梅佳代展 ―UMEKAYO―
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梅雨の中休みどころか、気も休まらないほど気温が上がって暑かった土曜日。初台のオペラシティーに『梅佳代展』を観に行って来ました。

UMEKAYO
梅佳代展
2013.4.13 SAT ~ 6.23 SUN
東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh151/


Kayo Ume : UMEKAYO TOKYO OPERA CITY ART GALLERY
SATURDAY, 13 APRIL ― SUNDAY, 23 JUNE, 2013


梅佳代を写真展で観たのは、2010年に参道ヒルズ スペースオーで「ウメップ:シャッターチャンス祭り」以来でしょうか。『以来』と言っても、その後の本格的な個展が特に開催されていると言う事でもなく、そして美術館での始めての個展が今回の『梅佳代展』であるらしいです。会場に到着すると、休みの日だと言う事もあり、ロビーは笑顔を浮かべた人たちで溢れていました。こんな風に観る人を心底楽しい気持ちにさせてくれるのは、まさに梅佳代効果と言えるのではないでしょうか。
梅佳代についてよく言われているのは、というよりも、言わずもがななのは、その卓越したスナップショットの力量です。コミカルマックスの瞬間を狙い定めて切り取る動物的反射神経、その前に、その瞬間がコンマ数秒後に訪れる事を察知する動物的カンと予知能力とさえも表現できるような天性の嗅覚、そして、画郭に的確にドラマチックに描写出来る撮影技能。本能と運動能力を駆使して躍動的に撮影をするそのスタイルは、ここで語らずとも既に万人の知るところだと思います。一方で、正面から表情を捉えた時の被写体が見せるカメラ目線でありながら、撮影されている事をまるで意識していないような明るくあけっぴろげな表情を引き出す場の空気の作り方。カメラを通してのコミュニケーション能力も高く評価されているところです。
ポートレイトの名手と言うと、よく、『空気のような存在になって』とか『周囲の場に溶け込んでカメラを意識させない』とか言われます。ブレッソンとかアーウィットのポートレイトがそうだと思うのですが、私は個人的に、これらのポートレイトと梅佳代のものは、成り立ちも違うし、一線を隔したものだと感じられます。梅佳代は、撮影者として空気のように存在感を消してそこにカメラの存在を感じさせずに自然な表情を引き出しているのとはちっと違う。そんな風に思います。 梅佳代の被写体の前には常に梅佳代が梅佳代として存在していて、その梅佳代はカメラを持って構えているのです。存在を消すどころか、その写真からは常に梅佳代の存在感が溢れ出ています。 撮られている事を承知で、そこに写しだされた人々はなおも屈託のない明け透けな表情をさらしてくるのです。これこそ、天性の力量としか言いようがないでしょう。逆に言えば、梅佳代あってのあの光景などだと思うのですが、これはホントにスゴイ。そんなシーンが炸裂していたのが、そう、あの『男子』です。 ホント、馬鹿です、小学生男子は。 無邪気でお調子者でお馬鹿さんで、そして、異性のオトナからみると『オトコの子ってほんと幼くって可愛いなぁ』と。 梅佳代に見て欲しくて、喜んで欲しくて、そして、ちょっぴり誉めてもらいたくて、撮ってもらいたくて、あらゆる手立てを使ってアピールしてくるあの乱痴気騒ぎを余すところなく梅佳代のカメラは拾っていきます。 ちょっと恥じらいがありつつも『女子中学生』にしても然り。 そして、さらに穏やかな空気に包まれつつも、『能登』や『じいちゃんさま』にも、写ってはいなくても、撮り手として、写真の中に梅佳代は存在しているのです。なんて素晴らしい。新しい境地を開いたという『能登』のシリーズもとてもよかったです。相手の懐に飛び込み、同時に相手を自分の懐へ引き込む。惹かれ合ったお互いが作り出す、参加型ポートレイト、相互作用、そんなものを、そらの写真の中の人たちが織り成す表情が物語っているようです。

© KAYO UME / 2013 Tokyo Opera City Art Gallery


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by sanaegogo | 2013-06-15 00:00 | art | Comments(0)


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