今日は9時20分のボートに乗って、豊島に渡ります。 豊島、犬島と巡ってこようと計画しています。 直島で宿泊していたゲストハウスの朝食が朝8時なので、朝食を食べたら部屋には戻らずに、そのまま港まで出かけて出発前にコーヒーでも呑もうかと思っていたのだ。朝食を済ませて『
海の駅なおしま』と言われる港まで。 ここは何気なく港のインフォメーションセンターや待合所として建っていますが、妹島和世と西沢立衛の
SANAAによる設計です。
SANAAの設計らしく繊細でシャープで、よくある港のような無骨で骨太の感じはありません。完成したのは2006年で、この時
SANAAは既に金沢21世紀美術館でヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞してたので、何とも贅沢な公共の建物です。(因みに、海の駅のカフェは10時開店で、コーヒーにはありつけませんでした。)
11月は既にslowなシーズンだからかと思いますが、豊島と犬島を1日で巡るのは、かなり時間がtightでした。直島から連絡ボートが豊島、犬島を廻るのですが、1日で廻ろうとすると島の滞在時間と船の時間のバランスが悪いのです。豊島でもっともっとゆっくり出来るような運行スケジュールだったらよかったなぁ、と思いつつ、時間優先で自分の思う通り、自分だけの都合通りには廻れないところが、直島の良いところでもあるのかな、とも思います。
豊島は水源にも恵まれて古代から人が住み付き貝塚などの遺跡もあり、漁業は勿論の事、農業の文化も持つ歴史のある島で、直島よりも野趣に溢れている感じがします。 近年では産廃が長い間大量に不法投棄されていた問題が暴かれた豊島事件がありますが、これは今は亡きジャーナリスト筑紫哲也さんがずっと追いかけていた社会問題と言う事です。アートの島の一端にありながら意外にも素顔は社会派の島です。船着場の近くにある観光センターにいる豊島をこよなく愛する係員のお兄さんが教えてくれました。豊島内のバスの便は余りにも悪いので、電動アシスト付き自転車を借りて、いよいよ
豊島美術館に向けて出発です。
豊島美術館は建築家
西沢立衛 (前述のSANAA)と美術家
内藤礼による作品で2010年に豊島の唐櫃岡の斜面に創られました。 その外観と形状の第一印象は沖縄の郊外の村でよく見かける亀甲墓のイメージ。そしてその中に唯一展示してある作品は
内藤礼による『
母型』という作品。沖縄の亀甲墓は胎内を模しているとも言われているようなので、まんざらこのイメージは的外れではなかったのかも知れません。まずチケットセンターでチケットを購入し、白く平たく子宮のように丸みを帯びたその建物に眼を遣りながら、建物の周囲をぐるっと遠巻きに囲む白いアプローチを歩いていきます。 原っぱから森を抜けて、その森を抜けると再び視界が開けて美術館に辿り着きます。(美術館と言うか、『
母型』のためだけの外郭です。) 靴を脱いでその空間に足を踏み入れると、これまでには味わった事のない空間を味わう事ができます。 白くて静かで何もかも静止していると感じられる中、頭上に開いた開口部からは空を覗く事が出来、雲がゆっくり流れ、風が吹いています。 その風にリボンがそよいでいます。足許に眼をやると数々の様々な形をした水滴がふるふると震えながら形を変え、風に吹かれて意思を持っているかのように移動しています。 床の下からランダムに水滴がひとつ生まれ、また生まれ、集まりつつ、大きくなりつつ、ある集団は所々に散りばめられている地下へと続く小さな穴に吸い込まれていき、ある集団はさらに大きくなり泉を形成します。 小さな穴のいくつかは、水滴が吸い込まれていくとほんの小さく水琴窟のような音色を奏でます。 何と言うか、何かを超越したようなその空間の感覚に感激しました。 ふるふると震える水滴に魅入られました。 ぽっかりと覗く空に自分の今いる空へと続くこの空間の普遍性みたいなものも感じられた気持ちがします。その空間は自然現象のシンプルな美しさに溢れていました。
(現実に引き戻すようですが)、時間があればもっともっとそこに滞在したかった、夕方にまた戻ってくると水滴達は泉を成しているらしい、夕暮れに染まる空を写して空間は趣を変えるらしい、それも観てみたかった。 が、しかし、犬島に渡るボートを逃す前に
ボルタンスキーも是非観てみたい。という事で後ろ髪を引かれつつ、
豊島美術館を後にした訳です。
「豊島美術館」 環境、アート、建築の融合
(エキサイトイズム 2010/10/16):
http://ism.excite.co.jp/art/rid_Original_22960/pid_1.html
電動アシストを駆使し、豊島のアップダウンの激しい丘陵地帯を港まで一気に下降。そのまま海沿いをひた走り、到着した家浦港とは真反対にある
ボルタンスキーの『
心臓音のアーカイブ』に到着。人の心音は個人によって1人1人異なっているらしいです。 それはまるで指紋のようなもので、その個人を特定するその人が生きた証として
ボルタンスキーは心音を収集し、アーカイブしています。収集された心音が聴ける『
ハートルーム』に入るとただひとつ吊り下げられたランプが流れている心音と呼応してブリンクしています。その光は余りにも僅かなので、拍動が弱い人の心音の時は殆ど闇の中に放置されることになり、鼓動が強い人の心音は壁の壁面に取り付けられた巨大ウーハーで音が波動となって皮膚を刺激する感じ。 このウーハーが余りにも凄くて、何だか自分の心臓もぼんぼん叩かれているような気分になり、出た時にはちょっぴり心臓が痛い気分に。 心音と言う音を視覚や触覚で体感してきました。
船に乗り遅れてはならない!と再び来た道を全速力で戻り、家浦港へ到着。 豊島は
豊島美術館の辺りには棚田が広がっていたり、手付かずの自然があったりで、ぶらぶらと散策するのも楽しいと思います。 ただし、オフシーズンの平日は瀬戸内芸術祭のインスタレーションは殆ど見ることが出来ないようなので、ご注意を。 犬島に渡るボートを待っていると、ゲストハウスで一緒だったスウェーデンから来た大学生の二人連れと一緒になり、色々と話していると、大学で『
犬島アートプロジェクト「精錬所」』とそれを手掛けた建築家の
三分一博志が授業で取り上げられたそうで、是非行ってみるべしと勧められたとの事。 日本に住んでいる外国の方のみならず、海外からダイレクトにここを目指してくる人がいると言うのは、日本の片田舎にありながらとても国際的だと言う不思議なミクスチャーだと思います。
犬島に向けて出港! 海原を抜けて! 迸る波頭!
楽しくなって連写! なんと表情豊か!
犬島に着くと先ず
精錬所に向います。 廃墟、隆盛の跡、栄華の名残り、など様々な言葉がノスタルジーを込めて頭を過ぎります。「
精錬所」は犬島に残る銅精錬所を保存再生した美術館で、「在るものを活かし、無いものを創る」というコンセプトのもと作られました。既存の煙突やカラミ煉瓦、太陽や地熱などの自然エネルギーを利用した環境に負荷を与えない構成になっていて、植物の力を利用した高度な水質浄化システムを導入していて、歴史遺産・建築・アート・環境による循環型社会を新らしい地域創造のモデルとしたプロジェクトです。私はそこまで高尚な眼で見る事はなく、ただただ漂うノスタルジアを感じていたのですが、スウェーデンからの2人はやはり建築家の卵、建物内の循環システムや産業廃棄物の再利用など、アテンダントの説明に熱心な関心を寄せていたようです。 銅精錬所跡地を自由に散策できるのですが、ここで少し紅葉を楽しむ事が出来ました。 赤い崩れた煉瓦に絡みつく色付いた蔦や樹木。秋ですね。
犬島のあちこちに残っている真っ黒な銅粉
最終のボートに乗って直島に帰ってくると、今日の1日は終わり。 港に着いてスウェーデンの2人と海の駅のカフェでお茶をしていたのですが、2人は同じゲストハウスには予約がとれず泊まれないとの事。 折角仲良くなったのに残念ですね。 私はこれから宿に帰って、食事の前に島の銭湯「
I❤湯」に行ってきます。
暮れなずむ 海の駅 なおしま ベンチはSANAAのデザインによるもの
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Day3
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