『目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。』 フランシス・ベーコン展 @東京国立近代美術館
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フランシス・ベーコンを観終った後、うっすらと混乱した感覚と熱に浮かされたような気分で、今まで見たこともない世界を目の当たりにしてしまったような気がしました。抽象的でかつ具体的。"技法""画法""流派"みたいなものに捕われていない、カテゴライズ出来ない世界を観てしまった気がしました。『今までのどれでもなく、誰にも似ていないし、誰の流派(流儀)でもない。』表現世界です。



抽象画家と称されるフランシス・ベーコンですが、その画には全くと言って良いほど、その抽象性に作為的なものが一切感じられないのです。例えば同じ抽象画家として知られている20世紀の巨匠ピカソですが、ピカソの画に作為的なわざとらしさが感じられる、と言う事ではないんです。でもベーコンの画には何と言うか、上手く言えないんですが、『こう描くべきもの。』みたいな誇張された技法がなく、不思議な感覚でねじれ、ゆがむその描写された肢体が誇示されているばかりで、それを観ていると、ベーコンはそこに何が見えていたのかと本当に難解なものを見たもやもやした気分になります。(例えば、ピカソのキュビズム。あれは、「ひとつの対象を色々な角度から見てかつ一つの画面に収めている」、と言うある意味一定のルールに則って描かれている画法ですが、ベーコンにはその様なルールめいた作為が感じられない、と言う事を言いたい訳です。) と、述べたそばから反対の事を言うようですが、そんなベーコンの画にも繰り返し出てくる表現があります。半透明の体、体の中にぽっかりと開けられた口や穴、枠線のようなただの線描と化した背景、などです。でもこれらは、マイノリティー(唯一彼)であるが故、その表現の方法には"○○イズム"と言ったような名前も与えられていませんし、その出現の意図はベーコンにしか説明できないものになっています。もしかして当の本人ベーコンも解らないような事かもしれません。偏に、フランシス・ベーコンと言う人の心の中や考えていた事は、『いと知り難し』と言う事なのでしょう。自分に関するコメントや説明などを殆どしていない人物だ、と言うのも聞いていますし、そんな彼の一面が期せずしてこのミステリアスさを造り出しているのかも知れません。寡作な人ではなかったようですが、ある時期、自ら沢山の作品を破壊してしまったと言う事です。しかし、その理由もどこにも語られていないそうです。
本展はその残された作品の中から『身体』にフォーカスして作られていますが、その中にも少なからずベーコンの変化を見て取ることが出来ます。消え入りそうな半透明の体や描きかけかとも思えてしまいそうな線のみの中途半端な背景、画面は暗くどちらかと言うと精神世界を表現しているかのような時期、それがある時期から背景はマットに塗りつぶし、その色合いは美しく、オドロオドロしさとはかけ離れた爽やかな発色、その中に以前よりよりしっかりと描かれているねじれてゆがんだ身体の一部。この時もその身体の全貌は難解で、『デフォルメ』と言う単純な言葉では顕せない感があります。なのに何故か眼を惹き、眼を奪われてしまう。何故か。それはつぶさには解らないのですが、それを紐解くのに医学や脳科学それに心理学をもって語られているのも、ベーコン作品のひとつの特徴と言えるのではないでしょうか。(あとはちょっと宗教学。信者としてではなくベーコン自身の宗教に対する考え方として。) 個人的には、どちらの時代のものもかなり気になります。特に最後の部屋の三幅対(トリプティック)は圧巻で、圧倒されました。(例えベージュや黒であろうと)美しい発色の地色の中にごろんと唐突に投げ出された身体の一部。その身体部分の筆致を観ると、印象派のような淡いなだらかな優しい諧調が見て取れるのも不思議なコントラストでした。作品に圧倒されて、珍しく図録を購入したのですが、このトリプティックスは図録の中でも再現されていて、3枚の画が山折り、谷折りで図録の中に折り込まれていて、引き出すとトリプティクッスになるのでした。晩年のベーコンはやはりこの繊細な発色が作品の命。と言う事で、制作物には相当に気を遣っているようです。
話は展示に戻りますが、彼の前期の作品の展示には、作品保護のためにガラスが使用されています。これはベーコンが好んでそのように指示していたと言う事です。作品と観る人を隔たたせるガラスの存在を好んだようです。通常は映りこみを嫌ってガラスは用いない作家が多いようですが、ベーコンはあえてガラスを用いる事で、その隔たりを強調していました。 観ている人もその作品に自分の姿が映りこむ事で、ベーコンの世界との隔たりを意識したり、逆に自分の姿を映し込ませ作品に同化させて、それ(自分自身)もろとも鑑賞していた人もいたのかも知れません。こんなところからも、ベーコンが鑑賞する画家と言うよりも体験する画家であると言う事が伺えます。その何とも説明がつかない『何故?』『何故?』だらけの一連の作品を鑑賞するには『感じ取る』しか術がないように思われます。画面に広がる不具合を自分の中でどうにか調整しようと、観る人は感覚を刺激され、神経をざわつかさせられるのです。でもその不可解さは、先に述べたように、ベーコンの観る人に対しての作為や意図的なものがない故に、(大袈裟に言えば)最も単純なルートで直接、ダイレクトに五感に訴えかけてくるのかもしれません。
『目撃せよ。体感せよ。記憶せよ。』とのミッションを仰せつかって鑑賞したフランシス・ベーコン展でしたが、いやぁ、未消化な部分を多分に残しつつも、これを観ることが出来て良かったです。しかしながら、私としては、ミッションをコンプリートさせるには、もう少し、購入した図録と首っ引きの更なる考察が必要なようです。

■ ■ ■ FRANCIS BACON
フランシス・ベーコン展
http://bacon.exhn.jp/index.html
(● バナーは東京国立近代美術館のウェブサイトからお借りしました。)


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by sanaegogo | 2013-04-27 00:00 | art | Comments(0)


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