マン・レイ ―Unconcerned But Not Indifferent―
マン・レイ展 知られざる創作の秘密
Man Ray Unconcerned But Not Indifferent
2010年7月14日│水│― 9月13日│月│
国立新美術館


マン・レイ展。始まったときはまだまだ時間はたっぷりあるさ、と思っていましたが、あれよあれよと言う間に会期も残りわずか。駆け込みで観てきました。(って、いつもそんな調子の事ばかり言ってる気がします。)
マン・レイは、写真を絵画作品のように鑑賞したり個展・回顧展に観に行くようになっていたかなり以前、一度個展だったか?を観に行った事があります。ロベール・ドアノーやブラッサイ、ロバート・キャパやマグナムなんてを順当に知るようになり、モノクロームの写真に惹かれていた頃です。(10代終わりか20代始めの頃でしたかねー。)
今回の作品展に関して言えば、さしてインパクトと心動かされるものがあまりなかった、と言うのが正直で忌憚のないところ。結構膨大な数の作品が展示されていたんだけど、小作品が多くて、そして何となくですが内容が拡散している感じがして、写真家なのだとばかり思っていたけれど、実は色々やってた人なのね、と知る反面、そのどれもが突き詰めたり、掘り下げられていたりしてないような、充分でない感じがしてしまったのは、全くの私見だと思いますが。切り口とテーマが私の期待していたものと違っていたんだろうけど、やっぱり観たい作品はあったので、そんな写真を観に行く手のものではなく、マン・レイ中・上級者向けだったのかも知れません。最期の展示室で、彼のよき伴侶、ジュリエットの彼を回顧するインタビューがあったんですが、まだご健在で、時代を駆け抜けたアーティストにはやっぱり熱烈な女性・妻の存在は欠かせないものなんだなぁ、などと再認識しました。(ジュリエットはちょっとジャクリーヌ・ケネディー夫人に似ているような気がしました。)
自分にとっての新しい知識との出会い、みたいなものはありました。「ソラリゼーション」です。マン・レイが作品として確立したと言うソラリゼーションの写真は眼にしたことがあったのですが、”現像時に、露光をある程度過多にすることにより、モノクロの写真作品の白と黒が反転する現象”と説明されているのを見ると、その写真に対する見方というか、観点と言うか、が変わってくるのは興味深いです。作品そのものと言うより撮影方法に注目しますね。写真の歴史は他の科学技術と同じく、実験と試行の上に成り立ってるんですねー。写真家の思考回路にはやっぱり、理数系的なエッセンスが必要なのかも知れません。(ちなみに彼は製造図面のひける技術者だったみたいです。)あと記録ね。記録好きな人。そんな印象です。(彼も自分の作品や他の作家の作品を写真で記録してました。)それ(彼の思考回路?)を知らしめるのが今回の回顧展に流れるテーマなのでしょうけど、それはとても伝わってきて、興味深かったです。



人の作品を撮影して自分の作品になるとは・・・・・、こう言うこと?

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by sanaegogo | 2010-09-04 00:00 | art | Comments(2)
Commented by Frida at 2010-09-17 09:23 x
私もギリで飛び込んできたクチです。
なかなか点数が多くて、腰が痛かったす。

>あと記録ね。記録好きな人。
最近、私もフツフツ(?)と考えるんですよ。
記録ももちろんなんですが、
所有欲(必ずしも独占欲でなくてもいい)がある人…ってのも
あるかなぁと思います。
Commented by さなぁえ at 2010-09-18 03:02 x
>Frida
あのレオナルド・ダヴィンチ風の数式を画面いっぱいに描いたドローイングはとても気に入りました。
マン・レイはプロの中で評価する人が多いんですよねー。
ツウやプロに気に入られるって、万人凡人には響かなくても本物なんだろうなー、と思います。
所有欲ですか・・・・。 自分の中に取り込んでしまいたいとか?


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