国立デザイン美術館をつくる会 第1回パブリック・シンポジウム
e0168781_1747464.jpgバックデートのエントリーになりますが、先日(この日) 東京ミッドタウンのミッドタウンホールで行われた 国立デザイン美術館をつくる会 第1回パブリック・シンポジウム に聴衆として参加してきました!

かの世界的デザイナー 三宅一生氏が発起人となって、日本にも「デザイン」をアーカイブした美術館をつくろう!と言う事業のキックオフとなる記念すべき第1回のパブリックシンポジウムです。

登壇者は
三宅 一生 (デザイナー)
青柳 正規 (美術史家・国立西洋美術館館長)
佐藤 卓 (グラフィックデザイナー)
深澤 直人 (プロダクトデザイナー)
工藤 和美 (建築家)
皆川 明 (ファッションデザイナー)
田川 欣哉 (デザインエンジニア)
鈴木 康広 (アーティスト)
関口 光太郎 (アーティスト) (以上 敬称略)
の、総勢9名のパネルディスカッションです。
シンポジウムの様子は21_21 DESIGN SITEのWebsiteの中で動画を見る事が出来ます。
http://www.designmuseum.jp/symposium/
ここで内容を粒さに載せると、議事録的なものには主催者の事前確認と承認をとることが望ましいと思われるので、(と、思ってしまうのは商売柄ですが。) 、ざっくりと。

第1回目のディスカッションのテーマとしては、
  • だから今 デザインミュージアムが必要だ

  • みんなに愛されるデザインミュージアムとは?

  • デザインミュージアムとアーカイブ

と言う3本の骨子があげられました。 それぞれについて、ディスカッションは進められて行き、それぞれのテーマに沿って今後のコンセプトの構築に繋がっていくのだろうと思われる発言が登壇者からなされました。
  • デザインとは何だろうか。これまでは、『集める』(収蔵して保存する)と言う事に対する時代の要求がなかった。

  • デザインと言う言葉の持つ意味を考える作業。考えるという事をした結果が今回の動機となった。

  • 豊かさを経済的指標で測るのではなく、何か別の方法はないか。質のようなもので。 今はひとつのスケールしかない。 その新しいスケールをつくりたい。

  • 最近は、経済発展のメジャーとして、便利さを表すものとしてデザインと言う言葉が使われている。

  • デザイン家電と言う言葉は完全に間違っている。

  • 無意識の中にもデザインはある。

  • デザイン的概念の教育と普及、機会の提供を目的としたい。既にデザインを知っている、認識している人たちだけのための内向きなものであってはいけない。

  • デザインは消耗品をつくっているという意識が強いことを危惧する。

商業的で金銭に関わる事が抑制されるべき行為とされていた時代の名残なのか、商業活動の一環であるプロダクトデザインと言うものは、美術館で研究員が研究をする対象とは成り得ない、と言う意識もどこかにあったのでしょうか。もしくは生活に密着しているものは芸術とは一線を隔していると言う意識でしょうか。美術館と言うとやはり概念ではひとつの研究機関で、その枠組みは時代と共に変容し亜種も生み出しているとは言え、(六本木には収蔵・研究を行わない美術館も出来ちゃいましたし・・・、しかも国立で。)、近現代の優れたデザインを持ったプロダクトをアーカイブして体系だてて掘り下げて行く必要性をあまり日本は感じて来なかった、と言う事はディスカッション中も指摘されていました。 日本において、日本らしいデザインとその歴史と言うと、今の発想的にはやはり、「伝統工芸」と言うくくりになりがちで、一生さんの作品にはその流れや手法を汲んだモノが数多く見られるとはいえ、佐藤卓さんや深沢直人さんの手掛ける同時代的なデザイン展開と同じ施設の中でどのように融合され混ぜ合わせていくのか。「伝統」と言う側面と「近代・現代」と言う側面をスムースな流れで展開していくのが難しいな、と素人なりに感じたりはしました。こでまでの日本におけるデザインの歴史を体系だてて網羅すると言う事は、膨大な範囲を含むことになり、焦点が散漫になってしまわないのか。 「デザイン」と言う言葉があまりにも多様な側面を持つために、そのどの部分にフォーカスを当てていくのか。歴史、カテゴリー、作家、地域性、必要性などその要素は多岐にのぼります。はたまた、「デザイン」と言う概念が近現代に生まれたものとするなら、(産業革命以降、と言う発言もありました。)、MoMAのように「近現代」に絞って展開するのがよいか。この日のハナシでは、それは地方で埋もれて途絶えようとしている伝統ある匠のデザインにも光を当てたいと発言していた発起人の一生さんの本意では無いように聞こえました。何しろ始まったばかりですし、一足飛びには成し得ないコンセプトの整備だと思いますので、今、『どっちなの? どうなの? 白黒はっきりして!』と言うのは性急過ぎ、時期尚早なのだと思いますが、そこが一番大変な初動なのでしょう。(箱のキャパの問題もあるしね。)

そんな感じで、議論は進んでいくのですが、この何となくかなりの整理が必要だと思われる内容の中で、登壇者の1人、アーティストの鈴木康広さんの話が漂いかけていた閉塞感を打ち破る風穴を開けるようなスカッとするコメントを残していました。 鈴木康広さんは2010年の瀬戸内国際芸術祭で『ファスナーの船』でそのアイディアを形にしました。 アイディア自体は2004年に一旦カタチになっていて、それを2010年の瀬戸内芸術祭で人が乗ることが出来るボートの形に発展させ、『地球を開く』と言うアイディアを具体化し実現しました。 この、無理と思われるような机上のアイディアや夢を具体的にカタチにしたと言う一連の彼の経験と実績は、この取り組みに対しての大きなエールになったのではないでしょうか。



夢みたいな事ばかりを熱い思いと共に口々に語り合うような内容だったらどうしようと少し懸念したりもしましたが、最後のほうは、建設予定地とか行政との絡み、予算の確保とかもちゃんとコメントがあって、ちょっと安心しました。(かなり僭越な発言ですが・・・・。) でも、アーティストやクリエイターの夢のようなふわっとしたものが、『念願』と言う形で現実味を帯び、それがどう現実的な着地点で具現化されていくのか、その成行き(過程)に非常に関心があります。(端的に言えば、どうやって夢を実現するのか、その具体的手腕です。) 国立となれば、国や行政をも巻き込んでいく大事業です。 それをスタート(正確に言うとスタート直後)から注視出来ると言うのは何だかエキサイティングな気がしました。『夢をカタチに・・・・』ですね。

「地球を開く」の鈴木さんのアイディアスケッチ。
© 2005-2013 by Tokyo Source


このプロジェクトにも、従来のシステムを踏襲したアカデミックなものに裏打ちされ太鼓判が押せるような機関であり、かつ今までに無い斬新な切り口とアイディアで、従来のステレオタイプな概念を打ち破りそして良い意味での驚きを持って皆に迎えられるようなミュージアムを目指して欲しいと期待をしています。 (いっぱい言っちゃったなー。)

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by sanaegogo | 2012-11-27 00:00 | art | Comments(0)


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