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少年と自転車 (LE GAMIN AU VÉLO)


Bunkamuraのル・シネマは、『レディースデイ』はないのだけど、毎週火曜日には料金が¥1,000.-になります。 毎週です。しかもレディースだけではなく、男性諸兄も対象なので、これは女性のみならず皆さんにとってお得で、粋な計らいなのですねー。
そんな訳で、今仕事がとてもSlowなので、火曜日に早引けをして、ル・シネマに『少年と自転車』を観に行って来ました。 前々から行きたいと思っていたものの、うっかりしていたら、この週の金曜日には終了してしまうので、慌てて出かけてきました。

少年と自転車 (LE GAMIN AU VÉLO)
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟監督 (2011年)

最近立て続けに2時間超えの長い映画をみていたので、上映時間が87分と知り、『短いっ!』と思ったものの、見終わってみると充分にストーリーは伝わっているし、そこでは語られていない部分がかえって『含み』のようになって、シリルのストーリー以外にさまざまな別のストーリーが隠されているようで、それにも少し考えを馳せたりしました。 シリルの母親はどうしたんだろう、生き別れたのか死別したのか、とか、サマンサは何故シリルの自転車を取り返してあげる気持ちになったのだろう、そこまで彼女の心を動かしたものは?とか。すんなりと里親になったり携帯電話を買ってあげたり、何か曰くがあるんだろうか、とか。いくつもの隠れたストーリーがシリルを取り巻くその状況を作っているし、その伏線となるまた別の様々なストーリーが凝縮されている、とも言えます。自分自身の原因で招いてしまった要因などひとつもないはずなのに、抱えきれないほどの悲しみや痛みを被っている11歳のシリルですが、一方では愛情を注ぐものを求めているかのようなサマンサにinvolveされていく事によって、少しずつ救われていきます。 この映画は実は、こんな風にいくつものストーリーが折り重なって出来ていて、同時に子供と言うものは、そんな大人の都合のストーリーに翻弄されてしまう受動的な存在なんだ、と強く思い知らされます。
物語中、シリルはいつも走っています。自転車であったり、駆けていたり、時にはサマンサの車に乗っていたり。 落ち着きがないと言うのではないけれど、動作が素早く鷹揚なところがまるでないのです。『お父さんと暮らしたい。』『お父さんのために盗んできた。』父親に対する言葉はぽつりぽつりと口にしますが、自分の感情は一切と言っていいほど口にしないシリル。でもこんな風に物語中常に疾走しているシリルを見ていると、その事で彼の心の叫びが伝わってくるような気がします。本当は『心温まる映画をみたい。』と思って出かけたのですが、そのような感じの映画でもありませんでした。オトナのエゴやシリルの自分ひとりでは乗り越えられない心の痛みや寂しさ、サマンサの真っ直ぐな母性とも言えるシリルをただ守りたい気持ちなど、曝け出された気持ちがぶつかり合って、物語は進みます。良い側面でも悪い側面でも登場人物はそれぞれの気持ちの根本の部分を曝け出しあって出来事のみが淡々と描かれています。間違った一途さが利用されてシリルは致命的な事件を起こしてしまいますが、色々な感情と真正面から向き合い乗り越えていきます。(ポスターにもなっていますが。) シリルとサマンサが自転車で川沿いの道を疾走していく場面の幸福に満ちたような表情は素晴らしいものがあります。その直後、手痛いしっぺい返しを被り被害者から復習めいた事をされ、更に再びオトナのエゴを見せ付けられるハメに陥るシリルですが、そこからものも言わず立ち去る場面で物語りは唐突に終わります。唐突ではありますが、そこにシリルがもはや昔のシリルのままではなく、サマンサから注がれている愛情によって確実にひとつ大人になった事が示唆されています。
いくつかの背景を持った登場人物達のストーリーがシリルを軸に互いにリンクし絡み合い、その事件を経て、またそれぞれのストーリーに戻って行くような、そんな映画でした。それゆえに抗しがたい状況に翻弄されていくわずか11歳のまだ少年のシリルが描き出せていたと思います。
個人的には、サマンサのあの母性愛がどこからやってくるものなのだろう、と言うのは気になりました。 あのような説明し難く、迷いも無くシリルに向っていくような愛情、寄る辺ない少年に注ぐ母性というものは、世の中のどの女性にも心の中にあるものなのだ、と改めて思ったりしました。(ワタシにとっては未だ、未知の心境です。)(母となる覚悟がある女性は強いのですね。) サマンサが何故あそこまでシリルを懸命に守ろうとしたのか。これはシリルの物語でもあると同時に、あからさまには語られていないサマンサの物語でもあるようにも感じます。

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# by sanaegogo | 2012-05-15 00:00 | movie | Trackback | Comments(0)
よい子のための写真教室 vol.4
もはや写真は、単なる『撮影』とか『画を創る』と言う域は脱していて、写真を素材としてた次のカタチ、写真を扱ってのアクションとか取り組みを表現する、そんな風に変容して行っている過渡期と言えるのだと思います。『何を今更』と思う人もいるかも知れませんが、これは単に、したり顔で、知った風に先端を行っているかのようにカッコつけて言いたい訳ではなくて、また、その変容を意識していない人を批判しているとかではなく、単に今更ながらの自分自身の気づきの点を記しているだけの事です。 やっと前々から取り沙汰されているそんな時流を肌で感じる、まさに「実感」、自分が実体験をする機会を得たのです。とりわけデジタル写真の普及と扱いが簡単になったカメラ機能の向上、それを受けたような形で膨らんでいく写真の「共有」に伴って、飽和状態に陥っているんですよね、きっと。その飽和状態、膠着状態を打破しようとしている人もいれば、ぱっと見の変化はないけど、だからこその存在感や安定感で魅せている人もいて、飽和と言う言い方も出来るし、百花繚乱と言う感じもします。またまたある側面からみると、絵画、静止画、動画、CG、デジタル、フィルム、2次元、3次元、造形、インスタレーション、建築など、ジャンルについても、「マルチ」「クロス」などと言われるように、常に複合的な要素があって、その境界線は曖昧なものになってきています。
と、滔々と既に多く語られている事をなぞってしまいましたが、さっきも述べたように、あくまでもこれは今更ながらの個人の実感で、「知ってるつもり」と「体験した」は全然違いますよねー、と言うハナシです。 (体験しても消化出来ていない状態ではありますが・・・・。)
さて、かなり前段が長くなりましたが、そんな訳で、今回は『ポストモダン』の世界に突入いたしました。 文字どうり『近代以降』、まさに『現代』です。 写真を撮影して目的とするだけでなく、方法や手段として用いよう、と言うような課題が出されました。セットアップして撮ったり、撮った写真を加工したり、はたまた自分で撮った写真を用いなくてもOKとか、『毎日の日常を気ままに撮ってます!』などと言う領域とは趣をまるで異にしているし、その領域に果敢に踏み込んでいく事こそがホンマ先生の、このワークショップの真骨頂なのだと思います。個人的には全く踏み入った事のない領域。 そりゃ写真を加工してカードにして友達に贈った事などはある。セットアップとかはとっても関心があるんだけど、未だにチャレンジした事はない。 そんな状態で自分にしてはとてもハードルの高い課題だったのだけど、結果もそれを表わすように惨憺たるものでした。 まあ、どの位惨憺たるものだったのか、ワタシの番(この日は全ての受講生の中でトップバッターでした。) のやり取りの様子は仔細に書くのは控えますが、タカザワさんに至っては一言も発せずワタシの番は終了。慈悲深い哀れみをこめた視線が目に焼きついてます。
自分なりに振り返ると、まず、良くなかったのは『取り組む姿勢』でしょうか。 時間はたっぷりあったのに、何をしようか考えあぐねていて、課題提出のその日中に仕上げて提出したのです。 他の受講生(班員)達からの『見た目』のウケは悪くなかったし、自分でも、小学生だった頃の”8月31日の奇跡” (夏休み最終日の8月31日のLast Minutesに素晴らしい作文や絵とかが仕上がって窮地を脱した事、ありませんか?) が久々にそして再び、などとちょっぴり高揚もしたんですけど。
『他の人のを観て、どう思いますか?』 ホンマ先生は理解不足の受講生には時々そう言う問いかけをする。で、ワタシもその問いかけを受けて、『短絡的だったと思います。』と言うしかなかったです。 この日の発表に欠落しているもの、それを自分なりに考えると、それは、段階を踏んだ手順とかプロセスみたいなものかなーと思ってます。見た目は良かったのかも知れないですが、そこに至るまでの試行錯誤が全くなく(当たり前です。『閃き』と言う威を借りたただの思い付きなんですから・・・・。)、観る人に画面を覗き込ませるような複雑な情報がまるでなくて見たまんま、判りやすいと言えば体裁がよいけど、観る人に意味を考えさせるような訴えかけがない、と言ったところでしょうか。 うすうすはこうなる事を予感してはいたのですが、やっぱり付け焼刃は通用しないんですね。 ホンマ先生にキレイに見透かされてしまって・・・・。反省してます。
発表の順番も相当不運だったと思ってます。順繰りに廻ってはいるのですが、この日はもう廻ってこないだろうと思っていたトップバッターで。1番目に飛び出したのが、全く課題を出した意図を汲んでいないので、ホンマ先生はコメントに窮しているようでした。 『他の人のを見てから、また戻ってきましょう。』と言って、そのままスルーされるかと思ってたら、本当に戻ってきてくれたので、それはそれで気持ち的に助かりました。 その日の流れを作るはずのトップバッター。 既に流れの出来ているところでの自分の順番だったら、駄目なりにもうちょっと食い込めたのかなー、とも思います。
自戒ばかりのレポートですが、提出した課題4枚です。 ポストモダン ― 加工する ―です。

『写真の視覚的なものにもうひとつ何か加えたら立体的になるのではないか、と考えました。自分の撮った写真の中から4枚選び出して、同じ声を付け加えて再撮影しています。歌手、外国人、架空の人それにおじさんです。同じ「オゥッ」でも何となく聞こえ方が違ってきます。PCの中での加工だけではつまらないので、噴出しをひとつ作って使い回して、あえて工作っぽくしました。』(それには理由があって、プロジェクター投影に堪えられるほどフォトショップを使いこなせてないから。あと、実は結構丁寧に再撮影してて、吹き出しにはスポットを当てて明るく浮き出るようにしてます。とほ。)









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# by sanaegogo | 2012-05-12 00:00 | art | Trackback | Comments(0)
GW 鎌倉の旅


GWは近江の国から久しぶりに上京してきたIGを伴って、相模の国の日本開闢以来始めての幕府所在地、鎌倉を案内して来ました。ランチに選んだのはそう、ロンディーノです。地元に住んでるとGWみたいな混んでいる時に鎌倉、しかも正攻法で横須賀線で鎌倉駅から攻め込む事など無いんですけど、ワタシも気持ち良い気候の中、昼酒なんてのを嗜みたかったので今日は電車で行く事にしました。ら、物凄い人なんですねー。江ノ電でロンディーノ最寄の稲村ガ崎まで移動したのですが、JR鎌倉駅から江ノ電に乗り換えるのにも長い長い行列が出来ていて、正直びっくりしました。 『行列の出来る駅』すごいな。
いつもは車で行くロンディーノ。 ここは老舗のとっても素敵な気持ちの良いタベルナです。ワタシの10歳離れた兄貴の世代(もっと前からか?)から、ここら辺でデートと言えばロンディーノ。子供の頃、両親が外出して子供達だけで夕食を食べるときなど、兄貴は弟妹達を連れて、ここより少しはファミリー向けの珊瑚礁(勿論『上』のね。)に連れて行ってくれたりしたはしたものの、「ここも美味しいよ。」などと言いつつ、ロンディーノには私達とは決して足を踏み入れようとはしなかった。きっと彼なりに家族と混ぜこぜにしたくない素敵な思い出が沢山あったのでしょう。 その気持ち、解ります。 オトナになってからワタシもデートにちょくちょく使わせていただきましたから。
ロンディーノもそれなりに混んでいて、(でもここはGWにも良く来てたので、だいたい予想はついていたけど)、並んだりしましたが、まだこの時は陽気もよかったので、地元のワタシは列で順番待ちを担当。IGには稲村の方まで散歩でもして来てー、と。楽しんでもらえたようでよかったです。
店に入ると窓側の席に通されLucky! 喉も渇いたので何かまずは呑もうかと、リモンチェロをソーダで割ってもらってごくごくと。 結構これ強いのですが、口当たりが良いのであっという間にグラスが空に。 ここんちは前菜やデザートを頼むとカウンターにあるショーケースを促されて、自分で見ながら選べるんです。 前菜を摘みながらグラスは2杯目に。 ま、ここはビールでしょう。



食事も楽しく済んだ頃から、にわかに空が掻き曇り、見たら土砂降りの雨。ここのところの天気の不安定なのはこの頃から予兆があったのですね。 今出ても濡れるだけだし、外を見たら屋根の無いところで並んで待っているお客さんもいなかったので、デザートをいただく事に。 ワタシが選んだのはこのサバランのようなブランデーがたっぷりと浸してあるケーキ。ティラミスと迷ったのですが、このひたひた感に誘われてしまいました。



ケーキとコーヒーをいただいているうちに雨も止んできたようですね。そろそろ出かけるとしましょうか。



海に雨が降っているのを見られるのも地元ならでわの粋な事だなぁ、とワタシはいつも思います。 雨粒が海の上に降ってきて海と交じり合うのです。 水が水の上に降るって、ちょっと不思議な感じがしませんか。 外に出ると沢山の雨を降らせていた雨雲がぽっかりと裂けて、青空が覗いてました。 まさに『覗いている』って感じです。




観光客ばかりだからとんと寄り付かなくなった鶴岡八幡宮。 ベタな観光でもやっぱりここは見せたいな、と思い、再び江ノ電にのって鎌倉へ。 いざ、鎌倉!です。
私自身、とっても久しぶりに訪れた八幡宮。 行きは小町通りを人ごみでもみくちゃにされながら人並みをかき分けるようにして進み、八幡様前の交差点まで辿り着くのに、店を覗きながらもあったのですが、大分時間がかかりました。 高校生の頃よく立ち寄ったクレープ屋さんのコクリコやピロシキのお店 露西亜亭などは健在。でもこの露西亜亭、記憶に間違いが無ければ、昔はテイクアウト専門ではなかったような。 ボルシチとか食べた記憶があります。八幡様の前は小さいながらもスクランブル交差点になっていて、渋谷とかと比べると小っちゃいので、ゼブラゾーンに無理があるような・・・・。



どんどん進んで、公卿の大銀杏の前に。樹齢は千年以上と伝えられて、源実朝が甥の公卿に暗殺された時、公卿が隠れていた、と伝えられています。だから隠れ銀杏とも言われています。2010年に強風が吹いて、何と!倒れてしまったのですよ! これは、2007年に西湘バイパスが台風で崩れちゃった時くらいの衝撃が走った出来事でした。



根っこの部分が辛うじて残っていて、もともと銀杏があった所の隣くらいに移植されていて、その切り株からも、地面に埋まった大銀杏オリジナルの根っこからも、小さい小枝が真っ直ぐに延びてきていて、倒れはしたものの、その生命はまだ健在と知り、安心しました。 多くの人の馴染み深い大銀杏のもとの姿になるまでは、あと1,000年かかりますが、また元気に緑の葉を付けてくれる事を期待します。



ここまで来たらお参りをせねば、と参道の階段を登り始めたのですが、こんなに急でしたでしょうか。こんなに高かったでしょうか。 記憶が曖昧になってしまうほど、最後にこの参道を登ってから歳月がたってるんでしょうねー。山門からは若宮大路の大鳥居や、由比ガ浜の海が見えます。今年の冬はこの社の裏手にある鎌倉アルプスを縦走してました。あの時の事から考えると、やっぱりこのくらい高い岡の上にあるって、そうか、と納得。 これからのワタシの行く末の安泰をしっかりと祈願して参りました。
本当は竹の庭でお抹茶が飲める報国寺や鎌倉五山のひとつ建長寺なども案内してあげたかったんですが、ここまで時間をたっぷり使ってしまったので、今度は若宮大路をぶらぶらしながら鎌倉駅へ。超ダイジェストな案内振りですが、改めて鎌倉は素敵な町です。 IGは江ノ電の駅や電車の車体や走る感じが、叡山鉄道にそっくりだ、としきりに言ってました。古都繋がり。どこか似たような空気感を持ってるんでしょうね、きっと。



鎌倉から渋谷まで移動。あと1名合流して渋谷で再会の杯を交わす事になってます。 渋谷までは湘南新宿ラインで乗り換え無しで1本。 ホントに昔からは考えられないほど便利になりました。 参道の屋台でおつまみにしようと銀杏を買っちゃいました。 渋谷の待ち合わせ NOS ORGのお兄さんに じろじろ疑わしい目で見られながらも、メニューにない銀杏をしきりに割って食べる私らでしたが、『大丈夫。ピスタチオに見えるから。』って、おい。ピスタチオもメニューに無いから。近江→相模→武蔵と旅したGW、IGちゃん、如何でしたか?
(因みに渋谷のNOSの人に訊いたのですが、やっぱり青山のNOSは建築法に違反してて営業が続けられず、ビルを建て替えてもあそこには戻ってこないんですって。 とってもカッコイイ ビルだったのに、残念です。)

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# by sanaegogo | 2012-05-04 00:00 | 日本のどこかへの旅 | Trackback | Comments(2)
100年記念写真展 ロベール・ドアノー


靉嘔展に出かけた日曜日は梯子をして恵比寿に移動し、写真美術館でロベール・ドアノーを観てきました。ワタシがモノクロの写真に憧れて、ぱらぱらと写真集を手にとって捲ったりとか、写真展に足を運ぶようになった頃に好きだった(今でもそれは変わりませんが)写真家の一人です。 ドアノー、ブラッサイ、ブレッソン、それらは多くの人にとっての「入り口」のような役割を果たしてきたのだと思います。

生誕100年記念写真展 ロベール・ドアノー
会場: 東京都写真美術館
会期: 2012年3月24日 ( 土 ) ~ 5月13日 ( 日 )

ドアノーも一度、大昔に写真展を観に行きましたが、その当時のワタシはとある写真家の撮った写真と言うよりは、作品=撮影者 みたいな見方をしていたと思います。なので、まとまった数のものを観るのは初めてで、ドアノーと言っても、かの「パリ市庁舎前のキス」と出てきてしまうのが正直なところです。今回改めてその足跡を辿りながら写真を観ていくと、「これもドアノーの写真だったのね。」とか、「こんな事もやっていた人なのね。」とか「こんな風に写真を撮っていた人だったのね。」とか、(自分にとって)新しい発見も沢山ありました。
ドアノーは、パリ郊外に生まれ、写真家となった後もパリ郊外に居を構えて、生涯フランスで過ごし、パリの、パリ郊外の数々の場面を写真に納めてきました。この当時の芸術家は大戦の後アメリカ生活を経験したりしている経歴の持ち主が多いのですが、ドアノーは一貫してパリを撮り続けていています。報道写真家としてだったり、レジスタンスと活動を共にしたり、ヴォーグ誌の専属カメラマンになった時は、社交界の虚栄に満ちた被写体を撮影するのが嫌で、夜な夜な社会の底辺近くで生活する人々を撮影して廻り、華やかな社交界とは対照的な世界に生きるパリの人々を生き生きと写しています。本人はかなり人見知りで内向的な性格の持ち主だったようですが、レジスタンスにしても、裏社会の人々にしても、そこに空気のように入り込み、カメラを意識していない様々な表情を抑えています。とは言え、全くのドキュメンタリー志向であった訳でもないらしく、「パリ市庁舎前のキス」は完全なセットアップだったと言う話です。しかしながら、ここではスナップだろうが、セットアップだろうが、あまりドアノーを語る上で重要な話題ではなく、ドアノーが紡ぎ取った、または、演出し作り出した日常の中のドラマのようなものがそこには見てとれる訳です。

ワタシがその大昔にドアノーを観に行って、とても印象に残っているのは、実は「パリ市庁舎前のキス」ではなく、「ノートルダムの怪獣」の1枚。 あまり多くの写真を観いていなかった当時の幼い私は、写真といえば、その場面を撮影者がどう見てるかを瞬間的に画に納めたもののように感じていたのだと思いますが、この「ノートルダムの怪獣」は寺院の屋根から見下ろしているパリの街並みがあり、タイトルになっている怪獣は画面の端っこに、それも後姿しか写っておらず、その写真は怪獣の見下ろしているその視線なのだ、と言うのにとても惹かれてしまったのだと、今では判ります。でも、その当時はそんな事を意識する事も出来ず、ただ漫然と「何だかこれ好き」と思っていたのでしょうね。
「国土整備庁の任務によるシリーズ」は最近の自分のトピックに准えて、とても関心を寄せました。 ひと気のない新興地をただただ記録しているそのカラーの写真は、まさに「ニューカラー」で、パリの人々や親交のあった著名人のポートレートなどとは対照的な印象です。ドアノーと言う人は色々と実験的に試みる人でもあった訳です。

≪ノートルダムの怪獣 1969年≫



ドアノーは『自分は内向的なので、人物を撮るにも正面から寄る事ができず、いつも遠巻きに撮影をしていた。 しかし、それが自分にとっては良い事だった。なぜなら、その事によって自分の写真には被写体の周りに空間が生まれて、その余白こそが自分が撮りたいものだったから。』と言うような言葉を残していますが、この言葉は印象的でした。 ドアノーの写真には確かに、彼の見つめる被写体を取り巻く空気感のようなものまで取り込んでいて、『対象物』だけではなく『場面』を鮮やかに描き出しています。

≪芸術橋の上のフォックステリア 1953年≫




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# by sanaegogo | 2012-04-30 00:00 | art | Trackback | Comments(0)
靉嘔 ふたたび虹のかなたに


靉嘔 ふたたび虹のかなたに
会場:東京都現代美術館 1F,B2F
会期:2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)

靉嘔(あいおう)は「虹のアーティスト」として知られていて、赤から紫までの可視光線(スペクトル)を重ねる「虹」をモチーフとして、と言うか、「虹」をメディアにして作品を生み出していると言ってもよいかも知れません。初めての回顧展と言う事だけど、とにかくその出展数の多さ、そしてその全てに溢れる生き生きとしたエネルギーのようなものを感じ、観終わった後は何となく、夏のビーチに日光浴に行った後のような心地よい疲労感みたいなものを感じた気がしました。 時々展覧会のご案内をいただく知人から、『娘が企画した展覧会だから』と言ってチケットをいただいたので、何の気なしに出かけてみましたが、とても面白く、楽しく、良い回顧展だったと思います。
展覧会に出かける前、ちょっと調べてみたら、靉嘔は茨城県に生まれた、と略歴に書いてあったので、日本籍の中国の方かと思っていたのですが、その名前は本名ではないようですね。名前の由来は、当時よく描いていた雲にちなんで、雲がたなびくさまを表した靉靆(あいたい)と言う言葉からから「靉」を、また「嘔」は当時夢中で読んでいたサルトルの小説「嘔吐」からをとって来て、「靉嘔」としたそうです。もっと言えば、この「あいおう」と言う言葉のサウンドも、ア行の中から友達の間で人気のあった音を順番に組み合わせたと言う事らしく、何ともシュールでちょっと刹那的な、若者らしい名前の決め方のように思います。『新たな造形や価値の創造を自らに課し、その誓いを心に刻むつもりで改名した』と靉嘔さんは振り返っています。
靉嘔は、日本では池田満寿夫らと共にデモクラート美術家協会に参加して、明るい色彩と力強い画題で躍動する人々を描いた数々の油彩画を発表して注目され、その後ニューヨークに渡り、知覚以外の感覚にも訴えるようなインスタレーションを制作し、絵画の枠に囚われずに活動するようになります。オノ・ヨーコにジョージ・マチューナスに紹介される事がきっかけで、フルクサスに加わって、当時のニューヨークの前衛的な芸術家と交流していくようになります。この靉嘔展ではこの頃のフルクサスでの写真も展示してあり、若き日のジャンヌ=クロード・クリストなどと一緒に写真に納まっているのもみる事が出来て、なかなか興味深いものがあります。
Pastoral, 1956


とにかくその出品数の多さには圧倒されます。どの時代の作風(スタイル)もかなり大判のものばかりで、どばーーんっとして迫力があります。単純な線で描かれているのに躍動感があり、特にスペクトルのみで画面を表現するようになってからも、青、藍、紫と言った寒色の重なりと線の丸みと光の帯の幅のみで立体感や奥行きを巧みに描き表していて、システマティックでもあり、自由な表現の中で躍動的に描かれているのですが、どこか毅然としたルールに則っていたり、統制されている中で表現されているようであったり、そんな枠の中をたっぷりと使ったある種の特殊な自由のような感じがします。「躍動感」と「統制」と言う相反する要素が全体に亘って混在しているのです。


300 meter Rainbow Eiffel Tower Project, Paris, 1987
Photo: Kenji Mizuyachi

現在のなお続くその旺盛な制作意欲と自由闊達な発想を存分に味わう事の出来る回顧展でしたが、コンテンポラリーの醍醐味は同時代であるが故にその制作活動がこの先も続いていく事を見続けていくことが出来る事です。 今回も、サンデー・プロジェクト/靉嘔によるワーク・イン・プログレスと言う企画が地下の展示室で行われていて、これは、「シジフォスの神話」と言う作品を靉嘔自身が、毎週日曜日の午後、オブジェクトを並べ替えるパフォーマンスを行うという、まさに in progress なインスタレーションも見ものです。この日も日曜日だったので、靉嘔その人が姿を現し展示室の床に並べられた七色のオブジェクトを崩し、また、新たに異なるものを作ると言う作業を見せてくれました。フルクサスのように半ば歴史の中に取り込まれている部分と目の前でこうして作業をしている部分。そのコントラストは何だか感慨深いものさえありました。


コンテンポラリーの展覧会と言えば、キュレーターの意図したテーマのもとに数名の作家の作品群を観せていく、と言うものが多く、それもそれで面白いのですが、やっぱり回顧展とか、ひとりの作家の個展でしかもこのように作品数が豊富であるとインパクトもあり、面白いですね。

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# by sanaegogo | 2012-04-29 00:00 | art | Trackback | Comments(0)
複雑な心境の仙台視察でした
26日、27日と仙台に出張に行って来ました。秋の案件が日本の復興をアピールするもので、その関連の視察が仙台市内で行われるので、そのサイト・インスペクションです。仙台市内は桜が満開で、行きの新幹線の中では、仙台も含めて東北に桜を観に行く旅行会社のツアー客で溢れてました。仙台市内はワタシが東京で体験しても恐ろしいほど揺れたあの揺れよりももっと激しかったはずですが、1年経つと市街地はもうすっかり平常どおり、と言う感じでした。でもちょっと車を走らせて海のほうへ行くと、そこには明らかに震災の爪痕が未だに生々しく残されています。 仙台空港。滑走路を流されていく飛行機を見たときの衝撃は忘れられません。到着ロビーの柱にはワタシの身長の遥か上のほうに、『津波到達の水位』と言う線が示されていて、あの高さまでもし今水があったら、ワタシは水の底に沈んでいるんだ。水面まで浮上するのにあんなに距離があるのか、と、子供の頃、大波に呑まれてもみくちゃにされて、上も下も判らなくなった時の感覚を思い出して、恐ろしくなりました。でもあの頃は無邪気にもそうして遊んでたんです。津波で校舎が孤立してしまったあの荒浜小学校へも行きました。校舎は無残にもめちゃめちゃになっていて、かつ校庭は周囲から撤去して集められてきた農機具や自動車、バイクの集積所になっていました。何ともやり切れない光景です。閖上にある日和山にも行きました。平地の中にぽっかりと小高く小山があって、そこはもともと地元の信仰の場所だったようですが、山の上に上がる階段の手すりも大きな力でもぎ取られていました。山の上には地元の小学生が桜の木を植えたのですが、辺り一面何も無くなっているので、海からの風が直接桜に吹きつけ枯れかけてしまったそうです。元気になるまで他の土地で療養しているので、安心してください、と小学生からのメッセージがありました。
秋の案件でどのように復興しているか、を日本の内外から来た会議参加者に見てもらうのですが、復興して平常化しているところ(例えば塩釜港なども訪れたのですが)を見せるだけではアピールが足りない。やはり、ダメージや災害の痕跡が残るところにも案内して、そのコントラストを伝えるのが判りやすいのではないか。そうすると秋まで先ほどの荒浜小学校の無残な墓場のような光景やあちこちに積み上げられた瓦礫やそれを整備しているクレーンやブルドーザーなどはその時期まで残っているのだろうか。と言うような別の懸念事項もあり、大きな矛盾を孕んだその事実は心境的にとても複雑なものでした。殆どの家が流されてただっ広い平地になってしまった集落に人々が戻ってきてもとの生活を営んだり、一階部分が柱だけでむき出しになり、明らかに誰も住んでいないようなぽつんぽつんと残された家の復旧がそんなに簡単なものではないのは事実なのです。海外の人々にアピールする事よりも最優先されるべきで、秋にはもっともっと今よりも復旧している姿を見たい、と思うと、そんな事を考えざるを得ない状況に罪悪感を覚えてしまいました。もちろんそこに居合わせた誰しもが、秋までこのままで、と思っていた訳では決してありません。 そこに言いようもない矛盾があるのです。秋は秋で、その時の状況を大きく復興のアピールにつなげられる様に、もっともっといい形になっていて欲しいと切に願っています。

塩釜港






荒浜小学校
















閖上地区





日和山の上から





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# by sanaegogo | 2012-04-27 00:00 | Trackback | Comments(0)
よい子のための写真教室 vol.3
「よい子のための写真教室」3回目に行って来ました。1回目は福島の現場中でしたが最終日だったので、今回は現場中ではあったものの横浜だったので、全回出席が原則のこのワークショップ。綱渡り的に出席できてます。 今回の課題は、「ニューカラー」。これはホンマ先生独特のカテゴリー分けで、1981年に出版された『The new color photography』と言う写真集に由来していて、その写真集には凡庸な風景や何と言うこともないモノを曖昧に狙って撮影した写真が納められています。撮影者の立場や立ち位置をはっきりとさせず、客観的でありながら撮影者独自の視点を顕した写真です。少し混乱します。まず、この「客観的」と言うのと「作者独自」と言うのが矛盾するような気がするし、「どう写真を撮るかというよりもどう世界を見るか」、と言ってもその「見方」はあくまでも客観的なものとされていて、そこに撮影者の主観や意図が入る事は想定していません。あくまでも中立的で無機質な立場で覗かれた世界です。代表的な写真家で言うと、スティーブン・ショア。隅々までピントがあった均一で等価な画面で郊外のニュータウンやスーパーマーケットやレジャーランドのような無機質で味気ない街の風景を『Uncommon Places』と言う本に纏めています。ニューカラー双璧となるもう1人が、ウィリアム・エグルストンです。エグルストンは1976年に初めてMoMAでカラー写真による展覧会を行った写真家でこの人をもってミスター・ニューカラーと言わしめたニューカラー魁の人、先鞭をつけたニューカラーの旗手です。そう言う意味では、ショアの映し出した等価値の世界観はどちらかと言うとニュー・トポグラフィックスの趣を多く含んでいるのだ、と色々整理した今では判ります。でもこの課題を与えられた時、どちらかと言うとショアの写真に物凄く引っ張られてしまいました。ワークショップの中で、ショアか、エグルストンか、ショア的か、エグルストン的か、と言うのが多く語られましたが、多分、多分ですが、ワタシはエグルストンの写真の方が普段の自分のスタイルに近く、これまで撮ってきた写真も断然エグルストンだったんですね。で、逆にショア的なものにとても惹かれて、ワークショップでお題を与えられて、そのために撮影をするのであれば普段の自分でないスタイルで出してみたいな、と漠然と思ったんだと思います。でもエグルストン的視点からはいまひとつ離れることが出来ずにごちゃまぜになってしまった。ニューカラーと言われてまず頭に浮かんだのは、この写真でした。で、まずこれを出した訳です。



前回お題を与えられてもいいのが出てこずに、過去のライブラリーの中から何枚か提出した経緯があるので、これではいかんっ、と思って今回はちゃんとカメラを持ち歩いてWS用に撮影する事にして、その中での1枚目がこれ。





でもこれって、(前の写真もそうですが)、広い画ではありますが画面が等価値ではなく中心が生まれてしまっています。(中心と言うのは、文字通り『中心』と言う事ではなく、注目点、注視するポイントが生まれていしまっている事。) ニューカラーと言えば、色の重なりとか色で構成されている画面が真骨頂なのですが、色のバラエティーがなかったので、この水色のポールの写真がきっかけでシリーズで撮影する事に。



この赤いポールの写真は、かろうじてニューカラー的に引っかかったようです。ランダム(に見える)な配置が面白くて、色々な角度から撮影した中の一枚がこれです。画面の調子も飛んでしまっていて、これは結構『もらいっ!』と言う感じで、当日のウケも良かったように思えます。



ホンマ先生に自ずから、『これは一番よくないです。』と言われたのがこの写真。実は課題提出の写真を選んでいる時にこの(↓)写真と迷ったのですが、last minutesで上のにしてしまったのですねー。ちょっと後悔。この写真には「無意味さ」みたいなものはなにも無いです。



他にも何枚かあったんですが、あまりどんぴしゃな感じが持てなかったので、シリーズで何とか全体の雰囲気作り、と思ったのが間違いでした。ここで割愛した写真も、上の黄色いコーンの写真も出して後悔しました。

ホンマ先生は、スルーする写真はあっけなくスルーしてしまうし、自分に響く写真に関しては物凄くコメントしてくれます。でも今回のように写真を見たまま比較的黙り込み、果てはタカザワさんに『困った時には振る・・・・』と言って振られてしまって。ま、でも良い意味で解釈すれば、ホンマ先生の中にもやもや感を残せただけでも、スルーされるよりは励みになったかな、と。そんな中でも『写真としてカッコイイだけど、上の消失点まで入れない方が断然ニューカラーだったかなー。』と言ってアドバイスをいただいたので、試みにそのようにしてみました。 確かに・・・・。今回提出の写真はどれも説明しすぎ、意図が判りすぎ、と言うコメントをホンマ先生からもタキザワさんからもいただきました。こうすると、ぐっとニューカラーな感じがして来ました。



大胆にもばっさりとやってみました。 この切り方はアドバイス無しではなかなか成し得ません。でも確かに空間の感じとか距離感とか、曖昧な無意味さはぐっと増してます、



『これも奥まで見せない方がよかった。』とアドバイスされて切ってみました。『ここだけの視線』がよりクローズアップされるようになりました。
ここで、自分でも誤解しないようにしたいな、と思うのは、写真の良し悪しを言われている訳ではなくて、あくまでもワークショップのお題であるニューカラー的かどうか、と言う観点で物事は語られてます。なので、何でもカンでも自分の写真をこのようにすれば良い、と言われている訳では決してない、と言う事。それをすると混乱の元だし、自分のスタイル、志向(嗜好)を超えたところでいかに与えられたお題を遂行できるか、と言う事がワークショップなどに参加する醍醐味なのだ、と心得ました。そう言う意味では、今回のお題は、ぱっとしない結果には終わりましたが、課題に呼応して撮影したこと、自分なりに課題にあうシーンを探したと言う作業が実行出来た事はよかったと思います。
最後に、ニューカラーのキーワード:
どう写真を撮るかよりどう世界を見るか、距離感、空間、レイアウトの関係性、無意味なものに存在感を与える、色の重なり、uncommon、等価値、中心(注目点)がない、客観性、撮影者の立場をはっきりさせない、色を構成する、平面的、自分だけの発見、自分だけの視点、意味から離れる
など。 ニューカラー、踏み入れば、本当にその奥は深い深い感じです。

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# by sanaegogo | 2012-04-14 00:00 | Trackback | Comments(2)
HIGASHI-YAMA Tokyo (ヒガシヤマ トウキョウ)
何度も同じような事を言ってますが、今年ほどお花見が凝縮された年もきっと無いでしょうねー。ワタシ自身で言うとこの土曜、明けて月曜、そしてこの火曜日。3日間だけでした。夕暮れの「青い時間帯」の下のぼんぼりに仄かに照らされた桜、で、ハレーションの桜、そしてこの度は「夜桜」です。翌日からの缶詰仕事への鋭気を得るために、無理繰り時間を作ってやってきたのは再び、目黒川です。桜はようやく咲いた感じではありますが、夜の漫ろ歩きはまだまだ何となく肌寒い感じがします。夜の桜は妖艶で、それはそれで、いと美し。もっともっと時間があれば、車を飛ばして山桜や野に咲く一本桜とかも観に行ってみたかった今年ではありますが、降って沸いた思わぬスケジュールの関係でそれも叶わず。でも来年も再来年もこれからも桜は咲くでしょうから、そのお楽しみは無理せず出来る時(翌年以降)に取っておくこととして、今年はこれで見納めとすることにします。








遅めに漫ろ歩きを始めて、やって来たのはHIGASHI-YAMA Tokyo (ヒガシヤマ トウキョウ)。ここはお花見の度に何度か立ち寄ったり、予約を入れようと試みたのですが、いつも叶わず、でしたが、今日は時間が遅めだったので上手く予約が取れました。(JK、ありがとう!) 一見外からはお店だとは気がつかないような隠れ家のようなラウンジです。店に着くと、カウンターではなくて「とても落ち着くテーブル席」を用意してくれるとの事。これも遅い時間の役得でしょうか。でも、お店のメニューが変更になっていて、アラカルトでオーダーを受けることは、ちょっと前から止めてしまったそうで、基本はコース。で、私たちは、コースを2人別々のものでオーダーして、それを2人で分ける事に。どれも美味しそうなものばかりでしたが、春の晩餐らしく、菜の花、筍、空豆、ホワイトアスパラなどがいい感じで食せるようにお料理をチョイス。美味しくそして春らしい宴の席となりました。季節には季節のものを食さねばね。



前菜のひとつだった、春野菜の十点盛り。上品で可愛らしい・・・・。



取り皿には金魚が描かれていて、その可愛らしさに思わず1枚。 ここんちの前庭の池にも金魚が泳いでました。 春を通り越して夏の風情ではあるけれど、可愛いです。

何だか忙しくなってきちゃったなぁ、と思うときでも、気の持ち様で、間隙をぬいながらでもこうしてリラックス出来る時間を持てる事がとても大切なのであります。

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# by sanaegogo | 2012-04-10 00:00 | お店@恵比寿 中目黒 | Trackback | Comments(0)
桜 was fogged by halation
先日の雨で桜もすっかり散ってしまいましたが、今年は寒さで花が遅かったけど暖かくなったらぼんっ!と満開になった反面、新芽・新緑が出るのもとても早く、満開なのに葉桜な感じで、例年の桜とはまた感じが違ったようです。毎年毎年、『今年の桜は何色だった?』と自分に質問をしていますが、今年は若々しい新緑を伴って、一斉に咲き誇るような、ハラハラと散る儚い春と言うよりは5月の新緑の骨太の生命力にイメージが近い、そんな桜の色なような気がします。
今週の中頃から仕事で某所に缶詰になるのでその前に、と思ってこの日は久々に一眼を携えて出社。お堀端に咲く桜並木を撮ろうかと思い立った訳です。ただし、普段の仕様で数枚撮ったものの、ここの桜ももう毎年毎年かなり撮りためているので、(それも似たようなものばかり)、今年は趣向を変えてこんな感じで・・・・。 春の日差しの中で、桜の花のハレーションです。















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# by sanaegogo | 2012-04-09 00:00 | つぶやき | Trackback | Comments(0)
お花見@目黒川
沈丁花の花と桜が殆ど一緒の時期と言う年も滅多にないと思いますが、つい昨日まで鮮やかに香っていた沈丁花の匂いも桜の花の勢いにかき消されてしまったようですね。
日本人の桜に対する思い入れ、季節に咲く花にこんなに熱狂する国民もまず他にいないだろうといつも思うのですが、ひとつになれるシンボリックなものを求めているのでしょうか。そして万人のシンボルとなれるものはやっぱり、撫子の花でもなく、八咫烏(ヤタガラス)でもなく、ましてやサムライでもなかった訳です。(って言うか、侍は巷にはもういないし・・・。)(そう言う意味では3本足のカラスも・・・・。)
今年は桜が遅かったせいもあり、じらされていたような気持ちになっていた人々はこの土日どっと花見に繰り出したようです。勿論ワタシもその1人。毎年恒例になりつつある目黒川に行って来ました。今年は臨時改札まで出来ていて、本当に年々、年々大騒ぎになっているような気がします。目黒川の両岸はベンチなども殆どなく、出店が出て色々なものが売っているのですが、それを落ち着いて食べる場所もない。でも皆さん、私たちを含め、片手にビールやホットワインを持ち、片手に屋台で売られている様々な美味しいものを持ち、川の両岸をサーキットのようにぐるぐるぐるぐる廻り、時々ある橋の上で桜の接写をしたり、幾重にも重なり合う桜の奥行きをカメラにおさめている訳です。ワタシはこの目黒川の桜の写真は今まであまりにも撮りすぎていて、流石に今年はあまり触手は動きませんでした。これまでには無い感じのにしようと思ったので、敢えて夕方を待って。夕暮れ時の空は少しの間だけ、物凄く青が濃くそして綺麗な色に写る時間帯があるのですが、それは昼間の青空とはちょっと違っていて、舞台のライティングのように作り物のようであり、イタリアのフレスコ画のようであり・・・・。そんな桜の風景を撮影してみました。(って、ホントはですね、夕方から待ち合わせをして、先ずは腹ごなしとホットワインとフランクフルトとビールを呑んだり食べたりしてしまったので、そんな時間のしか撮れなくなっちゃった訳なんです。)







この後、軽く食事をして久々に VENENCIAに行きました。ここはシェリー酒を出すシェリーバーで、ちょっとした手解きとかもしてくれます。ここの牡蠣のオリーブオイル漬けが絶品で、それが食べたくて立ち寄りました。漬け込む時にシェリー酒も少し入れるようで、濃厚な牡蠣の旨味がぎゅっと凝縮されて本当におススメです。きっと下処理とかをかなり入念にしなくちゃいけないだろうから、家庭ではなかなか作れない「自家製」なんだと思います。季節は寒い寒い冬から突然桜の季節になりましたが、今年の冬は何だかとっても「冬」を堪能した気がします。そんな行く冬の〆としてのこの牡蠣のオリーブオイル漬け。いい流れです。

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# by sanaegogo | 2012-04-08 00:00 | 日本のどこかへの旅 | Trackback | Comments(0)
AIT Talk Event "Art at SUNDAY" on Saturday
3月は、期せずして予定していなかった仕事を引き受けることとなり・・・・。3月の頭に福島に出張に行ったら、再び暫く春休みを謳歌するつもりが、怒涛のように仕事をするハメになってしまいました。2006年から続けているこのブログも、ひと月のエントリーがたったの2件、何てことは史上初めてで・・・・。まあ、これもある意味、新しい展開なのかと思い、良しとする事にしました。判で押したように同じ事を繰り返しているよりは、こう言ったイレギュラーな事も、後になって『あぁ、あの時は・・・・。』とインパクトのあったものとして心に残っていくものなのでしょう。取分け今年は、先を見据えながらも、目の前に沸いてきた自分に良い刺激を与えてくれるような事案には、チカラを入れて取り組もうと思っている年です。無計画なものを想定の内に取り入れつつ進む。上手くは言えないですが、そんな感じです。そうして行くうちに、きっと進むべくして進んでいく方向に自然に向うような感覚を感じています。あらゆる選択肢と可能性を排除しないで進んで行けば、自ずと向うべき道は決まるだろう、と、そんな感じです。



3月の仕事がここで一段落したので、ちょっと疲れもありつつ振り返って、前置きが長くなりましたが、三宿のギャラリーカフェ SUNDAY で行われたAITのトークイベント 「Art at SUNDAY」 に行って参りました。テーマは「アートを仕事にするために!」という事で、AITの修了生の中からその希望を叶えたお2人、SCAI THE BATHHOUSEのギャラリストの卵、今井曜子さんと日本経済新聞社でアートレビュー面を担当している柳下朋子さんがパネリストとして迎えられています。会場になったSUNDAY ― CAFE ART RESTAURANTは、コンテンポラリーのコレクターのオーナーが営んでいる素敵なカフェで、今度はランチにでも来てみたい感じです。ご近所のご家族連れがたくさん来てました。その奥のギャラリースペースでトークイベントは行われた訳ですが、実はワタシ、この「アート」と言う言葉を頻繁に使用することに多少の気恥ずかしさを感じる帰来があります。なので、この手の話をプライベートでする時は、『文化芸術』みたいな言葉を使ったりして、でもそれとも何だか違うし・・・・。どちらも何だかしっくりしないんですよねー。ま、これは余談ではありますが。今井さんと柳下さんはどちらもAITの修了生ではありますが、バックグラウンドと今のステイタスは全然違います。柳下さんは美大を出て制作を行う側として教育を受け、学芸員の資格も持ち、今は新聞社で中立的な立場でレビューを書いています。言わば評論家の卵でしょうか。今井さんは、全く芸術学部系とは違う学部を卒業して、民間企業の営業職をして、畑違いのところで育とうとしていたのですが、きっかけがあって、アートマネージメントのディプロマをイギリスで修めた後、コマーシャルギャラリーで営利に関わる立場で働いています。これって、端的に業界の縮図を顕している様に思います。純粋に真価を問うていく立場と、語弊はあるのかも知れませんが、そこに商売の要素を含んでいる立場。一口に業界で働くと言っても、一言では語りきれないのはそういった理由なのだと思います。
AITは所謂美術の教養講座と言うのではなく、コンテンポラリーにフォーカスした教育プログラムを行ってますが、お二人が何故コンテンポラリーだったのか、と言う質問に対しては、その作品の制作を行っている作家と実際に話をして色々とコミュニケーションできる事、これからどうなるかも判らない新進の作家を世に送り出していく事、今後(後世)の歴史の中で自分が作家の誕生に関われる事、が仕事が醍醐味だと言ってました。どんな立場でこの業界に関わっていたとしてもきっとこれは共通して言える事なんだと思います。歴史の中で生まれてそして動き始めたもののダイナムズムみたいなものを感じているんでしょうね。いずれにしても、この業界で職を得ていく素養としては、学芸員の資格の有無はさて置いて、しっかりと美術史の知識を有している事。(歴史の文脈の中で認識していると言う事は重要な事です。) あとは英語が出来る事。だそうです。海外のアーティストとコミュニケーションをとるのに、通訳を介してよりは自分の言葉のほうがより良いと言う訳です。



ワタシ自身がこの業界でやっていけるとしたら、今までの実績と経験を生かして展覧会の準備の進行管理やコーディネーターの立場で関わるか、それか、レビューとか記事とか何か取材をして文章を書いていくような感じになるのでしょう。いずれにしても、出来る事からはじめる事とその機会を得る事ですね。それに尽きます。その流れに乗って流れ始める事です。今日はそんな事を改めて感じました。

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# by sanaegogo | 2012-04-07 00:00 | art | Trackback | Comments(0)
よい子のための写真教室 vol.2
ホンマタカシさん主宰の『よい子のための写真教室』は今回で2回目。前回の1回目は受講生の自己紹介とテキストである『たのしい写真―よい子のための写真教室』の導入部分の講義がありました。前回ホンマさん(今後はホンマ先生とします。)は、「ブログやツイッターで事細かく書かないでくださいねー。」と言ってましたが、ま、全体像のリポートと言うよりは個人的な個人の提出作品についてのやり取りの記録と考察(?)なので、ま、いっかなー、と勝手に思うことにしました。お題の内容はテキストとなっているその著作を見れば何となく判るような気もするので、これもオフレコ勝手に解禁で。第2回までの課題は、『"決定的瞬間"を撮影せよ!!』と言うもので、そのお手本となるのはもちろんかのアンリ・カルティエ=ブレッソンです。ブレッソンは1932年から1952年に撮影された写真を集成して1952年に『決定的瞬間』を出版しました。この『決定的瞬間』は、仏語英訳の"The Decisive Moment"を和訳したものなのですが、そもそもの原題(仏語)は、"Image à la sauvette"で『逃げ去る映像』の意味だそうです。(因みに、この"Image à la sauvette"をGoogle翻訳してみたら、『ちゃめっ気たっぷりの写真』と出てきました。『逃げ去る映像』も意訳なのかな?)『決定的瞬間』を何とするか。この捉え方がそれぞれだったのですが、期せずしてこの『ちゃめっ気たっぷり』と言うのがブレッソンの写真の反復と同調のリズム感、流れる情景の一瞬を面白味、楽し味を込めて切り取った愉快爽快さをよく顕している言葉だったな、と感じます。ホンマ先生になぞなぞ的に、何がブレッソンっぽいか、と問われ、色々と答えを探しましたが、自分としての答えは・・・・、「流れるように目の前を過ぎていく光景の一瞬を、おやっ!とか、あれーっとか言う絶妙の構図を一瞬にして切り取り、そこにリズムや躍動感や、止まっている対称だとしても画面自体の動的な雰囲気を醸し出そうと試みる事。例えば、8mmフィルムとかだったら、次のコマが想像できるような、期待できるような、そんなヒトコマを撮影する事。『決定的瞬間』って、"構図の妙"と"次の瞬間の展開への期待感"っていうか、そんな感じだと思ってます。ブレッソンのそれを一瞬に感じるチカラはスゴイです。感覚的なものも必要なんでしょうねー。」と言うところで落ち着き、過去のライブラリーの中からいくつか選択してこの日に臨んでみました。

まず1枚目。


電車の中で眠りに落ちて、目覚めたら自分以外全員が男性、そして乱れまくって寝ていたのです。意識するより咄嗟にカメラを出して撮影しました。あの時の反射神経は自分でも今でも驚くし感心します。ブレッソン的瞬発力です。反復などのリズム感はないですが、余りにも乱れた構図がある種の破壊的リズム感を出してます。前回課題を撮影してくるように、と言われたにも関わらずの半袖の写真は、以前のものだと言う事は一目瞭然。なので、撮影者コメントの時に、「ブレッソンのような街撮りスナップを撮りたくて、カメラを持ち歩いていた時の写真です。」と聞かれてもいないのに言い訳・・・・。でもそれは事実、本当の事なのです。ブレッソンは余りにも魁過ぎて、今となってはもうある種の年配の方々に熱狂的なファンを残すのみ、とホンマ先生は言ってましたが、ワタシ自身を振り返って考えてみれば、ワタシも今でもその街撮りスナップに傾倒・熱中している訳ではないなー、と今日改めて感じました。きっと、どんな世代の若者でも音楽(今は洋楽って言葉はあるんでしょうか。)を聴き始めた年頃の頃、その入り口は何であったにせよ、ビートルズやストーンズまで遡って、辿ってきた道筋をなぞり直すような好奇心に襲われ、そして動かされるけど、ワタシにとってのブレッソンもきっとそんな感じに近いのだと思ったりしました。
本当はこれは自分にとってはトッテオキの写真だったので、これまでこういったワークショップ系のものに提出するのは控えていたんですが、ホンマ先生だし、出し惜しみをしている場合じゃないな、と『決定的瞬間』として提出した次第です。Esquire Digital Photograph Awards の最終選考にも残った記念すべき1枚でした。残念ながらダメだったんですが、『受賞した際のコメントを用意しておいてください。』とメールをいただいて、舞い上がったもんでした・・・・。それと同時に今回これにこの1枚を提出した事によって、この頃の呪縛から解き放たれたような気も、何だかしています。


本当は出そうと思っていた写真が、以下の3枚目も含めて分散拡散型(決して嫌いではない、むしろ好き)の画面だったので、急遽これに変更しました。両足が上に上がっているのにぴたっと止まっているような、だけど画面からはみ出しそうになっちゃって、画角から飛び出してどっか行っちゃいそうになってるおじさんのポジションが面白くて、(今なら「おちゃめ」と言う表現を使おうかしら。)出しました。これも半袖丸出しで、課題遂行しなかったの、バレバレですね。


因みに、最後まで迷ったのがこの写真。原宿です。拡散画面で好きな写真です。 この写真に関する評価は終ぞ知れず・・・・・。 制限された枚数に絞り込むのは、いつもながらToughな作業です。


3枚目はこれで、ブレッソンの写真の中に、いくつかの窓からオンナの人が顔を出しているものや北京での窓の写真、それに紳士が(確か・・・)電車の窓っぽいところからこちらを見ているのがありますが、それにインスパイアされていたと思います。結構この写真も好きです。サンライズ出雲を撮影したものです。これは駅のホームにいたら偶然やってきた写真を咄嗟に撮ったものですが、チャンスがあったら、もう1度、真正面から撮影しに行ってみたいものです。

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# by sanaegogo | 2012-03-25 00:00 | art | Trackback | Comments(0)
Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち


バックデートにはなりますが、『 Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』を見てきました。ピナ・バウシュは2009年に急逝したドイツのヴッパタール舞踊団芸術監督兼振付家にして、天才舞踏家と呼ばれていた、コンテンポラリーダンサーで、亡くなるわずか6日前に癌を宣告されたと言う話を知り、胸が詰まる思いがしました。6日間では自分がこの世から居なくなるための最小限の準備も出来ないだろうし、第一、そんな事があるものなのだろうか、と、彼女の人生のある種ドラマチックで伝説になりそうなエピソードに驚きもしました。ピナ・バウシュについては、あまり詳しくはなかったのですが、バレエと演劇の垣根を取り払い、そのどちらでもない全く新しいジャンルを生み出した偉大なダンサーと聞いています。独自の舞踏芸術を追求し、その独特な世界観は観る者をそこへ引き込み、数々の感動を与え、絶賛を浴びてきました。1999年には来日し、坂本龍一の坂本オペラと言われた「Life」にも出演しているようです。実はこの「Life」、当時仕事の関係で動員されて、まさに東京公演を観に行ったのですが、残念ながらピナ・バウシュの出演に関してはあまり記憶に残っていません。
ワタシがこの映画を観に行ったのはどちらかと言うと、ヴィム・ヴェンダース監督作品、しかも3Dで?と言うところに関心を寄せての事です。『ヴィム・ヴェンダースの映画が好き』と言えるほどではないのですが、『パリ・テキサス』は好きな映画のひとつです。美しいナスターシャ・キンスキー、乾いた砂漠の風景、ライ・クーダー。あのアメリカ的なロードムービーを鮮烈に描いた監督が3Dと言うのは何とも意外ではあったのですが、当のヴィム・ヴェンダースによると、『自分は回帰をする事を好まない。3Dと言う次世代の表現を知ってしまった今となっては、もう以前に戻る事はないだろう』と言ったようなコメントを残しています。それがますます意外でもあり、であるならば、3D表現と『情緒的』なものの融合を是非目指していって欲しいものだ、と思いました。
この作品に関して言えば、ダンスを観るステージの再現、と言う意味においては3Dは有効に使われているようです。当初(ピナの健在の頃)は様々なロケ地に出かけ、そこでピナがダンスを踊ると言う構想で考えられていたようですが、彼女の死後、内容はガラッと方向転換され、ヴッパタールのオペラハウスに観客を入れ、ライブで新たに「カフェ・ミュラー」「春の祭典」「フルムーン」「コンタクトホーフ」を撮影したそうです。ピナの残した団員達は皆それぞれとても個性的で、悪い言い方をすれば粒が揃っておらず、恐らく古典バレエの世界ではあり得ない状態のように思います。その十人十色の団員達を優しく大きく広い見識で包み込んでいたのかと思うと、ピナ・バウシュと言う人物の底知れない優しさ、人類愛みたいなものが感じられます。古くから続く画一的なものを排除したかったのでしょうね。ダンスはそのバラエティーに富んだ弟子たちによって、劇場のみならず、モノレールや工場などの現代建築、森や庭園などの自然の中でソロパフォーマンスが繰り広げられます。それはピナが手塩にかけて育てたダンサーが、彼女の「いのち」を繋いで踊り続けていると言う事を顕しており、邦題にのみ付けられた『踊り続けるいのち』と言うフレーズもそれを表したものなのだと思います。彼らの失ったものの大きさ、ピナの偉大さを改めて知らされた気がします。(劇中の4作品のうち、「春の祭典」では、春と言う麗らかな印象とは裏腹な狂気じみた空気感、「コンタクトホーフ」でも後半にかけての異様な雰囲気が印象的でした。)そして、個人的にはヴィム・ヴェンダースの今後が気になるところです。(彼の作品の世界観と3Dがどう調和されていくのか・・・・。)これは偏に、『パリ・テキサス』の印象があまりにも強いから、によるものだと思います。



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# by sanaegogo | 2012-03-16 00:00 | movie | Trackback | Comments(0)
生誕100年 ジャクソン・ポロック展
「アメリカで今生きている最も偉大な画家か?」とライフ誌が評した革命児、ジャクソン・ポロックの生誕100年を記念した回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。


生誕100年 ジャクソン・ポロック展
2012/2/10 ― 2012/5/6
東京国立近代美術館


日本で初めて開催される、まとまった点数を見る事が出来る回顧展で、現在国内で収蔵されているポロック作品の全てが展示されている。その数、海外からのものも合わせて70数点。早世し、かつ生前はその不安定な精神状態から自ら破棄してしまった作品も多いため、作品の総点数はそれほど多くはないポロックだけの個展の実現は、ポロックファンを少なからず驚かせ、「今後、この量・質での開催は実施できないだろう。」と専門家は語っているようだ。世界中に散らばってしまった作品達の中には門外不出になってしまっていたものもあり、例えばテヘラン美術館所蔵の「インディアンレッドの地の壁画」(1950)などがそう。作品が少ないのに強烈な個性を残しているこう言った作家の個展を行うには、そこに強い思い入れと苦労を感じ取る事ができる。平日の割には近美には多くの人が観に来ていたが、いつもよりも鑑賞する人たちは熱心であったような気がした。

ポロックもその作風、スタイルを次々と変容させていった画家の1人で、その集大成というか絶頂期のスタイルが、「オールオヴァー」と呼ばれている図も地もない均一で画面の端の端まで埋め尽くされた絵画スタイルだ。これは「ドリッピング」(dripping)とか「ポーリング」(pouring)と言う、絵筆を直接画面に触れさせる事なしに、その飛沫によって表現する手法によって描かれていて、ポロックの最高傑作と呼ばれているいくつかが、この時代にこの手法によって生み出されている。自分自身がポロックと言う画家を認識したのもその時代のものだったのだが、この回顧展を観に行って、この絶頂期に長く留まる事なく、比較的あっさりと次の試行錯誤に移っていった事を知り、絶頂期の滞在期間は短いのに、近代の名だたる画家のひとりとして数えられる事となるこの「オールオーヴァー」が与えるインパクトの凄さも同時に知った訳だ。自分が始めてポロックを知ったのは、多分、中学生の頃、図書館で図録や画集を漁っていた頃だと思うのだけど、この「オールオーヴァー」に対してさほど違和感は感じなかったように記憶している。『これは絵画か?』と言う見方もあった(ある)ようだけど、自分には充分に絵画として認識されていたように思われる。ポロックは決して偶然だけを頼りにしてドリッピングやポーリングを施していた訳ではなく、そこにはある種の意図であるとか、規則性や反復を見出す事が出来て、彼はあくまでも画面を意図的に創りだし構成させている。それが今回の回顧展を観て、再確認する事が出来た。床に画材・画布を置いて、全体を見ながら叩きつけるように、時にはスナップを効かせて、エナメルやアルミニウムの塗料を置いていく。その画面に打ち付けられる塗料の形状は確かに偶然の産物かも知れないが、明らかにポロックは全体を上から俯瞰しながら全体の構成を見ている。そう、画面を構成させているのだ。これはどちらかと言うと、何か表現対象があるファインアートと言うよりは、テキスタイルアートであるとかグラフィックなどの感覚に近いのかも知れない。
この画面を均質に埋めていく作業は「アクション・ペインティング」と呼ばれており、このペイントする行為自体も含めたものがポロックの作品である、と言う事が出来るのではないだろうか。同じように作風を頻繁に精力的に変えていった画家として、ピカソがまず頭に浮かぶが、ポロックもまたピカソに深く影響を受け、それを乗り越えようとしていた。『全てあいつ(ピカソ)が既にやってしまった!』と言うような発言も残していると本回顧展では記されていた。しかし遂には、アクション・ペインティングも含め、このオールオーヴァーの手法によって、ピカソを越える云々ではなく、全く別次元のところで、ジャクソン・ポロックが唯一無二のユニークな存在である事を実現させたと言えるのだろう。現代のコンテンポラリー・アートのアート・パフォーマンス(ライブ・ペインティング、ライブ・インスタレーションと呼んだほうが的確か?)に通じるライブ感溢れるその作業は、ピカソの仕事と敢えて比較をするのであれば、当時としてはより前衛的だったのだと言えるかもしれない。
最後に、ポロックと言えば気になるのが、その独特の色彩。茶・黒・白・銀など暗く沈んでいながらにしてコントラストの強いその画面のストラクチャー。絶妙のバランスで散りばめるターコイズや赤、黄色。こんな粗織のツイードのコートがあったら是非欲しい、と思ったことがある。それは冗談として、ポロックはネイティブ・アメリカンの文化・芸術にもヒントを多く得ている、と言う事。なる程、顕れ方は違っていても、その根底に流れるものに不思議と惹かれるものなのだな、と実感した。(私自身、ネイティブ・アメリカン・アートが好きなので、それで、このポロックの色彩に妙に惹かれたのだな、と。)
近美はホント良いのをやるなぁ、と予てから思ってるところですが、会期はまだまだあるので、是非。



MoMAで観たポロックの接写。作品名はちょっと不明。本当はかなりの大画面なのだが、画面いっぱいに撒き散らされたエナメル塗料の重なりと隆起が面白くて接写をしたのを覚えている。(残念ながらボケてるけど。)

公式ホームページ: http://pollock100.com/
プレスリリース: http://pollock100.com/pdf/release-Pollock-PR.pdf

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# by sanaegogo | 2012-03-15 00:00 | art | Trackback | Comments(2)
ニーチェの馬


崩壊は、予期せぬところで突然に始まり、そして、それが徐々に進んで行く事を、喰い止める事は出来ない。まるで裁縫の「返し縫い」のように、同じ動作を繰り返し繰り返し、繰り返しを連続させて少しずつ進行していく。
タル・ベーラ監督はこの作品を最後の作品と公言していて、また、「この作品に込めたメッセージは特にない。ただ情景を描いただけ。」と言うコメントを残している。 観に行った人々は、2時間34分の間ただ淡々と崩壊していく世の中の情景を、見せつけられる。風が吹き荒れ、ならず者に怯え、井戸は枯れ、やがて火種も消え、そして6日目に風は止み、世界は静かに終末を迎える。一体、21世紀のこの現在の世界のどこで、この映像を撮ったのだろう、と思わざるを得ない、シンプル、かつ、その印象とは相反して作りこまれた世界である。最期の6日間、常に強い風が吹いていて、娘は毎日井戸のところまで歩き、その日に使う分だけ水を汲みに行く。水が入った桶を両手に持ち、強い風に吹き曝されながらよろよろと歩くその場面には、こちらもぐっと身に力が入るし、家の中に戻り、扉を閉めて閂をかければ、こちらも安堵でほっと肩の力が抜ける。そう、そんな反復を繰り返しているうちに、いつしか自分もあの荒野の中の1軒屋で風にさらされている感じがしてくる。
タル・ベーラ監督は、ニーチェが馬の首に取り縋った後、2度と正気を取り戻さなかったと言うエピソードに発想を得て、ニーチェと別れた後の馬と御者のその後のエピソードとしてこの作品を撮ったそう。『どんな映画?』ともし尋ねられるとしたら、その表現に関しては、すでにタル・ベーラの手から放たれていて、観た側に委ねられている。その時、自分の中で饒舌に言葉を探そうとしても、その要素の少なさ故に、自分の中にいかに表現力があるのかを自然に試されているような気がしてしまう。彼が表現しているものを言い顕した、さらには、それを超える表現は見つけられない。でもそれは、徒労に終わる事は目に見えている。なぜなら、そこには「情景」のみが描かれ、語られているだけで、拙い感想を求める意図は一切ないと感じたからである。




この馬はタル・ベーラが片田舎で見つけた無骨で頑固な馬で、作中ではこの馬を使う以外には考えられないと感じたそう。馬が荷車を牽くそのシーンが流れていく様子と反復される音響には、思わず見入らざるを得ない。


「ニーチェの馬」 公式サイト: http://bitters.co.jp/uma/
「ニーチェの馬」 作品紹介(2012年2月6日): http://eiga.com/movie/57189/interview/
五十嵐太郎が感嘆(2012年2月20日): http://eiga.com/news/20120220/10/
タル・ベーラ インタビュー(2012年2月6日): http://eiga.com/news/20120206/7/

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# by sanaegogo | 2012-02-22 00:00 | movie | Trackback | Comments(2)


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