目撃してしまった!! バルテュス
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バルテュス展
2013.4.19 sat - 6.22 sun 東京都美術館
http://balthus2014.jp/

ついに! バルテュスを観てきました。”ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)” とは、もはや本展のキャッチフレーズとして定着しつつありますが、どちらかと言うと素人よりは玄人ウケするその作風で、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と云わしめたことは『流石バルテュス』とも言えるし、一方では、ピカソのお墨付きを得て初めて素人にも『そうなんだ』と認識され、後押しされた一面も大いにあるのではないでしょうか。 それは偏に≪ギターレッスン≫(1933)に現されるように、何ともコメントしづらいモチーフを描き続けていた事にあるのですが、ご存じの通り、バルテュスは少女のあられもない姿を「この上なく完璧な美の象徴」として、センセーショナルな数々の作品を残していますが、実にコメントしづらいものがあります。それなりに理解しようとその作品が生み出された意義や意味を探ろうと試みる人もいるでしょうし、『これではまるで少女ポルノだ!』と嫌悪感や拒否反応を示す人もいるかと思います。 そして往々にして、前者は芸術と言うものに理解がある芸術家や目利き、画商といった玄人で、後者は、『(キュビズム時代の)ピカソみたいな画だったら自分にも描ける』と言い放つ素人もしくは一般人なのだと思われます。 どちらの感じ方も否定できないと思うし、その喧々諤々の論議を経てもなお、打ち捨てられる事無く、こうして回顧展が開かれるまでにリスペクトされてきたというのは、やはり『バルテュスはすごい』という証明なのだと思います。 擁護する芸術家はだしのバルテュス・ファンはさて置いて、それがとるに足らないもので、人々にある種の嫌悪感を抱かせるだけのようなものであれば、自ずと葬り去られてしまうと思うんですよね。 でも何故か眼を逸らす事が出来ず気になってしまう。 そして、批判や酷評を浴びせつつも無視はできないし、忘れることもできない。それがバルテュス作品の確固たる存在感などだと思います。 しかしながら、先の≪ギターレッスン≫や《街路》は、1934年に開かれた個展での出品作ですが、この個展は生活に行き詰ったバルテュスが話題作りのために意図的に挑発的な作品を描いたと言われていて、現代で言うと落ち目の女優が話題作りのためにグラビア誌でヌードになっちゃうみたいな、俗人的な意図もあったようです。




《 ギターレッスン 》 1933年




《 街路 》 1933年



こうしてバルテュスは狭い屋根裏部屋のフュルスタンベール通りのアトリエを離れ、クール・ド・ロアンで人間不信から隠遁生活を送ります。この頃の代表作が、そう、かの《 夢見るテレーズ 》(1938) です。隣の住人の娘テレーズ・ブランシャールで、バルテュスにとって最初の少女のモデルです。これは圧巻でした。




《 夢見るテレーズ 》 1938年




完璧な膝頭です。実に完璧な膝です。この膝を見るにつけ、バルテュスの画人としての技量がひしひしと伝わってきます。手を頭の上で組むこのポーズは女性の色気というか男の人を誘うような雰囲気の象徴のように用いられていますが、すらっと伸びやかな足はまだ少年のようでもあり中性的です。 そこから覗き見える下着が、見るからにだぶっとした子供の履くパンツのようで、微笑ましくもあり、そのアンバランスさが大人への過渡期を表しているような気がします。自分自身にとっても、やはりこの画が一番印象深く、傑作と呼ばれるに相応しいと思います。もうひとつ、ワタシが好きな作品、レストランの壁画として描いたというネコの画(1949)も、この頃の作品だそうです。




《 地中海の猫 》 1949年



十数年ここで暮らした後、バルテュスはさらに引き籠った暮らしを求めて、パリの田舎へ移り住みます。(1953) シャシー村にある古城です。ここで血縁のない姪(兄の妻の連れ子)と2人きりの現実逃避とも言えるような生活を送るのですが、それがフレデリックです。 最初は絵心を刺激されてモデルとして一緒に暮らしていたのですが、やがて恋愛関係に陥るようになります。常識的に考えると兄夫婦はそれをどのように受け留めていたのか、と邪推してしまうのですが、そんな事とは別に、この頃のバルテュスの画は柔らかで穏やかな筆致で、心身ともにとても充足して満ち足りた暮らしの中にいたんだろうなー、と察することが出来ます。なんだか、とても『光源氏』的でもあります。




《 樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭) 》1960年

この頃のバルテュスの画風はゆったりと牧歌的であり 心の安定と充実感が滲み出ています。 色を細かく何層も重ねたフラスコ画のような雰囲気がとても美しいです。


バルテュスは、突然にその安穏とした生活に終止符を打ち、ローマへ旅立ちます。ルネサンス以来の古典芸術の殿堂ヴィラ・メディチ、その館長のオファーを受けヴィラの修復を任されたからです。この時バルテュスは既に53歳。「 五十にして 天命を 知る。」凡人ならば自分の天命を知り、人生の集大成に入ろうとする知命の歳にして、更に伸びしろがあるとは、やはり只者ではありません。 この時期、ヴィラ・メディチでの16年間は寡作でしたが、幾つ目かの転機、節子夫人と結婚をしています。 やはり歳の差24歳。 しかも歳よりもだいぶ若く見られがちな東洋人。バルテュスの幼女趣味はやはり否定できないような気もします。そして、節子夫人と移り住んだ最後のアトリエ スイスの山中の小さな村ロシニエールにあるスイス最古の木造建築グラン・シャレ、ここは素晴らしく素敵でした。 篠山紀信が撮影したバルテュス晩年の暮らしの様子が展示されていたのですが、この写真がまた素晴らしい。 自ら後世に残るような話題作を描きながら自分自身とその暮らしぶりも素晴らしい作品になり得るというのは真の芸術家たる証のようなものです。





そして、このグラン・シャレではポラロイド写真を基に作品を描くようにあるのですが、このポラロイドの展示ももうすぐ始まります。(これも必見ではないでしょうか。) そしてモデルとなったのはまたしても少女、隣の家に住んでいたアンナ・ワーリーでした。

バルテュスの代表作とされる大多数の画は、不遇だったパリ時代にあるようです。 独特の不自然なポーズ、それが醸し出す画面の中の不思議な緊張感。 他の何者も踏み入って行けなかったバルテュスだけの世界観。誰風でもなく、バルテュスが描くまで誰も見たことがなかった作風。バルテュスは長命でしたが、その才能は早熟だったようです。




《 美しい日々 》 1944-1946年

人間関係を極力避けて厭世的だったクール・ド・ロアン時代(実際描かれたのは第二次世界大戦中の疎開先のスイス)に描かれたもうひとつの傑作で、本展のキービジュアルのひとつでもあります。


思えば、展覧会の最初に観た、わずか11歳で書き上げたという『ミツ』の絵本。これも触れておかなければいけません。そして『嵐が丘』の挿絵。 独特さの片鱗は既にこの時随所に散りばめられていて、挿絵の中のポーズを基に後に数点の大作を描いたりしています。




《 mitsou 》1919年



もっと言えば、その早咲きの才能は、あまりにも洗練され過ぎていて、人々の理解の範囲を超えてしまっていたのかもしれません。 もしかして、バルテュスが幼女趣味でなければ、そのモチーフが大人になる前の少女でなければ、世間の理解の眼はもっと違ったものになっていたのかも知れないとも思います。 幼女趣味であった事が唯一のバルテュスの欠陥だったのかも知れません。それはバルテュスの落度です。 でも、他の多くの大家のように成人した艶やかな女性を描く。そしたら、それはバルテュスだったでしょうか。きっと違います。確固たる、才能あふれる描画の技術に裏打ちされて、世間のモラルめいたものに反しても自分が最も美しいと思うものを描き続けたバルテュスだったからこそ、不遇のうちに葬り去られることなしに、今日も無二の存在感とその異彩を放ち続けていられるのだろうと思うのです。 その頑なまでのスタイルがあったからこそ、バルテュスはバルテュスであって、他にはいない稀代の画家、そんな立ち位置を確保することが出来たのです。

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by sanaegogo | 2014-05-17 00:00 | art | Comments(0)


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