William Kentridge(ウィリアム・ケントリッジ) @MOMAT


William Kentridge — What We See & What We Know: Thinking About History While Walking, and Thus the Drawings Began to Move... (ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた)
遅筆なので、もう展覧会は終了してしまっているのでしょうが、観に行ってきました。

これを知るきっかけは、Mr. Coburnとの何気ない会話だったのですが、『ウィリアム・ケントリッジ 何処かでやってるみたいなんですよ・・・・。』と彼が取り出したのはかのBig Issue。『へー、そんなの買うの。 社会貢献してるじゃん。』と私が言うと、『普段貢献してないから、こんなところで社会貢献。』と言うような事を言っていた気がします。 そんなやり取りも何故か印象に残っているのですが、意外なソースから自分の未知のものを紹介される(それが、テイストにあったものならなお更)こんな瞬間がとても好きです。
ケントリッジのアニメーションは、とてもローテクでありながら(あるが故に?)とても力強く、現代のハイテク、CG、3Dなどでは表現しきれない素朴な、余韻あふれる作品です。余韻を感じるのはきっと、チャコールで描いては撮り、練り消しで消し(削り)、また描いては撮る、と言う単純作業の時間の流れが感じられるのと、画面そのものにもうっすらと軌跡と言うか、さっきまでそこに描いてあった『跡』みたいなものが見え隠れするためだと思います。展開は唐突なんですが、常に流麗に流れているんです。南アフリカのアパルトヘイトや労働者の搾取なんかを扱った社会的な題材なのですが、何か扇動しようとしたり焚き付けたりしたりする、ありがちな『あまりにもキツいメッセージ性』(個人的にはちょっと苦手)が立ち過ぎてなくて、そこに静かで力強い、憂いを含んだストーリー展開があるからでしょう。物凄い膨大な量の作品が展示されていて、全部廻るのに2時間以上かかりましたが、その殆どを《プロジェクションのための9つのドローイング》のビデオインスタレーションとその原画の展示に費やしました。これは観応えがありました・・・・。
縞々の背広を着ているのは、その登場人物の"Soho Eckstein"なる実業家です。こう言う言い方は場にそぐわないかも知れないのだけれど、画としても秀逸なんです。この病室のカーテンのドレープと言うか、ギャザーと言うか、この筆致にはとてもとても感激しました。バックに流れる音楽も作品に立体感を与えていて、画は広がりを音は奥行きを、そんな感じの濃密に流れる時間を過ごしてきた感があります。






28107
[PR]
by sanaegogo | 2010-02-13 00:00 | art | Comments(2)
Commented by N at 2010-02-21 01:56 x
ローテク、素晴らしいと思います。
ハイテクってローテクのデジタルコピー?ってよく思うのです。
アナログを二進法に置き換えて、体温のようなものを感じにくくしちゃったの?
でもデジタルの世界で仕事をしているNはたまに戸惑うのが事実です。
Commented by さなぁえ at 2010-02-22 01:48 x
>N師
>ハイテクってローテクのデジタルコピー?
あ、それってそうかも知れませんね。 デジタル作業もマニュアル作業の集積ですもんね。
ハイテクに操られすぎて、自分の手に負えないところでやってくのは怖い面もありますよね。
因みに、マニュアル車からオートマに換えた時、自分で車を操縦している感覚がなくて、怖かったのを思い出します。


<< アイスバイン 鳩の巣箱 ―サンライズ出雲― >>