存在した場面の画像で自分の世界を構築し、作品としているようなムーヴメントがありますが、この作品は映像化されている事で、より迫力と臨場感が増しているような気がします。これはgroup_inou の「EYE」という楽曲のPVとして制作されたもので、誰でもYou Tubeとかで鑑賞することが出来ます。





そしてこれは、個人的な思い出の中の琴線に触れ、関心を持った作品なのですが、
アート部門大賞
50 . Shades of Grey
グラフィックアート
CHUNG Waiching Bryan [英国]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/50-shades-of-grey

学生時代、誰も望まないのに必修科目となっていたFORTRANによるプログラミングの授業に苦しめられた経験があり、見た瞬間、もう過去の前世紀の遺物と化したような古臭いコンピューター言語が、こうしてアート部門の大賞を受賞しているのを見ると、少なからず、強制的に学習させられた遠い昔の経験が示す意味を考えたりしてしまいます。コンピューターに侮辱され、演習レポートを突き返してくる担当教授を逆恨みしてボロカスに言っていた、あの頃。 今、前時代的になることへの恐れを抱くFORTRANを前に、今ではそれよりは遥かに高度なテクノロジーを日常的に、直感的に使いこなしている自分に 優越感を覚えたりしました。(全く作品の持つ意味とは関係のないところでのハナシだとは思いますが・・・。)
Facebook Post:
https://www.facebook.com/sanaegogo/posts/10207155939475268






最後に、
アート部門優秀賞
(不)可能な子供、01:朝子とモリガの場合
写真、ウェブ、映像、書籍
長谷川 愛 [日本]
http://festival.j-mediaarts.jp/award/art/im-possible-baby-case-01-asako-moriga
何だかとてもハッとさせられる作品でした。実在の同性愛カップルの遺伝子情報を用いて、両者の子供たちの考えられ得る姿を創りだし、家族写真にしたもの。芸術的アプローチといえども、これが遺伝子解析プログラムを用いてのシミュレーション(模擬実験)なのだとすれば、科学において実験とは何かを実現するためのプロセスであり、何を最終形としているのかを考えると、ちょっと空恐ろしい気がしてきます。しかしながら、その作品の中にいるその実在の同性愛カップルと架空の子供たちの様子はいかにも幸せそうで、そのギャップが何かを問題提起している感があります。フィクションとノンフィクションの境界を勇気をもって具体化した、社会派の作品であることと、この架空の家族の満ち足りた表情が何とも言えない気持ちを呼び起こします。






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by sanaegogo | 2016-02-12 00:01 | art


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