寺山修司の『摩訶不思議な客人』


今月10月29日まで銀座のアルマーニタワーでやっているTOKYO 1970 Japanese Photographers 9 で寺山修司の写真を観ました。 寺山修司といえば、かの『天井桟敷』の主宰にして、「言葉の錬金術師」と異名をとった天才文筆家にして芸術家ですが、演劇も文章も含め、『作品』というものを初めて観ました。大学生くらいになると、前衛的な感じに憧れる学生は皆、一度は寺山修司を語っていた、という記憶があります。 文系男子なのに、経済学部や法学部には進まず、英米文学を専攻し、インドアなのにシュッとして割と綺麗な顔をしてこざっぱりとしていながら、どこか屈折していて尖がったとっつき難い、村上春樹を愛するような男子学生がよく語っていた、というステレオタイプな印象があります。(今でいう、秋葉系とは全然違う感じですが・・・・。)
TOKYO 1970では9名の写真家が1970年代頃の東京にインスパイアされて当時撮影された作品を並べたものですが、その中で断然目が釘付けになったのは、寺山修司です。 キュレーターの長澤さんのテキストを読むと、TOKYO 1970は寺山修司を軸にして、少なからず彼と関わりのあった8人の写真家を横軸縦軸に据えて構成されたものです。もう他界された方も混じっていて、それが1970年代で時間がストップしてしまったような空間の雰囲気を醸しだしています。 寺山修司は『摩訶不思議な客人』。 まず間違いなくその作品は摩訶不思議です。奇妙奇天烈です。エキセントリックでシュール。 この手の言葉はどれもばっちりハマります。 写真に納まる摩訶不思議な人たちは、全く意味不明の行為を行いながらこちらを見据えていて、その瞳には感情みたいなものは一切感じられず、しかしながら物凄いプレゼンスを発揮しています。 これだけ摩訶不思議にして意味不明ながら、えげつなさがなく、退廃美というか、イカレてる感じが何とも言えないセンスを発してます。 寺山修司論的なものになってくると、全然造詣もなにもあったものではないので何も語れませんが、こんな凡人にもこれだけのインパクトを与えるのですから、彼の天才ぶりの凄さを窺い知る事が出来ます。究極のフィクションですね。
大道芸人のような、常識という網目が決して掬い取れない人々の静かなる乱痴気騒ぎ。ちょっと陰鬱で世の中の裏側で棲息しているようなファンタジーな人々の繰り広げる狂宴。TOKYO と銘打ってはいるのですが、『天井桟敷』の名に相応しく、その雰囲気は退廃の極致だった夜のパリの陰鬱な馬鹿騒ぎぶりを連想させてくれます。


(* 画像はトリミングしてあります。)

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by sanaegogo | 2013-10-06 00:00 | art | Comments(0)


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