「グルスキーの写真から見えてくるもの」 って何?
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今、国立新美術館でやってるグルスキー展。これもとっても楽しみにしていたのですが、まだ観にいけていません。 8月は何となく予定が合わず、足を運ぶのは9月の会期終了間近になってしまいそうなんですが、この展覧会の見どころ、みたいなトークイベントが色々と開催されていて、心をザワつかされずにはいられません。 そんなうちのひとつが、代官山蔦屋書店で行われたトークショー、アンドレアス・グルスキー展 記念トークイベント「グルスキーの写真から見えてくるもの」です。

アンドレアス・グルスキー展 記念トークイベント「グルスキーの写真から見えてくるもの」
会場:代官山 蔦屋書店
日時:2013年8月2日 19:00~
登壇者:鈴木芳雄(編集者/美術ジャーナリスト。美術通信社代表)、長屋光枝(国立新美術館主任研究員)、太田睦子(『IMA』エディトリアルディレクター)
http://tsite.jp/daikanyama/event/002135.html

先日、フクヘンの別のトークに出かけた時、このグルスキーの話もしてくれたのですが、今回はばっちり、この展覧会のためのトークです。 お相手はこの展覧会を企画した新美のキュレーターの長屋光枝さん。フクヘンはさぞかしまた含蓄のあるエピソードを披露してくれるはず、と楽しみに出かけて参りました。
頭の15分くらい間に合わず欠けてしまって、とっても残念だったのですが、それ以降でもかなり興味深い話をたくさん聴けました。 私が着席したあたりでは、鈴木芳雄さんが新美のホームページでコメントを寄せている"「Photograph」を「写真」と翻訳した国で彼の作品を観る感慨そして敗北感"というコメントの真意について話し始めようとしているところでした。 「写真」は、まあ文字通り、「真実を写す」というところから来てる訳ですが、これは絵画と比較した場合の「真実」で、グルスキーの写真は光学的なものを用いて画を造り出していますが、よく視るとそれは決して一言で簡単に説明できる「真実」の世界ではありません。 また、写真というメディア(絵画でいうところの画材)を用いてある種の絵画を制作している、とも言えるようです。グルスキーは端から端まで全て等価で均質で緻密な世界を巨大なスケールで再現していますが、それは勿論見たまま、見えるままの世界ではなく、精緻な画像処理がされています。 何せまだ本編の展覧会を観ていないので、今の段階では語られている作品については想像するしかないのですが、何でもその巨大な画面をしげしげと観察してみると何箇所かで撮影して足していたり、同じパーツを繰り返し繋ぎ合わせているのが見て取れるそうで、そんなのもグルスキー展の楽しみ方のようです。 遠近感があるようで、遠近感をそれとなく無視した画面構成。 これを中国の山水画や日本の絵巻物の描き方と比較していたクダリが実に面白い話でした。 山水画や洛中洛外図のような絵巻物は何箇所もの視点があり、作者の視点は万遍ないと言うか、これぞ『神の視点』かと思わせんばかりの超俯瞰です。 いや、俯瞰、鳥瞰と言っても視点はひとつなので、この場合、俯瞰という言葉も当てはまらないのかも知れません。西洋画にもセザンヌとか、ピカソとか、多角的に視点を捉えた日本画に影響を受けたと言われる画法はありますが、まだまだ中心となる物体の呪縛から解放しきれていないと言うか、この全てが等価で繰り広げられる東洋の独特の画法の域には達せていないのに、グルスキーはいとも簡単に(か、どうかは解りませんが。) この世界観をコンピューター処理を用いて顕す事を自分の持ち味にしています。 画面の成り立ちが所謂西洋絵画ではないのです。 透視図法などを線で表現すると画面と視線の角度(内角)は鋭角になり角度が付きますが、グルスキーの写真は画面のどこからでも写真に向って線が延びていき、しかもどれも直角、そんな世界です。 何故グルスキーがこんなに人の気持ちをワクワクとさせ迎え入れられるのか。その等価で均一な情景とか巨大なのに緻密な構成だとかで語られていますが、この遠近法と絡ませた話はとても面白かったです。
『チョイ足し』の話も面白かったです。 例えば『カミオカンデ』。これはもともとは人物は画面にいなかったそうなのですが、グルスキーが『チョイ足し』をしたそうです。でも画面の中に人が入るとそのスケール感が圧倒的に変化するのと、またここで山水画に話が戻るのですが、水墨画の中に佇む仙人を見るように画の中に知らず知らず感情移入をする効果を出しています。 その規模感と自分の位置を比較して、より『カミオカンデ』の実際の巨大さを知る訳です。 でもここで、実際に人はいなかった訳なのでこれは『真実』ではなく、『写真』という訳語の表す定義からは外れてしまうわけですよね。 写真なのに。 うーん、禅問答のようです。
でも、グルスキー本人は「わーっ、おっきぃー!!」とか「わー!すごいっ!」という印象でも全然OKな人だそうです。 それは観る人に委ねたい、と。 ここでフクヘンがまた語録に残るような事を言っていました。『写真集は手で見る。展覧会は足で観る。』 グルスキーは近寄ったり離れたりして色々、色々動き回って観て欲しい、と語っているそうです。
とにかく早く行かなくちゃ。 といっても、もうちょっと先になりそう。 多くの人が新しいシリーズ、『バンコク』を絶賛しているので、それがとても楽しみです。
写真の作家でありながら、ドイツのロマン主義絵画フリードリヒ などともよく比較され、抽象絵画のような写真とも言われているそうですが、何故フリードリヒとよく比較されるかなどについては、このトークでは話がそこまでは及ばなかったので、何かの機会にそれを聴きたいなーと思ってます。
本日のトークは、これから観に行く人にとっては充分過ぎるインセンティブになったと思います。 大きさに圧倒されに、『ウォーリーを探せ』のノリで、フリードリヒとの比較、見え隠れする東洋的視点の発見、など、楽しみ方は人それぞれ。 この懐の深さが人気の要因のひとつなのでしょうねー。


よく比較されているフリードリヒの宗教的含意をふくむ抽象的風景画です。 むむ。


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by sanaegogo | 2013-08-02 00:00 | activity | Comments(0)


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