プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影


プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影
2011年10月22日(土) ~ 2012年1月29日(日)
国立西洋美術館

ゴヤは18世紀のスペインの宮廷画家で、ベラスケスと共に重きを置かれていて、その作品はスペイン マドリッドのプラド美術館に多く収蔵されています。今回、「裸のマハ」と双璧を成す「着衣のマハ」が来てますが、自分の中ではゴヤ作と言えば「巨人」とか「我が子を食らうサトゥルヌス」の方がぱっと頭に浮かぶかな。この「着衣のマハ」のような画は、どちらかと言えばゴヤとしてはぱっと思い浮かばない感じだけど、実はこう言った風情の画も意外にも手がけていた時代があって、これは一時期マドリードでタペストリーの下絵師をしていた時期を経て、宮廷画家になった頃の作品らしい。(「黒い絵」群に顕れている様に) 暗い陰鬱な画面が多いような印象を持つゴヤだけど、この頃は明るい色彩の牧歌的な題材のものが多いようです。タペストリーの下絵だった事もあるのでしょうが、背景などは輪郭を標した程度のベタ塗りが多く、宮廷画家のような人は描き込むべきところは精緻に描き込むのだと思っていたので、その点では少し拍子抜けをした感はしましたが、そんな時代を経て宮廷画家へとなり名声を得る事になる訳です。「マハ」(maja)と言うのは人名ではなく、スペイン語で「小粋な女(小粋なマドリード娘)」の事を指します。展示室で近くにいたおじさんが、監視員に『何故今回は"裸のマハ"も持ってこなかったのか。』と尋ねてました。監視員はきちんと『プラド美術館の方針で、マハは1度に2枚貸し出しをしないのです。』と答えてました。(へー、そうなんだ・・・・。)
今回、この「着衣のマハ」が来るというので、色々なところでこのマハの露出が多くなってはいますが、このゴヤ展ではその殆どが社会批判や暴力、不条理や破壊などを描いたエッチングが大部分を占めています。批判や嘲笑が渦巻いていて、やはりこれをもって「ゴヤらしい・・・・。」と言えるのかとも思われます。そんな中で、自分として好きな作品をいくつかあげてみたいと思います。
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《 魔女たちの飛翔 》(1798)

これは油彩で描かれたものですが、静かな世界観の中でふわりと飛んでいる魔女、その腕に抱きかかえられた人物。それと対照的に地上に這い蹲るように重力を感じさせる横たわった人、白い布を被った人物それにロバが何かを象徴しています。ゴヤは1792年に病気で聴覚を失っていますが、この静けさに満ちた画面はそういった画家自身の状況がそうさせているのでしょうか。



《祖父の代までも》 ロス・カプリーチョス 39番 (1797・98)

ロバは愚かなものの象徴だそうですが、何となくこの滑稽さに眼が行きます。《祖父の代までも》と言う名づけられたこの画は代々続く人間の愚かしさをあざ笑っているように聞こえます。



《彼女は飛び去った》 ロス・カプリーチョス 61番 (1797・98)

画の全体を見ている限りでは、蹲って丸まった人物を足蹴にして飛び立っていく女性は幸せな印象もうけるのですが、その顔を良く見ると何故か浮かないような表情をしてます。 そこに何かゴヤなりの独特の皮肉が込められているのでしょう。


《飛翔法》 妄 13番 (1815・16)

試作の時は背景があったのですが、本刷りの時は全て漆黒で仕上げています。意図的なものがあったかは不明ですが、結果としてただ宙に浮いているような、一瞬ただ漂っているかのような浮遊感が生まれてます。その静けさの中でただ飛翔しているような雰囲気です。


《小牡牛の妄(馬鹿者たちの妄)》 妄 22番 (1816-19)

《飛翔法》を観た後、これを観て、ちょっと失笑めいたものがありました。漆黒の空間の中で音も無く静かに飛んでいるのが、今度は『牛』なのです。牛までも飛ばすか!(飛んでいる、と言うよりは、ストップモーションのようでもあり、漂っているようでもあり・・・・。)


ハナシの本筋は逸れるのかも知れませんが、今回面白かったのが、この画のタイトルのつけ方です。何を意図して、何を象徴しているのか、ストレートではなく判りにくいヒネッたものが多く、その題名を追っていくのも面白かったです。(しかも、叙情的で案外美しい。) きっとゴヤの内面に潜む闇のようなところから沸いてきたフレーズなんだと思いますが、その文章の面白さに思わず、(始めは日本語の作品一覧を手にしていたのですが)後から英語のものももらって来てしまいました。英語が面白いんです。(とは言え、英語も日本語もゴヤの西語を翻訳したのでしょうけど。)
先にも述べましたが、今回、「着衣のマハ」が来るという事で、油彩の作品では宮廷画家としての確固たる技術と実力(それと彼自身の自負)が判るものも多く展示されていましたが、やはり、宮廷画家は一種の職業的なものであり、見終わってみると「マハ」の印象は薄れ、ゴヤの抱えていた心の闇のようなものが浮き彫りにされているような、そんな感じです。「光」の部分に引き寄せられてやってきた人も、観終わってきっとこの「影」の部分を存分に知ることになるのだと思います。

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by sanaegogo | 2012-01-19 00:00 | art | Comments(0)


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