ANDREAS GURSKY ― アンドレアス・グルスキー展
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既に7月から始まっていたのに、雑事に取り紛れた中でなくてゆっくり観たい!という思いから、ついに満を持して行って来ました! アンドレアス・グルスキー展です。この連休で東京での会期は終了してしまいますが、これから(来年ですが)大阪での開催があります。

ANDREAS GURSKY
アンドレアス・グルスキー展
東京展:2013.07.03-09.16/国立新美術館
大阪展:2014.02.01-05.11/国立国際美術館


東京の展示はグルスキー渾身のコーディネートという事だそうです。設営の際には実際に現場に訪れあれやこれやと自身で色々考えを練りながら並べた、という話を聞いています。大阪では大阪の会場にあった構成をするのだと思うので、東京で観た人も大阪に訪れるとまた違ったグルスキー展を味わえるのかも知れません。(ドイツから持ってきたけど展示していない作品も新美の保管庫に眠っているらしいので、それが登場したりするかも。)
革新的なのは、ついに日本でも、Nationalな美術館で芸術作品として『写真展』が開かれた事だといえるでしょう。『写真』というものがやっと芸術の域に達したものと日本で認識されたひとつの意識の変化のように思います。(海外では既に、ポンピドゥ・センター(パリ)、テート(ロンドン)、ニューヨーク近代美術館(ニューヨーク)をはじめとする主要美術館がグルスキーの作品を収蔵しています。) といっても、グルスキーの写真は、"絵画のような写真"と称されていて、ドイツ絵画の巨匠フリードリヒなどとよく並び称されているようです。 私自身は正直に言うと、このフリードリヒと比較されるあたりの観点はちょっと理解出来ていないのですが、グルスキーは、ロケハンをして大判のカメラで撮影をするだけではなく、物凄く緻密で丁寧な仕事(加工とは言いたくない)を加えていて、実際の視覚では捉えられない全てが均一で等価に広がる圧倒的な視覚世界を、カメラとデジタル技術を用いて、まさに、"描き出して"います。PhotoShopが普及していない頃からコンピューター処理を果敢に用いて、写し撮った情景を作品として再構成してきました。ともすれば撮った写真に後付で手を加える事を揶揄されがちだった写真の世界ですが、コンピューターという道具を使って丁寧な仕事を仕上げるのは、ある意味、マイスターの国ドイツの職人気質の成せる業のような気がします。(そんな制作方法が、師匠のベッヒャーにはあまり気に入られていなかったらしいですが。) しかし、ごくごく初期の頃に撮られたガスレンジの作品がありましたが、ただのガスレンジを写した写真なのですが、その構図、画面構成には唸るものがありました。 ただのガスレンジなのに。 言い添えておくと、いわずもがなですが、彼の行っている写真に手を加えるという手法は、マズいものを修正するものでは決してない、という事です。 マズい写真はどんなに手を加えてもマズいままなのです。 その大元(おおもと)になる写真は、それだけで高い評価を受けていただろう事は容易に解ります。拙い写真に加工修正をする事で逸品になった、という事では決してないのです。さてさて、グルスキー展に話を戻すと、展示は決して制作された時系列になっている訳ではなくて、グルスキー自身の何か自身の中にある系列に沿って並べられています。なので、ありがちな、「初期の頃からの変化と発展がよく解りますね。」というものではなかったのが興味深いところです。 グルスキーについては既に色々なところで語られていて、『等価で仔細に作りこまれた現実にはない視野』みたいなくだりは読み尽くしているだろうので、と思います。(ワタシも以前の記事で書いてます。8月2日 『「グルスキーの写真から見えてくるもの」 って何?』) なので、ここは単純に、実際に足を運んで観に行った立ち位置から、単純かつ素直な感想を。

まず、何といっても、『カミオカンデ』。この展覧会でこの1枚を挙げよ、と言われれば、迷いつつも、迷わずこれ、です。(「迷わず」に迷う。) グルスキーの持ち味の圧倒的スケール感というのが一番ビンビン来る、と思います。 遠く離れると見えるカミオカンデの全貌ですが、撮影時には実は水も張ってなかったし、人もいなかったそうです。それをここまで緻密な作業で再構成したその技術(技量)の高さにも感服。完璧です。近くに寄れば、カミオカンデを構成する輝く球体の中にひとつひとつの映り込みまで再現されています。マクロ(巨大なもの)とミクロ(微視的なもの)の融合をまざまざと見せつけられます。素晴らしい。その色彩もカミオカンデの持つ宇宙のスペクタクルに通じた荘厳さを感じさせます。


もうひとつ、『ライン川Ⅱ』。これはライン川を真っ直ぐに広がる水平線で構成したパースを取り払ったグルスキーらしい作品のひとつですが、実は河畔には沢山の建物が写っていたのですが、それも完璧に取り除かれていて、誰でもアクセスできるライン川なのですが、この風景はグルスキーのこの写真でしか観ることが出来ません。このライン川には、色々な考えどころがあって、とても眼を惹かれました。


そう言う意味では、『パリ、モンパルナス』もまた然り。 これは、何地点かで撮影したものを接合させて再構築したもので、画面の広がりから遠近法は取り払われ、どの地点からも真正面から見据えたような不思議な視覚、視野を感じさせますが、決して不自然だったり、騙されている感じが起こりません。言うなれば、この作品を観て初めて、ヒトの視野の仕組みに気付かされるというか、何か『普通と違う』と感じる人も多いでしょう。そう言う超ニッチで些細な非現実さを不自然なところなしに見せてくれるところに、多くの人は無意識なもやもや感を感じ、より一層その画面に無意識に惹きつけられるのでしょう。グルスキーの作品は、感情というよりは、感覚であったり、もっと言えば生理機能に訴えるところがあると思います。


この事とは違う側面を見せている、観る人に情緒や何かの想いを喚起させるのが、前評判が高く、ワタシも楽しみにしていた『バンコク』のシリーズです。 グルスキーの作品としては情に訴える雰囲気を醸しだしています。バンコクの汚れた川面に描き出される様々な模様は規則的でもあり、不規則でもあります。 川に投げ込まれた様々な廃棄物、投棄物は何かの想いを表しているようでもあり、観る者にある種の感情、切なさのような気持ちを感じさせます。 淡々と観る人もいるでしょうが、そこでの指標は視野のような生理機能ではなくて感情が入り込んで来るような気がします。 個人的には画面そのもの、その美しい構成にかなり惹かれてしまいました。『バンコク』のシリーズ、これが一番好きです。 これが、前述の「「迷わず」に迷う」の理由です。

グルスキーは、自分の作品について、こう観て欲しい、とか、こう感じて欲しい、などというのは無いそうで、どう観るかは観る人に委ねたい、と語っているそうですが、これは自分の仕事とそれにかけて来た労力の確かさについての静かなる自信の顕れだと感じます。そんな作品が65点あまり。ゆっくり目録と首っ引きで堪能して参りました。

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by sanaegogo | 2013-09-08 00:00 | art | Comments(0)


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