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カメラばあちゃんに教えてもらった事






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増山たづ子
すべて写真になる日まで
2013年10月6日(日) – 2014年3月2日(日)
IZU PHOTO MUSEUM
http://www.izuphoto-museum.jp/exhibition/118680489.html
IZU PHOTO MUSEUMで開催している、増山たづ子「すべて写真になる日まで」を観に行って来ました。 私が増山たづ子さんの事を知ったのは、いつの事だったのか、もう思い出せないですが、当時使っていたペンタックスのコンパクトカメラ(フィルム)だけで撮った写真でいつか作品展をやりたい! 『カメラばあちゃんみたいに!』 と言っていたのを覚えています。 とは言っても、彼女がどんな事をしていたのかは知っていたけど、その写真そのものは観た事がなかったのです。 なので、この写真展の開催が告知されてからここに至るまで、本当に楽しみにしていたのですねー。
カメラばあちゃんとして知られている増山たづ子さんは、ダム開発計画で沈み行く縄文時代から続く村、徳山村をピッカリコニカで撮影して、手書きのメモが付いた600冊のアルバム、10万カットの写真でその変遷を記録するという偉業を成し遂げました。 それは意図された偉業ではなく、小さなことからコツコツと真摯に取り組んできた事の結果であるだけです。 写真に写っている村の人々、子供も大人も、皆飾らない日常の姿をたづ子さんの構えるカメラの前にさらけ出しています。 たづ子さんの個人的なアルバムが立体的な大きな展示になってしまった、と言えるほど、その写真の中の笑顔は親密な親しげな微笑や笑いでいっぱいです。 『作品』づくり、なんて意識は毛頭無く、ただひたすらに、村の人々に一声かけ、会話をして、笑顔を交し合い、撮影された真っ直ぐで素直な写真ばかりです。 村の記録と言っても、第3者的に外側から客観的に写した記録写真ではなくて、そこには皆がたづ子さんの方に向って視線を遣っている撮影者とのインタラクティブな写真ばかりが壁一面に並べられています。 その笑顔の自然さは、もう一級品です。 一声かけてカメラに視線をもらって写真を撮るのがある種の『演出』なのだとしたら、たづ子さんの場の雰囲気作りは名演出です。 ピッカリコニカで写真を撮り始めてから徳山村を離れるまでの8年間、作為的なものはなく、『村の姿を残しておきたい』という純粋な気持ちで写真を撮り続けていたたづ子さんですが、多くの写真を観ていると、はっとするほど構図が素晴らしいものとか、背景の納め方とバランスが絶妙、みたいな写真も観られるようになり、たづ子さんの写真の腕前の上達が何となく見て取れるのも楽しい感じがしました。 ボツの写真がどの位あるのかな、という事も関心がありましたが、それはあまり触れられていませんでした。 殆ど全ての写真が1回だけのシャッターで、あの素晴らしい素直な構図と写る人の笑顔を写真の中に納められているのだとしたら、これは素晴らしい事ですよね。でも察するに、そうなんだと思います。 『作品づくり』なんて微塵も意識していない真っ直ぐさが、きっと数々の場面を邪心無く写真の中に納めさせたのでしょう。 そんなたづ子さんの写真との向き合い方は、多少なりともスケベ心がある自分に、大切な事を再認識させてくれた気がします。
ダムはやがて本当に着工して、村は底に沈む。 ("浮いてまう" とたづ子さんは言い表してますが。) そんなネガティブな状況の中、村の中の人間化関係がぎすぎすしてしまった事もあったみたいですが、写真に写る村の人々は皆笑顔で、生き生きとしています。 『国は一度決めたことは必ずやる。 戦争もダムも。』と、何とも含蓄のある言葉をたづ子さんは残していますが、全てを受け容れる決意と強さが、この笑顔や村の様々な表情、風景をより鮮明な記録として残させたのでしょう。 たづ子さんの写真にはある種の芯の通ったぶれない気持ちがあり、取り組み続けた力強さがあります。
今やアート、美術、芸術の文脈で語られるようになった『写真』ですが、本来の気持ち、あるべき姿勢、忘れてはいけない喜び、そんなものを思い起こさせてくれるたづ子さんの写真です。


《櫨原(はぜはら)分校》1983年 / ©IZU PHOTO MUSEUM


《花盛りなのに》1985年 / ©IZU PHOTO MUSEUM


《戸入分校》1985 / ©IZU PHOTO MUSEUM


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by sanaegogo | 2013-12-22 00:00 | art


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